紙の本
資本論を哲学的に読むならこれ
2019/12/31 17:43
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:wordandheart - この投稿者のレビュー一覧を見る
哲学者熊野純彦さんによる資本論入門。本書の趣旨はご本人が終章で述べているように、「価値形態論を形而上学批判として読みなおすところからはじめて、資本の運動を時間と空間の再編過程ととらえるこころみを経て、科学批判としての資本論体系をきわだたせながら、利子生み資本と信用制度のうちに時間のフェティシズムを見さだめる」ことです。本論についてコメントするには自分は力不足ですので、興味深かったことを二点挙げたいと思います。
一つ目は、マルクスと環境問題についてです。熊野さんは、「資本制と自然とのあいだに、マルクスは最終的には両立不可能性を見てとっていた可能性」があると述べ、特に「自然そのものの内部に自然的に存在しない物質をつくり出す産業が存在し、不可視の未来へ負債のみを送りとどけるのを止めようとしない」ことを批判しています。これは前段の文章から3.11のフクシマの事故の後でも、稼働し続けている原子力発電を指しています。「わが亡きあとに洪水はきたれ!」はマルクスの喩えた景気循環の問題だけではなく、地球温暖化といった環境問題にも当てはまるということではないでしょうか。今や洪水はこの日本において比喩ではなくなっています。
二つ目は、交換と贈与に関してです。資本論には資本制に代わる生の形式をどのように構想するのかは描かれていません。資本論は「経済学批判」という副題が示すとおり、そのことを目指してはいません。熊野さんはマルクスが最晩年に書いた「ゴータ綱領批判」に注目しています。「各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて!」という標語が出てきますが、これを掲げるための条件として、熊野さんは言います。「権利という発想そのものを乗り越えられなければなりません。なぜでしょうか。権利とは必ず排除を含む、力に対抗する力にほかならないからです。」「このより高次の局面では権利ではなく、必要もしくは欠落が原則となります。」最早ここでは原理となるのは交換ではなく、贈与が前提となるというのです。「私たちの生そのものが贈与に支えられて可能となっている以上、贈与の事実そのものについては、その存在を疑う余地がありません。贈与の原理はたほうまたその困難のゆえに、現在の思考の課題となっているところです。」
物質的な大量生産、大量消費を続けていくことは不可能であることがわかっている今、新たな仕組みを模索するにあたって、この言葉は重いと思いました。
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資本論をより深く知るための書です!
2018/09/17 14:55
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、マルクスの資本論をより深く知るためには格好の書です。マルクスの哲学原理を丁寧に解説するとともに、現代社会の資本主義の浸透とその中で葛藤する貧しい人々についても言及しています。巷には数々の資本論についての書籍が出ていますが、同書は、それら以上に深くマルクスの哲学を知り、資本論を知るためには格好の書と言えるでしょう。
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哲学者熊野純彦さんによる資本論入門。本書の趣旨はご本人が終章で述べているように、「価値形態論を形而上学批判として読みなおすところからはじめて、資本の運動を時間と空間の再編過程ととらえるこころみを経て、科学批判としての資本論体系をきわだたせながら、利子生み資本と信用制度のうちに時間のフェティシズムを見さだめる」ことです。本論についてコメントするには自分は力不足ですので、興味深かったことを二点挙げたいと思います。
一つ目は、マルクスと環境問題についてです。熊野さんは、「資本制と自然とのあいだに、マルクスは最終的には両立不可能性を見てとっていた可能性」があると述べ、特に「自然そのものの内部に自然的に存在しない物質をつくり出す産業が存在し、不可視の未来へ負債のみを送りとどけるのを止めようとしない」ことを批判しています。これは前段の文章から3.11のフクシマの事故の後でも、稼働し続けている原子力発電を指しています。「わが亡きあとに洪水はきたれ!」はマルクスの喩えた景気循環の問題だけではなく、地球温暖化といった環境問題にも当てはまるということではないでしょうか。今や洪水はこの日本において比喩ではなくなっています。
