紙の本
特攻と悪質タックル問題には共通した背景があるのでは…と認識させられる1冊
2019/02/04 17:49
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投稿者:YK - この投稿者のレビュー一覧を見る
出版されて気にはなっていながら手には取っていなかった本だったのですが、日大アメフト部のタックル問題の際、選手側のコメントとして「指導者の言うことを妄信し、深く考えることなく実行してしまった」というコメントを聞いて「これって、戦争中の特攻を命じた上官と搭乗員の関係と似ているんじゃないか」と思い、読んでみました。
著者がインタビューした搭乗員の方は特攻で1度だけ敵にダメージを与えるよりも、生還して何度も出撃し、爆弾を敵に命中させる方が理にかなっていると考え、それを行動に移します。既に内地へは著者が戦死したと報告を入れてしまっていた上官は「(お前は死んでいることになっているのだから)次こそは必ず死んで来い。必ず体当たりをして来い。」と命じます。アメフト問題で監督・コーチが試合前に選手に言った「(相手QBへのルール違反であるタックルを)必ずやらなければ意味ないよ」との発言と構図が非常に似ていると感じます。
国とか会社や学校など、いろんな規模の組織に属して生きていくことが求められる私たちにとって、命じる側、命じられる側どちらの立場にとっても考えさせられる内容の1冊でした。
紙の本
前半は殆ど他書の要約、タイトルも疑問
2022/08/20 11:21
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投稿者:Haserumio - この投稿者のレビュー一覧を見る
高木俊朗の『陸軍特別攻撃隊』を読んでしまってからのせいもありますが、同書を読んだ後では、正直、本書は気の抜けたサイダーを飲んでいる感じがしました。第2章は同書に記された佐々木友次伍長に関する要約で、付加情報(例えば、跳飛爆撃封殺のための近接信管(VT信管)の使用(238〜9頁)など)も入っていますが、これを読むならやはり同書そのものを読むべき。(陸軍特攻の全体像が相互に連関する多くの当事者の動静・心情と併せて理解できる上に、込められた(抑制されているが故により迫力を感じさせる)義憤のほとばしり方のレベルが違う。)あと、タイトルの「不死身の特攻兵」だが、これは最悪。佐々木さんは「寿命」(199頁など)という言い方をしているが、特攻兵そのものが「不死身」であるはずもなく、むしろ他律的に生死の狭間に置かれた繊細かつ煩悩(苦悩)に満ちた存在であることを考えれば、「不死身」という表現もまた唾棄すべき「美化」「賛美」の作用(記号的価値)を期待してのものと思える。売らんかなということで編集者が案出したものと推察するが、これほど本書(の内容と精神)にそぐわないタイトルもない。
(東久邇宮稔彦王(首相)の「一億総懺悔」発言について)「「命令した側」と「命令を受けた側」をごちゃ混ぜにした、あきれるほどの暴論です。どんな集団にも、リーダーと部下がいて、責任を取るのは、「その指示を出したリーダー」です。その指示に従った部下まで責任を取るのなら、「責任」というものは実質的に無意味になります」(228頁)。
「フィリピンでは、まさに「特別」の攻撃だった体当たりは、沖縄では、「主流」になります」(230頁)。
「兵学校や士官学校を出ていない古参下士官達は、「俺を特攻隊に選んだら許さんぞ」と放言して牽制した者が多かったと言います。任命する上官達も、ベテランのパイロットは、本土防衛のために温存しておく必要があったのです」(235〜6頁)。
「命中率がもし高くても、破壊力は意外なほど低いこと・・・。特攻はただの一回だけです。ただの一回の命中率と、体当たりしなくて何回も出撃した場合の、急降下爆撃の命中率を比べることは不可能です。たとえ、急降下爆撃の命中率が低くても、複数回出撃し、複数回爆撃した時の命中率が、たった一回の体当たりの命中率より低いと、誰が断言できるでしょう。それは、まさに、戦術の放棄であり、統率の外道となります」(245〜6頁)。
「昭和天皇は好戦主義者ではなかったが、平和主義者だったということもできない。昭和天皇が大切にしていたのは、『皇統の継続』で、それがあらゆる判断に優先した」(251頁、保阪正康氏の言)。
「特攻が続いた ・・・ 主要な理由のひとつは、「戦争継続のため」に有効だったからだと、僕は思っています。戦術としては、アメリカに対して有効ではなくなっていても、日本国民と日本軍人に対しては有効だったから、続けられたということです」(257頁)。
「私は箱根の上空で(零戦)一機で待っています。ここにおられる方のうち、50人が赤トンボに乗って来て下さい。私が一人で全部たたき落としてみせましょう」(264頁、美濃部正少佐の言)。
