紙の本
朝ドラにしてほしい
2021/02/16 21:47
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投稿者:タオミチル - この投稿者のレビュー一覧を見る
時は、日本の高度経済成長期の1960年代から70年。まだ専業主婦が圧倒的に多かったその時代に、ヤマザキマリさんは、シングルマザーの家庭で育った。ヴィオラ奏者として活躍する母は多忙で、一見、子供はほったらかし。しかし、その暮らし様は、あまりにも楽しげだ。その理由は、北海道という場所や時代の特性もありながら、母リョウコさんの器の大きさによるところが大きいのは明らかだ。本の帯には、「まるで朝ドラのような人生」とあるけど、確かにネタに不足はないな。朝ドラになったら、面白いだろうと深く思う。
紙の本
貫く生き方。
2020/07/02 15:07
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投稿者:名取の姫小松 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ヤマザキマリのこれまで人生を聞くと驚くが、その母の話を聞くと、更に驚く。乳母日傘で育ったお嬢様が、好きな音楽の道で生きていくために実家を出て、遠く北海道の楽団に入る。
ヤマザキマリが感傷的にならずに、綴るのは感慨深い。
紙の本
ヴィオラ母さん
2021/10/03 16:37
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投稿者:コズイコズイ - この投稿者のレビュー一覧を見る
破天荒なヤマザキマリのお母さんの話、驚きながら読みました。
ヤマザキマリが10代で行ったヨーロッパの話がもっとあるかと思いましたが、あまりなく残念でした。
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【昭和の破天荒シングルマザーが鼻息荒く生きて来た道とは――】ヴィオラ演奏家という職業を選び、音楽と家族を一途に愛する“規格外”の母リョウコの人生。リョウコに教えてもらった大切な事とは。
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とにかく、破天荒!母に振り回させる。けど、母は常に一生懸命。その姿は子どもには伝わっているのだなあと思った。バイオリンじゃなくてビオラってのもツボ。
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「ルミとマリとその周辺」で描かれ、エッセイ漫画にも登場する、鼻息荒く走り続けるお母さんは、ウマ子とニックネームが付いたヤマザキマリさんの現在の姿にも重なる。大人って子供が思うほど大人じゃないよね。
子供は寂しかっただろうな。でもそれ以上に一人の大人の後ろ姿、特殊ではあるがしっかりと愛情を見せてくれ、それは後から振り返ればちゃんと伝わっていた。
色々な家族があっていい。
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漫画家ヤマザキマリの母リョウコ,深窓の令嬢として育てられたが,音楽家として生きる夢を諦めきれず,27歳のとき両親の反対を押し切り会社を辞め,単身札幌へ移住し札響の創立メンバーとしてヴィオラ奏者になる。結婚し娘(ヤマザキマリ)を産むも夫と死別,その後,ほぼ女手一つで娘2人を育て上げるが,その破天荒でたくましい子育ての様子。周囲に左右されず,自分のやりたいことを貫く(そして,子どももそのように育てる)一本筋の通った生き方は,読んでいてスカッとする。
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雑誌連載を時々読んでました。
豪快な武勇伝はとぎれとぎれに聞いたり読んだりしていましたが
まとまるとさらに極太に1本通った芯を人として見習いたい。
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昭和という時代を強くたくましく生き抜いた一人の女性の伝記としてとても面白いです。子育てに悩まれてるお母さんたちにオススメ。子供への愛情の注ぎ方は子供の捉え方にもよりますし、色々な形があるんだなぁと〜
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この母にして、この娘あり。
以前からヤマザキさんのエッセイでお母様の話題はたびたび目にしていましたが、お嬢様らしい品の良さと目の確かさ、それにも勝る自立心の強さ、個性を重んじ、人を尊ぶ姿が素晴らしいと思いました。
