紙の本
まったく権威主義者ってのは・・・という気持ちになった。
2017/12/01 00:01
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投稿者:色鳥鳥 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は、類人猿も後姿だけで個体を識別する、という論文でイグ・ノーベル賞を受賞している。人間だけが特別、とする考え方に疑問を投げかける1冊。
ワタリガラスは、集団の上位に位置する個体が弱っているような声を合成して聞かせると、彼の地位を案じ、心配そうにするらしい。また、オスのチンパンジーは権力争いをする時だけ、赤ん坊を抱っこしてみせるらしい。彼らは本当に人間より愚かしいのか?
そもそも、彼らの知能を測る時、人間の知能を測るようにするのは間違いで、彼らの文化を理解し、本能をさえぎらないよう、慎重に行わなければならない。なぜならば、彼らは人間ではない。そして、すべての生物のうち、人間が特別だと考えるのは多分人間だけなのだ。(あ、あと犬も、かな?)
子供の頃から疑問だったことにはっきりとケリをつけてくれてスッキリした。良書。
紙の本
動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか
2017/09/30 07:13
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:お勉強大好きベロ君!! - この投稿者のレビュー一覧を見る
人間の傲慢さや欲が如何に危険かを問われる一冊ですね
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言語の最大の利点は、時間と場所を超えてものごとを伝えられること。その時、その場所にいなくとも、そこで起きたことを他者へ伝えることができる。自ら体験したことではなくても、他者から伝えてもらうことでその知識を拡大することができる。
リスが人間のように10まで数を数えることができないからといって「人間はリスよりも優れている」と云えるのか?
リスは生存するために10進法を知る必要がないのであって、むしろ生存に必要のない余計なことにエネルギーを割くことは害なのである。
冬眠前のリスは森の地面のあちこちに穴を堀り木の実を埋める。その数を千を超えるという。人間にはとてもリスの真似事はできない。
大学院生や初学者向けとあとがきで訳者は書いていたし、比較的やさしい文体で書かれていたけれど、それでも文系人には読みづらかった。
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動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか フランス・ドゥ・ヴァール著 内的な世界知る科学的態度
2017/10/7付日本経済新聞 朝刊
オランウータンにねじ回しを与えると、その使い道がわかるばかりか、飼育係がいないときに檻(おり)のボルトをはずし、はずしたボルトが見つからないように隠しながらゆっくりと作業を続け、やがて脱走するという。この手の逸話は、動物の研究者や動物園の飼育係の間では数多く知られている。
こんなことをするには、どんな能力が必要だろう? 檻の構造と道具の機能とその使い方、飼育係の行動の予測、将来の計画などなど、いろいろなことがわからねばならないはずだ。それができるなんて、オランウータンは人間と同じくらい賢いのだろうか?
カラス科の鳥も負けてはいない。膨大な数の木の実を隠し、その隠し場所を正確に覚えている。ほかのカラスに隠したところを見られたときには、彼らが見ていない間に隠し場所を変えるのだ。
著者は、長らくチンパンジーなど霊長類の行動と認知の研究をしてきた第一線の研究者である。本書には、著者自身の研究のみならず、イルカや鳥や魚やタコにいたるまでの様々な動物の行動とそれを支えている認知能力について、興味深い実験結果がいっぱいつまっている。それらに驚き、感心し、笑っているうちに、読者は深い疑問と向き合うことになる。
動物の内的な世界を、私たちはどうやって理解できるのだろうか? 動物もいろいろなものを感覚し、いろいろと「考えて」行動している。人間とは異なる種に属する生物の内的世界を知るには、私たちも常識を捨てて工夫せねばならない。果たして、私たちはそれができるほど賢いのだろうか。
著者が属する西欧の文化では、人間と他の動物を峻別(しゅんべつ)し、人間だけが特別に賢いとする考えが染み付いている。他の動物に高度な能力が見つかると、まずは信用されない。それが否定できなくなると、今度はその能力自体の定義を変えて、人間だけにあてはまるようにする。そんな西欧文化の態度に業を煮やした著者が、それは科学的な態度とは言えないだろうと、挑戦状を突きつけている。
日本文化はそこまでではないと思うのだが、カラスやゾウの「考え」がどうやったらわかるか、あなたも挑戦してみるとおもしろい。結構、難しいですよ。
原題=Are We Smart Enough to Know How Smart Animals Are?
