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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
利益を追求しすぎた経済の弊害について考えさせられました。これからの企業と人との関わり方も思い浮かんできました。
株式会社も終わらない。
2021/04/17 21:25
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投稿者:FA - この投稿者のレビュー一覧を見る
資本主義が終焉するなら、当然株式会社に未来はありません。厳密にいえば、現金配当をしている株式会社には未来がないということです。
この作者は資本主義は終わるというのが持論です。いくつか読みましたが、その一点張りです。そして、グローバリゼーションに乗り損ねている日本は米国に食い尽くされるという。
読みながら、それでも共産主義が大失敗に終わった今、資本主義に代わるものはないでしょう。それに、資本主義が一番、人間の経済生活に合っている物はないように思います。強欲にならず、みんなが落ちこぼれない方法を考えていけば、資本主義は終わらない。したがって、株式会社も終わらない。形は変わっていくかもしれないけど、残ると思います。
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今から2年前に、この本の著者の作品(資本主義の終焉と歴史の危機)という本を読んで、中学生の頃に、半分笑いながらよんでいた、ノストラダムスの予言に書かれていた詩を思い出したのを覚えています。その詩の内容とは、「共産主義はいずれ衰退する、しかし、資本主義も終わらせなければならない」という内容で、助動詞の「must」が話題になっていたので覚えていました。
さて、この本は、その本の続編もしくは、前作で資本主義の次に来るものが明確に書かれていなかったので、それを詳しく書くことが趣旨のようです。
資本主義の繁栄を支えてきた「株式会社」というシステムが、時代に合わなくなってきているようですね。大企業でも最後は行き詰って不正をすることになる、現在の状況は、かつての「中世」と同じ状況である、というのは、痛烈なメッセージでした。
今後株式会社が生き残っていくためには、今出の考え方を変えなければいずれ行き詰る、というのがこの本の結論のようでした。強烈な本でした。
以下は気になったポイントです。
・資本を含めたあらゆる「蒐集(しゅうしゅう)」は、必ず「過剰・飽満・過多」に行きつく。蒐集の尺度である利子率がマイナスになったということは、いよいよその限界が近いことの表れである(p12)
・20世紀末(1998年以降)には、新自由主義が世界を席巻し、国家は国民に離縁状をたたきつけ、資本と再婚することを選んだ。これは、株価と利子率の離婚を意味する(p13)
・家計所得を測る指標はいくつかあるが、最も適切なのは、一人当たり実質賃金である。これが、1997年1-3月期をピークに、最新まで年率:0.8%で減少している(p15)
・2000年度から、限界労働分配率が1.0を下回っている、長期間にわたって下回るというのは、労働の成果を認めないということに外ならない、近代の理念に対する資本の反逆(p22)
・1991-1999年度までの失われた10年の前半と、後半で分配の在り方が異なるのは、1995年の報告書がきっかけである。派遣労働の全面解禁への道を開き、労働の低賃金化に大きな役割を果たした(p24)
・経常収支が恒常的に黒字である、日本・ドイツ(供給過剰の国)と、経常収支が赤字である、英米(需要過剰の国)を同じ土俵にあげて、欧米並みにROEを高めろと言われれば、企業は経費の一つである人件費を下げるか、納入単価を下げさせるしかない(p28)
・MxV(貨幣数量:マネーストックx流通貨幣速度)=PxT(一般物価指数x取引量)、フィッシャーの交換方程式において、3つの前提が置かれた。1)貨幣の流通速度は一定、2)取引量は、実質GDPと比例、3)実質GDPは短期内には増大できない、つまり、貨幣供給量の変動は、長期的には物価にだけ影響する、新貨幣数量説となった(p37)
・日本とドイツは、10年国債利回りがマイナスとなっているが、これは日本とドイツが世界で最も「資本係数(民間資本ストックを実質GDPで割ったもの)」が高い国であることを示している。日本では、戦後2度を除いて一貫して上昇している(p49)
・コンビニの新規設備投資は、既存の設備を不良債権化してしまう段階にきている。新規出店をして、既存店の売り上げを上げるには、客単価を上げるか、来客数を増やすかだが、賃金が伸びていない状況下では、客単価は上げられない。一日二回の来店を促すのは、コンビニの定義に反する(p54)
