紙の本
さすがにカルヴィーノだけにすんなりとは終わらない
2019/03/15 23:22
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「まっぷたつの子爵」「木のぼり男爵」「不在の騎士」この三作は「我々の祖先」として一冊にまとめられている。いわば、3部作ともいえるものだが、不在の騎士は未読である。まっぷたつの子爵が1952年の作品で、以前読んだ木のぼり男爵(これも名作)が1957年の作品ということで、この作品の方が5年先に書かれたものだ。木のぼり男爵が地域の人から好意的に迎えられていたことに比べると、はっきり言ってまっぷたつの子爵は嫌われ者だ。真っ二つの片割れは悪を背負い、もう片方は善を背負っている。普通の作者なら善の子爵が悪の子爵を倒して一件落着となるところだが、カルヴィーノだからそうはいかない。善の子爵も堅苦しくて次第に地域から嫌われだす。そして最後は・・・。さすがにカルヴィーノだ
紙の本
哲学要素が織り込まれた空想小説
2024/01/21 16:47
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投稿者:岩波文庫愛好家 - この投稿者のレビュー一覧を見る
『見えない都市』から横流れで本書を発見し、読了しました。三部作の一角を成す作品です。
書題の通り、主人公のメダルド子爵は大砲に当たり半々になります。善半と悪半と表現され、言い得て妙です。
さて本書に見(まみ)える哲学要素が中々に良かったです。「完全な姿のものには、なかなか信じがたいのだ。パメーラ、わたしだけではないのだよ、引き裂かれた存在は。」「剣尖は相手の体に触れなかった。突きを入れるたびに、刃は過たずに相手のひらめくマントに刺しこまれるが、どういうわけか、それぞれに相手の何もない側を、すなわちおのれ自身があるはずの側を、激しく突きたてるのだった。」は意味深でした。
半身しかないもの同士が最後には出会いますが、抑、半身という比喩が読み手に様々な存在を連想させ、深い感慨を得ます。
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1971年、1997年に晶文社より刊行された単行本を文庫化。
『メルヘン』ではあるのだが、なかなか『黒い』。その『黒さ』がカルヴィーノの魅力のひとつでもある。
一見すると子供でも楽しめそうではあるが、大人が読むとけっこう刺さるんじゃないかなぁ。
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一言でいうならば大人のための童話,かな.
童話と言ってもほのぼのとしたものではない.冒頭の子爵が戦場に向かう描写は,悲惨な戦争が描かれ,話がどちらへいくのか分からなかったが,大砲で吹っ飛ばされて半分になった子爵が帰還し,残虐な行為を続ける中,羊飼いの娘を見初めたあたりから,話は思わぬ方へ進み出す.
色々な解釈ができそうだ.特にラスト付近,子爵が「敵」と戦う場面は象徴的.
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これは面白い!単なる「メルヘン」とはまとめられない面白さがある。
「完全なものはなんでも半分になるのだ」
ー
「美も、知恵も、正義も、みな断片でしか存在しない」
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メルヘンたるメルヘン!笑えるほどブラック。まさに一息で読めてしまう。意味深な言葉に逐一引っかからずにいられない。確実に記憶に残る一冊。
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大砲の弾丸を浴びて縦一直線にまっぷたつになった子爵は、右半身が悪の心を、左半身が善の心を持つようになった。残酷な描写が結構ある。メルヘンは児童文学ではないらしい。
悪の塊に領民は困らされたが、善の押し付けにも飽き飽きしていた。次第に領民の心は乾燥し鈍麻になった。
悪は語るまでもなく恐ろしいが善の押し付けもほとほと困る。
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戦争できっかり半分の体になってしまった子爵。
左半分は良い心、右半分は悪い心を持っていて、さあ半分たちはどんな世界を見るのかな?
とか言って児童書でも行けますみたいな顔して近づいてくるくせに、随所でめちゃくちゃ哲学ぶちこんでくる。カルヴィーノはお薬甘くして飲ませるタイプだ、大好き!
読みやすくてめちゃくちゃ面白くって心にも残るし考え続けてしまう上に考えるって楽しい!という気持ちになる。
ぜひ小中学校の道徳に、高校の倫理に、大学の哲学に題材として使われてほしい。
カルヴィーノ推しすぎてマッチングアプリに推してるって書いてる。でも誰も触れてくれない。カルヴィーノはいいぞ。未読の方はぜひこちらの子爵から!
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読めば読むほど味わい深い。
そして訳者も語っているが、お話としてとても面白い。
主な舞台はテッラルバ(訳者解説によると架空の地名であるとのこと)。
主人公「ぼく」の叔父さんメダルド子爵はトルコ人との戦争に赴き、戦場で大砲に撃たれてまっぷたつになってしまう。
奇跡的に助かり右半分の身体となって故郷に帰ってきた子爵は、とても悪い人間になっていて、何かにつけて悪いことをし、領民たちをたくさん絞首刑にして殺してしまう…いまやテッラルバは、まっぷたつの子爵により恐怖政治が行なわれるようになってしまったのだ…
最初の戦争の描写は異様なほどに生々しい反面、まっぷたつの子爵が半身のまま帰ってくる話やテッラルバの住民たちのエピソードなど、実に寓話的…メルヘンな話である。
しかし寓話的である分、子爵を始めとした数々の登場人物の発言や行動にさまざまな意図が含まれているようで、一度読んだだけでは咀嚼しきれない。
まず、この作品の語り部が子爵や第三者でなく、子爵の甥の「ぼく」であること。
そして平和の象徴たる子爵の父親が死んでから、悪い半分の子爵が帰ってくる様は、まるで子爵が戦争を平和な故郷に丸ごと持ち込んだかのようである。
また悪い右半身の子爵が統治する一方、なんとこれまた奇跡的に左半身の子爵が帰ってきた。
こちらの子爵はとても善い子爵であり、彼の帰還以降、右半身を悪半、左半身を善半と民たちは呼ぶようになる。
しかしまあ善半もそれはそれで随分極端で……
善と悪について、深く考えさせられる話だ。
またどうして子爵は善と悪両極端な2つの存在にならなければならなかったのか、なども。
(ところで気になるのが、よく左の方が不浄とされるイメージがあるのだが(私だけ?)、この作品では右が悪、左が善となっている。ここがなぜなのかもとても気になる。)
うん、語れば語るほど切りがない。
半身同士の決闘シーンは見応えがある。
その描写にもまた深いメッセージが込められており、熟考したいところだ。
そしてなにより、最後の一文で鳥肌がたった。
この一文で締め括るのか、と。
この物語はここに行き着くのか、と。
ぜひ読んでほしい。