東洋の安定のためには、皇帝による徳政のほうが良いのでは・・・
2023/07/09 19:51
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投稿者:浦辺 登 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「レビュー内容に使用できない文字が含まれています。」
このような表示が出たが、何が、問題なのかが不明。
honto は、システムを考えた方が良い。
現代中国を理解するための最良の案内書
2017/12/12 22:51
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投稿者:Takeshita - この投稿者のレビュー一覧を見る
最近の中国論の中では出色の面白さであった。軍なしには中国革命は成し遂げられなかったが、建国後も軍は党と一体であり、最近の経済発展も社会に張り巡らせた軍産複合体により齎されたものである。特に改革開放政策で軍を却って強化する結果になったとの分析は著者の卓見であり興味深かった。ソ連は圧政もあったが無料や家賃格安の国民住宅と公共料金、老人年金を国民に与えた。中国は軍と共産党の利権に預からない人には、殆ど国民福祉政策はない。共産党の正当性維持だけが国家目標の国なのだ。この不思議な体制はいつまで続くのだろうか?
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日本が重層的な互恵関係を築くにいたった中国において、空前の規模で軍拡が推し進められ、それが日本ならびにアジア・太平洋地域全体の安全保障をゆさぶっているという矛盾とどう向き合うべきか。この難題に取り組むにあたっては、そもそもなぜ中国において軍拡が展開されるに至ったのかという根本的な問題を議論する必要がある。
本書は、そうした認識に立脚し、共産党が軍拡を本格的に推進するに至った政治的背景と経緯、軍拡の諸側面、そして軍拡の日中関係への影響について論じる。政治的背景と経緯に関する議論は、主として1970年代半ばから2000年代初頭にかけtの約30年間に焦点をあてる。それは、中国における軍拡の期限をこの時期、すなわち鄧小平政権から江沢民試験にかけての時期にみいだすことができると筆者が考えているからにほかならない。
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網羅的かつバランスの取れた良書。
支配層と被支配層の分断が甚だしいかの国では、支配層である共産党の独裁体制を維持するために、清朝以来の日欧米の横暴を強調し、それに打ち勝つ「中華民族の偉大な復興」神話を刷り込もうとしており、結果的に軍備拡張す続けぜさるを得ない状況に自らを追い込んでいる。
その結果が習近平の強権的独裁だが、その体制がどこまで持つのか。
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中華人民共和国、中国共産党、そして人民解放軍のこれまでの歴史を紐解きながら、表題のテーマに迫っていく。知ってるようで知らなかった中共史の勉強にもなって、中国が抱える権力構造や政治・経済・社会に対する西洋的価値観とは異質なものの見方も分かってくる。かといって、反中をあおるための本でもなく、著者の長年にわたる研究と経験の成果が発揮されている大変有意義な一冊。中国共産党の一党支配のロジックがよくわかる。
70年代後半以降、日米欧に接近してきた中国に対し、援助・協力を与えれば次第に中産階級も育って民主化・自由化していくだろうという考え方がいかに楽観的すぎたかという著者の指摘は貴重である。
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中国が軍拡に邁進する理由を毛沢東時代に遡り、米ソとの関係、経済格差、権力闘争と様々な角度から説明しており、説得力があった。この論によれば、日本一国の対応など全くといって影響がないと思われる。
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【227冊目】とても面白かった。タイトルに「軍拡」とあるので人民解放軍について詳しく書いてあるのかと思いきや、そうではなく、むしろ解放軍を取り巻く政治力学や民間社会にその理由を求めている本。
本書タイトルの質問に答える部分を引用すると、「共産党が暴力に依存する形で中国国内から湧き出し続ける『民主化』要求を抑え、そうした『民主化』要求に共鳴して内政干渉をしかけてくる可能性のある西側諸国を牽制し、さらには軍事力を誇示することによって『中華民族の偉大な復興』を演出しようとしているから」ということのよう。
すなわち、日本や欧米に軍事的に対抗するために軍拡を続けているというのは物事の反面であって、もう反面は第二次天安門事件に代表されるように、国内統治のツールとして軍隊を強化せざるを得ないのだ、と筆者は考えている。そのため、毛沢東以降の中国の歴史及び国内情勢にまで触れているのが本書である。
なお、筆者は、中国の軍事的な力を極めて小さく評価しているようだ。これは、概して言えば、昨今の戦闘機や軍艦の大幅な増強も旧ソ連やロシアの型落ちしたものを利用して行われているものであり、米国の軍事力に対抗し得るものではないとの認識に基づく。近年出版される中国脅威論の書籍は中国の軍事力(拡大のペース)をかなり強いものと評価するものが多く、本書の認識は新鮮。
もう少し軍事力に関する考察があれば、星5つだった。
なお、筆者の阿南さんは、終戦時に陸軍大臣だった阿南惟幾の孫で、中国大使を務めた阿南惟茂さんの息子さん。その家系だけでもすごいが、本書は、筆者の語り口に接していると、その頭の良さが伝わってくる良書。
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第40回サントリー学芸賞(政治・経済部門)受賞! 、第30回アジア・太平洋賞特別賞受賞! 読み応えありました!!
