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カナリア諸島への船旅 遺言1.0 広島の元宇品もとうしなの森 絶対音感を失った 喉頭こうとう 感覚所与 朝三暮四 動物はイコールがわからない イコールが生みだす「猫に小判」 等価とは「価値が同じ」ということで、交換も同じということだから、等価交換では同じが二重に使われることになる。「同じ」が一つだって動物にはわからないのだから、「同じ」が二重に使われるお金は、もっとわからなくて当然であろう。「金がすべて」という人が時にいるが、それは「すべてのものは交換可能だ」という結論になる。乱暴にいうなら、脳の中だけでいえば、すべてが交換可能である。なぜならすべては電気信号だからである。 ヒト社会は必ずしもボス支配にはならない。しかもいずれ民主主義に行き着くはずなのである。なぜなら人間は平等だからである。平等とは互いに「同じ」人間じゃないかということであり、互いに交換可能だという意味である。だからこそ逆に、SMAPは「世界に一つだけの花」と歌った。 当然が当然ではない社会 つまり違いを主張する感覚所与が排除されている社会 意識と感覚の衝突 唯脳論者 「同じ」のゴールは一神教 「象」がマンガから文字になるまで アイコンといえば温泉マーク オノマトペ=擬声語 言葉は「目と耳とを同じだとする働き」 還元論的に意識を分解していけば、そんなものは消える。そう考えてもいい。すべての細胞には「意識のもと」が含まれている。そう考えてもいい。私は正解を知らない。結論は後世に任せるしかないだろう。 芸術は解毒剤である 生前は誰も顧みなかったのに、作者の没後に売れる絵画がある。そこにはなにかの基準があるのだろうが、私には絵はまったくわからないといっていいから、その基準を知らない。ともあれ芸術であるかどうかは、相当程度に恣意的だと見做される。それでいいので、なぜなら、すべては違うという点に立脚する以上、本質的に一定の基準はないからである。 王侯貴族 音は耳だけで聞くのではない。身体だって振動する。それなら鼓膜は振動しないが、身体の別なところが振動してなんの不思議もない。これは超音波に限った話だが、じつはそれ以外に、生演奏にはなにが含まれているか、わかったものではない。意識はわかっていないことは、ないこととして無視する。そしてすべてをゼロと一にしてしまう。だから私の芸術に関する結論は簡単である。芸術はゼロと一との間に存在している。 クオリアは言語にならない。むしろ「感覚から我々が受け取るもののうち、言語化しようがない部分をクオリアという」。そう定義してもいい。既に繰り返し述べたように、言語は「同じ」という機能の上に成立している。逆に感覚はもともと外界の「違い」を指摘する機能である。そう考えれば、感覚が究極的には言語化、つまり「同じにする」ことができないのは当然であろう。そこをなんとか伝達可能にしようとする試み、それがアートだとも言える。さらにはそこにアートという行為の一過性があり、まさに一期一会なのである。鑑賞者の側からしても、同じ作品から、常に「同じ」感覚を受け取ったのでは、良い作品にはならない。 珍重される理由の根本 安心安全を旨として 脚下照顧きゃっかしょうこ トックリバチ 徳利の中には麻痺させた青虫を入れ なんのため���ヒトがイヌを家畜化したのか 鳥獣害
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なにか年を取りましたね。バカの壁興味深く読ませていただいた記憶があり、最近は「死」に興味があり、本書を読んでみることにしたが、遺言の内容では無いね。これこそ「乱暴なものいい」ではないか、紛らわしい。
出だしでくじかれたからか、内容もあまり頭に入ってこない。人間と動物との比較がどうとか。
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『バカの壁』のときは、理解できないところが多々あって、それからずーと敬遠していました。脳科学や生物学の面白い本がたくさん出て、理解が増したのか、この本は、面白く読了しました。意識についての探究と発見が進むと、もっとわかりやすくなるのでしょう。
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もっと楽しく生きやすい人生を歩むためのヒントが散りばめられているので、何かを求めるというのではなく気楽に読めばよいと思う。
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終活本と思うなかれ。感覚所与、意識と感覚の対立が語られる哲学書。はっきり言って難しいです。概要は以下参照。
https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2018/09/0902_1.html
