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倉本聰の主宰する「富良野塾」での作者自身の体験をもとにした小説。二期生として入塾した19歳の若者の体験をメインに綴っている。時系列が前後し、曖昧になり読者を戸惑わせるが、これは主人公の若く人生の先行きが定まらず、不安定な心情と体験を表現しようとしてるからだろう。
私は「富良野塾」とは俳優や脚本家を目指すエリート集団と認識していたが、それよりもまるで「北の国から」を体感するような過酷な自然の中での生活が前提にあるということだ。その環境の中で主人公はなかなか自分の今後を定めることが出来ずにいる。
「辛い」ということばが心に残る作品だった。
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率直に言っておぼえていないのだ、この本、実際に読んだのかどうか。読み終わったのは今日のはずなのに。昨年の暮れに新聞の書評欄に紹介されていて、読みたいというか、おそらくそれほどの思いもなく、純文学なんて自分で選書できないから、する術もないから、そんな紹介に頼ったのだ。案の定、読むほどのこともなく、そういう意味では期待を裏切らなかった。読み手を意識せず、読ませたい、伝えたい確たるテーマをもたず、あえて靄に包んだかのごとく書きつらね、それを称して純文学か。作中のぼくはどうであれ、昇華を得られない読書によってときを費やしたぼくはたまらない。合点がいかなければ読むな。いくわけないから、彼はもう読まない、きっと。
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一般的な評価は低い。
やたらと句読点が多く、不思議な文章のリズムの中で、
演劇塾と言う名の変わった日常が延々と続く。
時には俯瞰から「谷」を見下ろし、時にはクローズアップされる。
淡々と一年が終わり、この一年の意味は分からない。
でも私はこの空気感は好み。
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演劇と脚本の住み込の無給自給自足の学校での、スミトの1年間。
緩やかに過ぎている日々。栄養失調になったり、行事での些細なトラブルなど、
【先生】やケイコ、故郷の女友だちの「天」とのちょっとしたやり取り。
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富良野塾の二期生としての自分の経験を踏まえて…らしいのだが、珍しい体験というだけで何にも私には響くところのない芥川賞でした。文芸春秋の評をうっかり先に読んでしまって「裸の大将」という表現を見つけてしまったので、もう最初から最後までその語り口でしか入ってこなかったせいもあるのかも。
何につけても青春は痛いものだが。
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第156回芥川龍之介賞受賞作。
俳優を目指す主人公が、俳優と脚本家を育てる【谷】での共同生活に参加する。彼の名はやましたすみと。読者は間違いなく、私小説?倉本聰氏が主催する富良野塾?と、ピンとくるだろう。しかし主人公はかの脚本家を知らずに参加したらしい。読み進めるほど、浮世離れした彼から目を離せなくなる。小学生の作文のような(いい意味で)ピュアな文章。澄んだ目を通して描かれる情景。
物語は淡々と進むし、何も起こらない。ザ・純文学ってかんじ。「コルバトントリ」よりは格段に読みやすかった。
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芥川賞受賞作というから読んでみたが、やはり芥川賞受賞作に面白いものなしというか純文学とはそう言うものなのか?しかし自分の世界に閉じこもった独善的なものが多いように思うし、日本独特とも思える私小説的なものも多いように思える。本作も倉本聰の富良野塾での経験を書いただけの悪く言えば日記みたいなもので読むに値しない、二度とこの作家を読むこともないだろう。
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俳優と脚本家養成のための「谷」.2期生として入っての1年間を自給自足的な生活を通して描く.スミトの色々考えたり思ったりしていることとほとんど喋らないことのギャップがこの物語の全てだ.心の中のぐるぐるした事をそのまま吐き出したかのような文章,文体がゆったり船に揺られているかのような感があり,軽い酩酊気分で読み終えた
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芥川賞・・・って何故?~まだやっていない恋人と別れ、北海道にやってきて、脚本家の先生の下で、俳優志願者やシナリオライター志願者と共に、俳優修業というよりも、谷作りに励む。1期生のいる中で、2期生として1年を過ごし、1期生が卒業して、1年谷で過ごして1年後谷を出た。関西の倉庫で働いていて、間違って配達された新聞の広告を見て応募し、新宿に宿をとって新橋で試験を受けて合格したのだったが、前日深夜、新宿の公園で仔アライグマを飼っているホームレスが練炭自殺をすると言っていた気がするのだが…~明らかに倉本聰が作った富良野塾。まだ、あるんですね
