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これまで人類は飢饉、疫病、戦争と闘ってきたがこれからは不死、幸福、神性の獲得を目標とする。それくらい人類の占めるポジションが変わってきている。しかし我々の心そのものは昔から変わっていない。だから歴史を学ぶことに意義はある。過食の方が飢饉よりも深刻、砂糖の方が火薬よりも危険、人類は生存と繁殖のためにのみ進化してきた。異なる虚構に支配、虚構と全体主義的な宗教。我々のこれからを占う上でもAIとバイオサイエンスがキーテクノロジーになりうることを意識していきたい。
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<目次>
第2部
第6章 現代の契約
第7章 人間至上主義革命
第3部 ホモ・サピエンスによる制御が不能になる
第8章 研究室の時限爆弾
第9章 知能と意識の大いなる分離
第10章 意識の大海
第11章 データ教
<内容>
『ホモ・デウス』の下巻。「デウス」は神のこと。コンピュータとAIの進歩により、今後の地球がどうなっていくかを綴ったもの。けっこう恐ろしいことが書いてあるが、しっかりと歴史や他の学問を踏まえて書いてあるので、腑に落ちる内容。最後にそうならないために考えるべきことも書かれてあり、「ホモ・サピエンス」が生き残るための手段となるだろう。
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上巻に時間を取り過ぎてしまい、下巻は時間が足りなくて流し読みになってしまったが、それでも興味深かった。また改めて時間をとって読みたい。
宇宙まで征服したAIが、使命として円周率の計算をする描写とか、色々面白いところも多かった。
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未来が、どうなるか。コンピュータの発達が進むと、上層の人々の関心は、内面世界と宇宙に向かう気がする。下層の人々は、ゲームとSNSであろうか。下層は、既にそうなっている。下層は、仮想。ダジャレか。
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近代に息づくイデオロギー、ismのそれぞれの根底にあるものが何かを紐解く内容の下巻。それぞれの主義に込められた主張に耳を傾けてみれば現代はどうしようもなく複雑に入り組んだ袋小路にも見えるし、均衡が作り出されているとも見える。テクノロジーと経済の結託がこれを破壊するのか、アップデートするのか、どちらにも転びうるというのはあらゆる切り口における自明の帰結ではあるけど、このイデオロギー的アプローチから辿れたのは新しく、良い体験でした。
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歴史書に見せかけて、テクノロジーの近況を掴める良書
神になると言われた時は驚いたが、色々な反実仮想を提示してくれて思考の素材の宝庫
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上下巻合わせたレビューを。
上巻に関して言えば、「サピエンス全史」と内容/主張が重複する部分も多かったが、サピエンス全史でこれまでホモサピエンスが辿ってきた歴史、経験した認知革命・農業革命・科学革命を経て変遷してきた人間の価値観について説明し、その結びの章として、これまでの変遷を踏まえた上で現在世界を支配している人間至上主義がどの様に変わっていくか?という問題提起を受けた、続巻に近い位置づけとなっているので致し方ない部分もあるのかもしれない。
本書は科学革命を経て神に追いついて、それまで災いとされていた飢饉/疫病/戦争を克服したサピエンスが今後どこに向かうのか?という問題提起に対して、今後は①不老不死、②幸福、③神へのアップグレードにに向かうのではないかという一つの考え方・オプションを提示している(未来を予測するのではなく、ひとつの考え方を示しているというのがポイント。このオピニオンを聞いたうえで、各々が自分の価値観と照らし合わせて考えることで、未来が変わる事を筆者は否定しないどころか肯定さえしている)。