・欧州では、遠い場所との取引には銀や金が使用されたが、領内では独自通貨を流通させていた。これは6-8か月流通したら回収、新しい通貨は、年換算で3-6%のマイナス金利となった。こうして集められたお金で、カテドラルを建てた。見方を変えると地方消費税であった(p60)
・生活が楽になったか否かは、貯蓄残高の中央値の増減で判断できる。2002年の817万円から、2015年の761万円へと減少している(p68)
・特許会社のなかでも、モスクワ会社と、後に設立された東インド会社(1600設立)は、永続資本だったという点も大きな変化であった(p84)
・コペルニクスが公表した7つの公理のなかで、ローマカトリック教会が支配する中世社会をひっくり返したのは、「地球から太陽までの距離は、地球から恒星までの距離に比べれば、取るに足らないほど小さい(地球と天上に君臨する神は、無限に遠いとした)」というもの(p92)
・コペルニクスらは、閉じて均整のとれた宇宙を、崩壊させて、無限の宇宙を登場させた。だからこそ、あらゆる分野が思想の転換を迫られた(p95)
・1721年、国家の都合により海賊行為は禁止。アフリカ大陸からアメリカへ奴隷を運ぶ際に、海賊が奴隷船を襲い、奴隷を解放し、船舶を奪うようになったため。奴隷貿易で繁栄するイギリスとイギリス資本主義にとって、海賊の撲滅が最大の課題であった(p100)
・奴隷貿易を行うのが国家で、奴隷を解放したのが、アウトローの海賊であった(p101)
・特許会社の多くは衰退したが、三大特許会社(東インド会社、イングランド銀行、南海会社)は重要になった。イギリス国債を大量に購入してくれるので(p102)
・イギリスは、世界に先駆けて、王国の借金ではなく、国民の借金(すなわち、国債)を発明した。これが、国民国家イギリスが、絶対君主制のフランスとの覇権争いに勝利できた大きな要因であった(p103)
・1820年以降、蒸気の力を得て、鉄道と運河の時代がスタートした。ここに、「より速く」が、大航海時代の「より遠く」、そして科学革命の「より合理的に」に加わったことで、近代を特徴着ける3つの原理がそろった(p133)
・日本とドイツという、その産業において最も成功をおさめた特別の国(マイナス利回りの国)で、不正事件が起きた。これは近代の限界を示す、なによりの証拠である(p143)
・AIを所有できる人は世界の中でほんの一握り、このように特定の人を対象とした商品では、売上に限界があるにもかかわらず、仕入れにあたる研究開発費は高騰、そのため企業利益が伸びない。そのために人件費がカットされる、これが資本主義の陥っている問題。(p157)
・20世紀の「技術の時代」は、17世紀の「科学の時代」からの累積の��に築かれていた。21世紀が引き続き「技術の時代」だと信じるのであれば、少なくとも「よりゆっくり、より近く、より寛容に」を目指す技術でなければならない(p158)
・成長力は、技術進歩・資本量・労働人口の3つが源泉である。資本はすでに過剰なので、3つとも成長に貢献できなくなった。このことから、近代みずから反近代を生んでいることがわかる(p161)
・政権の良し悪しは、株価ではなく、国債利回りで評価する。ゼロ金利が目標で、マイナスでもプラスでもダメ(p173)
・企業の負債総額と株主資本の比率を考えると、リスク顕在化するのは、0.3%、預金者が間接的に保有する国債は、預金の4割に相当する、506兆なので、預金者のほうが圧倒的にリスクを負っている(p179)
・中世に一般的であった現象(人口一定社会、定住社会、身分社会、定常経済、パートナーシップ形態企業=出資と融資曖昧)が、21世紀になって再び現れてきた(p184)
・出資(株式)と融資(債券)の垣根が曖昧であるのが中世の特徴だが、21世紀の代表例として、トヨタの新型種類株式「AA型」(2015.7)である。発行後5年間は譲渡・換金できないが、その後は、発行価格で買い戻しを請求できる、元本保証付きの株、配当比率も年毎に段階的に上昇する、これは利益のことしか考えない株主とは縁を切れ、というメッセージ(p191、192)
・株価暴落等のバブル崩壊は、実は、古代ローマ帝国や、中世のイタリアでも起きていた(p198)
2016年10月30日作成
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20世紀までの株価は利子率と連動していた。20世紀末になると、新自由主義が世界を席巻し、国家は国民と離縁し、資本と再婚したので株価と利子率は離婚した。資本帝国においては、雇用者所得を減少させる事で株高を維持し、資本の自己増殖に励む事になった。資本の蓄積を示すROEは2001年をボトムに上昇傾向に転じたのに対し、家計の純資産蓄積率はいっそう低下している。
