紙の本
ゴーギャンとフローラ・トリスタン及びペルー
2017/05/27 20:27
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Don Juan - この投稿者のレビュー一覧を見る
楽園を探し求めていた画家ゴーギャンが、一時期ペルーで過ごした時代があったことを初めて知りました。また、女性と労働者との団結により社会正義の実現、楽園の実現を目指していたゴーギャンの祖母フローラ・トリスタンもまたペルーでの滞在がぞの人生の方向性に影響を与えたことを初めて知りました。ゴーギャンとフローラ・トリスタンの楽園を追い求める人生が並行して展開されていきます。ペルーのそして世界の最高のストーリー・テーラーであるマリオ・バルガス・リョサの巧妙かつ重層的なストーリーの展開に酔いしれました。
紙の本
ラテンアメリカを代表するノーベル文学賞をとったバルガス・リョサ氏の興味深い一冊です!
2020/05/30 10:23
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、ラテンアメリカを代表するペルーの作家で、ノーベル文学賞もとったバルガス・リョサ氏の作品です。同書は、まだまだ女性が虐げられていた19世紀のヨーロッパにおいて労働者の連帯を求めて革命を指揮した女性革命家フローラ・トリスタンとその孫にあたる芸術家ゴーギャンの生涯を章を変えながら、語った名作です。この世代の異なった二人ですが、どちらも自由への道を求め続けた、いわゆる当時の世の中の「反逆者」どぇあり、その二人の考えや歩んだ人生を生き生きと対比しながら書かれています。とっても興味深い作品です。
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2003年に発表された長編。
画家ゴーギャンと、その祖母で社会運動家だったフローラの人生が、交互に語られる。
この2人は全く違う人生を送ったように見えて、その本質はかなり似ているのではないか。共に絶望的な戦いの中に光明を見出して駆け抜けたように思えてならない。
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たぶん本書の「正しい邦題」は、「楽園への道なかば」、だと思う。
「ここは楽園ですか」と問うが、
「いいえ、楽園は次の角ですよ」と延々先送りされてしまう。
叛逆者ふたりは、ふたりとも、至れない。
楽園、なんてばかばかしいね、と生まれた瞬間から白けていた読者が、【1983年生まれが、2017年に読む】(何を見ても、はいはい「ここではないどこかへ症候群ね」)
楽園、という概念は発生当初から頓挫していたのだ、とわかっている現代の作者が書いた、【1936生まれが、2003年に書いた】
楽園、を求めて場所も身分も移動した画家の、身体的・精神的挫折や(とはいえ人食いへの無邪気な憧れは保たれていた)、【1848年生まれ1903年死去】
楽園、という概念を、宗教に依拠せず、労働者と女性の団結を通じて実践しようとした近代の行動家、【1803年生まれ1844年死去】
を読む。
社会やニュースに疎い私だが、精神や気分やイズムへの傾倒やがいかに変容したかを、実感した。
フローラ・トリスタンは高潔な生き方を字義通り必死に行おうとしているが、
被害者面の裏に、実のところ他人を騙したり、子に対しては加害者と同様の仕打ちをしたりしている。
またポール・ゴーギャンは、家族を蔑ろにし、エキゾチスムへの憧れの背後で、
少女略奪(14歳が好きなんだね!)を始めとし、野蛮人への憧れと裏腹の差別に導かれているという、西洋的簒奪を嘆きつつその一部でもあった。
どちらも純粋でもなく純白でもない。
強者が弱者を毟り取るという社会の構図の中で、ふたりとも可能な限り強者であろうとし、性格上不可能な場面では弱者だった。
弱者(労働者/芸術家)としての発言だけでなく、強者(なんだかんだ恵まれた生まれ/西洋人)としての振る舞いも書き落としていない、のが「長い小説」としては優れている。
また、対位法。
衰えつつある者が、その活動に至る経緯や活動初期の活気を思い出す、という小説の構図は、
いわば人生の開始と終焉を網羅するという意味で、正しく伝記であり正しく歴史小説である。
それでいながら死去の瞬間の本人の思考を追うという意味では、伝記や歴史を逸脱した、正しい小説なのだ。
さらには祖母と孫の人生の対位法で、個人を離れ人類へ、という目論見も。
さらには、性の少数者というテーマ。→反権力。
同性愛や男-女への希求は、権力的マチズモへの明確な反旗のサインだ。
作者が21世紀に書き上げてくれたおかげで、前世紀の先進的なジェンダー意識は、更新されながらも今後百年通用するに違いない。
リョサの得意とする時間のねとねとした融和ではない、奇数と偶数は独立しているが、同じ本に仕立てられたことで物質的に融和する、それが精神的に融和する、おお、これはテキストファイルではありえない、本ならではの愉しみであった。
「おまえは……だよね」と語りかける語り手の口調は、優しくて、よい。
また語り手→作者に拠って考えれば、バルガス=リョサの作品にはマチズモへの極めて有効な反旗が多��描かれている。
マチズモはもはや南米特有ではなく、日本にも「濃い霧」のように侵食しつつある風潮なので、頻繁に思い返す小説になるであろう。
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画家ゴーギャンとその祖母のフローラの話。2人の物語を交互に紡いでいく。長編だったにも関わらずあっという間だった。あれだけ長い道のりを一貫した気持ちで生きた、と言うところに無駄がなく羨ましい。仕事頑張ろう!と、まぁたまには休んでもいっか!と繰り返し思わせてくれる作品。
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暑くなると、ラテンの文章を読みたくなる。
ゴーギャンの章が特に良い。肌にまとわりつく熱気と湿気。彼は求めていたものを手に入れたのか?
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自らの意思を徹底して貫くという生き方は、どうしようもなく苦しいものだ。
意思を貫き自分の理想とする楽園へと突き進む道のり、それはまさに地獄の道である。
楽園への道とは、地獄なのだ。地獄が楽園へと誘ってくれるのだ。
そう考えると、楽園と地獄は表裏一体なのかもしれない。
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長い小説だけど、もう少し読みたいもう少し読みたいと、惜しむように読んだ。
読み終わってからも、しばらく余韻が残った。