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なかなか表面化されない毛沢東時代の悲惨な中国国内状況が描かれており、大変興味深く読ませてもらいました。
文化大革命が始まる前の大躍進時代の話が主で、先進国に追いつくために多くの犠牲者を出したことが中国共産党が開示した公文書をもとに描かれています。
大規模工事、滅茶苦茶な農業政策、果てはカニバリズムに至るまで、惨憺たる中国の1950年代、60年代は凄まじいものがあったようです。
多少の脚色やオーバーな表現はあるようにも思えますが、尋常じゃなかった当時の中国を知ることができます。
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2010年代に読んだ中でもっとも衝撃を受けた本。学者が書いているため統計部分が多いのだが、そこは流し読んでもよい。事実の重さに慄然とする。理不尽な状況下で生き延びるために、一体何をすればいいのだろうか?
→文庫化(ただし1600円する)
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やっと読了。成毛オススメ本から。文庫化されているのをふと書店で見つけて、オッ!と思って購入。正直、いまひとつピンとこない地名や数字の羅列が多くて、読み進めるのがしんどかった。確かに資料的価値としては、隠ぺい体質のかの国・かの時代に関して、とんでもないインパクトを持つものだとは思う。ただ、並の一般人が楽しむとすれば、最後の総括部分としての最終章と、あと訳者あとがき+解説で十分なんじゃないかと思っちった。ただまあ、それを言い出すと、本書系のノンフは大方不要、みたいな話になってしまいかねんけど。
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犠牲者4500万人と言われる人類史上最大のジェノサイドの記録(毛沢東の大飢饉)である。
歴史の教訓という安っぽい言葉では片付けられない。人それぞれに読み取れる内容は異なると思うが、繰り返し読み返してこの愚行から真摯に教訓を読み取りたい。なお本書は、毛沢東とその追従集団を(可能な限り事実に基づき)批判的に描いており、読者の政治的立場によっては解釈が分かれる部分も多いと思うが、私自身は毛沢東及び中国共産党については一片の共感も覚えない立場であることを念のため記す。
以下、私が感じた3点を備忘録的に記載する。
(1)毛沢東とその追従集団の姿から「自分が所属ずる組織の欠陥」を見つめてみる。
本書で描かれる毛沢東の姿は、組織のトップにある人間が陥る救いようのない本質についての貴重な事例である。
本書はじめにより「毛沢東がみずから威信を賭けた社会制度、経済制度がほとんど崩壊したことを示している。大惨劇の状況が明らかになるにつれて、主席は彼祖批判した人々を糾弾し、常に不可欠なリーダーとしての地位を維持しようとした。飢饉収束後に、主席に断固反対する新たな派閥が誕生すると、毛は権力の座に居座るために今度は文化大革命を発動して国を混乱に陥れることになる。」とあるとおりである。
毛沢東とはスケールは全く異なるものの、経営者の組織私物化、独善化、老害化に通じるものがあると思われる。毛沢東という人類史上最悪の事例として読み解くことで、整理できる部分も多いのではないだろうか。
また、毛沢東個人だけで人類に害をなしたわけではなく、その追従集団によりその害が増幅されていった様も、中国共産党という組織を通じて描かれている。皆さんの所属している組織の問題に当てはめて考えてもらいたい。
(2)カオスの本質
私たちは、日本の戦後生まれの世代として戦乱や飢えに脅えることなく生活することができており、それが大前提となり拝金主義的な価値観の元で生きている。なので、餓死や人間性崩壊に直面するようなカオスの状況がうまく想像できない。
ただ、将来訪れるかもしれないカオスの本質のようなものを読み取ることはできた。
カオスというのは、悪の大王のような存在が明確な意図をもって私利私欲のために世界征服をするとか戦争や虐殺をすることではない。誰も明確に意図や責任を問うことができないのに、相乗効果の結果として膨大な人命、資源が失われ混乱に陥る状況のことを指す。個人の力では回避も解決もできない。(戦前の日本の軍部独裁も同様の事例か。)
本書にいう「無駄を生み出すという意味では、これ以上のシステムを作ることは難しいに違いない。」と言われる混乱状況の結果として、飢餓や社会崩壊によって数千万人の人間が地獄に落とされ生命を失った。
本書はじめにより「普通の人が生き延びることができるか否かは、嘘をつく、取り入る、隠す、盗む、騙す、横領する、略奪する、密輸する、ごまかす、巧みに操る、さもなくば国を出し抜くといった能力の有無にかかっていた。」とあり、暗澹たる気持ちになる。
中国人の民度は低い、マナーが悪いと言われる。当然である。60年前にそうした非人間的な選択を経て生き残った人々の子孫なのだから。生き残った彼らは、我々とは全く別の価値観を有していると理解しなければ相互理解ができるはずもない。
(3)中国共産党の本質(現時点でもこのような反国際社会集団が日本の隣国に存在すること)
端的に、中国共産党の本質を知ることができる。
彼らは、我々がイメージするような政治団体でもなければ、国民の利益代表でもない。
極左暴力集団という言葉どうり、「暴力革命集団」であり現在も国際社会に向けて敵対的な革命を継続中であることに何らの遠慮はない。
その本質は、限りない権力闘争、秘密工作、そして国民の人命や権利をとことん軽視することを習い性にしており、価値観を共有できる集団ではない。(そういった意味では地球外生命体に近い位置づけになると思う。)