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遺言というタイトルとは直接関連がないような
内容だと思います。
結局何を言いたいのか?少し難解な内容であった
ような気がします。ちゃんと理解できなくても
著者が一生懸命、我々に訴えかけていることだけは
わかります。
意識を研ぎ澄ませることもいいですが、感覚を
もっと研ぎ澄まして、感覚で判断することが
あってもいいのではないかということかと。
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動物の認知系統の話を軸に今の世の中に対する哲学的な内容を織り込んだ内容。単純なことだけど言われてみたら、へー。みたいな話題が多い。
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バカの壁で知られる養老孟司。
当時バカの壁は読んだけど、内容忘れてしまったような。また読んでみよう。
この、遺言。よりは分かりやすかったような気がする笑
結構難しい内容だった。
遺言だから、と思って読んでいたら、あまり遺言ぽくはない。養老孟司が常々思っている由無し事をこの際だから本にした、みたいな印象。
ヒトは動物と違って感覚所与だけで生きていない。
感覚所与から意味を持たせること、その意味だけに固執するようになってしまった。
同じとは、どういうことか?言葉は動物にはわからない。イコールという頭がないから。
などなど。頭の良い人はこんな事を考えて生きているのかと、そういう意味で勉強になったし、少しだけ知恵を分けてもらった感じ。
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この本は語りおろしではなく、書き下ろしらしい。今まで感じたり考えていた事を自由に書いている。内容は今までのものより面白さはなかった。
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とりあえず感覚器に与えられた第一印象を感覚所与という。感覚所与は「違う」けれどわれわれは頭の中でそれを「同じにする」。動物はイコールがわからない。等価交換ができない。動物は絶対音感がある。人間は忘れていくのだ。現代の若者が実際にヒトに接するよりSNSを好むのは生身のヒトは雑音を含みすぎている。都市は意識の世界であり、意識は自然を排除する。人工的な世界はまさに不自然なのである。子どもは自然である。とりあえず心に残った養老さんのつぶやきを書いておく。まあ考えてみればと言うこと。むずかしいけどおもしろかった。
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世の中にあるもの、存在するもの。当たり前に受け入れた時に、何をもって区別できるだろう。印象的なのは、雑草を草花でも余計なものと捉えると、じゃあいらないね、となっちゃうというくだり。いらないものなどない。世の中に存在するものをあるがまま受け入れることの大事さを感じた次第だ。
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2019年2冊目。
親友に勧められて年末購入し一気に読了。
養老先生の視点というか、物事の切り取り方にはいつもハッとさせられる。当たり前の中に潜む違和感に気づかせてもらうというか、自分が漠然と思ってることを言葉にするというはなんて難しいことなんだ、、と痛感する。
もちろん、「それそれ!そういうことなんです!」と代弁してもらうきもち良さというか、言い得て妙、みたいな感覚は読書の醍醐味でもありますが。
作家の確固たる知識と豊富な経験値、鋭い考察とが炸裂した刺激的な一冊であることは間違いありません。
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じじい特有の色々もうわかりあおうとするのは面倒だ、という態度が、うっせーじゃあ書くなよ本なんか、と思ってイライラする。そういう不徹底がだらしない。わかりあうのが面倒ならコミュニケーションやめればいい。
要するにただ歳とって色々面倒になっただけで、でも書きたいことや言いたいことはある。
それはそれでいいんだから、それで認めて普通に書けばいい。余計なことを言うから、いけない。余計なことを我慢するのが面倒なくらいじじいになってるんだろう。
それが老いかね。まぁ、遺言と自ら言ってるのだからそんなとこ追求しなくても?って思うかもしれないけど、そこの態度は醜悪だ。
1つ前が方丈記だったからかもしれない。方丈記にはそういう面倒な言い訳はなかった。
そういうものを抜きにして、内容は面白い。
同一性と差異、というのは、まさに人間の情報編集の基礎である。あ、これを読んだのは松岡正剛の千夜千冊に取り上げられたからだ。
そもそも養老孟司にはあまり興味がない。
バカの壁、も、読んだら負けな気がして(まったく意味のない思いですが)読んでなかった。
バカの壁を読むことにバカの壁が透けて見える。
