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成熟した社会の閉塞感が、様々な歪みとして現れてくる。それは主に人の心で、本書でとりあげられた無差別殺人もその一つ。驚くべき動機。そして、死刑を望む者への極刑である死刑の意味を問う。2017.9.23
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死刑制度について考えされました。初めから死刑を希望している人にとっては死刑制度は犯罪の抑止にはつながらない。本人は死刑になるために土浦連続通り魔事件を起こしたと主張し、精神鑑定では自己愛性人格障害と診断されたものの、死刑という結論は変わらず、ある意味では本人の望んだとおりの結果。土浦連続通り魔事件、本当に恐ろしい事件。
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衝撃的なタイトルに興味を持ち、完読。
死刑制度が機能しないこのケース、やりきれない気持ちが溢れました。本書の中に、犯人が影響を受けた「子どものための哲学対話」という本が気になり、購入して読みました。他人の考えを理解しようとすることは不可能であり、十人十色であるということを思い知らされました。
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基本的には死刑には反対。でも…。
「死にたい。でも、自殺は痛いし失敗する可能性がある。確実に死ぬには死刑が一番だ。できるだけ多くの人を殺そう」
そうして通り魔殺人事件を起こした死刑囚に30回以上も獄中面会し、その心の奥を知ろうとした記者のノンフィクション。
青年期に「「子どものための哲学対話」を読んで真理がわかったと豪語する。けれどそれは表面的なもので、真理でもなんでもない。と、普通の人ならわかるはずなのに、なぜ彼はそういう捉え方をしたのか。そしてその考えに固執したのか。
彼の成長過程は確かに不幸なものだったが、だからといってそういった育ち方をした人が全て凶悪事件を起こすわけでもない。
被害者家族たちの思いは、このまま「死刑」にしてしまうことは、彼の希望を叶えることになる。それは罰を与えることになるのだろうかということ。
面会し取材した記者たちは、面会し彼の心に訴えかけるうちに「罪悪感」が生まれてくれないかと期待したが、それも叶わなかった。
果たしてどちらが幸せなのだろう?
刑場に向かう心理として、誤った真理であっても自分の望む死刑を執行される場合と、罪悪感に苛まれ、やっぱり死にたくないと後悔の念を抱いて執行される場合と。
被害者意識としては?
「死刑」という事実は変わらない。反省、謝罪の気持ちを発せられたとしても、亡くなった家族は帰らない。
最期の最期に、足元の床がぱっくりと開き落ちていく瞬間、彼はどう思っただろう?