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「ダニング=クルーガー効果」を中心にネット社会における無知を説く。ググれば何でも情報が手に入るという錯覚が招く社会の危険性に警鐘を鳴らす。所謂、ポピュリズムもこうしたことに由来するのでは、と感じた。
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気になったところのまとめ
ダニング・クルーガー効果
インターネットは、我々を愚かにしているわけではないが、自分が何を知らないのかに対して無自覚にしてしまう。不完全な知識は、歪んだ心の世界地図を作り上げる。このような誤解が公私の領域でわれわれの選択や行動、意見などに影響を及ぼす。
グルテンを避けている人の多くは、実際にグルテンがどのようなものなのかを理解していない。
インターネットは、健康情報の収集に役立つのだろうか。答えはよい情報と悪い情報を選り分ける、ユーザーの識別能力に多くを負っている。(略)検索の結果として画面に出たサイトの信頼性や隠された意図などもまた評価できなくてはならない。
人生はマシュマロ・テストの連続だ。やりくり上手な人は衝動買いを避ける。健康志向の人はありあまるほどの欠乏といらだちのもとをがまんする。この先、何十年も心地よい生活を過ごすためだ。(略)われわれは誰しも、生活の中で、また一生を通じて多くの問題に直面する。その対処の方法に大小の差はあるが、無関係と思われる知識が、アナロジーやインスピレーション、それに問題解決の源になりうることは確かだ。
デジタルメディアで情報を得る人は、知識量が少ない傾向がある。原因はニュースのカスタマイズをやりすぎてしまうこと。知識を大切にしようと思う人は、ネットでニュースリンクをクリックせずに高いクオリティのニュース、例えば新聞、ナショナル・パブリック・ラジオなどと過ごす時間を確保すべきだ。ダイエットする人が間食を減らし、バランスの良い食事を心がけることと同じ。
科学的なリテラシーが低い人では政治的なイデオロギー(保守かリベラルか)にかかわらず地球温暖化に対する意見に差がなかったが、リテラシーが高くなるにつれて、保守とリベラルのグループでは意見の不一致が拡大していく。これは、科学に精通した人はこれまで自分が信じたいと思ってきたことを、自分自身に対して正当化するために使うためだ。誰もが科学的知識を持てば世界の調和が取れるわけではない。
情報をきちんと持っていることは、立証されていない擬似事実について情報を得ているのと同じくらい文脈について多くの情報を得ているということ。それはここのものの評価を可能にし、われわれが知らないことに極めて重要な洞察を与えてくれる。
学習行為はわれわれの直感と想像力を形作る。周知の事実は、個人や文化やイデオロギーを結びつける共有の評価基準である。豊かな知識を持つものだけが、自分の無知さ加減を正しく理解できる。
チェスのプレーヤーは、対戦した盤面を5秒で記憶できるが、アトランダムにコマを並べて覚えさせようとしてもできない。実際の盤面しか記憶できないのだ。文脈的知識がないと、自分の直感力も身につかないし、パターン認識によって複雑な全体の意味を知ることもできない。インターネットの知識が危険なのは、この文脈が完全に剥ぎ取られていることだ。それが真実の理解を一層困難にしている。
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一般教養は大事だ。
アメリカ人はこんなに阿呆なのか?と思うが,日本でも同じような結果が出るんだろうな。
Googleすれば「T-mobile」は「Tモバイル」であって「Tモービル」でないことは簡単に分かるのだが。翻訳者はかなりのベテランのようだが固有名詞の翻訳は難しい?
日本語タイトルも?だ。Googleは検索結果を返すだけで,何も教えてはくれないのに,副題が変だ。編集者がアホなのか?