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【中国で展開されている軍拡というものは、尖閣問題の処理の仕方で左右されるような性質の問題ではない。それは、現代中国の政治構造に直結した問題であり、共産党が統治を続けるうえで欠かせない営みとなっている】(文中より引用)
日本でもニュースになることが多い中国の軍拡。その現象に潜む中国・中国共産党の活動原理に切り込み、軍拡の意図について明らかにすることを試みた作品です。著者は、本書でサントリー学芸賞(政治・経済部門)を受賞した阿南友亮。
そもそも「中国の軍って何?」というところから解き起こす目からウロコの作品。人民解放軍に限らず、広く建国後の中国についてもまとめられており、間口の広さと奥行きを兼ね備えた一冊になっていると思います。
著者の体験談も興味深かったです☆5つ
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中国共産党という党派の本質とその私兵たる解放軍の行動原理を素人にも分かるように毛沢東時代から習近平の現代まで解説している。
改革解放を経て、共産党とその私兵が底抜けに国富の私物化と搾取に走り、汚職にまみれていく様と国民の不満を抑えるための軍備増強と威嚇外交をやめられない様が描かれており、全く救いがない。もちろん自浄作用もない。
中国人や中国人の国に偏見を持つ必要はない。
ただし、中国共産党という党派の本質を理解し、その私兵の行動原理を知り、弱体化させるべく行動することは、日本人がこの先生きていく上で大事なことであると感じた。
中国共産党という党派は人類の汚点であり、これが増長することで人類に資することは何一つないのだから。
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中国の軍拡は、改革開放により生じた歪みに起因するとする。すなわち、不平等と格差の拡大への不満に対する抑えの最後の砦として解放軍を共産党に繋ぎ止めておく必要性、また、対外的な理由についても、国内の不満をナショナリズムに転化させ、その結果外交が硬直的にならざるを得ず、強硬な外交の手段としての解放軍の強化の必要性が高まったとする。
ただ、著者の解放軍の軍事力評価(技術的にロシア技術に依存するか、自主開発もロシアを大きくこえないであろうとする)は、過小ではないか。
本書は、体制の歪みと、超大国化、軍隊の強力化は二律背反なのかという点について、より深い検討が必要であったと思われる。
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冷静に現代中国を見つめることは、極めて難しい。
警戒するにせよ友好を叫ぶにせよ、その前提は信頼できる書き手による本書のような冷静な分析である。経済安保はもちろん必要である。しかし、あまりにも遅すぎると苦言を呈したい。
*詳細な紹介は、ブログ「下手の本好き読書録」
(http://kr253rk.blog.fc2.com/)をご覧下さい。
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中国もとい、中国共産党の統治のあり方の欠陥とそれを補うための対外政策としての排他的ナショナリズム。もちろん「国際社会」との関係も描いているものの、国内との関係、党内のパワーバランスなどから考えるというのは新しい視点。毛沢東時代からのチェンジに見えた鄧小平の「改革・開放」における欠陥、江沢民指導部における排他的ナショナリズム・「中華民族の偉大なる夢」、胡錦濤の難しさ、また今日も続く習近平指導部に至るまで書かれる(習近平指導部に至っては1期目まで)。
「党軍」である人民解放軍のプロフェッショナリズムと党との関係性の相剋、党を支える組織としての解放軍のジレンマというものが見受けられる。国防部長の彭徳懐、林彪の二人の路線と失脚、ここから「党軍」としての難しさを感じさせる。
また、対外関係に基づく行動にも詳細に書かれ、1950年代末までのソ連からの技術援助、米中接近・正常化以降の西側からの軍事技術供与、第二次天安門事件以降の能力向上の方法、これについても書かれている。また西側諸国のEngagement 政策と中国の外交姿勢をもとにその関与政策の根本的難しさ、そこから生まれた経済的相互依存のジレンマというものを中国、西側諸国(とりわけ日米)というものを描いている。
また、人民解放軍の2017年ごろまでの装備の歴史、それに対する軍種ごとの評価(海軍、空軍、ロケット軍ー第二砲兵)、それが持つ意味などについても詳細にまとめられている。
国内における統治と対外政策を結びつけて総合的に論じられている。また、日本では報道などでは変化ばかりが強調されるものの、連続性の要素を多く論じている。
さらに「対話をしてこなかったから」「対話をすればよくなる」「経済交流をすれば日中関係は改善する」という日本で当時から多い論調に対しても、日本政府・財界の努力を評価した上で根拠をもって批判を行なっている。
専門家の書いた著書であるが7年前の本であるため、今日とは少し異なった人民解放軍ということには配慮は必要である。人民解放軍、中国共産党のこれまでの「軍拡」の理由の一側面として読む分には申し分のない一冊だと思う。