(松沢哲郎監訳、柴田裕之訳、紀伊国屋書店・2200円)
▼著者はエモリー大教授。
《評》総合研究大学院大学学長
長谷川 眞理子
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『私たちは人間をあらゆるものの尺度とするのではなく、他の種をありのままのかたちで評価しなければならない』
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門外漢なので一つ一つの話が初めて聞く話が多く非常に興味深かった。
人間の病気、障がいなどの医療分野、人工知能分野など、生物の世界を知ることで人間をより深く知れるのではと期待が膨らむ名著である。
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個人的な話で恐縮ですが、昔、実家に室内犬がいまして。
ある日、母が鍵を忘れたまま外出して、帰ったら先に帰った祖父が鍵を閉めていて家に入れず、呼び鈴を鳴らしても耳が遠い祖父には聞こえず、さてどうしようとなったら室内犬が扉越しに吠えていて、「たすけてー」と母が言っ(てみ)たら犬が祖父を呼びに行き、玄関まで連れて来て事なきを得た、なんていう話がありました。
こういうエピソード、結構ありふれてますよね。その割に動物の知性が認められていないのは、なぜか。人間側の姿勢に問題があるんじゃないのか。本著では、霊長類研究の第一人者がそれを紐解いていきます。
動物の言語理解能力については、ボノボが(表情で読み取られないよう)顔を隠した人間から「鍵を冷蔵庫に入れて」と言われて見事に遂行した事例なんかが紹介されています。他にも、忖度もする。文化やファッションもある。政治だってある。
それらを人間が素直に受け止められていないのは、固定観念とプロトコルの問題で、特にプロトコル…と私はざっくり表現していますが、本著では動物の立場からの視点を「ウンヴェルト(環世界)」と呼んでおり、早い話が動物と人間の間では同じ物にアクセスする時でも使う感覚(視覚とか嗅覚とか)からして全然違ったりするよね、という話で、肯かされました。
しかし、馴染みのない分野であることもあって、あんまり読み進まず。文章はそんなに難しくないと思ったんですが。。なんかビックリするくらい頭に入ってこず、おかげで読了するのに結構時間がかかりました。
とは言え内容的には動物って凄い的な事例が並んでいて、そこをトリガーに話が進んでいくシンプルな構成です。進化認知学というモノの概要を知るには良い本だと思います。
そこを下敷きにそれ以上の学びを得るというものではなく、タイトル以上でも以下でもなく、少し冗長なようにも感じました。
ちなみに、本文中に「奇妙奇天烈な結論」という表現があったのですが、原著ではどんな表現なんだろう。。本文中に誤植が2箇所あったのは残念。
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動物の認知能力関する本。動物には人間のような認知能力は無く条件反射で行動しているとする派、動物にも認知能力がある派があり筆者は後者の創始者に近い。初期にはずいぶん批判されたらしい。ポイントは実現のやり方にある。人間的な認知能力を測るために人間向けのテストをしても、動物は各々感覚器官や作用器官が、その人間向けのテストに最適化されておらず不利な結果が出る。動物が感じている世界に合わせれば興味深い行動を認知的に捉えることができる。
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研究者はどんな動物をテストするときにも、前もってその動物の典型的行動を知っておく必要がある。(p.32)
飼育下でチンパンジーが道具を使うのが何度も観察されたあとでは、野生の世界でチンパンジーが道具を使うのを目にしても別に意外ではなかったかもしれないが、その発見はきわめて重大だった。それは、人間の影響のせいにできなかったからだ。そのうえ、チンパンジーは道具を使ったり作ったりするだけでなく、互いに学び合うので、世代を経るうちに道具を改良することができる。その結果は、動物園のチンパンジーで見られるどれよりも高度だ。(p.106)