一人当たり実質賃金は、1997年1-3月をピークに2016年4-6月期に至るまで年率0.8%で減少している。
国民と国家が一体化している時代では株価と利子率は景気の体温計であったが、資本家がヒトモノカネを国境を自由に超えて移せる手段を手にした事で、株価は世界の企業利益を映す鏡となり、利子率は国境で分断された国民の所得を映すようになった。
人件費を付加価値で割った労働分配率は、たいていの国は60-70%に推移している。1963-86年までの限界労働分配率は1.06で安定していた。バブル期の1980年後半から1.43まで上昇したが、2000年には1を下回り、2004年から現在まではマイナスになっている。
労働分配率が1を大きく下回るのは、労働の成果を認めない事に他ならない。
この20年間の間に、一人当たり実質賃金は14.2%減少している。このうちの6割は正規から非正規雇用へのシフトによるもの。経産省が企業に「稼ぐ力」の強化を要求した結果、総付加価値が伸びたのではなく、人件費が削減された。
資本国家ではなく、国民国家の視点を持つ事。「稼ぐ力」は国民がモノを欲しがっている時代に必要なのであり、モノ余りの現在は、「何が適切なのかを考える力」が必要。
経常収支が恒常的に黒字で供給過剰状態のドイツや日本と、恒常的に赤字の需要超過の英米を同じ土俵に上げて欧米並みにROEを高めろと言われれれば、企業は人件費を削減するか下請けに納入単価を下げさせるしかない。
地理的物的空間の拡張が不可能になった結果、売上高付加価値比率が低下し、利潤圧迫か人件費削減のどちから、あるいは両方が生じた。
絶対倒産することはないと考えられている企業が発行する10年もの社債の利回りは、10年国債の利回りに0.1%プラスした値になるのが通例。
国債の利回りは企業活動のコストと利潤率に連動して決まる。
日銀が試算する自然利子率がマイナスになった事に追随してマイナス金利は採用されている。自然利子率がマイナスになったのは、潜在成長率がゼロ近辺まで低下していた事を反映したものであり、将来人口減は過剰資本などを背景に潜在成長率がマイナスになる事を織り込み始めたから。
日本とドイツの10年国債の利回りがマイナスなのは、両国が世界で最も資本係数が高い国だから。資本係数とは、民間資本ストックを実質GDPで割った比率。
2014年の日本は1,303兆円の実質民間資本ストックを用いて年間524兆円の実質GDPを算出しているので、資本係数は2.48。2015年は2.5。戦後一貫して上昇している。
2013年時点の空き家率は13.5%。新設住宅着工が増えれば増えるほど今後さらに上がっていき、住宅価値の下落を引き起こす。
http://www.stat.go.jp/data/jyutaku/2013/10_1.htm
各国の資本係数
中国3.96
日本3.9
ドイツ3.74
特に中国の増加率は年平均で11.8%と実質GDPの9%を上回っている為、今後もさらに上昇する見込み。資本は永続的に循環するのでいつか必ず過剰になる。
日銀はマネタリーベースを年間60-70兆円増やした結果、138兆円だったベースマネーが2年で270兆円となった。同時に長期国債も年50兆円規模で購入し、今は80兆円に引き上げている。毎年新規発行される国債は30兆円程度なので、残りの50兆円は既発行の国債を購入している。現在、金融機関が保有する国債総額は232.3兆円なので、このまま毎年80兆円を日銀が買い続ければ5年弱でなくなる。量的、質的緩和の終わり。
マイナス金利は日銀も資本帝国の軍門に下ったのが真意。株や土地は資産価値が上がるので資本の自己増殖は続く。
銀行からみれば、国債は財務省に入札した金額よりも必ず高く日銀が買ってくれるので、マイナス金利になっても損はしない日銀トレードがある。が、利回りは預金金利や年金に直接影響を及ぼす。
売上高経常利益率は景気の良し悪しに連動する。大企業製造業のそれは、不況のボトムにおいても平均2.81%、好況のピーク時で6.15%。デフレが原因で赤字になる事はない。問題は過剰生産能力。
2人以上の勤労者世帯の貯蓄残高は、2002年の817万円から2015年の761万円へと減少している。トリクルダウンは生じていない。アベノミクスは資本帝国向けの政策である。
世界最初の株式会社は1555年、英国のモスクワ会社。
近代の始まりは、コペルニクスが「天球の回転について」を著した1543年。百年後のウェストファリア秩序体制を生み出した。
16世紀、国家から特許状を得ていた特許会社と海賊達の決定的な相違について、海賊達は船上で多数決による民主主義を行い、略奪品の配分において全員平等であった。特許会社の利益の分配は出資金に応じて行われていた。特許会社は奴隷貿易を行い、海賊は奴隷を解放した。
日本のバブルはアメリカの要請による官製バブルが真相。米国債の引き受け先であった日本の生命保険会社のプラザ合意による損失をカバーする為、日本政府は国策として土地・株式バブルを創った。