二つ目は、交換と贈与に関してです。資本論には資本制に代わる生の形式をどのように構想するのかは描かれていません。資本論は「経済学批判」という副題が示すとおり、そのことを目指してはいません。熊野さんはマルクスが最晩年に書いた「ゴータ綱領批判」に注目しています。「各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて!」という標語が出てきますが、これを掲げるための条件として、熊野さんは言います。「権利という発想そのものを乗り越えられなければなりません。なぜでしょうか。権利とは必ず排除を含む、力に対抗する力にほかならないからです。」「このより高次の局面では権利ではなく、必要もしくは欠落が原則となります。」最早ここでは原理となるのは交換ではなく、贈与が前提となるというのです。「私たちの生そのものが贈与に支えられて可能となっている以上、贈与の事実そのものについては、その存在を疑う余地がありません。贈与の原理はたほうまたその困難のゆえに、現在の思考の課題となっているところです。」
物質的な大量生産、大量消費を続けていくことは不可能であることがわかっている今、新たな仕組みを模索するにあたって、この言葉は重いと思いました。
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まえがきは読めた。あとがきにかえても読めた。第1章も何となく読めた。WからGへの命がけの跳躍くらいまでは読めていたと思う。けれど、どこからか字面を追うだけになっていた。そして、途中、いまだに原発が稼働していることに対する批判を読んだ。あとがきに書かれていた。アクチュアルなことに関しては「断ち物」としてきたと。気持ちはわかるが、そんなことを言っている場合ではないと思った(失礼)。まえがきにある。マルクスの主著が忘れられてしまうことは残念なことであると。古典的な遺産であると。だからこそ、何が書かれているのかを知りたかった。まあ、通勤途中に気楽に読める類のものではないということなのか。私の読解力の問題なのか。ところで、pとかmとかvとかcとか、公式の中に文字が出てくるのを見ていると、相対論のテキストを見ているような感覚になる。√はないけれど。もちろん、相対論もほとんど理解していないのだけれど。
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価値から価格への転化の過程で実際におこっているのは分析者の立場から当事者への立場への転換,というところが印象に残っている。
自分自身,十分に理解できていないので,時間があれば再読したい。
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第1章 価値形態論―形而上学とその批判
第2章 貨幣と資本―均質空間と剰余の発生
第3章 生産と流通―時間の変容と空間の再編
第4章 市場と均衡―近代科学とその批判
第5章 利子と信用―時間のフェティシズム
終章 交換と贈与―コミューン主義のゆくえ
著者:熊野純彦(1958-、神奈川県、哲学)
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初めての岩波新書。マルクスの思考を追いつつ、資本制の解説をしている。正直に言うと難しい内容だった。それでも所々理解できる部分はあった。経済についての予備知識が必要かもしれない。
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マルクスの『資本論』における議論を、著者自身の解釈もまじえながら解説している本です。
単なる『資本論』の概説書ではなく、たとえば価値形態論に差異と反復をめぐる形而上学批判というテーマが伏在していることに注目したり、資本の運動の諸相を時間と空間の再編過程としてとらえるなど、著者自身の関心が積極的に押し出されています。また、労働価値説と生産価格論のあいだに齟齬があることを指摘したベーム=バヴェルクの批判を念頭に置きつつ、平均利潤がどのようにして実現されるのかという問題にある程度立ち入った考察をくわえ、このことが価値から価格への転形問題へとつながっていることを示唆するなど、『資本論』についてすでに学んだことのある読者にとってもおもしろく読める内容になっていると思います。
ただ、とくに時間の編成をめぐる著者の哲学的な考察が、上述の問題に対してどのような新しい視点を提出しているのか、あまり明瞭に理解することができませんでした。大著『マルクスー資本論の思考』(せりか書房)を読んだときにも同様に感じていたのですが、よりやさしく書かれている本書を読んでも、やはりこの点についてすっきりした見通しを得ることができませんでした。
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ミダス王の呪いという金銭欲に警笛を鳴らす逸話がある。マネーゲームや内部留保を指摘しているのだろう。
人の性【アニマルスピリッツ】を動力源にした資本主義であれば現代人の疲弊の源泉かもしれない。