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中国はなぜ軍拡を続けるのか、中国の国内状況から説明する。
しかも孫文の中国革命から国共内戦時代を経て現在に至るまで軍事にとらわれずに辿るので、中華人民共和国の歴史を知るという意味でも大変勉強になる。
建国当初、政府組織は実体がなかったため、解放軍が行政の前面に立っており、これは軍事管制と呼ばれた。解放軍の掌握が権力の基盤となるため、国家主席や党総書記よりも中央軍事委員会主席が重要なポストだった。十元帥の1人だった彭徳懐は、解放軍の現代化、正規化を目指したが、廬山会議で毛沢東の大躍進に中止を求め、これがきっかけで毛沢東と対立し、文化大革命では迫害にさらされがん治療も許されず悲しい死を迎えた。林彪が国防部長を務めたいた時期はソ連との関係が悪化、人民戦争へ回帰し、軍人が政治的に台頭したが、林彪も反逆者のレッテルを貼られた。軍の重鎮を迫害した四人組は、毛沢東が死去してからはリベンジに遭い、一網打尽にされた。
バランサーとして鄧小平が台頭し、改革・開放路線へと舵をきったが、胡耀邦、趙紫陽といった改革派は梯子を外され失脚した。第二次天安門事件は共産党の首脳にトラウマを植え付け、西側諸国には中国が軍を使って民衆を迫害したということで国際社会でのイメージも悪化した。鄧小平の後の江沢民、胡錦涛という文民主席は、解放軍の後見を必要とし、軍拡という軍との共生関係を補強した。中国と日本の国交正常化も、中国の民衆のあずかり知らぬところで決まっていて、しかも情報が偏っているのだから中国社会の世界観が混乱したという指摘。生産手段を共産党が独占していたため、党幹部の懐が潤う一方で法治が整っていないためにその財産を海外に逃がしてしまうため、国内に富みが循環しない構造があった。国内をまとめるために排外主義を使い、それで民衆が排外主義的になることで中国の外交政策は自縄自縛状態というのがなんとも。
2017年時点で著者は中国軍の能力には懐疑的だが、現在の本当のところはどうなんであろうか。例えば海軍艦艇であれば数が増えているだけでなく近代化もしているとみているが、これが実際どうなのかは戦争が起きてみないとわからないかも。
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ものものしいタイトルではあるが、軍拡を続けるのかというよりは、内容自身は中国近現代政治史と人民解放軍の位置付けといったところか。中国関係の本を読み漁っている中でどこかで参照されていた本でやっと読んだのだが、非常に深いところまで描かれており、読み応えのある本だった。著者のことを存じ上げていなかったが、72年生まれで小学校5年生から中学校2年生まで北京に滞在、大学では人民解放軍に関する研究を行い、大学院では北京大学への留学もあり、博士号を取得しているという珍しい経歴でした。元々長く人民解放軍に関する研究をやっていたのか、非常に深い考察が加えられていて面白かった。
P.32
中国において「民主化」という言葉にさまざまな含意があり、これを主張する人物や勢力によって意味が大きく異なることによる。中国では議会制民主主義への移行を念頭に「民主化」という言葉が使われる場合もあるが、共産党の一党支配を否定せず、共産党のもとで憲法や民意に忠実な統治が実現されることを求める場合にも「民主化」という言葉が使われる。また、共産党指導部も「民主」という言葉が大好きであるが、これは往々にして個人独裁に対する集団指導体制の確立や党内における意思決定の透明化を念頭に用いられている。(「党内民主」)
P.37
現在の習近平政権は、「七不講(七つの禁句)」を中国の言論界に対して示しており、「普遍的価値、報道に自由、市民社会、市民の権利、党の歴史的謝り、特権資産階級、司法の独立」という七つのキーワードについて大学やメディアなどにおいて語ることを禁じている。これらにあからさまに逆らった人々は、まず無事には済まないだろう。
P.38
共産党が掲げる「法治」も多くの日本人が連想するような「法の支配」や「法の下の平等」、すなわち国家元首を含め国内の全ての人間が等しく法に服従するという状態を想定しているわけではない。現時点において目標とされているのは、あくまで「法による支配」、すなわち法により上位に位置する共産党がその権力行使に自ら法的根拠を付与するというものである。法による独裁的権力行使の正当化こそが共産党の狙いと考えられる。
P.41
中国を訪れる外国人の多くは、北京の紫禁城や万里の長城などをみて、中国は偉大な文明を誇る国だと感嘆するに違いない。しかし、そうした巨大建造物は、実は極端なまでの富の偏差を省庁しており、その裏側では、数十万、数百万の民衆が餓死するという凄惨な飢饉が高い頻度で繰り返し発生していた。飢餓への恐怖は、民衆の一部を略奪集団、すなわち匪賊へと変貌させ、中国全土で匪賊集団が自己の生存のために他の民衆を襲い、王朝に対して牙を剥いた。
そうした環境下で、民間社会は自治と自衛の伝統を育み、人々は自分たちの知恵と才覚と腕力を以て自分たちの面倒をみていた。国家権力に依存せず、期待せず、場合によっては服従もしないという中国の民間社会にみいだすことのできる逞しさ、自律性、抜け目のなさは、永きに及んだ国家権力と民間社会の疎遠な関係によって育まれたものといえよう。
