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”フェイクニュース”って言うとなぜかFacebookを連想してしまいます。でも、本書はSNSなどのプラットフォームとは直接関係なく、新聞だとか書籍だとかに記述されている情報自体の真偽をどう判断するかという方法論に関する一冊。著者は朝日新聞記者からAERAを経てフリージャーナリストとなった経験豊富なジャーナリスト。その著者が、自信の経験を通じ、その方法を具体的な例を通じて指南してくれます。その事例自体も結構面白い。ジャーナリストとしては職業上、偽ニュースを簡単に信じてはいけない、ましてや拡散してはいけないわけで、多くの情報に接する著者にはかなり厳格な基準が必要なようです。真偽が確認できないものはバシバシ捨て去るぐらいの基準。当然そうでしょうというようなことも多いですが、Amazonで発言者の著作を調べるとか、細かいテクニックも紹介されていてそれなりに役立ちそうな一冊でした。
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フェイクニュースというとなんとなくネット用語のようなに誤解していたが,既存のニュースメディアでもあるんですね.本書はテレビ・新聞・書籍に関する実例が豊富で.7つの章末にまとめが付されているが以下は抜粋です.
・公開情報を分析することで独自情報が生きる意味を持つ
・事実を重視し,オピニオンは無視する
・誰の発言であるかなど,ソースを明確に
・テレビ局の免許制度は日本のみの変な規則(逆にテレビ局は特権を持つともいえるかな・・・)
・メディアには気にしすぎという「自己検閲」もある
・「何を書いていないか」にも着目する
・白黒つけたがるが,じっさいはわからないことも多いので善悪に関しての断言調は危険
・正反対の立場の記事も見る
・陰謀論者には気をつける
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ネット、SNSの時代になり、旧メディア媒体が衰退して久しい。いや、根拠なき流布が蔓延するネット社会が急躍している。
3.11以降、SNSによるフェイクニュースがより急拡大したように感じる。
報道と権力はいつの世も変わらないが、昨今では真実を掴む洞察力、分析力、調査力が重要な時代だ。
本書には常日頃思っていたことを、正しく代弁していてくれて気持ちが良い。
書籍を読んでいても、〜らしい、〜と思われる、〜と語られる、など丸々一冊伝聞系で書かれ、引用元もなければ、参考文献もない、著者の主観だらけの作文じゃねーかという、よくも編集者、校閲、校正を通して出版にこぎつけたなと思う、低俗なものに出会う。
久しぶりに、胸が晴れる痛快な一冊でした。
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良書。
CIA情報の95%は公開情報
池上彰氏も似たようなことをおっしゃっていた
公開情報を徹底して調べているからこそ5%の非公開情報を得られるし、その質が高まる。
本書はその公開情報の見極め方のノウハウを具体的に解説されていて興味深い。
オピニオンは捨てろ
フォロワー数は信用とは無関係
ビックピクチャーをあてはめよ
などなど、普段、ぼんやり感じていたことが言語化され体系化されていて頭がスッキリした。
加えて、
主語のない文章を疑え
など、知らなかったノウハウも学べた。
今まで読んだ同種の書籍の中で
最も興味深かった。
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発信者が明示されていて、発信内容は事実にもとづいていて、事実の収集範囲に偏りがなく公平性を保っている、という情報であればその情報は信頼でき、受け取るに足るものだが、現実はそうではない。単純に鵜呑みにすると危ない警戒が必要な情報が氾濫している。ミスリードされて、こちらの判断が誤まるのは避けたい。
本書では、警戒が必要な情報か否かを判断するための必要かつ基本的なリテラシーが紹介されていて、これらは私にとっては非常に役に立つものだった。ちょっと心がけるだけでも情報選別の質が向上する実践度の高いものが多い。ありがたい。
それに加えて本書が興味深いと思ったのは、読み手が警戒・注意を必要とする情報を発信する側の論理についての考察があることである。なぜそのような情報が発信されてしまうのか?についてあらためて理解・整理がすすむ。読む技術の前に、そもそもの送り手側の論理・事情・状況を理解しておくことがとても重要と感じた。
要注意情報が発信されてしまう理由には、旧メディア、ネット系メディアで両者共通の理由もあれば、両者で異なる理由もあると思った。
両者共通の理由は、当たり前だがそれが商売につながっていることが多いということがあげられる。注目を集めるものを発信したほうが結果お金になるということ。調べてみたら陳腐な事実であったら金になるように脚色したがるのが送り手の論理である。小難しい話は真実であっても呑み込めない人が多いので、誰もがわかりやすい部分だけ切り取ったり、誰もがわかりやすい話にまとめあげたほうが結果として読者が増えてお金になるということ。