巻末の解説で、現国家主席の習近平が副主席時代の守旧的なエピソードが登場するが、彼らの権力を守るために、表面上毛沢東を礼賛し、負の業績を無かったことにする方針に今後も変更はない。(内部的には、失政として轍を踏まないようにするだろうが。)
このような反国際社会勢力が、直ぐ隣国に存在しているということ、アジアの国際社会はそれに渡り合っていく力が試されているのだと理解した。
単純な和平もなければ、対立もないところで、どうやって利害の落とし所をみつけて、パワーバランスの維持に務めていくか、日本にとっての最優先課題であると認識した。
最後に、2020年8月現在において、新型コロナウイルスの発生に端を発する諸々の反国際社会的な振る舞い、南沙諸島海域における帝国主義的な振る舞い、香港に対する国家安全維持法の強行など、中国共産党の振る舞いはますます国際社会に敵対的なものになっている。
願わくば、自分たちの子供の世代においては、中国共産党という反国際社会勢力の勢力が弱体化し、その歴史上の役割を終え、ソ連のように過去の遺物として語られるような時代が来るように、微力ながら個々が中共の勢力伸長を抑える行動をお願いしたいと強く願う。
繰り返しになるが、自国民4500万人を死に追いやってもそこに自責はない殺人集団である。彼らがその気になったときに隣国の人間を4億だろうが5億だろうが死に追いやってもそこに自責や自制が働くとはとても考えられない。
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大躍進政策に対する共産党の公式見解は文書はあまり存在しないなか、著者が地方の共産党支部などに残る文書を丹念の読み解いて分析した大作。そこで明らかになったのは近代では考えられない不合理さと凄惨さに満ちた事実であった。当時ソ連に見栄をきるために自分たちが食べるものもない中、食料を海外に輸出するなどの愚策は、客観的な批判勢力が存在し得ない独裁主義国家の特徴であり、北朝鮮でも再現されている現実である。
数年の間に、少なくとも4500万人の死亡者が出たという事実は、日中戦争で中国側死亡者が1000万人以上とされているものと比較しても、あまりにも莫大な数である。また、被害者のほとんどが幼い子供、女性、高齢者であること、すべてが餓死や虐待といった悲惨な最後であることを考えると、この悲劇を単純な数字の比較で済ませることなどできないだろう。さらにこのうち250万人は拷問、処刑死であるという。共産党政府が認めている大飢饉の被害者は最大のものでも3000万までであり、それ以上の如何なる説も誇張であると主張しているが、ここまで大きな数字だとどちらも五十歩百歩としか言いようがない。
大躍進からから60年近くたった現代中国においても、日中戦争時の日本軍の仕業なんかよりも大躍進と後の文化革命による記憶の方が鮮明に記憶されているに違いないことを考えると、今に至る、日中戦争時の日本軍への執拗とも言えるバッシングは、中国共産党の正当性の主張、アイデンティティの維持という目的のみならず、これらの凄惨な結果に終わった中国共産党の失策に対する中国国内の不満の目を背けるための手段でもあるのだろう。
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アクセス可能となった中国共産党の文書に基づいている。
当時の政治情勢もよくわかる。
本書では少なくとも4500万人が本来避けられたはずの死を遂げた、少なくとも260万人が拷問死あるいはその場で処刑と推察。
大躍進の結果、毛への批判が高まり、それを回避するため、文化大革命をは発動。
大躍進は、ソ連への対抗から、15年以内、イギリス(鉄鋼生産)を抜くと1957年11月に公言してから。
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1958年から1962年、大躍進の時代の大飢饉。公開されつつある党の資料を緻密に検証して、その死者が4500万人、そのほとんどが餓死だったことを明らかにする。一切の私有を認めない人民公社、農業も工業も商業も全部が破壊されていく。毛と毛に忖度した党員による蛮行。一党独裁、独裁者への批判を許さない強権体制では、取り巻きは忖度し、出鱈目を働き、そして被支配者は殺される。
4500万人はどのようにして殺されたのか、その一部始終が明かされる。
そしてこの蛮行は、文化大革命へと繋がっていく。
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現実を直視することの重要性を教えてくれる本だ。本書は、1958年から1962年頃に中国で起きた大飢饉、その主要因ともいえる毛沢東について詳細に記述している。当時の7億人の人口のうちの4500万人が死ぬような世界とはいったいどんなものなのか、本書を読めばよくわかる。
当時の官僚たちは、毛沢東から農産物や鉄鋼などの基幹産業について、現実とかけ離れた生産目標を掲げさせられていた。目標が達成できなかった場はおそろしい目にあいかねないので、さまざまな方法で数字のかさ増しか行われていた。たとえば、農産物の実際の生産量は、公表値の2割しかなかった。この生産量では全国民が飢えずに生きることは不可能だが、嘘の生産量か報告されているため、援助がなされることはない。したがって、大量の飢餓が発生する。この話をみて思ったのは、検証のなされない目標は、無意味であるどころか有害ですらあるということだ。理想を掲げることは悪いことではない。それにより、新たな世界が生まれうるからた。だが、理想と現実が一致しないとき、ひとは容易に現実から目を背けて、虚構の世界に逃げ込んでしまう。どんな状況でも、現実を直視しなければならない。