P.44
中国は、一つの主権国家であるが、人口でいえば、EU二.五個分の集合体である。貧富の格差を念頭におけば、EUとアフリカを合体させたような集合体ともいえる。共産党の党員だけでドイツの全人口に匹敵する約八千五百万人もいる。
中国全土はもとより、共産党をまとめることでさえ全く容易なことではない。「上に政策あり、下に対策あり」という中国の有名な諺に象徴されるように、中央政府の指示や政策は、往々にして地方政府により恣意的に解釈され、末端の行政機関では正確に実施されずに終わることが珍しくない。しかし、中央政府にはいかにも政策が忠実に実行され、大きな成果をあげたという報告ばかりあがる。
三権分立が確立されておらず、マス・メディアが基本的に国家権力に隷属している中国には、こうした報告あるいは統計の妥当性を吟味する科学的自己分析能力が著しく欠損している。一九七六年まで強大な権力で中国を牛耳っていた毛沢東でさえもこうした地方政府の演出する統計のマジカル・ショーにおどらされた。近年中国政府がもっともらしく発表するようになったGDPの数値も地方政府による誇大広告という正確も少なからず含有している。
P.48
中国の知識人の間では、GDPの急速な拡大を「中華民族の偉大な復興」として礼賛し、社会主義の立場からも議会制民主主義の立場からも正当化できない今日の独裁体制を一種のエスニックな個性、あるいは独自の発展もでるとして肯定的に捉える風潮が強まっている。
「普遍的価値という概念は、西洋の価値観の押し付けであり、五千年にわたり独自の文明と優秀な道徳倫理を自発的に育んできた中仮眠国はそうした浅はかな価値観にもとづいて評価されるべきではない」という開き直った言説を主張する論客は、ここ二十年で急速に増えてきており、中国のメディアを席捲しつつある。
P.50
ネイションとは、もともと社会契約説にもとづく政治思想に対応する形で一八世紀にアメリカやフランスで形成されるようになった社会、すなわち国家の主権を含む平等な権利と均質的な義務を理念上・原則上共有する市民社会を意味する概念であった。(中略)一八世紀以降、君主から主権を奪い取った国内住民のことを「ネイション」と呼ぶようになったのである。
また、そのネイションが君主に替わって主権を掌握・行使している状態の国家がnation state(中略)と呼ばれるようになった。ネイション・ステイトは、日本語では「国民国家」と訳され、中国語では「民族国家」と訳される。ナショナリズムとは、元来一つのネイションにまとまっていなかった民衆を一つのネイションにまとめようとする近代特有の思想・運動と捉えることが可能であり、ネイションという枠組みに沿って人を区別することを強調する価値観という側面も兼ね備えている。いうまでもなく、そうした区別は時に激しい排他性を伴った差別に転化することがある。(中略)
ネイションの訳語としての「国民」ならびに「民族」という言葉は、もともと日本人の発明である。それらを日本に留学・亡命していた梁啓超や孫文などの中国の知識人たちが中国語にも適用するようになった。大陸から日本に渡った知識人の間で自国のネイションが想像された際、「中華民族」とほぼ同時に浮上したのが、漢王朝や漢字といった古い歴史を持つ文明を連想させる「漢���という文字とネイションの訳語である「民族」を合体させた「漢民族」であった。(中略)
「満州」族の王朝を倒して新たにネイション・ステイトを樹立しようとしていた直轄地の非征服民である革命は知識人にとって、革命を起こす側が「漢」であり、新たに樹立されるネイション・ステイトの住民が「漢民族」になるのは自明の理であったといえよう。(中略)
Chinese nationの実質的な歴史は、American nationやFrench nationの歴史よりも百年以上短いのである。このネイションは、歴史も浅いうえに、前述したように、その背景となるべき「主権在民」の制度がいまだに未成熟な状態にある。したがって、「中華民族」という概念は、民衆に対して必ずしも強い求心力を発揮しているわけではない。だからこそ、現在の共産党は、このネイション概念をくどいほど民衆に対してとなえ続けなければならない。(中略)
現在の週国では、「中華民族」というネイションの枠内に「漢民族」および五十五の「少数民族」というエスニックグループが存在するとされているが、これはあくまで共産党公認の区分である。一九五〇年代に「民族識別工作」が中国で実施された際には、四百を上回る文化的アイデンティティーが浮上した。共産党は、そのなかから五十五の文化的アイデンティティーをエスニック・マイノリティー、すなわち「少数民族」として公認し、残りの文化的アイデンティティーを「漢民族」に統合した。(中略)古くから「固有の伝統文化」を共有してきたエスニック・グループというイメージの強い「漢民族」も、実は多分に政策の産物、つまり比較的最近になってから政治的意義を持つようになった区分といえる。(中略)
「中華民族」という政治的境界線の導入が提唱され始めたのがだいたい百年前であったことに鑑みれば「中華革命」という政治・社会運動は、「古い民族」を改革するプロセスではなく、古くから文明が発達した地域の民衆を新たに「民族」という枠組みの下にまとめあげようとする試みであったといえる。