ショックドクトリン(惨事便乗型資本主義)に基づき、1980年以降、三年に一度バブルが弾けるように設計された。
今なすべき事は、走りながらではなく一度立ち止まって考える事。「よりはやく、より遠く、より合理的に」の第四次産業革命にすがらない。21世紀は「よりゆっくり、より近く、より寛容に」を目指す事。
近代社会をさらに一歩前に進める為のコストがかかりすぎる事が人口減少とデフレの原因となっている。
金融機関の預金1,363.2兆円の4割が国債購入に結びついている。
経済的に見て地球はすでに閉じている為、日独のマイナス金利は米英、中国へと伝播する。
トヨタのAA型株式は、中世イタリアの有限責任型パートナーシップ、コメンダの性格に近づいている。
これからの企業の在り方
マクロ経済がゼロ成長ならば、財務目標は対前年比増減率がゼロでよい。
1999年度以降、新自由主義の影響で歪んでしまった労働と資本への分配を見直す。これで企��利潤は前年比でマイナスとなる。
実質GDP一単位を生み出すのに過剰な内部留保金を減らす。
すでに過剰な資本が存在するのだから地球の裏側から株主を募る必要なし。売上先が地域限定であれば、株主も地域住民でよいはず。グローバル企業を目指すのではなく、「より近く」の地域の企業になる事。
現金配当を止めて現物給付にすると、営業地域外の投資家は自動的にいなくなる。
外国人株主が日本株を売却した時に、地域住民(地域金融機関)が直接株主となる事もできる。
生産年齢人口を26-75歳とする。若者は就職までに最低二つ以上の学問を修め、中世でも重要視されていたリベラルアーツを修得する事。
少ないインプットと多くのアウトプットを求める合理主義が人口減とイノベーションの低下を招来している。
170兆円強の「消えた雇用者報酬」は向こう20-30年、年6兆円程度の個人所得税減税を実施する事で対処。
代替財源には110兆円の「正当化できない営業余剰」を蓄積した企業に対して法人所得税の増税をして充てる。残りの60兆円は過剰な内部留保を充当させる。
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凄い本である。
かつて著者の「100年デフレ」「人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか」「終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか」の三部作を読んだ時には、その難解さと文明論的な考察に首を傾げながら読了した記憶がある。
しかし本書はよく理解ができる。
それは多発する世界的なリスクの進行やアベノミクスの限界などを体験した現在の世界は、著者のこれらの文明論的考察が的をえていることを示唆しているからである。時代が著者の考察に追いついてきたのかと慄然とした。
今の日本の政治や経済を語る際にも、本書は必見の書であると高く評価したい。
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★★★2017年6月レビュー★★★
我々は歴史の転換点に立っている、と筆者はいう。かつては「株価」と「利子率」は景気の体温計ではなくなっている。急速に力を持ちはじめた「資本帝国」。
勤労からはお金を得られず、株などの資産からでなければ、お金を得られない時代。企業は人件費をカットし、利益を確保する。そんな時代だ。事実、90年代後半から労働分配率は下落の一途をたどっていると、数字が示している。
これは何となく実感できる。
では、これからの世の中はどうなっていくのか。
1、筆者は「成長」信仰を鋭く批判する。企業は「減益計画」を立てるべき、と。これは頷ける、企業でも人でも、永遠に成長し続けることは出来ないから。
2、もう一つ。近代資本主義の「より速く、より遠く、より合理的に」→「よりゆっくり、より近く、より寛容に」と思想を転換させるべき。この提言も頷ける。筆者も述べる、「すでに過剰な資本が存在するのだから、地球の裏側から株主を募る必要はない」株主も地域住民でいいはず・・・・・
成長、成長、成長・・・・という某新聞社の主張には疑念を抱いていた。この本の、「減益計画」「よりゆっくり、より近く、より寛容に」という主張に基本的には同意したい。資本主義の歴史についての叙述も詳しく、歴史を知って初めて自分の立ち位置や、未来が見通せると改めて思った。
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今日は水野和夫先生の「株式会社の終焉」。なかなかの力作ですが(お前が言うなよ~って怒られそう)、全部は紹介しきれませんので、最後の方をちょちょっと詳述します。