筆者は現代の便利なテクノロジーを否定はしていない。していない前提でそれでも、「ヒトは力と引き換えに意味を放棄した」としている。神が万人の心の中に存在し、宗教が世界を支配していた中世までは、神や聖書が絶対で、全ては壮大な宇宙の構想の中で決まっていた。ところが科学革命により、人は神や宗教ではなく知的好奇心に従い、未知の領域を開拓した結果、神と並び、神を信じる宗教ではなく人間至上主義を崇拝する様になった。
この新しい宗教は全世界に浸透して18世紀以降世界を支配しているが、一つの可能性として「データ主義」が台頭するのでは、というのが筆者の意見。コンピューター工学とバイオテクノロジーの融合が進み、生物は全てアルゴリズムであり、人間中心からデータ中心になる。データ教で何よりも大事なのは「情報の流れ」であり、ネットワークが自分について自身よりも知っている時代が到来し、ネットワークと繋がっていないことがあり得ないと考えるようになる。
大胆な構想だが、現在インスタグラムやFacebook等に固執するあまりに我を見失うティーンエイジャーを見ているとなるほどなと思う。
本の締めとして、①本当に生物はアルゴリズムであり、生命はデータ処理なのか?②知識と意識は分離しつつあるがより価値があるのはどちらなのか?③アルゴリズムがよりヒトを知るようになると何が起こるのか?と問題提起しており、将来我々が大事にすべき価値観について改めて考えさせられた。
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1.生き物は本当にアルゴリズムに過ぎないのか?そして、生命は本当にデータ処理にすぎないのか?
2.知識と意識のどちらのほうが価値があるのか?
3.意識は持たないものの高度な知能を備えたアルゴリズムが、私たちが自分自身を知るよりもよく私たちのことを知るようになった時、社会や日常生活はどうなるのか?
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人類の未来を考えるホモ・デウス下巻。いわゆる宗教とか神話を葬り去り、人類(サピエンス)は科学技術と人間至上主義(ヒューマニズム)で近現代を走ってきた、と著者は論じる。人工知能(AI)と生命科学の結果として、人類は”不死(非死)”を目指し、自らを”神”の存在へと近づける新たなステージに向かっているようだ。
このような論調で進んでいく本書では、どうしても人間という存在、特に”生命”・”意識”・”心”とそれに対する”知能”に関する最新の結果を踏まえた考察が多く、個人的にはそちらに興味が引かれた。
魂や分割不能な個人、自由意思なるものは存在せず、人間は分割可能なアルゴリズムの集合体であり、その情動や感情は遺伝子や環境で形作られており、外部から認識も制御もできるようになった、と著者は説明する。我々は単なる機械と同じなのか?しかし、それらの感情などを上のレベルから認識する、「意識」なる存在も論じられる。そして、意識とは何かの解明はまだいっこうに進んでいない、ということも述べられている。しかしながら、生き物はアルゴリズムであり、生命はデータ処理であるというのが科学界の定説であると断言されている。物語る自己というものが、分割されうる様々な経験を統合して、でっち上げて、自分を作り上げている、のだ、とも。
その物語る自己、意識=心がどのように生まれるのか、が知りたい。現段階では意識はコンピュータやAIには存在しない、と著者は説明さてるが、やがねそれはAIにも発生しうるのか。
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「生物に自由意思はない」が今の科学の主流。
日本だと前野隆司とか。この本もそれ。
脳はただのアルゴリズム。人間の自由意志否定。
そこから、未来を予測したのが著者のやったこと。
世界観、人間観に影響を与える本。
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初版が2015。日本語版が今年。実際には3年前の著作ながらも、未来の人類についての洞察がすばらしい刺激あふれる1冊。
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121 ピークエンドの法則
216 重要なのは、その理論が経済を回しデータ処理という観点で捉えているという事だ
222 データ至上主義 プロセッサ 4つの基本的方法による効率アップ プロセッサは人
227 人間至上主義からデータ至上主義へ 新たな価値の発明