孫文の言葉を借りれば、それはもともと「バラバラの砂」という形容されるほど凝集性を欠いた民衆を「中華民族という新主義」のもとでなんとかまとめようとする試みであった。「中華民族は五千年の歴史を持っている」とか「伝統的に固有の文化にもとづいてまとまってきた」といった類いの言説は、梁啓超や孫文が書き残したものに照らせば根拠がはなはだ疑わしい。(中略)
中国の民衆をネイションにまとめようというナショナリズムが二十世紀初期の中御③区で盛り上がった当初は、米・仏などを気半年、ネイションの構成員の基本的人権を保障するような民主主義政体を目標とする志向が強かった。孫文が掲げた「三民主義」(「民権」・「民族」・「民主」)による新中国の建設という方針はその象徴といえよう。(中略)中国のナショナリズムは、神話(漢民族の黄帝起源説など)を拠り所とするという内向生を当初から帯びることになり、「中国固有のもの」と「西洋を起源にするもの」との対峙をつうじてナショナル・アイデンティティーを浮き彫りにしようとする言説は常になった。しかし、二十世紀前半の中国のナショナリズムに関する言説には、「排外」と拮抗する程度にリベラルな要素、すなわち欧米のネイションと��国のネイションは普遍的価値冠を共有できるという信念を抱負にみいだすことができる。(中略)普遍的価値館と結びついたナショナリズムは、毛沢東時代の中華人民共和国にもある程度継承された。(中略)
九〇年代以降の「中華民族」ナショナリズムの特徴は、時期によって多少差異があるものの、基本的に普遍的価値館からの離脱にみいだすことができる。この新たなナショナリズムの土台となっている「近代=屈辱」という歴史認識は、普遍的価値感という概念を「侵略者」と結びつけることによって、同概念にいかがわしいイメージを付着させ、それを相対化しようとする試みの産物である。同時に、この歴史認識は、「伝統文化」とセットになった「中華的なもの」という曖昧模糊としたコンテンツへの帰属意識を生み出す土壌となっている。
P.64
統治権力が社会統合を促進するために、意図的に排外主義と自民族優位主義を喚起することによって世論を操作しようとしたが、排外的になった世論に統治権力の方が束縛されてしまい、国際社会との協調が難しくなるというディレンマが今日の中国で表面化している。(中略)中国ではいまだに「主権在民」が実質的に確立されておらず、ネイション・ステイトという枠組み自体は存在するものの、これまで述べてきたように、社会の平等性に重大な欠陥を抱えていおり、それを主要因として国家に対して常に一定の遠心力がかかっている状態が続いている。このため、国家権力(執政党)が急進力向上のために排外主義を煽るという悪臭から脱却することができない。
共産党が排外的ナショナリズムに依存する限り、国内の民衆の面前で外に向けてファイティング・ポーズをとらねばならなくなる。そして、これが日本を含めた周辺諸国との関係を歪めていき、そこから生じる外交摩擦がさらに排外的心情を燃え上がらせることになる。
P.67
自らが撒いた排外主義の種から大きなツタが生えて協調外交をがんじがらめにしつつあるなかで、近年の共産党は、独自の「党軍」を威嚇手段として用いて周辺国に譲歩を迫るという姿勢を強めている。すなわち自己を改めるのではなく、他者(周辺国との既存の国際秩序)を改めさせようとする傾向が顕在化している。(中略)民衆の目を外に向け、普遍的価値観に根ざした改革を先延ばしにしても、独裁に起因する国内矛盾そのものは解消されないまま蓄積し続けるため、国内から政権にかかる圧力は、膨張していく。また、それは、社会において非常にネガティブな対外認識をひろめるために、中国の発展に必要な周辺諸国との良好な関係の維持を難しくし、国外から政権にかかる圧力の増大をも招く。
現実逃避をした先に桃源郷はないのである。
P.70
国有企業及び共産党幹部に対する課税システムが有効に機能していないこともあって、特権サークルに集中した富は、社会に幅広く還元されてこなかった。特権サークルが国内で派手に消費を続けて社会にドンドンお金を落とせば、それも立派な富の循環になるが、現在の特権サークルには中国国内よりも海外にお金を落とすことを好む性癖がある。(中略)皇帝専制国家時代の中国にも凄まじい格差があった。しかし、富を蓄積した郷紳・商人・地主が地元に金をおとし、一族や地域住民の福利厚生にも深くかかわっていたので、国内で一定の富の循環がはかられていた。今日の中国では、一部の人々に集中した富が海外で循環する傾向が強まっており、貧困層は昔のように羽振りがよい旦那に頼ることが難しくなっている。(中略)格差は、能力・努力・競争の結果というよりも、権力との距離にもとづいているという傾向が強い。
P.72
中国は、いまだに実質的な法治国家とはいえず、法律の適用の仕方が権力との距離や権力闘争によって左右される。(中略)腐敗撲滅キャンペーンは、共産党幹部による富の特権的享受そのものを根絶するための取り組みとは捉えない方がよい。これは、民主主義において新聞や週刊誌などがはたす役割、すなわち権力者のスキャンダル暴き、権力者を窮地に追い込むことによって民衆の政治に対するストレスを発散させるという役割と共産党が自作自演ではたしているものと捉えるべきである。(中略)少なからぬ民衆は、こういう悪者を懲らしめる共産党の中央指導部にはやはり真っ当な幹部が多く残っており、悪いのは主として地方に巣食う一部の「悪代官」であるという錯覚の虜になる。