まず1000兆円の国・地方の借金だが、ストックとしての800兆円にも及ぶ国債をこれ以上増やさないことだ。
そのためには毎年のフローとしての国債発行額をゼロにするべきであるとする。それによって国債発行残高の増加に歯止めがかかるとのことだ。
次に、2015年度には8.8兆円と歳出100兆円の8.8%を占めていた国債利払い費が、マイナス金利によって、近い将来ゼロになることが考えられることから、それによって節約できた8.8兆円を国債の償還と社会保障関連のサービスの充実に充てることだという。
そして、国債管理庁を設立して、国際資金繰りのショートが起きないようにすることが大事であるという。これは日銀が適任だと水野先生は主張する。
また銀行(メガバンク、地銀)の預金1363兆円の53.3%が貸し出しで、残りの5割弱が国債などの有価証券投資であり、預金に占める国債保有と日銀預け金(市中銀行の日銀への預金)の合計の割合は37.9%となっており、異次元の金融緩和を始めた直前の2013年(35.4%)と比べても大して変わってない。
これは預金取扱金融機関が日銀に国債を売却して受け取った分を、日銀に預けているからである。
この結果、2015年度末で、預金取扱金融機関の日銀預け金は267.1兆円と、2011年の2011年の31.5兆円と比べて235.6兆円増加している。
つまり、預金取扱金融機関1363.2兆円の預金のおよそ4割が、国債とリンクしているといっていい。
これでは預金者がいくら預金を各金融機関に1000万円ずつ分散させても、その預け先である国内金融機関がどこの国債に投資しているのであれば、それは預金者が国債のリスクを負っているとの同義だ。
会社が倒産すると、株価が基本ゼロになるので、株主はリスクを負っているといわれていた。しかし、株式は証券市場で自由に売買できるので(公開企業を前提とする)、売却することで、リスクを回避することができる。
もちろん、倒産した株主を購入した人はリスクを被る。2015年に倒産した企業の負債総額は2.04兆円だった。日本の株式会社の株主資本は598.5兆円なので、比率にすればリスクが顕在化するのは、わずか0.3%である。リーマンショックの時でもその値は2%台半ばだった。
それに対して、預金者が間接的に保有する国債は預金の4割に相当する506.5兆円と巨額で、圧倒的に預金者の方がリスクを負っていることになる。
これには次の仮定をする。
「株主のリターン>預金者のリターン」となっているので、預金者のリスクを株主のリスクより低くすべきだと考える(A1)
「預金者のリスク>株主のリスク」なので預金金利を株主のリターンよりも高くすべきと考える(A2)
A1のケースの場合、国の借金を減らしていく政策をとり、かつ、日本の潜在成長率を高めていくことだ。
しかし、現在のようにROE(株主資本利益率)が8%弱のときに、預金金利を3%まで引き上げるには、潜在成長率もおよそ3%に高め���必要が出てくる。これは、通常、資本コストは5%と言われているために、ROE8%から5%を引いた3%がリスクを負わない人が受け取るリターンとなるからだ。
次にA2のケースは、預金金利を株主のリターンより高くすることで、正常な関係に戻そうとするというものである。しかし、預金金利をROE(≒8%)以上にするのは、常識的に考えて無理がある。
次に、もう一つには現実を認めようとするケース(B)である。
預金者はハイリスク・ローリターンで我慢しろ、株主はハイリターン・ローリスクで当たり前だとするケースだ。
この考え方は「国民国家」の時代が終わり、「資本の帝国」の時代に変貌したと認識すれば正当化される。「国民国家」の時代には、預金者はローリスク・ローリターン、株主はハイリスク・ハイリターンが正常だったが「国民国家」の時代に正常だったことは、「資本の帝国」の時代には異常になるからだ。
「資本の帝国」とは一級市民の株主と二級市民の預金者からなる階級社会だ。国民は平等であるという近代の理念に反するという点で、「資本の帝国」は「反近代」であって、反動勢力なのだ。
とこのように、本書の一部を紹介してきたが、上記に続いて、「株式会社の終焉」について、水野先生の議論が展開されている。興味を持った方はぜひ本書を手に取って欲しい。
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『株式会社の終焉』というタイトルから、これからの法人(働くうえでの組織)のあり方について論じてくれるかと思ったが、「株式会社」の歴史についてと、政府の金融政策と税制をデータに基づいてまとめた内容が中心だった。
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ちょっと難しかったかなぁ。
短期的に利益を追い求めるのではなく、ゆっくりのんびりと寛容にってことなんかな?
