紙の本
日本語と、言葉をめぐって
2023/01/28 11:31
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投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本文学者が帰国子女だった、というと意外に思うかもしれないが、むしろそうであるからこそ新たな視点が持てるというところもあろう。気軽によめる言葉をめぐるエッセイでありつつ、深いものでもある。
紙の本
言語習得は大変
2017/07/24 17:57
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投稿者:ヤマキヨ - この投稿者のレビュー一覧を見る
母語は自然と覚えるものと思っていたのですが、筆者のような環境だと意識的に学ぶことになるんですね。テキストで口語(口話)を学ぶことで同年代の子どもとの間に生ずる言語ギャップにも驚かされます。外国人の話す日本語が妙にバカ丁寧に感じたり、日本人の使う英語がキレイだといわれるのも、同じ背景からなのかもしれません。
言葉を学ぶ過程や国語教育への違和感など、随所でうなずきながら読み進めました。
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生の小森陽一さんに3度出会ったことがある。と言っても、3度とも講演会なので、一方的なのではあるが。何れも緊迫する情勢を受けての、時事問題を扱う会だったので、この本の趣旨(日本語論)とも、ホントの内容(小森さんの数少ない自伝)とも、かなり違っている。つまり、小森さんの全く新しい面を知れて、この本とても面白かった。
小森さんの講演を1度聴いたことのある人はわかると思うが、同じ時間で、おそらく普通の講演会の内容の2倍の量を喋っていると思う(メモし難くてブロガー泣かせでもある)。つまり早口なのだ。そこから分かるのは、小森さんの頭の回転の速さ、そして早口でもなおかつ最後まで飽きさせない日本語の達人だったということだった。
しかし、勘違いしていた。コモリさんは、対象の観客と場所によって、喋り方を工夫していただけであり、なおかつずっと日本語にコンプレックスを感じていたからこそ、あそこまで「達人」になれたということだったのだ。
帰国子女の悩みに真正面からぶつかり、なおかつ、決してエリート畑だけを歩いて来ていないからこそわかる世界を見ていた、コモリくん。文庫本あとがきで、びっくり。在プラハソヴィエト学校の米原万里さんの2年後輩だったなんて。含蓄のある「あとがき」に、私はまだまだ小森さんを知らなかったのだなぁ、と思ったのでした。
まさか、小森陽一の文学アプローチが、構造主義からだったなんて、全く知らなかった。
もちろん、日本語論としてもたいへん優れている。私の「こころ」解釈は、小森氏とも、高校生のそれともかなり違うが、教科書とだいぶ違っていて良かったんだ、と改めて思ったのでした。
2017年8月15日読了
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国語という科目は、何をする科目なんだろう。入試に必要なだけの科目だろうか。国語の教科書で習ったことはほとんど覚えていない。受験勉強もほとんど時間を掛けなかった。旧ソ連では、文法を習う科目と、古典の名作を読む科目の2つに分かれていたそう。古典の名作を読む授業は、ちょっと羨ましい。
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他の本を読むあいまの「個読」で何ヵ月もかかって読み終えた。と言っても面白くなかったわけではない。そういう読み方を割り振っただけである。正直楽しい本だった。「道場破り」の高校での授業はとりわけ強く考えさせられた。私は小学校教師として国語で何を教えてきたのだろう。これほどのことができるのか。深い。まだ子どもたちの前にあった時に読みたかったと思った。
なお「個読」とは個室で孤独に本を読むこと。個室とはそうトイレのことである。もちろん造語なり。