紙の本
肉欲を問う
2020/06/15 11:39
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
外食産業を儲けさせるために、食肉を続ける意味について考えさせられます。限られた食糧を、分かち合う大切さも伝わってきました。
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<肉食が私たちを人間にした>
食べ物がほかに豊富にあっても、
肉食にこだわる欲求を「肉飢餓」という。
健康にも地球環境にも良くないと言われても、
人類は肉を愛し、やめられない。
いったい、なぜ私たちは肉に惹きつけられるのか?
・ヒトの進化
・文化や象徴
・セックスと権力
・おいしさの秘密
・栄養の真実
・菜食主義の失敗
・アイデンティティ
・売り方の戦略
・・・
壮大(250万年)なスケールで、
肉がもたらしてきた恵みと虚構を解き明かす。
急速に肉食化が進むアジア、
食肉が足りなくなり、環境も悪化する地球の近未来。
人類の肉への愛と妄想は、はたしてとめられるのか?
本書は、新たな食スタイルによる、栄養ステージの転換を提唱する。
詳細はこちらへ・・・
http://www.intershift.jp/w_meat.html
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人類はなぜ肉食をやめられないのか マルタ・ザラスカ著
持続可能な発展への問題提起
2017/7/22付日本経済新聞 朝刊
暑い夏、スタミナをつけるには焼き肉が一番という声を聞く。しかし、動物性タンパク質であろうと植物性タンパク質であろうと、栄養価は変わらないのではないか。でも人間は、肉も食べる雑食性じゃないか。肉を食べることには意味があるはずだという反論も予想される。本書は、そうした話題をめぐる問題提起の書である。
われわれホモ・サピエンスの起源は20万~30万年前とされている。ホモ属という大きなグループ(広い意味での人類)自体の起源は、250万年ほど前だ。それまで草食動物だった祖先は、たまには肉、おそらくは死肉を漁(あさ)って食べるようになったことで躍進した。その習慣が、大きな脳を発達させる道を開いたらしい。
大きな脳はたくさんのエネルギーを消費する。そのため、生の植物食だけでは、大きな脳の維持はかなわない。人類が火を使って植物を調理するようになったのは、たかだか80万年前。それ以前に実現した脳の大型化は、肉食のおかげらしいのだ。おまけに、協同の狩りや獲物の分配は社会性の発達ももたらしたことだろう。
ならば、人類は肉食動物なのだろうか。そうともいえない。調理法を獲得した後は、植物食でも栄養の確保は満たされるようになった。狩りの獲物は特別なごちそうとなった。農耕が開始されると、家畜をめぐるタブーも生まれた。
タブーは生態学的、経済的な理由によって生じたという。豚肉の禁忌は、豚を飼うための穀類と水が不足する地域で、牛肉の禁忌は、労力としての牛が必要な地域で生じたという。インドに菜食主義者が多いのは、タブーのためではなく、必要な栄養を満たせるほど豆類が豊富だからなのだという。
現在、穀類で育てた家畜の肉を食べるのはきわめて不経済な行為である。しかも肉の消費量は拡大の一途だ。今こそ殺生への反感を理由とする菜食主義ではなく、地球規模の持続可能な発展のための菜食奨励が求められる。肉食は、害こそあれ、益は大きくないと著者は主張する。肉食の賛美は、文化的な偏見に根差すものだとも。ただし、菜食主義をめぐっては、感情的な対立に走るのではなく、理性的に議論すべきだという。真剣に受け取るべき提言である。
原題=MEATHOOKED
(小野木明恵訳、インターシフト・2200円)
▼著者はサイエンス・ジャーナリスト。「ワシントン・ポスト」などに寄稿。
《評》筑波大学教授
渡辺 政隆
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肉を食べるためには非常なコストが掛かる。
よく知られる話だと、牛肉育てるためのえさ用のトウモロコシを食用に回せば、飢餓が解消するくらいだ。
じゃあ人は菜食になればいいの?といっても、そう簡単に人は肉食をやめられない。そもそも野菜類の苦みを感じやすい人も居るし、社会背景として肉を食べることがいいことだととらえられている(食肉産業の広告の力でもあるのだが)。
古代においても、肉は貴重なカロリー源でもあり、狩った獲物を皆に分け与えると言うことで集団の一体感を得ることが出来る貴重な機会だ。
また、人は食べたものの力を得ることができるという意識がまだあり。強くなるためには力強い牛の力が必要という考え方も根強い。
古来よりインドでベジタリアンが多いのは、宗教の力はもちろんだが、豊富な豆類と香辛料による、美味しい食事が担保されていることも大きい。
なんというか、肉すごい!ってなる。
そうして、現代において人が肉を求めすぎるともうそれをまかなえないほどになってきているのだが、それを回避するためにベジタリアンになれるのかというと、難しい。
しかしながら、肉をかさ増しするために加工肉の半分は大豆だったりするので、我々は密やかにゆるベジになりつつあるようだ。
肉はいいものだ! 肉を食べよう!(でもそれは肉じゃ無い)っていう時代になるのかもしれない。面白かった。
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ちなみに、この本は結構根拠なく断定しているところを見受けられたので、そういうところは話半分で読む必要があるとおもいました。
https://seisenudoku.seesaa.net/article/472426158.html
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今後全人類が、今の我々と同様の肉食を謳歌することは、地球環境的に不可能、という現実と向き合う一冊。
肉食を減らしていくには、我々が肉食に惹かれるメカニズムを理解した上で、対策を講じていく必要がある。
「肉食は、肉を獲得できる力の象徴であり、肉を分け合うことでできるコミュニティの起点という文化的意味合いが大きい」、このような記述が大勢を占めるが、個人的には、肉のうまみや芳香が人を惹きつけるメカニズムの説明も興味深かった。
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筆者はポーランド系カナダ人で、アメリカとフランスで活動するジャーナリスト。本著はジャーナリストらしい切り口で、歴史や宗教、倫理、慣習、技術などの観点から肉食というテーマを時に丁寧に時に大胆に切り刻んでいく。読んでいて引き込まれた。
主張には本人の生まれたキリスト教などの背景も影響しているのかなと感じたが、東アジアの犬食、日本の馬や鹿との接し方、インドの独自性など、比較文化論としてもおもしろく読める。
サブタイトルは「250万人の愛と妄想の果てに」。これはよいですね。脱・肉食の壁が厚いことは本人が最もわかっているようであるが、培養肉、昆虫食など、さらには税金という解決策を提示していく。何もしなければ新興国の1人あたりの肉の消費量は増え、温暖化も加速する。
制度や技術による解決は考えられますが、愛と妄想とあるように、最後は人間の認知なのかも。50年後の我々の食生活、食文化がどうなってるだろう?とそれこそ妄想しながら読むのがオススメです。