旧メディア特有の理由としては、メディアの自由な報道を抑圧する政治構造になっているということ。監督官庁による免許事業であるということ。また、メディアとはいえビジネスマンなので、コスト都合があるということ。手間とお金をかけずにそれらしい情報を発信し、かつ責任追及を避けるリスクヘッジをかけるということ。
新メディア特有の理由としては、情報作成の送り手としてのリテラシーが低いということ。誰でもが容易に思いつきレベルの言説を撒き散らせるということ。
これらはうっすらわかっていた当たり前のことではあるけれど、あらためて意識しておかないと日々の情報洪水の中で容易に麻痺してしまい明晰な判断を奪われる。あらためて発信側には発信側の都合・意図・論理・そうせざるを得ない状況があることを念頭におきつつ、日々垂れ流される情報へ向きあう必要があると学んだ。
最後に、著者である烏賀陽氏の文章は本書の主張を限りなく体現しようと努力されているのが伝わると感じた。文章は事実ベースで書くように配慮されているし、事実と著者本人の意見・仮説はそれがわかるように書かれているし、文章そのものもわかりやすく、説明の論理もわかりやすい。烏賀陽氏のジャーナリストとしての誠実さが伝わる内容だと感じた。文章の書き方としても参考にさせていただく点が多かった。
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【本書の概要】
世の中にはフェイクニュースがあふれている。
以前は新聞・テレビなどの旧メディアが発信者であったが、SNSの台頭により、誰もが気軽に発信できてしまうようになった。そうした世の中では、フェイクニュースを見分ける目を持つことが何よりも大切である。
フェイクニュースの見分け方の基本は、「ファクトを信じること」である。本書ではこれに沿って、具体的な事例を交えながら見分け方の詳細を解説していく。
【本書の詳細】
①ただの主張しかない記事は捨てる
・証拠となる事実の記載がない主張(オピニオン)は全部無視する。
→記事中に主張を補完する根拠(バックデータ、いつ誰が発言したか、等)の無いもの。
・代理話者(コラム、識者、コメンテーターなど)の発言が掲載されているものも無視する
代理話者の話が載っているということは、「裏付けとなる事実の取材ができなかった」という敗北宣言に等しい。新聞社はたいてい、自分たちの主張に沿った内容を発言してくれそうな代理話者を抱えており、自分達がしたい主張の方向に誘導した記事を書かせている。
言論の根拠である事実だけに注意を払う習慣を持とう。
②実名で発信しているかに注意を向ける
匿名者が発信した情報は捨てる。
その人が情報の主体とどのような距離にいるか分からない。中には又聞き情報や空想を喋っている可能性もあり、情報の精度が落ちるからである。同様に、主語がはっきりしない情報も信じないほうがよい。ネットの発言が最たる例である。
ex.) 「事実」は何かをジャッジするためには、反論→再反論(対論という)を続けることで、真実の輪郭をクリアにしていくことが必要である。対論を「正誤、善悪、勝負を決める」ための目的としてはいけない。公に開かれた対論は本来、読者が「何が真実なのか」を考える判断材料を提供するプロセスである。
日本の新聞は筆者の著名が排されているが、これは「新聞社」が記事に対して責任を取るというスタンスであり、読者の反論の相手方は「組織」として担保されている。
③書き手の価値判断が混じった言葉を使った文章には疑いの目を向ける
意気込む、決意を語る、胸を張る、反旗を翻す、反発するといった言葉は、「喋る」ことに対して書き手のニュアンスを加えた言葉であるから、注意して読んだほうがいい。
このような言葉を使いがちなのは、新聞やテレビに限らず、根拠となる事実が弱いと、修飾語を過剰に強く大げさにする傾向が人間にあるからだ。
④ビッグ・ピクチャー(視野)を当てはめる
ある報道がされたときに、その問題を取り巻く背景を調べたりその問題が属する時間軸を拡大することで、異なった視野から情報を見つめ直すのがよい。ビッグ・ピクチャーを当てはめるのは難しい作業であるため、まずは「記者が何を書いたか」ではなく、「何を書かなかったか」に注目する習慣を身につけよう。新聞、テレビ、ネット記事は、「たしかにその記事にウソは書いていないが、本当のことも書かれていない」のである。
⑤フェアネスチ���ックを持つ
人間は完全なる善人や悪人などいない。大抵、過去の行いと今の言動が矛盾する生き物である。現実の人間を「善人」「悪人」「英雄」など一面的な記述をする情報ほど疑ったほうがいい。
人々は、マスメディアに「現実と反対の、単純化あるいは理想化された物語」を求める。発信する側も「その方が人気が取れる」と、価値判断がそちらに傾斜する。するとどんどん論説が二項対立に寄っていく。これを防ぐために、正反対の立場の記事、書籍に目を通すことで、フェアネスな視点を持つことを心がけよう。
⑥SNSで信頼できる発信者を見分けよう
旧メディア時代、マスメディアで情報を発信できる人の数は限られていた。マスメディア企業自身が、「この人の言うことは、事実という前提で信用していいですよ」という価値を担保し、責任を請け負っていた。
しかし、インターネットの台頭で誰しもが発信できる世の中となり、信用を担保する組織やゲートキーパーがいなくなった。
そんな時代にあって、SNSで信用できる発言者を見分けるコツは以下の通りだ。
