紙の本
福島第一原発災害の避難地域の現実に迫るノンフィクション
2019/05/15 14:56
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:YK - この投稿者のレビュー一覧を見る
昨今、多くの自然災害が起こりました。その報道の中で原発事故で避難指示が出た地域の現状に関する報道が極端に少なくなっていることを感じる人も多いのではないでしょうか。
本書は避難指示が解除されつつある福島県の原発近隣地区の現状を様々な角度からの切り口で描くノンフィクションです。
除染に使用した水は回収して放射性廃棄物として処分しなければならないのに、多くの現場で川や側溝へ垂れ流しされていて、それを監視監督する省庁も人手不足で対応できておらず、「除染したことになっている」地域が多数ある事。
福島第一原発での「がれき」撤去作業によってセシウムが新たに飛散し、近隣で作付けされていた稲に付着した結果、収穫されたコメから基準値を上回る値が計測されたのに、原因を調査した原子力規制委員会が「原因不明」として扱い、却って福島県産のコメに対する安全性を阻害した事。
他府県へ避難された方への住宅供給制度が、復興ありき・住民の帰還ありきの方針のもと打ち切りとなり、「自主避難者」扱いとなって支援もなくなり、住む所さえなくなっている人が多数発生している事。
避難先の地域に通う学校で「避難者」であることを理由に多くの「いじめ」が発生している事。
この本に書かれているどの事実をとっても、本当に理不尽な思いがこみあげて来ます。2020年の東京五輪を「復興五輪」などと奇麗ごとを海外に発信する前に、もっと国が向き合うべき事実があるのではないかと感じさせられました。
紙の本
原発事故から学ばなければ…
2018/09/10 12:04
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:広島の中日ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
福島第1原発事故から、我々は学ばなければいけない!という著者の気持ちが十二分に詰まった内容の本です。
あれだけの危険な事故だったのに、世間の原発への恐怖感が減っていること。
避難者の子どもが避難先の学校でいじめを受ける、いわゆる「原発いじめ」はなぜ頻発したのか。
などが書かれています。
ボリューム満点の内容なので、一気に読み切ろうと思わないで読んでほしいです。おそらく疲れます。
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一般的な報道では表に出ない部分を新聞記者ならではの視点で掘り下げていく。章によって興味のある無しがあったが、5章は引き込まれる内容で描写も力強かった。震災の真実というか、綺麗ではない一面を見た。
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誰が読んだって、こんなのおかしいと思うだろう。
「知ったからには、このまま黙っていたら隠蔽に加担したも同然だ」
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東日本大震災の復興は全然終わっていない。
釜石から南下して石巻まで、BRTから見る景色は一面の土木工事。
かさ上げされた土台は建設途中のピラミッドのようだ。
そんな、目に見えての復興事業の裏にいる、原子力発電所事故からの避難してきた人たちが表に出てくることはない。
事故が無ければ今まで普通の生活をしていたはずの普通の人たちが、貧困に喘ぎ、しかも救済は年を追うごとに絞られている。
避難指定地域からではなく、個人的に避難しているとして救済の枠からは外れた人たちは、ただ勝手に避難したからと救済されなくてよいのか。
時がたち除染が進むごとに、避難指定地域は帰宅可能となり、そこからの避難民の援助金は減らされる口実になっている。
しかし、手抜きの除染作業や、作業員の給与の中抜きなど除染作業そのものに疑問がある。
そして、安全宣言という結論ありきでは、安全基準自体に欠陥があるのではないか。
放射能が飛んできましたが、避難するかしないかは個人の判断です。
普通の人に、そんな判断を下せるわけがない。
たまたまそこに暮らしていただけなのに、どうして普通の人が苦しまなけらばならないのか。
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いじめの実態、除染の真実など
なかなか知ることのできなかった福島のこと
こういう取材をする人は信頼できる
それにしても政府の対応はひどい
気になる人は読んでほしい
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序章 「すまん」原発事故のため見捨てた命
第1章 声を上げられない東電現地採用者
第2章 なぜ捨てるのか、除染の欺瞞
第3章 帰還政策は国防のため
第4章 官僚たちの告白
第5章 「原発いじめ」の真相
第6章 捨てられた避難者たち
エピローグ
著者:青木美希(ジャーナリスト)
