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進化論的な切り口でバサバサ
2021/04/08 16:21
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Koukun - この投稿者のレビュー一覧を見る
良い意味でも悪い意味でも刺激的な本である。著者の日頃からの主張の集大成のような位置づけの本のように感じた。特に人文科学系の難解な考えを、著者の得意とする進化論的な切り口でバサバサやるところは読んでいてなかなか気持ちがいい。しかし裏返して見ると独善的な奇をてらう自分の主張に都合の良い部分だけを引用する という欠陥を持っている。
それを承知で読めば、なかなかに面白い本である。
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興味がない分野への導入書といった内容の書物。平易な文章なので難しい内容でもすんなり読めます。
ただし、「平易」に書こうとしすぎて少々暴力的表現が目立ちます。あんまり、いい気分はしません。
あと、著者自身が理解できない分野には「無意識」とか「複雑」と言う曖昧な言葉で逃げる癖があるようです。
アマゾンレビューに「ギガバイトからキロバイトになっててグッと圧縮されててわかりやすい」とありましたが、いわゆる不可逆圧縮されてますし、ところどころ著者の独自解釈や主張が織り交ぜられてます。出展は紹介されてますので、そちらを読まれてはいかがでしょうか。
また本書以外にも導入書や叢書的立場の本はあるので、そちらの方が有用でしょう。
そういった意味で本書こそ「読む必要のない本」かもしれません。
少なくとも私はそう感じました。
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本書は、読書案内といいながら、筆者の考える重要概念を、筆者の言葉で一通り解説している本。読まなくてもよい本が実際に書いてあるわけではない。
初めて橘氏の著作を読んだが、1959年生まれということで、自分より7年年上の先輩にあたるといえる。重要概念の説明の仕方が非常にうまく、例えば、PC(Politically Correct)のあたりの話はうまい。PCにひっかからないように、イデオロギー化する危険を指摘しているバランス感覚がある。
1複雑系
・フラクタルをマンデルブロが考えた後で、カオス理論が出てきた。
2進化論
・グールドの進化論批判は道義的な動機で行われたので、アカデミックには今一つ
・竹内久美子は、動物行動学者としては、まったくもって不適格の烙印
3ゲーム理論
・ベスト&ブライテストの動きとしてのキューバ危機
・経済学より国際政治にあてはまる
4脳科学
・ここ(意識)がニューロンの電気的・化学的反応、すなわち物理的現象にしかすぎないことを明らかにしつつある
・行動は7秒前に予測されている
・意識に現れる「自由な心」はよくできた幻覚にすぎない
・社会科学は自然科学に統合されていく
5功利主義
・トレードオフがある以上、すべてのひとが満足することはありえない
・正義はエンターテインメントである
・自由、平等、友愛が政治的党派のオリジン
・功利主義には進化論的基礎がない
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たったこれだけの分量で現代思想の最前線を概観できる。これだけわかりやすい文章で書かれているのもすばらしいブックガイド。
タイトルは「読まなくていい本」となっているが、「ここから読めばいい本(それあまでの本には付き合わなくていい)」という感じであろうか。本書を足掛かりに、ショートカットして知の最前線に飛び込もうという趣向は、興味にあふれる僕らにとって実に刺激的で、背中を押してくれるものであった。
またここに戻ってきたくなるけど、振り向かないくらいの気持ちでいたい。そんなもの。
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後に『言ってはいけない』へと続く論理展開。読まなくてもいいのは、自然科学の進歩によって、その存在意義を失った哲学やフロイトの精神分析など古い認識・考え方で書かれた本。人生は短く、読める本は有限だからこそ、本を選ぶ必要性を教えられた。進化論ではヒトの不合理な経済行為まで説明し得る。各章末のブックガイドで、また読みたい本が増えた!