P.83
今日の中国では、摩天楼にこもっている共産党の高級幹部たちの足下で農民暴動の渦が拡大しており、彼らは、多くの王朝の末路と同様にその渦に巻き込まれるのではないかという危機感を募らせている。同時に、彼らは、国際社会において同業者、すなわち、独裁者稼業の仲間がどんどん廃業に追い込まれていることから生じる孤独感にさいなまされている。共産党の用心棒である解放軍や武装警察の動向は、こうした「内憂外患」とも表現できる「中国共産党の安全保障」を取り巻く厳しい環境にそくして分析されねばならない。
P.90(大躍進・文化大革命に関して)
一九世紀半ば以降窮地に陥った中国をすくっったはずの英雄たちが、「中国の敵」というレッテルを貼られ、若い世代によって迫害・侮辱されたという事実は、拭い去りようがなかった。
これにより、共産党の権威の重要な源泉の一つであった革命神話に関する社会の集団的記憶は大幅な対価を余儀なくされた。それに替わって、大躍進と文化大革命に起因する共産党に対するネガティブな認識と巨大な不満が蓄積され、共産党の前にたちはだかった。
一方、文革を生き延びた共産党の幹部たちの間には、文革中に中国社会、特に若い世代が彼らに対しておこなった残忍な仕打ちの数々が深いトラウマとして残った。このトラウマが一九八〇年代に巻き起こった学生主体の「民主化」運動に対する共産党指導部内のパラノイアの源となったといわれている。
P.96
毛沢東時代の中国外交は、社会主義陣営の論理やアジア・アフリカ諸国の団結を掲げつつも、実際には、毛沢東の独裁存続並びに国益、特に領土への執着という性格を強く帯びていた。こうした傾向は、日中国交正常化直前の一九七一年待つに中国外交部が突如おこなった尖閣諸島に対する領有権の主張からも読みとることができる。
P.100
米中接近に誘発される形で一九七二年九月に始まった日中国交正常化の最終交渉は、わずか五日間でまとめられた。過去の戦争をどう認識し、帰国していくかといった重要な問題について踏み込んだ議論が十分にな���れないまま、中国社会において一般的に不倶戴天の敵とみなされていた日本は、一転して中国の友好国と位置づけられた。(中略)あくまで日本と中国共産党、特に毛沢東指導部との接近であり、日本社会と中国社会との広範な和解の達成を意味するものではなかったといえる。
P.102
中華人民共和国は、その成立以来、ほぼ一貫して米国と軍事的に対峙していたのであり、米国は新中国の民衆にとって正真正銘の敵と認識されるようになった。またそうした米国によって日本の再軍備(自衛隊の設立)が進められたことは、中華人民共和国において「日本における軍国主義の復活」という言説・イメージが定着する一因となる。
七〇年代まで憎むべき敵とされていた日米が一夜にして友好国となるという頭の切り替えは、毛沢東や交渉の前面に立った周恩来には可能でも、大多数の中国の民衆にとっては、容易でなかっったことは想像に難くない。(中略)一九五七年の「反右派」闘争を皮切りとして約二十年間続いた毛沢東による暴力的な言論弾圧の中で、中国の研究者の大半は、まともな研究ができる環境から遠ざけられた。このため、戦後の日本社会における普遍的価値感の受容、平和主義の定着、経済発展、国際社会との関係改善、国際貢献といった諸側面を性格に把握し、それらの側面も加えた形で新たな日本像を中国社会に伝えるという知的作業は、七〇年代末まで、つまり、新中国成立後約三十年間、極めて不十分な形でしかおこなわれないこととなった。
P.123
林彪は、共産党の中央軍事委員会において第一副主席の地位を与えられ、政治の表舞台に立った。そして大躍進と彭徳懐の失脚でお大きく動揺した解放軍の規律を再建しつつ、同軍を毛沢東に忠実な下僕へと改造するための取り組みに着手する。
その取り組みとは、解放軍内における「毛沢東思想」の学習の強化であり、その一環として文革時の紅衛兵の必携アイテムとなる『毛沢東語録』という赤い小冊子が解放軍によって発行されることとなった。林彪国防部長のもとで、解放軍は「専」の側面、すなわち、政治思想の改良(毛沢東に対する忠誠心の強化)にもつとめなければならないとされ、各部隊で『毛沢東語録』を使った政治学習の時間が拡大されることとなった。
P.148
農民の一割近くを餓死させた毛沢東時代の施政があまりにも過酷だったために、それを止めると宣言しただけで、農村社会の共産党に対する不満は大幅に軽減されたのである。
P.150
文革後の共産党の地方組織はまったく呆気ないほど拝金主義の軍門に降った。この政治集団が、その看板以外にそもそもどこまでマルクス主義を真剣に信奉していたのかを根本から疑いたくなるほど、共産党は金儲けに対する免疫を持ち合わせていなかった。
P.153
「改革・開放」路線下の共産党は、GDPをどれだけ上昇させたかという指標を地方幹部の人事査定の際に重視してきた。このため、不動産開発は、GDPを押し上げ、幹部を出世させるための道具という側面も持つようになった。(中略)GDPを稼ぐために需要の無い建物を建て、無用の長物となったその箱物を数年後に取り壊して、その跡地にまた意味不明な箱物を建ててGDPに形状するという行為も横行している。
P.164��一九七〇年代の解放軍の兵力拡大について)