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昨今、多くの自然災害が起こりました。その報道の中で原発事故で避難指示が出た地域の現状に関する報道が極端に少なくなっていることを感じる人も多いのではないでしょうか。
本書は避難指示が解除されつつある福島県の原発近隣地区の現状を様々な角度からの切り口で描くノンフィクションです。
除染に使用した水は回収して放射性廃棄物として処分しなければならないのに、多くの現場で川や側溝へ垂れ流しされていて、それを監視監督する省庁も人手不足で対応できておらず、「除染したことになっている」地域が多数ある事。
福島第一原発での「がれき」撤去作業によってセシウムが新たに飛散し、近隣で作付けされていた稲に付着した結果、収穫されたコメから基準値を上回る値が計測されたのに、原因を調査した原子力規制委員会が「原因不明」として扱い、却って福島県産のコメに対する安全性を阻害した事。
他府県へ避難された方への住宅供給制度が、復興ありき・住民の帰還ありきの方針のもと打ち切りとなり、「自主避難者」扱いとなって支援もなくなり、住む所さえなくなっている人が多数発生している事。
避難先の地域に通う学校で「避難者」であることを理由に多くの「いじめ」が発生している事。
この本に書かれているどの事実をとっても、本当に理不尽な思いがこみあげて来ます。2020年の東京五輪を「復興五輪」などと奇麗ごとを海外に発信する前に、もっと国が向き合うべき事実があるのではないかと感じさせられました。
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たまたまだが、ちょうど3.11の8年目のタイミングだった。
我々が知らない、見えていない除染の裏側、避難者に対するいじめの実態について掘り下げている。
昨年のGWにリアルな状況を知りたく福島までツーリングに行ったが、復興はまだまだ始まったばかりというのを目の当たりにした。
今後も年に1度は福島に行き、大震災を忘れないようにしたい。
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福島第一原子力発電所の事故直後、通常より放射線量が高くなって
いる所謂「ホットスポット」の報道があった。関東周辺でも河川や
湖、東京湾などの放射線量の報道もあった。それがいつの間にか
どこも報道しなくなった。
報道されないから福島第一原子力発電所から放射性物質の放出が
止まった訳ではない。本書でも取り上げられているが、原発敷地
内のがれき撤去の際、大量の放射性物質が拡散している。
それなのに、避難指示区域の解除が進み、避難者への住宅提供は
打ち切られ、それでも元の街へ戻らぬと判断した人たちは「自主
避難者」と呼ばれて補償さえも打ち切られる。
風評被害を助長する気はない。ただ、新たな安全神話が作られよう
としているのではないかと危惧している。避難指示が解除された地域
は、本当に安全なのかと疑問を抱いている。
福島第一原子力発電所の廃炉までには30~40年がかかると言われて
いる。その過程でがれき撤去の際のような放射性物質の放出がないと
誰が言い切れるのか。廃炉作業自体が手探りではないのか。
本書が取り上げているのは原発事故によって救えなかった命、地元採用
の東電社員の苦しい心情、東電本店と現場の温度差、手抜き除染作業
問題、誰の為の帰還政策か、避難者へのいじめなどである。
唖然とする。本来であれば東京電力に対して厳しく対峙しなければ
ならないはずの原子力規制委員会は放射能拡散リスクを矮小化する。
前委員長の田中俊一氏が飯館村に移住したことが美談のように報道
されていたが、とんでもない。田中氏こそ、まったく科学的ではない
理由を持ち出した張本人なのだから。
避難指示の解除が進んだ地域でも、実際に帰還する人たちは僅かだ
と言う。そうだろうなと思う。特に小さなお子さんを抱えたご家庭
なら尚更じゃないかと。だって、低線量被曝の影響は明確な判断
基準がないのだから。
本書は福島第一原子力発電所の事故から7年目に発行されている。
その時点でさえ、あの事故をなかったことにしたい人たちがいる。
その証拠に原発の再稼働は進み、経産省に至っては原発支援の為
の補助金を検討している。この補助金、電気料金に上乗せさせる
方式らしい。消費者舐めてんのか、経産省。
報道されないから安全で安心だとは言えない。棄権はまだ生活圏の
すぐ隣に存在している。それを「ないこと」にしようとしているの
は、本書が述べるような政府による核武装ではないと信じたいが、
国民よりも電力会社が大事であることは原発安全神話を振り撒いて
いた頃と変わっていないのだなと思った。
※全国の放射線量については以下のURLが参考になる。
https://new.atmc.jp/
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いつもこの様な本を読むと如何に自分が
無知であるかを突きつけられる。
何故 本当の事を無かった事にしようとするのか。
誰かが諦めるまで根をあげて降参するまで
ただ待つだけ...