で、同一性と差異、タルドの模倣の法則や、バーバラ・スタフォードがそのあたりの僕の文脈だけど、スタフォードが
「違う違うという時代の同じ」というような意味のことを言ってたけども、この本では、「同じ同じという時代の違う」を指摘してる。
なるほど、この同一性と差異はどこからうまれるのか
それも興味がある
スタフォードを先に読んだせいもあるが、僕は、今は違う違うという時代と感じる。
共同幻想は細分化され、個々人の関心はバラバラになる。
でもこれは、プラトンとアリストテレスがラファエロの画面で示した所作に要約されて常に問われ続けてきたことでもあるのだろう。
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1月6日 BS朝日
著者談話が話題
80歳で執筆した遺言について、養老さんが語ったことで再度話題になっています。
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「自然」と対峙する。昨年の自分と今日の自分を比べると、感覚としては少し老けたと感じる。視覚的にも体力的にも、そう違いを実感する。しかし、意識としては、同じ私である─こんなことを確かめてしまったのは、ヒトの「感覚」と「意識」の関わりについて書かれた養老孟司新刊、『遺言。』を読んだからだ。
感覚を介して観察すれば「私」は絶えず変化しているのに、なぜか意識は同じだという。意識のもつ「同じだとするはたらき」がそうさせるらしい。感覚は外界の「差異」をとらえて分け、意識は分けない「同一性」を重視する。たとえば、バナナもブドウもリンゴも感覚では別々のものだが、意識は、それらを「クダモノ」と名づけて同じにする。こんなことができるのは、意識が、感覚を「意味」に変換する「=(イコール)」を獲得したからだ⁉️動物にも意識はあるが、ヒトの意識だけが「同じ」という機能を得て、言葉や金や民主主義を生みだしたのだ。かくして、ヒトは世界を意味で満たそうと努め、それを進歩と呼んで文明社会、都市社会を創りあげた。そして今、日本は少子化に頭を抱えている東京などの人工的な大都市ほど子どもが生まれないのは、なぜか? 養老は終章で、人々が〈感覚入力を一定に限ってしまい、意味しか扱わず、意識の世界に住み着いている〉ために、子どもという「自然」と対峙する方法を忘れてしまったからだと指摘する。
80歳になった養老孟司の抑えた怒りと願いがはっきり伝わり80歳の叡智がここに!私たちの意識と感覚に関する思索は、人間関係やデジタル社会の息苦しさから解放される道となる。 知的刺激に満ちた、このうえなく明るく面白い「遺言」の誕生‼️
【目次】はじめに
1章 動物は言葉をどう聞くか
バカな犬と恩知らずの猫/動物は絶対音感の持ち主/絶対音感は「失うもの」 ヒトはノイズを求める/鳥がしゃべる証拠
2章 意味のないものにはどういう意味があるか
感覚所与とは/役に立たないものの必要性/都会は意味で満ちている 文字禍/客観的な現実なんてない/感覚所与と意識の対立/「違い」を重視する科学とは
3章 ヒトはなぜイコールを理解したのか
動物はイコールがわからない/池田清彦の挫折と復活/「朝三暮四」と「朝四暮三」は違う イコールが生みだす「猫に小判」/ヒトは他人の立場に立つことができる 世界に一つだけの花
4章 乱暴なものいいはなぜ増えるのか
「an apple」と「the apple」/日本語の助詞/中国語の特性
意識と感覚の衝突/乱暴なことをいいやがって/サル真似の根拠
「誰でもわかる」のが数学
5章「同じ」はどこから来たか
ヒトの脳の特徴と「同じ」/ヒトとチンパンジーの僅かな差異
視覚と聴覚がぶつかると/漢字と視聴覚の関係/「同じ」のゴールは一神教 動物には言葉が要らない
6章 意識はそんなに偉いのか
金縛りになる理由/臨死体験をする人しない人/脳は図書館のようなもの 意識に科学的定義はない/意識の分割
7章 ヒトはなぜアートを求めるのか
芸術は解毒剤である/征服者は世界を「同じ」にする/唯一神誕生のメカニズム コンピュータは芸術家になれない/生演奏は強い/その「赤」は同じか?一期一会のパイプ/アート���効用/建築は意識と感覚のどちらに重きをおくか
共有空間を受け入れられない人や動物/意識の集合体が都市
8章 社会はなぜデジタル化するのか
昨日の私と今日の私/『平家物語』と『方丈記』の時間/「私は私」と意識はいう 私の記憶喪失体験/デジカメのデータは変わらないのに/意識はデジタルを志向する 現代人は感覚所与を遮断する/情報は死なない/ジャンクにも意味がある あなたがあなたであることを証明してください/マイ・ナンバーに抵抗感がある理由
9章 変わるものと変わらないものをどう考えるか
変化するものを情報に変換するということ/時空はいつからあったのか 卵がなぜ私になるのか/進化の本質はズレ/メンデルの法則は情報の法則 「情報」の発見
終章 デジタルは死なない
自然保護とグローバル化/少子高齢化の先行き/コンピュータと人の競争 不死へのあこがれ おわりに