人間はは他者の言い訳に注意を向け、ボディランゲージは無視してしまうが、動物は違う。彼らにとっては、ボディランゲージこそが唯一の手がかりだからだ。彼らはボディランゲージを読み取る技能を毎日使い、その技能を洗練させ、手に取るように私たちの心を読むようになる。失語症病棟の患者たちについてオリヴァー・サックスが語った話が思い出される。彼らはロナルド・レーガン大統領の演説のテレビ中継の最中に、身悶えしながら笑いだした。失語症の人は言葉を言葉として理解できないので、表情とボディランゲージを通して話の内容を追う。彼らは非言語的な手がかりに一心に注意を向けているので、嘘に騙されることがない。その場に居合わせた他の人には大統領の演説はごく普通に見えたが、大統領は人を欺く言葉と声の調子を狡猾に織り込んでいたので、脳に損傷を負った人たちだけはそれを見抜けたのだとサックスは結論した。(pp.150-151)
人類についての論理はそのままチンパンジーにも当てはまる。彼らも単独で近隣の群れの個体に攻撃を仕掛けることはほとんどない。そろそろ私たちも、チンパンジーの真の姿を認めるべきだ。集団内における揉め事を難なく抑え込める、集団行動に長けた存在だ、と。(p.257)
もとを正せばすべては、「野生の」動物と「文明化された」人間という二分ほうに行き着く。野生であるとは、自制心がなく、正気ですらなく、抑制が効かないということだ。それに対して、文明化しているとは、礼儀をわきまえて抑制をきかせることであり、人間は自分にとって好都合な状況下でそれができる。人間の人間たる所以に関する議論の背後には、ほぼ必ずこの二分法が潜んでいる。だからこそ、人間が望ましくない振る舞いをすると、私たちはその人を「動物」呼ばわりするのだ。(p.292)
すし職人の修業の実態がどのようなものであれ、肝心なのは、熟練したお手本を繰り返し観察すれば、見る者の頭には一連の動作がしっかり焼き付けられ、同じ作業を実行する必要が生じたときに、それが役に立つということだ。(p.339)
私たちは自らの研究に生態学的な妥当性を求め、他の種を理解する手段として人間の共感能力を奨励したユクスキュル、ローレンツ、今西の助言に従っている。真の共感は、事故に焦点を合わせたものではなく他者志向だ。私たちは人間をあらゆるものの尺度とするのではなく、他の種をありのままの形で評価しなければならない。そうすることで、今の時点では人間の想像を超えるものも含め、必ずや多���の「魔法のイズム」が見つかるものと私は確信している。(pp.359-360)
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ドゥ・ヴァール氏の本はとてもおもしろい。今回のテーマは「知能」で、専門の霊長類から鳥、イルカ、ハチ(顔認知)、タコの知能までが幅広く面白く書かれており、きちんと基礎となる研究の参考文献をあげており、いいかげんな「ポピュラー・サイエンス」の本ではない。
この本の要旨は、知能は環境に適応する進化のなかでかたち作られ、人間の知能が最終形態ではなく、知能は動物にもきちんとあり、それはそれぞれの生態に特化した「知るべきことを知る」ものだということだろう。そして、これを記述していくのが、著者の提唱した「進化認知学」なんである。
人間は自分たちを「万物の尺度」と考えてきた。動物行動学者もこれを脱していない場合があり、サルに人間の顔を見分けさせようとして成績が悪いと考えたり(チンパンジーにチンパンジーをみわけさせるとずっと成績がよい)、木の上に暮らすテナガザルに地面でものをたぐりよせる作業をやらせて、道具がつかえないと結論したり、ゾウの鼻に棒をもたせようとしたり(鼻孔がふさがるのでやりたがらない)と、いろいろと勘違いをしてきた。しかし、動物に共感して、その動物の生態に即した調べかたをすれば、動物にはすばらしい知能があるとわかるのである。
20世紀はスキナーらの行動主義の影響で、動物の認知を扱うと異端だったのであるが、近年は動物の認知を堂々と語れるようになったそうである。「暗黒時代」は中世だけとは限らないのである。
日本の今西錦司が提唱した「動物に文化がある」という理論も高く評価されている。
第六章の社会的知能については、前著のくり返しの部分があるが、メタ認知(動物が何を知っているか自分で知っていること、とまどいや情報の補充の行動にみられる)のところは面白かった。
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著者が「私たちが目にしているのはありのままの自然ではなく、私たちの探求方法に対してあらわになっている自然にすぎない。」Werner Heisenberg(1958),p.26 と引用しているように、動物の知能を図る実験は人間の価値観に基づいていてはならない、というのは人間同士のコミュニケーションにおいても大切な心得だろう。
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フランス・ドゥ・ヴァールによる動物の意識や知性についての一冊。結構なボリュームだが全くダレずに読み終えた。
