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*ポリテック
政治がテクノロジーで変わる、テクノロジーが政治で変わる、政治とテクノロジーそれぞれが変わる
◎次の時代を考えるに大切なこと
①歴史や統計データを知ること
ある時代でチャレンジして失敗しても、この時代なら成功するかもと仮説を考えながら歴史を学ぶ
②論理的な日本語を身に付けること
③時代に適合した文理を問わない教養を身につけること
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政治家・猪瀬直樹を毛嫌いしていたが、この本の中身は抽象的でビジョナリーながら、経験に基づいたとても説得力のあるものだった。
政治がビジョンを示しテクノロジーが支援するポリテックが浸透する日が来るだろうか。
形は歪かもしれないがきっとすぐに来る。その時に私も、1枚噛む、出資するくらいの度量を備えたい。
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僕が考える地方再興を実現するための最大の条件はテクノロジーフォビアにならないこと。ロボットフレンドリー、テクノロジーフレンドリーであること。これに尽きます。
次の時代を考える上で、重要なのは大別すると三つです。
第一にこの本で繰り返し語ってきたように歴史や統計データを知ること。第二に論理的な日本語力を身につけること。第三に時代に適合した文理問わない教養を身につけることです。
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日本の課題は過密化する都市部と過疎化する地方で真逆であるが、歴史への理解のうえでビジョンを持ち、発想の転換とテクノロジーの活用(遠隔医療、ブロックチェーンによる土地管理など)で解決できる。
明治以降の近代化の中で意図的に創られた日本人としての画一的な原風景(富士山、松、戦後はドラえもんに出てくる家庭と町)を超克し、歴史認識のうえでリアルな立ち位置を自覚すべきである。
戦前戦後を通じて日本は官僚主権であり、全体目的よりも省益を重視し変化に対応できない彼らが、決められないが故の開戦をはじめとする各問題の原因となってきた。これからは政治家もテクノロジーを理解し、政治家と技術者が真に連携して社会課題を解決していくポリテックが必要になってくる。テクノロジーとの親和は、身体機能拡張によって障害を吸収して多様性に作り替えてしまう力となり、電力や介護や医療といった課題を少子化の中で乗り越える原動力となる。
そのような時代にあたって、人に求められるのは、論理的に思考し伝える力と、正規分布から外れたリスクのある判断や決断を行い、経験を積み重ねて他者にない専門性をもつことである。
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イノベーションが生まれそうな土壌を発見する。ニーズに気が付けば市場が生まれる。新し市場が生まれれば、予定調和な日常とは異なる世界が待っている。
普通であることは研究やイノベーション、アートの世界では価値を持っていない。
政治の課題をテクノロジーで解決する。テクノロジーの課題を政治で解決する。これがポリテック。
人間はコンピューターと違い、リスクを取っているほどモチベーションが上がる。専門性というのは自分しかできないことを見つけること。
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落合陽一さんと元東京都知事の猪瀬直樹さんの対談本。お二人の見識の深さや広さを、熱量を持った議論から理解できる本。
落合陽一さんは学生に、手を動かせ、ものを作れ。批評家になるな。ポジションを取った後に批評しろ。と言っています。手も動かさず者を乱さず、批判と愚痴を垂れ流す。そんな人は山ほどいますが、手を動かしながら語る人は少数派です。
猪瀬さんは戦後の日本をさして、ディズニーランドの中で生きているようなものだと常に語ってきた。それは命神神神の日本は日清日露戦争と言う国名を乗り越えて国を作ってきた。安倍晋三首相が解散の粒に掲げた国難、とは比べ物にならない位の国難を実際に突破してきたのが、明治期の日本であったといえます。ところが戦後の日本は防衛外交などおよそ製造に関わる全ての政策をアメリカに任せてしまった。アメリカ任せにする過程であるはずの国難は消失し、結果として個人の葛藤も消失していきます。日本人は外の世界で起きていることを忘れ、ただディズニーランドの打ち合わせで暮らせば良い。アメリカ初の画一性を受け入れその中で自分たちの楽しい日常を謳歌しようと言う方向に突き進む落としている。
長野オリンピック閉会式に生歌故郷を取り入れた演出がありました。3番の歌詞には、志を果たしていつのひか帰らんと言う言葉があります。この志と言うキーワードは改めて強調すると明治の立身出世はエゴイズムではなかった、と言うことです。
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印象に残っている話。
自分が勤めている業界でも前例踏襲主義が蔓延っているということが感じられ、それらを意識的に変革していかなければ、先細りしていくように感じられる。
最近ではチャットGPTのようなイノベーションが出てきているので、そういう新しいものにいち早く適応していきたい。
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落合氏と猪瀬氏がお互いをリスペクトしながらそれぞれの考える日本の未来と求められる思考法を語るという本です。
落合さんの本を読むと、「日本は決して終わった国じゃない」という希望が持てるから好きです。猪瀬さんの文章は初めてですが、『ミカドの肖像』『昭和16年夏の敗戦』といった過去の作品に興味を持ちました。
印象に残ったのは。第二章の「日本の風景」について。
「ドラえもん」の風景が無意識に日本人を縛り付けている。【均一な教育】【年功序列とローン】【マスメディア】という高度経済成長期の遺産を象徴しているのが「ドラえもん」だといいます。
アニメや漫画は日本が誇るカルチャーだと言われていますが、キャラクターばかりのコンテンツが日本の本当に見せたいものなのか?それが当たり前だと思っていたのでその問いに面食らいました。
この本を読んだのが2023年。いちおうオリンピックも終わり、日本は不祥事というとんでもないモノを世界に発信しちゃったわけですが。。。