「けれど、それが、地震や台風、大雨、日照り、津波などの災害なら、人はそれを受け入れるしかなくなるのではないかと思うのです」(277頁)。
以上、いろいろ書きましたが、本書の中身そのものはもちろん良著に相応しいもので、読むに値することは論を俟ちません。『陸軍特別攻撃隊』は本書の刊行により復刊されたものと思いますが(26頁参照)、そのいわば「副読本」(?)としてもお薦めの一冊です。
電子書籍
日本と日本人を見つめ直す企画
2018/05/31 22:07
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投稿者:k - この投稿者のレビュー一覧を見る
全くの偶然である
本電子書籍を「クール・ジャパン!? 外国人が見たニッポン」と同時に購入した
著者が同一だとは全く予想だに知らなかった
本書はそのタイトルのみで購入を判断した
本書の大部分はその記述の対象となる元特攻隊員佐々木友次氏の生涯と
全9回に渡る特攻の様子をつぶさに著している
特攻という行為を語るには「命令する側」と「される側」に分けることが本質的に重要である
と著者は主張する
その上で特攻という行為を「命令された側」の立場から
著者の論拠とする「世間」と「社会」という土俵で分析する
特攻の真偽を議論する上で「傍観者」という立場も加わるという
本書の中で特攻を描いた多くの著作が紹介される
そのほとんどを読んでいる自分に気づかされた
やはり、自分自身も特攻という行為を
日本と日本人について再考するための一つの「窓」と捉えているのであろう
「クールジャパン」に対するレヴュータイトルと同じタイトルを極自然に選んでいた
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投稿者:なま - この投稿者のレビュー一覧を見る
特攻隊に関する本は、心に訴えるものが多い。若者が、どういった精神状態で死んでいったのか、それを理解することは無理だろう。しかし、状況を理解することは必要なことだと思う。
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あの時代こんな人がいたのだな。私だったらまかれているな。現代でも巻かれているもの。。。
いろいろな立場から戦争を考えることができ勉強になった。これは現代、会社でもあてはめて考えることができるなあ。ざっくり読んでしまった。また時間を見てじっくり読みたい。小説も!
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特攻命令はパイロットたちの自尊心を傷つけた。自爆攻撃は自らが研鑽を積んできた技術を無意味化するからである。本書の主人公である方もできる限りの抵抗を試み、そして生還する。
鴻上氏が「不死身の特攻兵」であった老人に聴き取りをおこないえたのはまさに偶然のことであったが、この貴重な聴き取りは私たちに貴重な教訓を示している。
やや後半冗長な感がしたので★ひとつ減じたが、読まれるべき一冊。
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読むのがとまらなくなる内容でした。
第2章は初めて知ることばかりでした。
特攻のリアル。「命令された側」の人たちのリアル。
ギリギリの選択。その先の現実。
第3章のインタビューは、インタビュアーの心の震えが伝わってくるようなやりとりに感じられました。
多くは語らない、けれど信念のある人の言葉。
特攻のリアルを経験された方の言葉。
読み進むにつれてため息が、言葉にならない言葉がため息となってこぼれてくるインタビューでした。
第4章は、熱を感じる文書でした。
「命令する側」「命令される側」そして「傍観者」。
饒舌な傍観者と、閉ざされてゆく当事者の言葉。
立場を分けて論じることの必要性に胸を刺される内容でした。
どのような意思を持つ人が、どのような状況の中で、どのような選択をし、そしてどのような結果を引き受けてきたかが描かれています。
読みたくて読んで、そして読んでよかったと心から思えた一冊でした。
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9回出撃して生還した特攻兵、と聞いて、9艦撃沈かと思ってたが、そんなことはなかった。実際に、爆撃に成功したのは一艦だけ。
だがまさに、特攻というもの、それがなんであったかを知る良著。
著者が実際にこの特攻兵にインタビューしてる内容は、残念ながら本としてはさほどインパクトがあるわけではないが、取材の中から浮かび上がって来た、特攻というものの意義を問う。
命令する側が命令される側を語るな。
いわんや、自分をそっち側と同一視するな。