日本における解放軍研究の第一人者である平松茂雄は、このような兵力拡大を中国の国内政治と結びつけて説明する。平松によれば、解放軍の兵力膨張は、党中央での熾烈な権力闘争が招いた国内政情の流動化に直面した地方の軍事指導者(大軍区の司令員など)が、解放軍内の他の派閥や党中央に対するバーゲニング・パワー(交渉力)を補強すべく手下の数を増やし続けた結果であった。
P.170
鄧小平は、日米に加えてソ連との関係も改善に向かった八〇年代半ばの国際環境に鑑み、毛沢東時代の「世界戦争は不可避である」という対外認識とそれにもとづく総力戦体制を根本から見直す改革に着手した。
P.175(上述の改革の一環としての兵力百万人削減)
八〇年代の中国では、百万人の兵力削減が始まる前からすでに退役軍人が新たな就職先をみつけられない不満を爆発させてデモや暴動を起こす事件が全国で相次いでいた。(中略)そこに再就職を必要とする人員が新たに百万人も加わったわけであり、その就職の手当が適切になされなければ深刻な社会不安を招く可能性があった。
そうした事態を回避するために鄧小平が奨励した方法は、解放軍が部門・舞台ごとに自前で企業を設立し、ビジネスを展開することであった(中略)解放軍は、もともと食糧の自給自足を伝統としていたため、中華人民共和国の成立以降も、食糧生産などの副業に一定のエネルギーを割いていた。このため、鄧小平によって副業に力を入れるように奨励されると、すんなりとその体制を整え、あらゆる業種に参入するようになる。
P.177
軍ビジネスの発展は、当然のことながら解放軍の腐敗を進行させた。そもそも軍がビジネスの元手としたのはほぼ例外なく国有資産であったが、国有資産の活用から生じた解放軍への金の流れを包括的に把握する中央集権的な会計システムが存在していなかったため、私的流用を防止することが事実上不可能となり、脱税も常態化した。
郡内のほぼ全ての部門・部隊が自前の企業を持っていた関係で、部門・部隊のトップに就任することは、それぞれの組織が抱える企業からの上納金に手をつけられるようになることを意味した。(中略)解放軍内での肩書きの売買、すなわち売官行為が蔓延することとなる。解放軍の将軍クラスの幹部による汚職事件が後を絶たないという今日の解放軍の日常光景は、鄧小平の軍事改革にその起源をみいだすことができる。(中略)解放軍のビジネスは、全てが合法的だったわけではない。(中略)多数の艦艇を擁する海軍は、八〇年代に独自の海運会社を設立し、合法的な物流サービスを展開するようになったが、それと同時に密輸も大々的に展開していた。(中略)中国の税関当局は果敢に解放軍の密輸を水際で取り締まろうとした。それに対して、解放軍は、軍艦を使ってたびたび税関当局の艦艇を蹴散らすきょに出た。解放軍の海軍は、倭寇顔負けの武装密輸集団という顔を持っていた。
P.179
差し迫った戦争の危機がなく、眼前に突如として金儲けの機会が出現したという環境のなかで、解放軍将兵の活動時間の多くが訓練ではなくビジネスに割かれるようになった。全国各地で部隊長が企業の社長を兼任し、指揮下の兵士を���員(たとえば、建設現場の労働者やトラックの運転手など)としてこき使うという光景がみられるようになった。八〇年代末になると、軍への入隊直後からひたすらビジネスに従事させられ、退役するまで軍事に関する教育・訓練を一切受けないという兵士が大量に存在することや一部の部隊で兵士を出稼ぎに出したために部隊の兵力が定足数に達しないといった現象が発覚し、大問題となった。
P.189
中華人民共和国における最初の大規模な「民主化」要求(「百花斉放百家争鳴」)に対する攻撃と位置付けられる「反右派」闘争は、毛沢東の号令によるものであったが、鄧小平もそこに深くかかわっていた。また、鄧小平は、毛沢東の死後に発生した一九七八年の「北京の春」、八六年の「学潮」、八九年の大規模「民主化」でもという中国社会内部から自発的に盛り上がった「民主化」要求をことごとく粉砕した張本人であった。
共産党が自らの行いを改めることは奨励しつつも、共産党に対してあからさまな制度改革の要求が突き付けられることには断固反対する。これが七〇年代末から八〇年代をつうじて明らかになった鄧小平の素顔であろう。
P.214(天安門事件後の制裁解除について)
西側諸国の思惑がどのようなものであったにせよ、この時の安易な制裁解除は、結果的に、共産党が引き続き中国の支配者として君臨し続けることを改めて認めることを意味した。西側諸国は、天安門事件に関する免罪符を共産党に与えることにより、中国国内における「民主化」勢力のさらなる孤立と弱体化を決定的にしてしまった。(中略)つまり、西側諸国の制裁解除は、天安門事件を発生させた中国国内の矛盾が解消されないままさらに深刻化するというシナリオへの扉を開くことになったのである。
P.223
鄧小平をはじめとする共産党の首脳部は、制裁解除をつうじて西側諸国が「中国の巨大な市場を無視できない」ということを悟った。その理解に基づき、彼らは、中国が利益を接着剤として西側諸国と切っても切れない関係になれば、人権問題をめぐる対立はある程度回避できるという見通しを持つようになる。江沢民政権が政治体制の違いを超えた「共通利益」をさかんにアピールするようになった背景には、こうした打算が働いていた。
P.232