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こんなビジネス書はゴミみたいだから読むなみたいな内容を想像していたけど全然違った。複雑性や進化論など一見すると小難しいことをざっくりと紹介する本。
この本が取り扱うテーマは進化論、複雑性、ゲーム理論、脳科学、功利主義。
なぜこのテーマなのかはこの本を最後まで読むとわかるこれら全てつながっている。
進化論や複雑性など自分が知っているつもりだったテーマが多いと思っていたが知っている事と人にわかりやすく説明できることを文章としてまとめられる事は全然違うことであると感じる。その、この本の著者はこれらのテーマのことをよく理解していると思う。
しかしなあ。自分が興味ある分野がこれだけ一個人に網羅され解説本も出されてるとなると自分が貪るように本を読んでいるのは何なんだろうという気持ちになるな。自己満足のために読んでるはずなのに。
......
行くのはマンデルブロ単純な規則が複雑なものを乱すフラクタルと言う概念を見いだす。それを駆使し金融市場で成功したナシームニコラスタレブも登場
象の時間ネズミの時間 生物の個体の寿命は体重の4分の1乗に比例する。体が大きいほど動物の寿命が長い
ポリコレ、メリークリスマスはキリスト教特別扱いしているとしてクリスマスから新年にかけての挨拶はハッピーホリデイズに変わった
ゲーム理論。自分がだす情報は最小限に相手から引き出す情報は最大限に
プロスペクト理論は進化により説明ができる。得をするすなわち職業を得る事はリスクを取った大きなリターンよりも少ないリスクを取る確実なリターンが重要で奪われることつまり死に直結する事はリスクを取ってでもゼロにしたいと言う選好があった
統計は理論がなくても答えが導き出せる手法。経験的
記憶や感情意識意思といったものは脳の神経細胞の集まりとそれらの活動に過ぎないと言う論文が1994年に出版されている。意外と最近
近代科学の最大の武器は還元主義
フルーツが赤やオレンジなのは緑の反対色で動物に見つけてもらいやすかったから
ニューロンの仕組みはほぼ解明されておりそれが電気信号と化学反応による情報伝達やエントロピー増大の法則などの物理法則に従うのは当然のことであるがここから意識と言う奇妙なものの発生は説明ができないこれが心脳問題における最高度の難問
進化心理学における心とはシミュレーションマシン
脳科学における正義は娯楽(エンターテイメント)である
リベラルはデモクラット(平等主義者)と言う意味で使われている古典的自由主義はリバタリアン
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橘さんの本は好きで、よく読んでます。その博識ぶりから察するに、橘さん自身もものすごい読書家なのではないかと思います。そんな橘さんが、『現代の知を語るならこれくらいは知ってなきゃダメ』という内容を整理し、それらを学ぶために最良の書籍のリストを作ってくれました。内容は完全に『読むべき本』の読書案内です。タイトル後半部分の、『知の最前線を5日間で探検する』の方が内容をよく表しており、まさにこの書籍は知的探検のための最良の指南書です。本文中に、『古いパラダイムでできている知識をどれほど学んでも、なんの意味もない』と書いてあり、古い知識のいくつかが紹介されていますが、それらも歴史として学べばさらに自分の教養の引き出しが多くなると思います。ただ、膨大な知識体系を300ページの本1冊でまとめようという野心的な書ですので、やはり説明は簡素ですし、橘さんの私見も多分に入っていますので、やはりこの本を読んで終わりにするのではなく、紹介されている多くの本にチャレンジしてみるべきだと思います。 何にしても、おススメの本です。
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読まないといけない(=読みたい)本があまりにも多すぎるこの頃。どうしたらいいのだろうと思っていたら図書館でたまたま見つけました。「なるほど!読まなくていい本を決めればいいのか!」目から鱗です。
これまでの知識の集積によって,世界の捉え方は格段に変化してきています。たとえば,天動説の時代に書かれた知識は,現代(地動説の時代)を適切に捉えられないわけで,現代を捉えるにはそれを捉えるために適切な知識が必要なわけです。