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第156回芥川賞受賞作。
受賞作品はなるべくチェックはしている。本作品も、あの富良野塾のOBが、そこでの体験を元に記したことも知った上で読んだ。
正直、微妙だ。私小説的な作品では『苦役列車』(西村賢太著)、『共喰い』(田中慎弥)等、後世に残りそうな力作が近年あり、どうしてもそれらと較べてしまう。うーん、かなり微妙だ。
自分の十代の【谷】―すなわち富良野塾だ―の修行体験を淡々と記したもの。時折、自分で自分を見つめるかのような、金縛りの時に出会う幻影のような男の存在も、それがなんの暗喩だったのかうかがい知れない。ただ、単に、淡々と1年間の日々が綴られていく。
一時、芥川賞に顕著だった(と思っている)、スタイルが突飛な(斬新な?)、表現力が注目を集めるような作品ほど、奇をてらった文体でもないけど、読点で繋いでく、稚拙な文体も、肌に合わなかった。
「・・・といったからで、だからそんなことはほんとうにたまにしかなくて、なのにけいこは彼女だということになっていて、仲が悪いわけでもなく、むしろ良かったし、だから強く否定するのも変だし、否定する理由もとくになかったので、それはたぶんけいこも、だからそういうことになっていて」
って、お前は「北の国からの」の純かぁ!とイラついた。
この文章も、微妙だ。
「・・・のだけどさすがに【先生】の本職である脚本家についての授業はむつかしく、少なくともぼくにはむすかしかった。」
どことなく素朴で、なんか良いのかもしれない。でも、どこか、なにか足りないと思う気持ちのほうが強く、こうしたボーダーライン上の表現を、どっちに捉えるか(良いか、悪いか)で、本作の評価が決まるのかなあ。
うーん、微妙だ。
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俳優や脚本家を目指す【谷】で二年過ごす19歳のスミトの話。
芥川賞受賞ということで読みましたが、淡々としたというよりも、ぷつぷつと切れているような短い文章の、自分の考えと見ているような出来事と周りの情景を混ぜ込んで書かれている表現は独特で、人間味が薄くて不安になるような話でした。
受賞者インタビューを読んで、執筆はスマートフォンで書かれていることを知り、この表現はスマホから来ているのか、作者のものなのか、どちらもありそうだなと思いました。
「人のこともっとちゃんと見ろよ!!聞けよ!!」
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倉本聰主宰の富良野塾の2期生である山下澄人が、塾での生活や入塾前の自身を描いた自伝的小説。スミトの定まらぬ思考や思考なき行動が描かれ、20歳前後の青年の精神的幼さや危うさが表現されている。しかし、読み手の興味関心によるが、少なくとも読みやすい小説ではない。単語や擬音レベルの非常に短いセンテンスの連続で説明不足感が続くかと思えば、接続助詞でつないだ長文で混濁した思考状況を表現したり、なかなか理解しにくい。芝居の台本の余白を詰めたような小説だ。そう考えてアングラ芝居の脚本のつもりで読めばいいかもしれない。
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正直言ってつまらなかったです。こういった書き方が文学なのであれば、私は好きではないジャンルなのだと思います。つなぎ言葉が多すぎて物凄く読みにくい上に終わりもよくわからない。そんな本でした。好みが分かれそうに感じます。
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2016年下半期の第156回芥川賞受賞作。倉本聰富良野塾門下生の作者の青春私小説。同じく青春譚の椎名誠さんの「哀愁の街に霧が降るのだ」と同じ既読感を覚えた。2つは別のもので似ているわけではないのだが。
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第156回芥川賞受賞作とのことですが、不思議な小説でした。
拙い文章で分かりにくい部分があったり、急に笑わせてくれる部分があったりと、本当に優れているのか?。純文学ってよくわかりません。
著者は富良野塾出身とのことで、私小説なんですね。
ネットやスマホがない時代に、目的地までの道を聞くくだりは、「あぁ、ちょっと分かる」という感じが、、
ぐだぐだした頭の中を、「表現している」というか、著者の想いそのままで書いているのか、よく分からない中にも、ちょっとした共感がありましたが、評価は別れると思います。