なぜ、こんな異常な事態が、効果がないと判っていながらやめられなかったのか。いろんなことが見えてくる。
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こんなことが戦争中,しかも特攻作戦の中であったということになによりも驚いた。死ぬことの意味,組織の不合理,空気,それへの抵抗などなど,いろいろなことを考えさせられる。
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理不尽な体当たり攻撃の命令に背いて、最後まで「敵艦船に爆弾に落とす」という信念を貫いた佐々木友次さんの物語とインタビュー。
著者の鴻上尚史さんは、「自分のやっていることが正しいと信じて上官の命令に逆らい続けることができたのはなぜか?」という観点から、佐々木友次さんにインタビューしている。パイロットしての長い時間飛び続けたからこそ、自分のパイロットとしての腕に自信があるだけでなく、体当たり攻撃の難しさと効果の低さをわかっていることがあった。それでも生還するたびに罵倒され続けるのだから、自暴自棄になってもおかしくなかっただろう。その中で自分を保てたのは、そんな極限の状態でも、佐々木さんは飛ぶことが好きだったということも一因だということに驚く。
本書は著者、鴻上尚史さんの考察で結ばれる。なかでも↓このくだりは、日本人の本質的特性を表している。
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「命令した側」からすれば、「世間」の「所与性」とは、「現状維持が目的」ということになります。ずっと続いていることを、無理に止める事はない。自分はそれを止める立場にはない。そもそも続いていることは、止めることより、続けることの方が価値があるのだ、という思い込みが「所与性」の現れです。
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鴻上さんは、高校野球を炎天下の時期から見直そうとしないことも、自衛隊が隊員に行った南スーダンへの駆けつけ警護への参加意思アンケートで「行かない」と回答した隊員への詰問も、特攻を命令した側の論理と同じだと説いている。
戦中と同様の不条理・不合理なことの所与性が、戦後の今も日本中の至る所に残っている怖さと、いつの時代でも不条理・不合理こそが本当の戦うべき敵だということを痛感する。
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特攻兵のはなしは美談となりやすいが、当時の本当の気持ちを素直に表現されている。正しい歴史を伝えるためにも多くの人に読んでもらいたい良書。
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永遠のなんとかでパクリ疑惑を指摘され「史実をパクリようがない」と開き直ったハゲがいたがそんなことを知ってか知らずか「史実はこう書き残すんだ」と我らがアニキがやってくれた。
構成は九度も生還した特攻兵を記録から準拠した一部、戦後70年の沈黙を破ったインタビューの二部、そして命令する側される側とあらゆる角度から見た特攻の本質の三部から成り立つ。
神と崇められて散った者が英雄でなく国賊と罵られ生き残った者がヒーローでもない、特攻という狂気の是非を問うことは死者への冒涜…このスタンスを守るか否かで内容は大きく変わる。
鴻上作品なら大丈夫である
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非常に興味深い本だった。
学生時代から教えられた特攻隊は、お国のために笑みを浮かべながら戦闘機に乗り込んでいったということ。
ところが、それは「命令した側」の残した歴史であり、「命令された側」は気が狂いそうになるほどの葛藤・虚しさ・怒りを覚えていたという真実があった。このような当たり前といえば当たり前のことが、特攻隊で生き残った方へのインタビューを通じて描かれている。
同じ物事でも見方によっては、光にもなれば影にもなるということだろう。
また、印象的だったことの一つに、大学生のような教養のある特攻隊員ほど、特攻への批判があったということ。
特攻隊という「世間」の中でも、しっかりした知識があれば、物事の表と裏も見抜けるということを如実に表しているように思う。
日本という社会は(もしかしたら、世界でもそうかもしれないが)、とかく空気を読み、それに流されがちである。
しかし、そのような空気が必ずしも正しいとは限らない。やはり、大切なのはしっかりとした知識を身につけ、自分の頭で考えられるようになることなのだろう。
最後に、もっとも印象的だったのは、精神を語りリアリムズを語らなかった軍の上層部達。
