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「事実」の深淵を探る作業
2017/02/02 17:08
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:北風と太陽 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「オレの親父は72年も前に 中国で何をやったのだろう?」
これに対し親父は
「あの頃は みんながそうだったんだ」
「中国人は俺を呼ぶとき ショーリン(小林)って呼んだ」
としか話さないまま 20年前にあの世に行った。
オレのお袋は
「きっとロクでもないことばかり やって来たんだよ」
勿論 親父は「観光や日中友好のため」に鉄砲担がされ行ったわけではない。
「抵抗する中国人を殺し 日本のいいなりにするため」に 日本政府により引きずり出された。
1930年(昭和5年)新潟市内で生まれそこで育ったお袋は
「たった一度だけ アメリカの艦載機が 友達と歩いてるところを いきなりダダダダッと銃撃してきたときがあって 必死になって逃げた それが一番怖い思いをしただけで あとは空襲も無く B29が高射砲で撃ち落とされて 落ちて行くのが綺麗に見えたけど 味方の編隊は何もしないで 海の方に飛んで行ったよ」
その後「新潟市は 原爆投下候補地されていたために アメリカは通常爆撃・空襲の対象地から外していた」ことを知った。
1945年(昭和20年)8月14日 連合軍(アメリカ合衆国)による空襲もないのに 日本全国で「黒煙」が上がり 空が真っ黒になったという。
「1945年(昭和20年)8月14日、日本政府は閣議でポツダム宣言受諾を決定するとともに重要機密文書の焼却を決定した。これに伴い陸軍は各部隊、官衙(=役所・官庁)、学校などに機密文書の焼却を指令した」
戦地から戻った親父を オレのお袋より一歳年下の親父方の従弟が 偶然にも 「叔父貴が東京の上野駅で 浮浪者 となっているところを見つけた」という話を何度も聞いた。
いったい1937年と それ以降 この国が行ってきた「事実」とは 何であったのだろう。
週刊「金曜日」に連載されていたものが 単行本で増補され さらに文庫化で「完全版」とされて発行。
辺見 庸 氏の「日本語」が 思考の拡がりと深淵を 鍛えてくれる。
文章の醸し出すただならぬ迫力
2023/08/13 22:13
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:まなしお - この投稿者のレビュー一覧を見る
「1★9★3★7完全版」と銘打たれている。単行本で最初に出版された際には読んだ。大幅に加筆修正されているらしいが、最初のものが手元にないのでもはやどこがどう変わったかはわからない。この上巻を読み終えて最初に読んだ時の記憶が薄っすらと浮かんできた。大筋では変わらないはずだ。漢字が少ない文章も覚えがある。文章の醸し出すただならぬ迫力。もう一度じっくり読んでみる。
個人史を通して問いかける
2023/05/28 14:13
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
1937年、日中戦争が全面化し、南京大虐殺が起きた年である。日本人はこの事実に向き合ってきたのかを辺見は個人史を通して問いかける。
掘り返した土を前にして、ため息をつく
2018/11/09 02:06
3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:コピーマスター - この投稿者のレビュー一覧を見る
強盗、殺人、性犯罪。もしそれが実の父親がやったことだったら・・・。
本人に直接問い詰めてハッキリさせることをしなかったものの、論理的に考えて、ほぼ間違いなくやっているだろうと分かっている。本書は、軍人だった親をもつ辺見庸の個人的なモヤモヤから始まっている。
日本人の心象風景の中においてもはやモノクロ化しているあの戦争、とりわけシンボリックな南京大虐殺を無味乾燥にまるっとまとめてとらえるのではなく、銃剣を握る手に相手の肉が感じられるようなリアルな身体的感覚の細部まで描出することにより、げんだいに、4k、8k映像でよみがえらせることができるのではないかというアイデアが動機となっているのであろう。辺見庸はそのヒントを、堀田善衛の『時間』、芥川龍之介の『桃太郎』、武田泰淳の『汝の母を!』のような物語に見出している。辺見庸はこうして一生懸命、土を掘り起こし、ファクトを突き付けまくる。そうすることで、ぼんやりしたニッポン人の歴史認識が正されるとでもいうように。
中々テンポのいい話の運びで、フムフムと調子よく読んでしまうきらいがあるが、これが曲者である。辺見庸はとうとう救いようのない事実に気付いてしまうのである。さんざん土を掘り繰り返してみたところで、結局、ニッポン人にはファクトというのは無力であると。何のことはない。そういえば、ある日放射能で汚染され立ち入れない場所が突然出現し、それが我々の住まいと空も地面も全く延長上にあるという圧倒的ファクトを前にしても、完全にスルーを決め込んで日々暮らせてしまうカンカクの持ち主がニッポン人ではなかっただろうか。始末に悪いのはこのニッポン人が自分自身の内側にいることである。本書を読んで何か日本の将来への展望が開けるかも知れないなどとゆめゆめ期待してはいけない。辺見庸がせっせと土を掘り繰り返すのに付き合い、最後には一緒にはぁーとため息を付く。つまり自分の顔を鏡でじっくり見てその醜悪さに思わずため息をつくような、そういうたぐいの本である。
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