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武田百合子氏が夫の泰淳氏と一緒に晩年に旅したロシア旅行紀行です!
2020/07/24 12:16
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、夫に作家であった武田泰淳氏をもった妻の武田百合子氏の作品です。武田百合子氏と言えば、夫の泰淳氏が亡くなった後に出版された、夫との富士山麗で過ごした13年間の思い出の日記を収録した『富士日記』が有名ですが、同書もそれに負けず傑作です。同書は、生涯最後の旅と予感していた夫の武田泰淳氏とその友人であった竹内好氏とのロシア旅行の回想録です。星に驚く犬のような心と天真爛漫な目を以て、旅中の出来事、風物、そして二人の文学者の旅の肖像を、克明に、伸びやかに綴った紀行となっています。同書は読売文学賞を受賞された傑作でもあります。
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夫とのやり取り
2019/09/27 20:04
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:earosmith - この投稿者のレビュー一覧を見る
夫武田泰淳と参加したロシアツアーの旅行記。淡々と綴られていながら
作者の純粋さがにじみ出てる文章は、夫とのやり取りも面白く、
読んでいてちょっと微笑んでしまう。
ロシアに興味がなくても読み物として面白い。
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新版。
ロシア旅行の記録。今となっては最早、見ることが出来なくなったソビエト時代の雰囲気がよく伝わってくる。武田泰淳とのやり取りも漫才みたいで面白いw
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2/3くらい読んだところで挫折してしまった。ロシアに興味が持てず、これ以上どうしても読めない...。でも、武田百合子の感性と文章がのびやかで気持ちがよい。また、あとがきがすばらしい。旧版の解説を色川武大がしていて、よい。武田泰淳と武田百合子の人となりについて書いてあるから、色川武大の解説を読んでから本文を読んだ方がいいんじゃないか。昭和44年の旅だというから、もう50年も前。当時の大らかな空気をうらやましく思った。
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夫・武田泰淳とその友人、竹内好との旅を、天真爛漫な目で綴った旅行記。読売文学賞受賞作。竹内好の随筆「交友四十年」を収録した新版。〈解説〉阿部公彦
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旧ソ連から北欧へと至る旅行記。
日記の形式で綴られる。
かなりドライでウィットに富んだ内容。
50年前のソ連はこうだったのかと思わされる。ソ連からスウェーデンに行き、不便な生活から便利な社会に変わったはずなのに。
筆者はソ連の方がたのしんでいたように思う。
なかなか破茶滅茶な珍道中。
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本人が後々世の人に読ませることを想定してたのか、あるいは夫が妻の作家性を見抜いて書くことそのもので事足りると思っていたのか、いずれにせよ才ある方々の珍道中です。
で著者の抜き取り方が絶妙に斜めを行っていて、まぁこのお方も変わった人なんでしょうな。
そしてこの度が終わった後、登場人物が生気を取られたかのようにこの世を去ったこと、何か色々考えさせてくれます。
ところで錢高という老人、かの有名なゼネコンの方ですかね。
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コロナ禍で思うように外出ができなくなったことも手伝って、ああ私も旅がしたい!という感想を強く持った1冊。
一癖も二癖もあるけどどこかお茶目な旅の同行者たちや旅先で出会う人々の無邪気さや大らかさが魅力的だった。
きっと彼らを見つめる百合子さんの目が一番大らかなんだと思う。
自分だったらちょっとめんどくさいなと感じると思うから。(何よりタイトルがもう…)
あと自分を美人だと思ってる女は強いなと感じた。
私はすれ違う人と目が合うと「(あれ…わたしボトムス履き忘れてる?)」とか「(え…顔になんか付いてる?)」など不安にしかならないので。
水に全然あたらないのも絶対性格が関係してると思う。
今もし全く同じルートで旅をしたとしたら街並みや人々やその空気感も全然違うんだろうな。
終盤のレニングラード辺りまで食事がほぼパンと肉ばかりで胸焼けしそうになったけど、確かに旅行先の食事ってそうなる気がする。
銭高老人が時々ふと夢から醒めたように「わしゃなんでここにいるんじゃろうか」と呟くのがなんだか良かった。
本書の中では『旅をしている間は死んでいるみたいだ』とあったけれど自分は真逆に感じるなぁ。
早く旅をして生き返りたい。