この国はそんな国ではないと信じたい。のだが...
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地図から消される街 青木美希 講談社
副題に「311後の言ってはいけない真実」とあるこの本は
朝日新聞の特別報道部の記者によって書かれたもの
自分の足で集めた証拠をもとに書いた「手抜き除染」の報道後に
書き起こした力作だ
政治や行政のお為ごかしの仮面や利害に群がる業者の
目的を履き違え当事者を踏みにじる実態が見せる問題の深さと渡り合い
客観性を大事にする記事ができるまでの努力と試行錯誤の
歯痒い過程を見せてもくれる
板挟みの正義ある行政官の死や
被災者同士のいがみ合いを助長しているのが
当の政治であり行政であり
避難者をイジメる井戸端会議や学校の陰湿な体質など
にっちもさっちも行かない腐った共食い現象を浮き彫りにしている
結局解決策は国会を取り戻し三権の談合を解散させることであり
こうした現実に痺れを切らした国民の民意が爆発する以外の
ありえないのだろう
一人ひとりが事実と向き合い
権力層によって煽れれている共食いと分断に気付いて自ら止め
声を揃えて「NO」を突き付ける以外にない
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→福島原子力発電所付近、避難指示を余儀なくされた方たちの現状を描いた本。
・中心街の名前すら、現地ではもうわからない。近所の人の消息が4年もわからない。街が名前をなくす現実を目の当たりにした。浪江町。
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タイトル通り、「言ってはいけない真実」が赤裸々に、取材をもとに書かれていて衝撃。
衝撃、っていうのはちょっと違うかも。なんとなく、そうだろうなと想像できたことだが、政府もマスコミも、いろいろと都合が悪くて公にできないことを、ちゃんと取材して明らかにしているのだ。
例えば、大手ゼネコンが福島で請け負っている「除染作業」の真実。ろくにちゃんと除染してないし、全国から身寄りのない日雇い労働者が仕事を求めてやってきて、低賃金で働かされて、中間業者が搾取してることとか。
なんか、想像はできる。
なぜそれがちゃんと報道されないかというと、「除染がちゃんと進んでいない」ということが公になると、地元の人たちも困るから(風評被害とか)、みたいな変な理屈。いや、地元の人はちゃんと除染してもらわないと帰れないでしょう!!
地元で東電に現地採用された若者や、下請けで原発関連で働いていた人達が、いかに肩身の狭い想いをしているか、という話にも本当に胸が痛んだ。
一番、自分だったら…と感情移入してしまい、切なかった事例が、事故があった原発から近いが、「避難指示区域」ではない町に住んでいた女性が、子どもを連れて「自主避難」した例。避難指示区域ではなくても、これまでより放射線量が上がっていて、母として、子どもを守るために東京に自主避難。夫は、「気にし過ぎ」「俺の仕事や、家のローンもあるんだぞ」と妻と対立。一家はバラバラに…。このようなパターンは本当に多いらしい。今までにも聞いたことがある。
母の気持ちを、私はよくわかる。私でも絶対にそうする。家なんてどうでもいい。これから子どもを生む可能性がある娘や息子がいるのに、ほんの少しでも、目に見えない危険がある場所に住むわけにいかない。放射能の影響は、何十年後にしかわからない。何が正しい選択かなんて、誰にもはっきりとはわからない。わからないなら、子どものために安全を一番に考える、それが母の考え方だ。
この女性は子供と東京で暮らし、夫に理解されず孤立し、生活費も送ってもらえず、困窮し、心身ともに病んで、自死を選んでしまう。夫に収入があるために適切な援助も受けられなかった。最悪だ。
しかしこの場合、いやいや…まずその「夫」が子供の学費や生活費は出すべきでしょう!と思ってしまう。
いやしかし!!!もともとは、原発事故がなければそんなことにはならなかったんだ。
これまで、東電の責任が追及されたり、津波の危険性がどれほど認識されていたのかが問題になってきたけど、でも本当は違うのでは?と私は思う。原発推進を黙認し、原発で生み出された電力を利用してきた私たち国民、全員の責任ではないの?