鴻上氏も記していたように、精神を語り、リアリズムを語らないのがもっとも楽なマネジメントである。しかし、それは同時にマネジメントを放棄していることに他ならない。
現状をしっかりと把握して、苦しみながらも自分の中で分析を行い、リアリズムをもって論理的に部下を導くことが、マネジメントにおける最も大切な要素なのだろうと感じた。
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非常に示唆に富む内容でした。
日本型組織の「病的部分」に関して、いかに立ち向かうのかということを、
教えてくれる良書になっていると思います。
改めて、以前の旧日本軍の組織論理、日本人の思考方法が、
如何に合理的ではなく、個人を犠牲にして、「組織の存続だけを目的」にすることがわかります。
この著作は、戦中の話しですが、今の日本の状況を考察する上で、非常に役立つ視座を与えてくれます。
最近ふと思うのは、特攻をしていた時とは、時代背景も、日本の置かれた状況も、国力も違いますが、
今、日本は「戦時下」にあるんじゃないかと。
また日本は再度、無謀な「戦争」へと突入しているんじゃないかと。
以前の戦争は「敵]がいましたが、今回の戦争は、「敵」がいません。
今の「戦時下」という状況は、以前と様相がかなり違います。
以前は、ABCD包囲網より、物資がありませんでしたが、
今は、外国に依存しながら、物資があります。
しかし、多くの人が「何か」が足りないと感じています。
以前は、みんな貧しく、国から好き嫌い関わらず、
団結するように強制されましたが、
今は、国民間で経済的かつ心理面での2極化が急速に進み、
もう互いに助け合うことも、繋がることも、団結することもできなくなりつつあります。
以前は、国のために命まで捧げていましたが、
今は、自己利益のために、他人の命を犠牲にするようになっています。
このあまりに違う「二つの戦時下」ですが、方向性は以前と同じように日本の崩壊です。
日本は、着実に崩壊へと向かっているんじゃないかと。
以前は、300万人以上のおびただしい犠牲者を出しましたが、
今は、生きていることに絶望感を感じている人がどんどん増えていっています。
黒船来航から日本は外部からの圧力により「変化」せざるを得なくなりました。
日本は自力で「変化」するのを得意としていません。
かならず、外部要因で「変化」する国です。
日本は、明治維新を経て、日清、日露戦争に突き進み、絶望的な太平洋戦争に、
進みました。多くの人が、あの戦争に反対しました。
なぜなら、「必ず敗ける」と、多くの首脳部が知っていたからです。
そして多大なる国民の命と財産を犠牲にして、
再度外部からの強制的圧力で日本は「変化」しました。
今、日本が最後に「変化」してから、70年以上経ちました。
そして、最近再度「外部圧力」が起こりました。
東日本大震災による福島の原発事故です。
原子力発電は、戦後日本の経済発展と技術の象徴です。
その象徴が実は国民の安全と生活を脅かす、凶器とわかりました。
この「原発事故」が、日本にとって、「変化」する機会でしたが、
どうやら、日本はもう「変化」できないのかもしれません。
それは、自力で「変化」することを、
日本人は、絶望的に得意としていないからです。
それは、端的に言えば、「変化」することが、怖いからです。
日本は今「戦時下」にあるような感じがします。
行先は、国の破綻です。
「そんなことはない!」と言う人は、
多くが自己利益のため「だけ」に発言しています。
歴史を振り返るのならば、
日本人は、再度、「外部の圧力」が訪れることを、
黙って待つしかないのかもしれません。
でも、今度「外部の圧力」来るのは、いつになるのでしょうか?
それまで、この「戦時下」を耐えられるのでしょうか?
自分たちは、再度、太平洋戦争に突入しているときのように、
絶望的な状況の真っ只中にいるんじゃないかと。
その状況を、「おかしい!」と声に出すと、
それは、「言ってはいけないこと」、「良くないこと」と「自動的」に判断されます。
それは、今、日本の「空気」となっているような感じがします。
鴻上氏も、その「空気」を感じ取って、この著作を出版したように思います。
事実を事実として、発言し、客観的な分析を加えながら、意思決定をし、最適解を見つけるのは、
「変化」する上での適切な方法です。
しかし、この「方法」を行おうとすると、
以前と、同じようにように、言った人は「非国民」扱いされます。
あまりに似ている「今」と「以前」、
その「以前」を知り、そして、個人がどう対応するかを考える上でも、
この本は、非常に有益だと思います。
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始めからぐんぐんと引きつけられ、とにかく知りたい一心で読みました。
これは読むべき本です。
佐々木友次さんのお墓に刻まれた文章が心に沁みます。