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【言語派作家が描くディスコミュニケーション】近づいたかと思えば遠ざかる。遠ざかると思えば近づく。手紙、スマホ、スカイプ。コミュニケーションの妙味を巧みに描く七つの短編。
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言葉遊びと不思議なリズム感のある文章にニヤリとなる7編の短編集。
特に『文通』『おと・どけ・もの』が好き。
子供のいる女性を「人の面倒をみる覚悟ができているし、瘤でも夫でも借金でも背負って前に進む人生筋肉もある」とあるけれど、そんな筋肉持ってません!と反論したい。
あと「背伸びしすぎて、前につんのめって倒れそうになる手紙」、魂が「慢性の家出病にかかっているだけ」、女ならば「日焼けした母音と、さくさくした子音で話をしてほしい」、「ありもしない三つ目の頬を打たれた気分」等々、多和田さん特有の表現に笑った。
私もありもしない三つ目の脇腹をくすぐられたような気分になった。
気になったのは「世の中ではどんどん単語が死んでいく」とあり「言葉は寿命が来て死ぬとは限らないのに、世間の人は死因を調べようともしないどころか、死んだという事実をそのまま鵜呑みにして、死んだものを舌にのせる者がいれば笑い飛ばして仲間はずれにする有様で、単語の死をますます確実なものにしていくばかり」。
時代の変化とともに遣われる言葉の変化も激しい。
多和田さんのように海外在住の人にとって「喪われた日本語」はよりショックなことなのだろう。
言葉の変化は自然の成り行きのように思っていた私もショックだった。
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単語に関する説明がいちいち過ぎて読む気が失せる。
言葉遊びがしたいだけなのか
外国語を直訳したような文章で
物語の内容が全く頭に残らない。
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短編集7編
言葉遊び的な表現が内容を形造っている.この表れ方を突き詰めたような文体,入れ物外面にこだわった文章,何を言いたかったのかは残らないが楽しさが余韻として残る.「文通」と「おと・どけ・もの」が良かった.
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「余裕があるのが人間というものである」つまり、人間であることに自信をもって前をみようという力強いメッセージを、動物、植物、幽霊という自然界に感ず人間の枠を超えた『人外』という発想を『人間が神になる・勝る』という言い方でなく、具体的に多和田葉子さんの言葉で哲学的に祈りと芸術を讃えて伝えられている作品でした。
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2019年8月5日今日、ゴルフのAIG全英女子オープンで20歳の渋野日向子さんがメジャー優勝の快挙を達成されました。日本勢では男女を通じ、77年全米女子プロを制した樋口久子さん(現LPGA顧問)以来2人目だそうです。
その前日、7カ月間積読していた多和田葉子さんの「穴あきエフの初恋祭り」を読み終えました。この作品は7作品から成る1冊の本で作品が後になるほど初出の年が遅くなり、著者の最新作が冒頭に載っています。その年月約9年半にもなります。冒頭の最新作は日本で育ち海外ドイツで活動されている比較の要素がより具体的に感じる描写例えば現代の社会問題(特にジェンダー)の要素とが多く、最終話でははっきりと「日本美」を表現されていると感じました。
特にわたしが好きな表現は「女の心が変わると秋の空も変わるのだそうで」という部分です。普通なら『秋の空が変わるように女の心も変わる』と比喩されて使われることが多いのではないでしょうか。この最終章の『人間(女性)→自然』という流れつまり「余裕があるのが人間というものである」という哲学を前章までに納得させてくれているのです。
例えば、『光』を絵画に絡めて物理的に表現されているのが「ミス転換の不思議な赤」であり、『祈り』を書という芸術をも彷彿させながら建築物の在り方とその建築の中で過ごす動物の在り方を多和田さんの発想で説かれているのが「穴あきエフの初恋祭り」です。この「穴あきエフの初恋祭り」の『祈り』が物理的な光を超えていく展開が本当に素晴らしいのです。
この作品から「ミス転換の不思議な赤」では現代美術作家・高橋秀さんの2019年作品とメディアアーティスト・落合陽一さんを、「穴あきエフの初恋祭り」では書家・石川九楊さんを彷彿とさせました。
この読書感想文を書いていると「あなたの解釈はわかったわ。あなたはなにをどう表現できるの。」と多和田さんに言われているようです。これは男性作家さんの作品からは浮かんでこない問いです。特に多和田さんの場合、自分のワールドワイドな具体的経験だけではなく哲学を含めた解釈を交えられているので説得力が増すのです。それに加えて自分の言葉で表現もされています。では、今の私には何ができるのでしょうか。今は気になる本と美術に触れて思考をチェックしながら、保坂和志さん、角幡唯介さん、辻原登さんのお言葉を拝借すれば、「事態・事象が生じる」のを祈り、生活を送ることにするのでした。ちゃんちゃん。
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7編の短編集。シュールなドタバタ感のある作品が多かった印象。
「胡蝶、カリフォルニアに舞う」口八丁な感じの男性主人公、意志疎通の手段である筈の会話が、入社試験でのカスタマー対応ではどんどん機械的、オートマティックな応答へと変貌していく。
「文通」も別に好意を抱いてる訳でも交流を図りたい訳でもないのに、手紙を書くという行為自体に誘引されて、相手が示してくる意向を如何にかわすかというアクロバティックな文通が展開。
「ミス転換の不思議な赤」思春期の少女の尖った実存、というようなものを感じた。多和田さんには珍しい感じ?