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一緒に過ごしているような気持ちにさせてくれる。今は見ることのできない異国での人々の息遣いが聞こえてくる。淡々としているからこそ、かなぁ。
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不思議に魅力的な本。ドライで、別に目眩く面白さがあるわけでもない気がするのにページを繰ってしまうし、いつの間にか武田百合子という人に魅入られている。この人は文章に考えを差し挟まない。なのに、ロシアや中央アジアの地から、心で何かを受け取っているのが読んでいてわかるのだ。その心のありようが、天衣無縫で憧れる。
あるとき私は、これを読みながら無意識に夜のような気分になり、目を上げたら朝の読書だったことを思い出してびっくりしたことがある。10代以来、小説でもこんなふうに静かに入り込んでしまった本があっただろうか。淡々と書かれているからこそ、想像力が泳げるだけの行間があるのだと思う。
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武田百合子が、夫・泰淳らと中央アジア→ソ連→北欧を旅した1969年の記録。
いや、日記形式で書かせたら右に出る者がいないのは当然だが、淡々と、だが生き生きと紡がれる毎日に引き込まれた。
当時のこととて、前半はガイドのついた団体旅行なのだが、身勝手だけど憎めない関西の富豪・銭高老人を楽しく愛しく見てる視点など、百合子さんの人格の大きさよ。
また、泰淳の妻への見下した物言い、そのくせ交渉・買い物・記録までなんでも頼る不甲斐なさなど、現代の女はイラッとするが、それもまた大きな愛で包んでらして…昭和の女は深い。
ただメニューだけを羅列した食事と、やったら出てくるゲロとトイレの話題。入ってから出るまでが人の営みよのう…。
描写と形容はうなるばかりなので、心に残ったものを抜いておく。
「何も見えない。ただ広い草原だ。はるばるとやって来た私たちを迎えながら、アルマ・アタの町は青い山々をひきつれて遥かにあとずさり、そのまま深く眠りこんでしまっている」
「石鹸で作ったような美青年である」
「大きな忘れものーー東京に置いてきた「時間」。旅をしている間は死んでいるみたいだ。死んだふりをしているみたいだ」
「いい天気。泣きたいばかりのいい天気。
存分に泣け、と天の方から声がすれば、私は目の下に唾をつけ、ひッと嘘泣きするだろう」
ひッと…出ないわー、すごい。
「天の巨きな手で掴まれ、夜の間に空を飛んで、この広場に西洋将棋の駒のように無造作に置かれた。朝目が覚めたら、昨日までなかった奇妙な家がひょっこりとあるのてわ何度も眼をこすっえみているーーそんな感じなのだ」赤の広場の感想w
「重たそうな水をめくって船が走る。雨は降ったり止んだりしている。薄陽が水面をひとわたり真鍮色に舐めてゆき、またすぐ暗い鋼色の水に戻り、雨が落ちてくる」
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文は人なり
と巻末の解説で色川武大が書いている。それに尽きる。
恥ずかしながら、武田百合子は初めて読んだ。
惚れ惚れする。
こういう文を書ける人になりたい。
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海外旅行エッセイが好きで、読んでみた。
このエッセイ…というか日記を読んでいて、なぜ自分が他人の旅行記を読むことが好きなのか、考えさせられることになる。
通常、旅行エッセイでは、筆者が旅先で眺めた風景や交流した人々、口にした食べ物から考えを巡らせ、反省したり、新たな知見を得たりとか、そういったことが盛りだくさんなケースが多い。そしてそれか旅行エッセイというもののフォーマル、典型的な形だと思っていた。
後書きにもあるが、これは完全なる日記である。目にしたこと、耳にした知人や夫の会話、食べた料理、他の旅行エッセイには類を見ないほど、淡々と記してある。
正直、最初はそのあまりの単調具合に読むのに飽き飽きしてしまった…のだけど、いつのまにかそのリズミカルな叙述、周りの自然や空気を捉える暖かな感性、そしてクスりとしてしまう、ちょっとした笑い。(狙ったフレーズじゃない所がさらに良い)僕はいつのまにか、引き込まれていた。
旅行記、旅行エッセイというものに対する考え方が変わる一冊だった。
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武田泰淳、百合子夫妻のロシア旅行記。
当時はソ連だったか。
素人っぽい書きぶりだな、という印象だけど、それだからこそ、逆に生き生きとしているのかもしれない。
うんこだとかトイレだとかエロ本だとか、きれいにまとめようと思ったら書かない話だけど、そういうのをさらっと書いちゃうところがいい。
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武田百合子さんは、「富士物語」と本書においては、ただただ天賦の才能としか思えない天才的な文章を買いています。
本書も随所に「信じられない…どうしたらこんなことが書けるんだ…」と感嘆するような表現があるのですが、ひとつ際立った箇所をあげるとすれば、著者のあとがき。とにかく彼女のあとがきを読んでください。何度読んでも、いつ読んでも、鳥肌が立つ。