・正確に引用をしているか
・言葉の定義が明確か
・専門の著作はあるか
・具体的になんの専門家なのか
コツは、「ニュースが載っている媒体」よりも「発信者は誰か」に注目して情報を信用することだ。また、専門家が事実に正確あるいは中立とは限らないため、なんの専門家かを意識するのがよいだろう。
【感想】
筆者の烏賀陽弘道氏はもともと朝日新聞社の記者であったため、新聞の裏側に熟知した視点から「このように書かれている記事はこうした意図がある」ということを詳細に解説しており、とても参考になる一冊だ。
私自身がなるほどと思ったのは「代理話者」の部分だ。
「代理話者の話が載っているということは、『裏付けとなる事実の取材ができなかった』という敗北宣言に等しい。」と筆者は述べている。
確かに、東京新聞と日経新聞を読んでいると、同じニュースでも扱われ方が全く違う。新聞社によって右か左かの違いがあるので当然ではあるが、右左以前に、記事の方向性が、データ主軸と代理話者主軸(「〇〇で働く△△氏はこう語る」という形式)で真っ二つに分かれている。
結局のところ、「新聞社」というニュースの信頼性が一定程度保障されているメディアであっても、会社の色に沿った言論に誘導されていることが分かる。しかも代理話者形式の記事は、実際に取材を行った上で掲載しているため、厳密には「フェイク」ニュースではなく偏向報道だ。だからなおさらタチが悪い。
(ちなみに、東京新聞は読んでて気持ちがいいぐらい言論の誘導を行っている)
では、旧メディアを無視してネットのニュースだけを信頼するべきかというと、こちらは新聞社以上のウソと偏向報道である。いつの日も真実に続く道は嘘によって舗装されている。
嘘かホントか分からないながらも、より多くの視点から情報に触れ、「真実の輪郭をクリアにしていくこと」が大切であるとあらためて意識したものの、同時に、時間の無い現代人にとっては何ともハードルが高い話であると実感した。
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情報リテラシーを高める上での指南書。
もっとも実践的かつわかりやすい。
ソーシャルメディアを自由に扱う現代の高校生必読。
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具体例も多くて参考になるところが多かった。個人的には弘中さんのあたりがいちばん興味深かったかな。あともう一個,終盤で参考になって引用したかったところがあった気がするのだけど,思い出せない。
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各章のまとめは、時々読み返そう。
公開情報を十分に分析しているか確認。Gサーチ使ってみる。匿名情報には最低限の信頼を与える。反論再反論は自自が何かを読者が判断する材料を提供する。強い修飾言葉に注意。主語がない時注意。検証には、時間軸、空間軸を広げる。メディアはわからないといいたがらない。嘘でも本当でもないこともある。アキュラシーでなく真実性。なぜ誤ったのかを考えるために、間違った主張もなされる必要がある。編集者や校閲者を置いている媒体には一日の長あり。この人は精度の高い事実に基づいて発言する、という人を分野ごとに見つけておく。日本ではステマは法規制されていない。発問のゴールを動かさない。
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朝日新聞の元記者である著者が朝日新聞を含めて様々なメディア側の嘘を指摘する本作は経験に基づく具体的かつ痛烈な書き方が面白かった。
はじめはネットにはびこるフェイクニュースの見分け方について書かれたのかと思ったが、内容は地上波・新聞にもおよび、具体的に書かれた事例まで出して指摘している内容はわかりやすかった。
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ファクトの裏付けは自分で確認しないと信じられないかもね、という話。正しいとは思いますが、そもそも意見や主張や思惑が全く含まれてない報道は一つもないと考えるべき。日本人は騙されやすいので注意!
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情報化社会でデマに騙されないために読んでみた。
趣旨としては、時間軸と空間軸で類似の情報を収集し、俯瞰して比較することでフェイクかどうかの判断ができるというもの。分かってはいたが、他人の言葉で聞かされると頭に腹落ちしやすい。
<アンダーライン>
★★★
もし発言者が他者を説得したいなら、「なぜ聞き手である私はあなたを信じなくてはならないのか」の理由を提示しなくてはならない。
★★★
一般に、根拠となる事実が弱いと、修飾語が過剰に強く、大げさになる傾向がある。
★★★★
「記者が何を書いたか」ではなく、むしろ「何を書かなかったのか」に注意を向ける習慣を身につける
★★★★
メディアは「わからない」と言いたがらない
★★★★★
「ファクト」ではなく「オピニオン」
★★★★★
フォロワー数は信用を保証しない
★★★★★
「何か分からないが、重要な要素がまだ発見されていないと仮定するとすべてに合理的な説明がつく」という要素を英語で「the X factor」という。