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留めておきたい気持ちが溢れてきて、おそろしく長文になってしまった。
読んでくださる方がいらしたら、長過ぎてごめんなさい。
本名は中澤圭佐。
難病のALDにより2009年38歳で亡くなった。
さいかち真さんの編集後記に中澤さんは哲学を専攻していたとあり、なるほど、と納得。
全てではないけれど、彼の歌は哲学的だ。
中澤系。
自分は一個人ではなく、例えば「癒し系」のような「中澤系」という系統の、ざっくりとした大枠の中に属しているだけですよ、という意味なのかな。
例えば「癒し系」にしても、癒し系と思うかどうかには人の好みも介入してくるわけで、ある人にとっては癒しでも、そうでない人にとっては「癒し系ですよ」と主張されても、特に何者でもない存在。
それとも、もっとシステマチックな意味なんだろうか。
肉体の器官、「呼吸器系」とか「消化器系」のような。
大きなものを形作っている、「部位」としての「系」。
他にも「系」のもつ意味を深追いしてゆくとキリがなく、ペンネームだけで中澤系に取り込まれてしまう。
なんだか、そのネーミングに伊藤計劃(いとうけいかく)を思い出す。
計劃って難しい漢字だけれど、=計画だろうから。
彼らの才能や個性を一緒くたに括ってはいけないと分かっているけれど、実際私には色々なものが追い付かない。
「3番線快速電車が通過します理解出来ない人は下がって」
中澤系に注目する切っ掛けとなった歌は、最初に載っていた。
この歌、何重にも怖さが重なってるように思えて底が深い。
通常、電車が入ってくる場合は危ないので下がるもの。
理解出来る人は下がるのだ。
だが、別の目的を持ってホームに居る人間にとっては、前に出る瞬間になりうる。
その意味を理解出来ない者は下がれと彼は歌う。
怖い歌だ。
また直接「死」に繋げなくても、この小さなコミュニティー(駅)には目もくれず高速で通り過ぎる強い大きな力は恐ろしい。
力の無い者、速度に追い付けない者は、分からない者は、いいから下がっていろという意味なのか。
こういう威圧を持つ組織や人って、現実に存在するから怖い。
社会に存在する当たり前のシステムを覆す、攻撃的な歌だ。
歌集、始めは難しかった。
それって私が健康体な証だろうか。
それとも呑気なだけか。
薄っぺらい経験しか重ねていないからか。
私は、初めて読む人の歌や詩って、その作家の世界を心で掴むまで理解するのに時間がいる。
しかしページを捲るうち、だんだんと世界観に入ることが出来た…ように思う。
人は社会のルールに則って生きているけれど、
中澤系はそのルールを俯瞰で歌っているような気がする。
そう歌われると、当たり前すぎて気にも止めなかったものに、何か妙な違和感を覚えたり、
得体の知れない気味悪さや、抜け出せないループに寒気がしたりする。
短歌や俳句って、文字数に限りがある故の趣や色気があると思っていた。
それが彼にかかると、性的な意味を持つと思われる歌でさえ、感情よりも���官であったり肉体(というより最早肉塊)の動きとして捉えていて、私が思い描いていた短歌の世界とはまるで別世界で大変なショックを受けた。
戯れや、皮肉や、何気ない日常、恋心、それらも全て何かに抗っているように思えて、
そう思うのって、病によって失われた存在であることを知ってしまった私の傲慢だろうか。
あ、でも「抗い」ではないのかな……病は関係なく、人として「終わり」を言い渡される「未来のいつか」からの「圧」を受け止めているからこその、苦しみや恐怖を回避する為の、皮肉や生々しさなのかな。
いや、毒々しい歌ばかりではないのだけれど。
「なおもあかるき昼にまどろみつつあればアウフタクトのごとき始業ベル」
音楽の拍子をとる時に、例えば4拍子だと、
①、2、3、4、 ①、2、3、4 と拍子をとる。
この時1拍目を強く、234拍目は弱く数えるはずだ。
この弱く数えるタイミングから楽曲が始まることをアウフタクトと言う。
始業ベルって大抵タイミングよく鳴ってくれるものではない。
アウフタクトという音楽用語を用いる事で、ベルがなる前の状況も、ベル自体も、全てが音楽のように奏でられる。
アウフタクトと言っているのだから、ジリリリリという無機質なベルではなく、キーンコーンカーンというメロディアスな始業ベルであることも想像できる。
「コフドロップひとつ男の口中にとけてゆくゆるき甘露という圧」
咳止めドロップの甘さを「圧」と表現するセンス。
男とは中澤系さんだと思われるが、「我」などとハッキリとした対象に限定せずに「男」とすることで、じんわり溶けゆく独特の甘味だけでなく、「口の中」という部位までも目に浮かぶほど強調されるように思う。
読み進めながらいつも通り沢山の付箋をたてつつも、何度も逃げるように歌集を閉じた。
自分が呼吸を忘れていたんじゃないかと思うほどギリギリの歌も多く、一気に読むことが出来なかったのだ。
本書の中程で幾つも詠まれている風船の歌も、やりきれない気持ちになった。
(私の解釈が合っているかは分からないが)
風船は希望の象徴のようであるのに、彼の歌う風船は危険を暗示する黄色。
するりと手を離れ、届きそうで届かず、なのにいつも視界のどこかに現れるのだ。
気持ちは掻き乱されたけど、中澤系を知ることが出来て本当に良かった。
凄いものを受け取ってしまった感じがする。
読みながら涙ぐんでしまった箇所もあった。
読む側も覚悟のいる歌集だ。
片手で軽々持ち上げるのではなく、出来れば両手でしっかり抱えたい大切な歌集。
そんな風に感じる。
時間をおいて、また読み返そうと思う。
ただ、私はまだ、世の中をこんな風には見られない(見たくない)甘ちゃんだ。
この歌集を手にする切っ掛けを下さった
ベルガモットさん、5552さん、111108さん(順不同)に心から感謝します。
追記
この感情を忘れないように…と歌の解釈は読んだ直後にメモした物をここに付したのだけど、読了間近、解説(穂村さん等)が載っていることを知った。
それでも、自分が読後に感じた事であるので、感想文としてそのまま書かせて頂きました。