経済発展によって中国の中間層が拡大しているにもかかわらず、日米が期待したような「変化」は発生していない。中国で富裕層や中間層の仲間入りをした人々は、共産党の一党支配体制に起因する極めて特殊なビジネス環境で経済的ステイタスを上昇させたので、民主化の旗手になるよりも共産党の支配体制を擁護する傾向が顕著である。
P.235
当時の江沢民政権が広めようとした「和平演変」という情勢認識は、だいたい以下のような内容のものであった。
「米国を筆頭とする西側陣営は、七〇年代以降、経済や文化といった手段を用いて中国社会の価値観を動揺させ、知識人や学生、そして一部の共産党幹部を扇動して中国における社会主義体制の瓦解を画策してきた。それが成功すれば、中国の西側陣営への経済的・文化的・政治的隷属は避けられない。天安門事件は、まさにそうした西側の陰謀によって発生した『反革命暴乱』であり、鄧小平および解放軍の英���たちがそれを決然と鎮圧して中国を救った」
八九年以降の「和平演変」論は、このような形で共産党自身が招いた社会主義融解の責任を西側諸国に押しつけた。(中略)「共産党VS民間社会」という国内対立の構図を「オール・チャイナVS西側諸国」という国際対立の構図にすり替える狙いがあった。
そのような単純な責任転嫁や問題のすり替えが共産党に不満を持った知識人や学生に通用するとは考えにくい。しかし、共産党が「和平演変」を掲げ、「民主化」要求をおこなう人間を「西側の手先」「売国奴」「社会主義の敵」「反革命」とみなす立場を公にしている状況下では、「民主化をとなえ続けることが容易ではなくなる。(中略)普遍的価値感を共有できると表明する中国国内の知識人が、共産党からの威嚇、強制、懐柔によって口封じをされていくなかで、「和平演変」論の世界観、すなわち日米欧は中国の体制転覆を目論む警戒すべき相手であるという認識が中国言論界の基本的論調となるまでにはそれほど時間を要しなかった。
P.240
共産党は、過去の侵略によって中国社会が受けた心的外傷を癒そうとするのではなく、それを敢えて意図的に刺激し、かつて中国社会に物理的・心理的傷を与えた国々がもう一度それを繰り返そうとしているというフィクションを中国社会に信じ込ませようとしたのである。
九〇年代以降の米国や日本との外交面での一連の衝突は、結果的にこうした対外認識の補強材となった。中国国外に警戒を必要とする潜在的な脅威が依然として存在するという対外危機感を接着剤として「官民融合」を図ろうとする九〇年代以降の「中華民族」ナショナリズムの鋳型は、こうしてできあがった。
P.247
党とのコネを持たない民間出身の企業家が事業を発展させることは至難の業である。そもそも党が支配する国有銀行の融資の実に七割前後が国有企業に回され、残りの三割も党とのコネによって左右されるので、銀行から融資を受けることからして楽ではない。
このため、民間の企業家は、少しでも不利な立場を克服するために、党とのコネ作りに多大な投資(賄賂)を余儀なくされた。やがて、党の後ろ盾を得るための一手段として共産党に入党する民間企業家も現れるようになる。また、成長著しい民間企業に目を付けた地方党委員会が、その企業内に党委員会を設置するよう働きかけ、企業内党委員会をつうじて経営に介入し、会社の利益に手をつけるパターンもみられるようになった。
こうして共産党は、獲物に絡みついた蛸のように、「民営化」・「自由化」の進んだ市場から富を吸い取る触腕と吸盤を増殖させ、中国経済は、権力との癒着の度合いを一段と強めていった。
P.290
米国との関係が悪化した八〇年代末の時点での解放軍の水上艦艇と潜水艦は、いずれも五〇年代のソ連の技術にもとづいて建造された時代遅れの旧型艦であった。また、その乗組員の大多数は、遠洋航海の経験がなく、専門技能の水準が極めて低かっった。(中略)九〇年代を迎えた時点における解放軍の空軍の状況も、海軍に劣らず悲惨であった。こちらも数だけは立派で、航空機の数は四千機を超えていた。しかし、そのうちの三千機は五〇年代にソ連で開発されたMiG-19を中国国内で生産したj-6戦闘機が占めて���た。(中略)解放軍の空軍は、もともと国民党軍から投降したパイロットを含んでいたが、そうしたパイロットが戦闘機ごと台湾に亡命するのを防止するために、空軍では政治教育が重視されたうえ、パイロットの飛行時間や飛行空域も大幅に制限された。これではまともなパイロットが育つ余地がなかったのも当然といえよう。
P.325
解放軍の戦力は、米国とその同盟国から成る戦力と真っ向から対決するのにはなはだ不十分であっても、威嚇・恫喝・牽制の手段としての効果はそれなりにあるので、共産党としてはこれを使わない手はない。
P.334
幾千万ものマオタイ酒による乾杯を伴った対話や交流を地道に続けてきたにもかかわらず、日中両政府間の「信頼醸成」は依然として低い水準にとどまっているのであり、日中両国の民間社会にたちこめる相互不信の瘴気も薄らぐ気配をみせていないのである。(中略)四十年以上にわたる対話を経てなお「信頼醸成」がかくも低い水準にあるという現実について考える際、やはり中国共産党による言論統制や宣伝工作が日中間の意思疎通を大きく素材してきたことは否めない。(中略)共産党が他国の本音を遮断する防音壁のなかに閉じこもり、自作自演のフィクションに浸っている間は、「信頼醸成」の大幅な進展を期待することはできない。