ということで星2つ減
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後半は、急に面白くなった。
確証がばらばらな印象で、どういうつながりなのだろうと思いながら読んだ。
ある知識は収入と相関関係があり、別の知識は相関関係がないのは、おっと思わせる。
政治思想が異なる集団は、それぞれ科学リテラシーが高くなるほど、ある種の質問について回答の差が開いていくというのも面白かった。
選挙の投票率を上げることがよいことなのか、というのは考えこんでしまった。
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〈事実を簡単に調べることのできる世界にいて、なお事実を知ることに価値があるのだろうか? この本はこうした単純な質問に答えを出す試みである〉
能力がない人ほど自信を持っているという現象は、「ダニング=クルーガー効果」として知られている。自分が愚かだということを認識するためには、いくぶんかの知性が必要なのだ。一方で〈無知は合理的でありうる〉という。知識を獲得するためには努力が必要だが、その利益が努力のわりにあわないという場面はしばしば発生する。こうして、われわれはどんどん「知識」の価値を暴落させ続けている。
本書における「知識」は、学問的な体系とか、専門知識ではない。一般的知識、トリビア・テストのごくかんたんなものである。たとえば〈科学者たちは、古代人がステゴサウルスやティラノサウルスのような恐竜の狩りをしていたと信じている――○か×か」いったものだ。しかし、こうしたテストで正解できるかどうかは、確実にある種の人たちを見分ける。本書にある興味深い事例のひとつは、「一般的知識に欠ける人ほど、メキシコとの国境にフェンスをほしがる」というものだ。これは何を示しているのだろうか?
アメリカにおける富の分配について、連邦政府の赤字について、銃と犯罪について、マイノリティの人口比率について、さまざまな「無知」が調査によって明らかにされる。これらの知識は「調べればわかる」。しかし、自分の「信念に従って」投票する人たちは、決して「投票前に調べ」たりしないだろう。調べる必要を感じないからだ。つまり、「無知」は如実に、民主主義の成果である投票行為に反映されているのだ。
米国に限った話では、決してない。現在2017年現在の自民党政権の支持率は、じつはこうした「無知」にささえられているのではないかという疑念を私は抑えられない。
では、知識の価値はどのていどあるのか? 著者は第2章で「知識のプレミアム」つまり、トリビア・テストと所得との関連を探っている。金融リテラシーがある人は、ない人よりお金持ちか? そういえるといえば言えるようだが、それよりも「一般的知識」の有無のほうが相関があるということだ。
知識がある人の意見は一致するか?といった問いも面白い。地球温暖化の原因が人為的なものかそうでないか、これと政治思想との相関をとった例がある。「科学的リテラシーがない」人の意見は、リベラルだろうと保守派だろうと変わらない(人為説をとる人は30%)。ところが、科学的リテラシーが高くなるにつれ、人々の意見が枝分かれしていく。科学的リテラシーで高得点の人を調べると、リベラル派は100%近くの人が人為説を支持したのに対して、保守派で人為説をとる人は10%しかいなくなった。人は、学びたいものを学び、自説を強化してくれる情報だけを取得するのだ。
これに関連するのが、「フォックスニュースの視聴者は、他のニュース・ソースの視聴者より知識が少ない」という調査結果。原因はさまざま考えられるというが、全体にいえば印刷物の読者やラジオのリスナーはより知識に精通しているという。ニュースのカスタマイズをや��すぎて、興味のあること・自分にとって価値の高い情報だけをとりすぎると、結果として知識がやせ細っていくというのが興味深い。
本書を読んで自分が得た結論は、「知識」がないものは結局グーグルを使うこともできないということだ。なぜなら「知識がない」人は、「調べよう」とも思わないからだ。これはとくに自分が「知らない」情報の評価に役立つ。なぜなら「文脈」を理解するには、周辺の「知識」が必要だから。今後は自信を持って「なんでも調べられる」時代だからこそ「調べずとも頭に入っている知識」が重要だと胸を張って言えるだろう。
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いろいろな調査を著者自身がやっていると書いてあるが、著者の専門がいまひとつ不明である。また、全て収入と関連させて考えることは日本では不可能である。
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知識や技能に欠けている者の特徴は自分の知識や技能の欠損に無自覚であること。そしてその結果生じる根拠なき過剰な自信をダニング=クルーガー効果と呼ぶ。インターネットに知識を依存する者は、覚える必要がないから覚えないという合理的無知のスパイラルに陥りつつ、知識について過剰な自信を持つようになる。 実際には文脈に基づいた幅広い知識を持っていないとネットで情報を検索したり、吟味することすらできなくなるので、ネットによって知的能力の格差は暴力的に広がる、という内容が様々な調査分析をもとに展開される。 いろいろ納得するが、知識の例が欧米文化に基づいているのでぜひ日本でも同じような調査をしてもらいたい。
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感想
外付けの知識にアクセスできる。それでも内側に蓄えておかなければならない。曖昧な知識は混ざり合い新たな秩序を生み出す。それは存在価値。