なぜ責任のある人がだれも、原発ゼロにすると言わないの?なぜ再稼働が進んでいるの?
いろんな面で疑問や憤りを覚え、福島第一原発の周辺で暮らしていて、あの日から当たり前の日常を奪われてしまった人たちのことを想うと辛くて、申し訳ない気持ちにすらなってしまった。
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青木美希氏は、札幌市出身、1997年に北海タイムスに入社、北海道新聞を経て、2010年に朝日新聞に入社。朝日新聞社の原発事故検証企画「プロメテウスの罠」に参加し、以降一貫して福島第一原子力発電所事故のその後を追い続けている。
本書は、上記原発事故を7年に亘り取材した内容をまとめて2018年3月に発表され、貧困ジャーナリズム大賞、日本医学ジャーナリスト協会賞特別賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞を受賞した。また、2021年4月には、続篇『いないことにされる私たち 福島第一原発事故10年目の「言ってはいけない真実」』を出版している。
「はじめに」で著者は次のように書いている。「私は7年間、福島第一原子力発電所事故を追い続けている。この間、避難者に向けられる目は次々と変わった。当初は憐れみを向けられ、次に偏見、差別、そしていまや、最も恐ろしい「無関心」だ。話題を耳にすることが激減した。関心が薄れてきたところで、政府は支援を打ち切り、人々は苦しんでいる。・・・結果として、不都合な事実を「なかったこと」にして揉み消そうとしている国家権力の思惑通りになってしまった。これを許したのは、新聞やテレビ、各報道機関の敗北でもあると言われても仕方がない。我が身を含めて、あまりにも無力だったと猛省する。・・・痛烈な自己反省を込めて、私は「不都合な事実」をここに記そうと思う。」
そして、本書では、東京電力の現場で働いていた人々の苦悩、形ばかりのいい加減な除染、原発維持・国防のために進められる帰還政策、帰還政策を進めるために「事実を曖昧にする」政府・官僚たちの行動、避難者に対するいじめ、避難者への支援の打ち切りなど、様々な「不都合な事実」が明らかにされている。
それらの「事実」は唖然とするようなものばかりであり、事実を曖昧にする政府・官僚は言うに及ばず、いい加減な除染についても、いじめへの対応についても、いずれも看過できることではないのは言うまでもないだろう。しかし、その一方で強く感じたのは、白黒のつけられない問題があることの難しさである。多少のリスクは受け入れて(或いは、受け入れざるを得ずに)その地域に住み続けたり帰還をする人々と、リスクを避けて非難を続ける人々の間に生じた軋轢。。。これは、どちらかが正しく他方が間違っていると言えるものではないし、また、今となっては(悲しいことではあるが)元の関係に戻すこともできないのだ。
原発事故が引き起こしたそうした複雑な状況を考えたときに、幸運にも原発事故の影響を受けなかった地域に住む人間にできることは何なのか? それは、本書のエピローグに引用された作家・渡辺一枝の言葉「私たちが忘れないこと」であり、また、他人事ではなく自分事として考えることではないだろうか。
福島第一原発事故後の闇を明らかにし、我々に問いかける力作ルポルタージュである。
(2021年9月了)