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(01)
武者小路実篤の楽観性がここでも際立っている。
「新しき村」がどのように古びていったか、100年後の現在、その村の姿は、滅びようとする寸前のようにも読者の目には映る。が、村が50周年を迎えて間もなく、武者小路は死没しており、後半の50年に武者小路自身はほとんど関わりがない。では、前半の50年にはどの程度かかわりがあったのか。
開村当初は、武者小路自身も村で過ごし、そこで作家生活も営んではいるが、それも長いことではなく、村がその生涯で生産したものに対し、直接的には百万分の一程度も武者小路の村での生産は寄与していないだろう。それであっても、「新しき村」は、武者小路の村であるともいえる。
その象徴性や理念的中心、また広告塔として、村にとって彼は必要であったし、村に対し外部的にあってこそ、それはより効果的に機能したのかもしれない。
作家にとっての村は、しかし、実験でもあったが、実験場に過ぎなかったともいえる。この実験場は、実験が続く以上、場として維持される必要があり、そのために作家の私財や外部的労働は、少なからず投入されているようでもある。
村の自立は、高度経済成長とともに訪れ、その成長が終息するとともに、自立がままならなくなった。その点では、「新しき村」はほかの凡百の村と大きくは変わらないわけではあるが、それでも「新しい」と掲げられたものは何であったか。
職住近接や、村内政治の権力構成、再配分の方式などいくつかの点での理念性はあげられるだろう。村の初期にみられた雑婚や乱婚的なスタイルも興味深い。
離村率の高さや一時的滞在の状況からすると「通過する村」「通過すべき村」「訪れる村」としての位置付けもできるのかもしれない。そうであるなら、それは立地的特性や産業構造としては「村」であっても、人口特性でいえば「都市」としてとらえるべきかもしれない。
新しくない村にとっては、「新しき村」の外部依存性やいわゆる関係人口(*02)の育み方などは、存続の参考にもなるのだろうが、その前に、この村が、まず「村」であるのかどうか、なぜ「都市」ではなく「村」なのか、問うてみる必要がある。
(02)
巻末の銘々伝の多様さは面白い。木村荘太、日守新一、塚原健二郎、中村亮平、小国英雄、渡辺貫二、倉田百三、周作人、千家元麿、岸田麗子、佐郷屋留雄といった文学、演劇、映画、ジャーナリストといった面々の交流に「新しき村」の真髄はあったようにも見える。