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投稿者:コアラ - この投稿者のレビュー一覧を見る
シンポジウムのパネルディスカッションを書籍化した。したがって内容は薄い。若干の目新しい発見はあったものの結局「戦争で民衆は苦労した。なかにはちゃっかり火事場泥棒で儲けたやつもいた」が結論。それはそうであろう。それ以外に民衆の生きるすべはない。国際日本文化研究センターって必要なのか。文科省のただの利権なのではないか…。
井上章一さんの京都ぎらいが楽しかったので☆一つ追加。
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「民衆はいつも戦乱の被害者なのか」という視点はとても面白く、個々の論考は良かったが、対談の中で一部の研究者が現代政治を批判していて一気に興ざめしてしまった。上記のテーマ設定とずれていて、専門分野の研究結果を離れて結局、権力批判しているのは何か筋が違う気がする。
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戦乱の中における民衆の生き方、というような視点で、日本史を見る視点を変えてみましょう、という啓蒙的新書です。その意味では現在の日本で十分役割は果たしていると思います。
けれど、同じような視点での研究、著作ならこれまでも少なからずあったんじゃないの?という気がしてならないのですが。たとえば藤木久志さんとか。
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18/09/15。
この公開シンポジウムは、ネットで動画がありました。図版や現物の古文書なども示しながら、笑いなども取りながら講演されています。よかったらどうぞ。
9/18読了。
追記。第3章では井上章一さんも参加して京都ぎらいが爆発してる。原爆投下候補地であったことにも言及、京都を壊したのは京都人だと過激な発言。面白かった。
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白村江の戦いと民衆 / 倉本一宏 述
応仁の乱と足軽 / 呉座勇一 述
オランダ人が見た大坂の陣 / フレデリック・クレインス 述
禁門の変 / 磯田道史 述
歴史を見る視点 / 倉本一宏, 呉座勇一, フレデリック・クレインス、磯田道史、石上阿希(司会)
生き延びる民衆・チャンスとしての戦乱 / 倉本一宏, 呉座勇一, フレデリック・クレインス、磯田道史、井上章一、榎本渉、石上阿希
著者:磯田道史(1970-、岡山市、日本史)、倉本一宏(1958-、津市、日本史)、フレデリック・クレインス(Cryns, Frederik, 1970-、ベルギー、日本史)、呉座勇一(1980-、東京都、日本史)、石上阿希(静岡県、日本史)、井上章一(1955-、京都市、建築史)、榎本渉(1974-、青森県、日本史)
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民衆の視点から戦争を再定義する。ここで取り上げられるのは、白村江、応仁の乱、大阪の陣、蛤御門の変。シンポジウムでの論説を掲載するもの。第2部として座談会も収録されているのだが、井上章一を交えたこの座談会が爆笑もの。なぜか「京都ぎらい」になっている。
なかで倉本先生の「歴史から学ぶ教訓があるとすれば、ひとは歴史から学ばないということ、そして人は同じ過ちを何度でもくりかえすということ」に100%同意しちゃう。
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白村江、大坂の陣、禁門の変など、
時代はバラバラだが、戦乱の際に庶民が
どう振る舞ったかという視点が面白い。
意外にしたたかな、一般ピープルの横顔が
浮かび上がる。
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はじめに 磯田道史
第1部 日本史の戦乱と民衆―基調報告
第1章 白村江の戦いと民衆―倉本一宏
第2章 応仁の乱と足軽―呉座勇一
第3章 オランダ人が見た大阪の陣―フレデリック・クレインス
第4章 禁門の変ー民衆たちの明治維新―磯田道史
第2部 歴史を視る視点―一般公開座談会
第3部 生き延びる民衆・チャンスとしての戦乱―座談会
おわりに 呉座勇一
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戦史というと記録に残りがちな武将や貴族の物語であることが普通だが、ここでのテーマのように民衆をフィーチャーしたものは珍しい。昨今歴史ブームと言われて久しいが、ブームのおかげでこういう広がりが出てくるから目が離せない。
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単純に被害者としての民衆という視点だけでなく、兵士や加害者としての民衆の話も出てくるのが目新しい。さんざん戦争に揉まれているはずの京都の民衆が幕末の蛤御門の変ではすっかり平和ボケしているのが興味深い。江戸時代ってよっぽど平和な時代だったんだね。
最後、京都人(洛中人?)への怒りが爆発してるしwww
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面白く興味深くバラエティ豊か! 民衆はつねにか弱いのだろうか? 戦乱の一方的な犠牲者だったのだろうか? 名だたる戦乱の遠景として扱われてきた、名も無き当事者としての「民衆」の別の姿を、時代ごとに語り明かしていく。応仁の乱の前後に頻発した土一揆が、乱の期間中にぱったりと無くなっていたのは何故なのか。明治時代に入った時点で、京都市街の六割は焼失した状態だった。この視点を持って、もう一度同時代のあれこれを読み直したい、と考えさせてくれる好著。
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白村江の戦いと民衆:ではなぜ、倭国軍は敗れたのか。答えは明らかです唐の軍勢は国家軍であり、訓練されて統制のとれた軍隊ですが、倭国軍は豪族軍の寄せ集めであり、国家軍ではありません
戦いにおいて最も重要なのは、実は戦意を支える忠誠心とモチベーションです。国家軍にはそれがありますが、豪族軍にはありません
応仁の乱と足軽:民衆が必ずしも反権力の動きをしていたわけではないと言う事実です。民衆は、その時の状況に応じて本権力的な動きを見せることもあれば、権力の手先として動くこともあった
私が不思議でならないのは、例えば新選組の視点に立って京都の幕末を見る人は極めて多いのに、先ほどご紹介したような、夏の暑い盛りにくさった死体をひっくり返してお金を集め、新京極にお店を出した男の視点と言うのは、一切ない