仲間の顔を見分けるハチ、腐った食べ物を「怒って」人間に投げつけるタコ、人間よりも早く状況を認識するチンパンジー。人間は特別な「知性」を持った動物で、ほかの動物は違う、というのはハイエクの言葉を借りれば「致命的な思い上がり」に他ならない。
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秀逸なタイトルだと思う。本書の主眼は、動物にはそれぞれの「ウンベルト」があり、それゆえ動物それぞれの特性を理解しなければ、その世界を理解することはできない、ということにあると思えるからである。そして、このタイトルは、それを探求していく進化認知学という著者が提唱する学問の方法論を見事に表現している。なぜ、チンパンジーが人の顔を見分けるテストを行うのか、チンパンジーの顔を見分けるテストを行うのが本来ではないのか?というわけである。本書で紹介されている動物たちの生態が興味深いのはもちろんだが、いったい、人間はどうすれば動物たちそれぞれのあまりにも異なる世界を把握できるのか、学問の進化としても大変に面白い。進化ということを考えたとき、人間だけが特別ということはないし、すべての種が必要な進化を遂げて環境に最適化している、という視点はとても重要に思える。
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ぼくは動物は、少なくとも哺乳類は、それなりにものを考えていると思っている。当然感情も意思もあるし、個性もある。ペットの犬や猫と一緒に一緒に暮らした経験を通して、それを疑う理由はなかった。人間に比べればバカだなあ、単純だなあと思うことはあったけれど、それを言うなら連中だって人間を見て、足遅っ、とか、ネズミも獲れないんだ、と思っているだろう。逆に言えば人間と、人間以外の動物の違いはその程度だ。程度の違いであって、質の違いではない。
だから猿が芋を洗う、カラスがクルミを道路に落として車に割らせる、と聞けば、へー(思っていたより)頭いいんだ、とは思うが、意外だとは思わない。群れで暮らす猿や狼やイルカたちは、言葉に代わる方法でコミュニケーションを取ってて不思議はないと思う。人間ができることを、動物がやってはいけない理由はないだろう。
ぼくはずっと、ほかの人もそう考えているだろうと思っていたのだが、欧米の動物学の本を読んでいると、たまにどうもそのあたりの出発点が違うんじゃないかと思うことがある。デカルトは動物には魂(?)がなく、自意識もなく、単に刺激に反応しているだけである、という説を唱えたらしいが、ひょっとしたら未だにそういう見方が基本にあるんじゃないだろうか。だからこそ科学的に動物の振る舞いを調べる方法論が発達したのかもしれないけれど。
本書はつまらなくはないのだけれど、動物にも当然知的能力があるよね、と思っているぼくのような読み手にとっては、驚きはあまりない。
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進化認知学:人間とそれ以外の動物の心の動きを科学的に解明する学問を一般向けに教えてくれる本。著者は動物行動学の権威である。
いわゆる「動物」が、人間に劣らない認識力や文化さえ持っているのは、NHKの「ダーウィンが来た」とかを見ていると「当たり前じゃん?」くらい思うことなんだけど、まあ、そう思うのはただのイメージにすぎない。
そこに、本当に科学的な知見を与えてくれるのがこの本で、これまでの「動物は人間より劣るもの」という理解に一石を・・・いや一鉄槌を投じるものである。
話はすごく面白い。
例えば人間は、象やチンパンジーの知能を量るために、棒を持たせたり失敗した時のペナルティを課したりする実験を行い、上手く行かないからと言って「劣」のレッテルを貼ったりする。
しかしもともとそれらは、彼らの関心や生活実態にない道具なんだから、使いこなせなくて当然なのである。つまり実験とか言いつつ、所詮は人間の尺度、上から目線に過ぎないのである・・・云々。
すごく面白いんだけど、うーん、翻訳が非常にまずい。逐語的には正確なのかどうか、全然意味が伝わって来ない悪文のオンパレード。いかにも、内容をまったく理解していない訳者と、この本を読んで学ぼうかという読者のことをまったく考えていない監訳者の共同作業といった趣である。訳者は類書をいくつも翻訳しているので、内容を理解していないというわけではなさそうだけど。(監訳者は「非常に読みやすい訳」と評価している)
翻訳のまずさがわかるほどオレは日本語ができるのか、という辺りは内緒で・・・。