「てんてんはんそく」は通信会社契約をめぐっての「おと・どけ・もの」は宅配便についての、ラプソディーといった感じの作品。ストーリー展開がどうというより、言葉の表記や語感や音から発して横滑りして運ばれていく感覚。
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短編集。表題の『穴あきエフの初恋祭り』が一番難解だったような。『おと・どけ・もの』はリズミカルな文体で好き。
人を食ったようなネーミングセンスにはニヤリとしましたね。
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『遠いという漢字は、猿がバイクに乗っているようで、それほどきれいな字ではないかもしれない。でも僕はこの言葉が好きだ。とおい、おおおおい、来い、遠景、遠方、遠距離。僕には遠いということ自体に意味があるように思える』―『文通』
小さな半生物的な存在が汎世界的に人々を孤立させる時、内と外の境界は否応なしに鮮明化する。そんな時に言葉という媒質の特性を超えて繋がろうとする多和田洋子の試みは、自分の中では上手く心象の輪郭を結ばない。それは余りに「内」ということが無意識のまま思考の中に強く立ち上がり、心も体も外に開かれなくなった状態にある為か。いつもなら連想の切れ端が文字を変換する思考の中に忍び込み、勝手に文字を音に再変換した上で別の文字列に置換し広がり続ける妄想を楽しむことが出来る筈なのに。
エクソフォニーという概念は「母語の外へ」というベクトルを含意していると理解しているけれど、元々多和田葉子が志向していたのは(あるいは、試行していたのは)「音」が示すものの深層へ潜り込もうとするようなことだったように記憶している。しかし最近の多和田葉子は、フォニー(Phony)という言葉が指し示す「音」という含意を超えて、正に「母語(Mother Tongue)」という言葉が広義に示すものを「超えて」行こうとしているように見える。例えばローマ字入力の後に変換される言葉を選び取りながら、幾つかの言葉の間に認められる接近性を捉えるといった(もちろん本書でもそのような思考の足跡は随所にある)ものから、冒頭引用したような聴覚に併せて視覚が訴える接近性へも意識を漂わせている様子がうかがえる。考えてみれば、それは日常キーボードで文章を書く人ならば誰でも無意識の内に行っている動き(筆記用具を使うとさらに触覚が入力情報として更に付け加わるだろう)と存外似たような脳内作業のようにも思う。恐らく自分が多和田葉子を読む理由のほとんどは、そんな脳内活動の移植のようなことが自然と起こるからなのだが、どうも今はシナプスの結合(短絡)が上手に起きてくれない。
それにしても今回は別の文字列アバターが意味するものの実態が判ったようでよく判らないことが多かったように思う。例えば、「照子」や「青江」(どちらも「てんてんはんそく」に出て来る)。照子はTel=通信の実態を含めて電話の含意するもの、と察しが付くが「青江」は?。「肌」(=face?)がどうのと言っているので、どうやらソーシャルネットワークサービス(Facebook?)のようなものを示している気がするが、どうだろう。内に内にという生活が長くなり過ぎて、外からの刺激に疎くなっているのか。
「アイ電ティティ」。それは、近頃盛んに噂される、意識をデジタル化することへの警鐘なのだろうか。自分という思考は案外と輪郭不明なものであって、孤立するような自我というものがイメージするものとはかけ離れているもののようにも思えるのだが。
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いつものように言葉遊びや比喩が楽しい。夢日記ふうの展開や、SFぽいテーマもあって飽きない。
いくつかの短編について解り足りない!となった方に
「朗読と公演」での著者による補足説明をお勧めしたいです。
https://realkyoto.jp/article/tawada_moriyama/
(特に「てんてんはんそく」なんかは)こんな背景を知った上での解らなさくらいが丁度良かった。
あまりにも読者の想像力と予備知識に委ねられていると、自分はこれの受け手に相応しくないのだと、勝手に萎縮してしまう。
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短編集
著者独特の表現がときどき出てきて関心する。
表題作はあまり好みじゃないが、最後の「おと・どけ・もの」がなぜか気に入った。