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読了。難しかった。本を買ったとき、今の社会が終わって、新しい素晴らしい社会が生まれるのではと期待したが、まだ先のようである。
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資本が過剰に累積した日本では、これ以上の潜在成長率の底上げは困難で、永劫の成長を目的とする株式会社という仕組みがすでに立ち行かなくなっている、とするのが著者の視点と理解しました。
一方、グローバルな競争にさらされている日本企業は海外の市場での売り上げが既に過半を超えている会社が相当数あることから、縮小していく国内事業に割り当てる資源を、海外事業により一層振り向けることとなる、という視点もあります。
こうした企業は、持ち株会社をより資本市場の厚い国(米国、英国、香港など)に移し、日本国内事業を子会社化して事業の縮小を図っていくのではないでしょうか?
著者の前著「資本主義の終焉と歴史の危機」も読ませて頂きましたが、グローバリズムは一国の中に周辺と中心を発生させ、格差拡大を助長するという点は確かにあります。世界経済におけるシェアが縮小していく日本と日本企業が、グローバルな市場での存在感を維持するためにはどうやって付加価値を高めていくか、その一方、国内事業の統合と最適化をどう図っていくのかという課題が、本書の提起する問題とともに思い起こされました。
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株式会社という存在を通じて21世紀社会のあるべき姿を論じています。20世紀型の成長進歩の考え方から脱することができないことが現代の経済危機の本質であることを指摘、「進歩は近代が生み出した最大のイデオロギー」という著者の言葉が印象的でした。
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株高、マイナス利子率は何を意味しているのか?: 政府のROE8%超要請 人件費削減に正当性はあるのか なぜ日本企業の売上高利益率は欧米企業と比べて低いのか なぜ消費者物価は上昇しないのか 株式会社とは何か: 企業組織の4つの特質とハイリスク・ハイリターン コペルニクス革命とウェストファリア体制 21世紀に株式会社の未来はあるのか: 成長、それ自体が収縮を生む ショック・ドクトリンと無産階級の増大 技術の奇蹟の信徒と技術進歩教の誕生 科学の時代の延長線上の技術の時代 21世紀の会社のあり方とは
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21世紀の原理は「よりゆっくり、より近く、より寛容に」であると著者は主張する。それは資本主義の原理「より速く、より遠く、より合理的に」を棄却し新しいベースとなる考え方に乗り換えることを意味する。
二十代前半の私にはこれの原理は非常に示唆的である。経済という観点から反近代的原理を導き出すことはとても参考になった。人件費を削って自己資本利益率をあげた結果、進歩は行き詰る。進歩の行き詰まりの結果、デフレや人口減少に至る。そこで主張されるのが中世的な原理である。実際に、トヨタは新型株式を発行し目先の利益を求める投資家を切っているし、三菱東京UFJ銀行も「子国際市場特別参加者(プライマリーリーダー)」を財務省に返上し、日銀のマイナス金利政策に反旗を翻している。法人概念について知るために読み始めたが、このように非常に示唆的な内容だった。