長女として寂しい幼少期を送ったヤマザキさんも、まれにみるほどしっかりした方で、苦しい時代もあったけれどすべてを糧にして羽ばたいていらっしゃる。それは並大抵の苦労ではなかったと思います。
イタリアで若い時分から芸術を学んでいただけあって、相変わらずの知性。文才もおありです。
教育とは親の姿を子に見せ、そして一対一の個性として接していくことなんだろうなと思います。
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ヤマザキマリ氏のアイデンティティに絶大な影響を与えた母、「リョウコ」さん。確かに破天荒と言えばそれまでなのだが、誰もが母親に影響されているんではなかろうか。リョウコさんは少なくとも子供を愛して、自立させるとゆう大切なことをしている。そう、自立。未だに親元で暮らし(収入はあるものの)親子べったりな私にはとても羨ましいと思えた。
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ちょっと一風変わった母親を持った身としては、分かりみが深すぎて、抱腹絶倒しながら読むことを禁じ得ない、しかも本当に、愛に溢れた書。
普通の人と違うことをするから、変人扱いされることが多いんだけど、変わらぬ自分なりの信念を持っていて、愛情は誰よりも深い。
あとがきで、少し認知症が進行してきたから、この本を一緒に笑って読んでは貰えないけれど、いっしょに居られるだけで幸せ…みたいなところに、涙が溢れた。でもきっと、ヤマザキマリさんが連載されていた『立っている者は母(リョウコ)でも使え!』はちょくちょく読まれていたのだろうし、ヤマザキさんの気持ちは十分伝わっていると思う。。
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ヤマザキマリさんの、お母さんを中心に描いたエッセイ集。
お母さんは、まだ女性の社会進出が当たり前ではなかった頃に、単身オーケストラのヴィオラ奏者として札幌にやってきた。なんと、札響の女性団員第一号だったんだという。
文章だけでなくマンガも挿入されているが、そこで描かれるお母さんはザンバラ髪の山姥のようであり、目が必ずギラリと光っている。
少女・ヤマザキマリの目からは、単純に恐かったのか、それともその気概というか、特殊な感性、独特の生活感覚のようなものがそう見えたのかも知れない。
ただ、破天荒なやり方ではあるけど、深く娘を思う母の気持ち(を思いやる娘の気持ち)が伝わってくる、面白うてハラハラして、やがてほっこりする好著なのだった。
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作者が誰か全然分からないまま、面白そうな本だったので読みはじめました。まさかテルマエロマエの作者だったとは。先日サワコの朝に出ていて面白い人だなあと思っていましたが、この母親だからこそこれだけの漫画を描く女性が誕生したんですね。
今なら育児放棄で児童相談所が来そうな家庭ですが、親子が分かり合い愛し合っているのが分かるので微笑ましいです。自分のやりたいことを仕事にして、全てに優先するというのは実際子供からしたら相当寂しいし、ぐれてもおかしくないけれど、そこがこの親子の特異な点だったんでしょう。言外の愛情をしっかり受け止める子供と、物事を押し付けない母親(シチュエーションはこれ以上ない位押し付けられてますが)、絶妙なバランスだったんでしょう。私の幼少期なら耐えられないと思います。
夜に表で遊んでいる子供って今見ても異様ですし、友達の家に長期間預けられるって肩身狭い・・・。我慢していたヤマザキ姉妹偉いなあ・・・。
でも、そんな中でも親子が愛し合っているのも分かるし、母親も娘たちと出来るだけ触れ合おう、分かり合おうとしているのも伝わってきます。これは母がというより子供たちがいい子たちだったんでしょうね。よかったねお母さん。
ヤマザキさんが国際シングルマザーとなって帰国しても、すんなり受け入れる母親。これヤマザキさんホッとしただろうなあ。結局常識に囚われるのではなく、何か一番重要か分かっている親子関係なんでしょう。重要なのは既に存在している子供ですからね。
途中に挟まるちょっとした漫画も魅力的です。
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痛快な言葉がたくさん。
孫の代まで私の責任!
が特にお気に入り。
寂しさと、愛情を感じることは両立する。私も、うちの息子も多分そう。
あと、やっぱり破天荒って遺伝するんだと確信。