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・氏家幹人「江戸人の老い」(草思社文庫)を読んで思つたのは人は老いるといふことであつた。この書名からすれば当然のこと、何だ、そんなことかと思はれさうだが、しかし、やはりさう思つたのである。本書に載る3人、鈴木牧之、徳川吉宗、十方庵敬順の晩年はそれぞれである。身分が違ふ。徳川の御代、いくら平和だといつても身分が違へば暮らしぶりも違ふ。それでも皆老いる。本書はこの当然のことを教へてくれる。
・徳川吉宗はテレビドラマにもなつてゐる。歴史上でも有名である。老いとは無縁の人物に思へる。ドラマの年齢がいくつなのかは知らないが、壮年とでもいふあたりであらうか。老いとは無縁である。現実の吉宗は62歳で将軍職を辞して隠居生活に入つて68歳まで生きた。現代ならそれほどの年ではないが、当時としては長生きであつた。しかし、吉宗は64歳の時に中風、現代の脳卒中で倒れてゐる。死ぬまでの4年間はその戦ひの日々であつたらしい。本書ではそれが 「吉宗公御一代記」によつて紹介されてゐる。これは最側近の小笠原石見守が書いたものであるやうで、もしかすると将軍を辞してから書き始められたのかもしれないが、現在残るのは吉宗最後の4年間、いや5年間といふところであるらしい。これを見ると吉宗に対する手厚い介護、看護がよく分かる。元将軍だから当然である。例へば現在なら医師団とでもいふべき医師が4人ゐたといふ。この4人で、初めは隔日に2人づつの当直、後に1人づつの当直となつた(109~ 110頁)。薬には多くの薬があり、症状によつて変へた。介護では、食事や排便、入浴等で様々な配慮がなされてゐた。食事は小姓の仕事であつたらしい。ただしこの小姓は少年ではない。「大御所の給仕を務める小姓が三名指名されているが(中略)寛延元年(一七八四)九月一日の会食で給仕を務めたのは、宮城越 前守和忠(四十五歳)、矢部左衛門督正虎(四十歳)、岩本帯刀正久(二十八歳)で、いずれも本丸で小姓を務め三年前に西丸に移動してきた経験豊かな人々 だった。」(114頁)これらの人々が「自分では箸を使えない大御所のために箸を口に運ぶ専属の小姓」(同前)を務めたりしたといふ。1人の食事に3名の介護者とは何とも恵まれてゐることか。それと同様に排便も大変だつたらしい。具体的にどのやうに介添へをしたのかまでは書いてない。ただ、その環境を整へるのだけでも大変だつたらしい。それは吉宗がリハビリを兼ねて外出をすることが多かつたからである。普通のトイレではすまないから、特別なのが必要にな る。船で出ることもあり、その時は船になる。岩見守は「小型船には大御所様用の『御小用御大用所』(大小便所)を増設する十分なスペースがないとこぼし」 (115頁)たりもしたといふ。吉宗はすべてこのやうに看護、介護されたのである。これは当然ごく限られた人の場合、普通の人はかうはいかない。と書きはしたものの、本書には普通の人がどのやうに看護、介護をされたかは書かれてゐない。そこに行かずに亡くなつた人ばかりではないが、さうならなかつたとすると、それが幸福かどうかは当然一概には言へない。有名な「北越雪譜」の鈴木牧之と僧恵順が本書には載る。ともに吉宗のやうには��らなかつた。特に恵順は 「游歴雑記」を表してその健脚ぶりを示してゐる。つまり元気だつたのである。牧之とて同様であらう。いづれにせよ様々な老後が、今も昔もある。本書には最底辺の人々の老後が出てゐない。それを書くのは無理であらうか。「この本には現代の高齢者が抱える問題がほとんどすべて登場する。」(「文庫版あとがき」 211頁)本書は江戸の昔の老後を教へてくれる書である。