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下巻も読み終えた。感想は、微妙(笑)。ひとつひとつの(無数の)エピソードは、興味をそそられるものもあるが、ありきたりと思えたものも多いし、いかんせんエピソードの集積として延々と展開するのは長過ぎるというのが正直なところ。歴史書としてみるには散漫すぎるし。
なぜ話の内容に新鮮味が少ないのか? すでにどこかで語られたことが多いこと。どこかで読んだような既知の話が多く、それ故にだんだん退屈になるという…。この退屈さは著者がテクノロジーや生物学などの専門家ではなく、この件については専門家の知見を採り入れる歴史の研究者に過ぎないことも一因のように思う。スティーブン・ピンカーやジャトレ・ダイヤモンドを読んだときのような強い知的刺激を感じられない、理由の一つでもあるような気がする。
読んでいて、個々の叙述はワイアードのようなサイトの、テクノロジーと近未来の話のように感じた。「ホモ・デウス」というデータアルゴリズム至上主義誕生の最終章でも、そう感じる。もちろんワイアードのようなウェブ上の読み切りのコラムではなく、教養の溢れた空想が延々と続く2巻にわたる書籍だが。でも私としては、このテーマなら、ウエブ上にあるより短い記事の、書き手も専門家も様々なものの集まりのほうが刺激的で、読みやすく、飽きないというのが本音だ。
データ至上主義者は情報の自由にかかっているいう話。これは今後どうなるのか興味がある。今台頭している中国のインターネットと個人データ管理主義は、特に習近平時代になって自由主義を明確に否定し、全体主義的な統制が強まっている。これは第二時大戦後の、独裁ではなく自由から発展は生まれるという流れから逸脱した哲学だからだ。共産主義というよりも民間の競争を国家が統制する国家社会主義(ナチズムともいう)に近いと思わせる。このハイテクと独裁という異質な体制を迎えて世界はどういう方向に動くのだろうか?(あまり本書とは関係ないが考えてしまった)
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生物は、遺伝子やホルモンやニューロンに支配された「アルゴリズム」として考えることができる。人間の意識(心)は単に脳の中でニューロンが発火していることで起こっている減少にすぎない。意識とは「虚構」であるとの解釈ができる。この観点に立つとAIやバイオテクノロジー(生命科学)がもう一段階発展するとコンピュータは意識やこころを持ったヒトよりも能力で上回ることになる。人類はそのときどのような役割をはたすことなるのだろうか。
そこまで行かない10年、20年ほど先の未来においては、AIや生物学の進化によって産業革命以来「人が人である拠り所としてきてき愛」というような感覚や考え方は意味をなさなくなる可能性が強い。(その時代に於いては独裁政権や中央集権の政治=共産主義などは非人間の政治に陥り消滅した...)
今生きる人間の大きな克服課題であった飢餓、疫病、貧困をある程度克服したこれからの時代において、AIやテクノロジーの利用を握り支配する一握りの集団に於いては、「全人類のために...」というような発想は生じてこない可能性が強い。産業革命以来の時代に於いては多くの健康で教育を施された人が必要とされた(戦争には人が必要。工場を動かすにも)。しかし、これからの時代はコンピュータや機械が人以上に優れた働きをするので、そのような大量の人口を必要としなくなった。一握りの人間たちだけが、不死の体を追求し際限のない快楽(豊かさ)を求める方向に向かうことが可能になるだろうとも。
テクノロジーの進化、バイオテクノロジーの進化、ナノテクノロジーの進化などが通常の人間には理解が追いつかないスピードで進化発展している。明日はどこまでそれらが進んでいるのか... 見えない時代に我々は生きているともいえるのだろう。
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ニーチェが『神は死んだ』と言ったように、すでに神至上主義は死んで、今は人類至上主義になっている。それは人間性を崇拝する教義で、自分が納得すれば良いという考え方である。そしてさらに今後はデータ至上主義に向かっていく。それは生き物はアルゴリズムであり、生命はデータ処理であるという教義で、知能は意識から分離され、アルゴリズムが人間より人間を知るようになるかもしれない。アルゴリズム、データ処理にすべてを投げ出さないで、自分で考え抜くことが必要だということなんだろうな。