そういった「最先端な」知識を紹介しようと試みたのが本書です。「なるほど,ここにアクセスすればいいのだな」と唸らせられました。「読まなくてもいい本」を通して「読むべき本」を教えてくれる面白い本でした。解説の吉川浩満氏が書いていますが,「読まなくてもいい本」をさんざん読んできたからこそ,著者は「読まなくてもいい本」を選別できており,著者の優しさ溢れる一冊です。
しかし,「読むべき本」にもっとアクセスしなければと思わせられた一方,ひねくれ者の私は「読まなくてもいい本」もしっかりおさえながら「読むべき本」をおさえなければと思ってしまい...結局は読まないといけない本がただ多くなるという...。悲しいやら嬉しいやら。
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2019年の5月に出た本。
書き方が良かったのか、とても面白くてすぐに読めてしまった。
現在の知識社会を知るには何を知ればいいのかを、
複雑系、進化論、ゲーム理論、脳科学、功利主義について簡潔にわかりやすく書いてある。
それだけだったら、☆3だけで普通の本だけど、これらが一個バラバラでなく、見事に点と点を繋いで線になって統合されておて、思わずおお!となった。
まさに知のガイドブックって感じ
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借りたもの。
「読まなくていい本」を選別するために、知の最前線……知識や論争を挙げ、「複雑系」「進化論」「ゲーム理論」「脳科学」「功利主義」の5つの分野を取り上げ解説したもの。
昨今のグローバリズムで求められる分野についてを解説。
現代版リベラルアーツみたいなもの?だった。そういう点では、池上彰『おとなの教養』( https://booklog.jp/item/1/4140884312 )に通じるものがあった。
章の最後にその分野に関するブックリストがある。
世界が二元論ではない。
哲学的な内容が科学で説明される、線引きが曖昧になっていることが伝わってくる。
中には近現代で発表当時は革新的だったが失敗?に終わった?今となっては疑似科学になってしまったような古典からの言及まで。まるで施川ユウキ『バーナード嬢曰く』( https://booklog.jp/item/1/4758063710 )的な?
ポストモダンの限界。ドゥールズ、ガタリ『リゾーム』(『千のプラトー』https://booklog.jp/item/1/4309463428 )からのアラン・ソーカル、ジャン・ブリクモン『「知」の欺瞞』( https://booklog.jp/item/1/4006002610 )の件は、まぁ、確かに言葉遊び(知的曲芸)か。哲学はゴミという話か……
複雑な世界が小世界の相似系の組織化(フラクタル)からカオス理論
ダーウィンの進化論をより発展させ、ヒトが進化の頂点ではなく、多様な可能性の1つに過ぎない。当時のヨーロッパにおいて衝撃的な発見。
社会生物学という分野の発展。男女の愛の違い、生殖戦略が異なり“利害関係”が一致しないこと。
…この辺りもよく分かっていない事が多いなとしみじみ思う。
ゲーム理論の話は、ビジネス、マーケティングにも関わる話なので興味深かったのだが、人間の判断は非合理であること、統計学とビッグデータの的確な解析の必要性を理解するにとどまる。
脳科学分野に関しては、意識の問題に取り組める哲学という分野が死んだ(神は死んだ?)とする潮流を取り上げる。
脳自体のブラックボックスぶり…脳の錯覚(勝手に情報を補う)、トラウマ理論で巻き起こった災厄――記憶の改ざん――についての紹介や、フロイトのエディプスコンプレックスはデタラメである(本質ではな)なぜなら近親相姦を避けるウェスターマーク効果なるものがあること。
人間には認知的不協和があり、新しい理論を受け容れる事への抵抗がある。
自由意思の幻…
どの分野も大まかな流れを掴めるが、いささか専門性に欠けるのと、全体的に批判精神(それまでの流れをひっくり返すこと)に終始している印象も受けた。
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絶望とともに、希望をもたらす一書。複雑系・進化論・ゲーム理論・脳科学・功利主義という「知のビッグバン」は、諸学をそれ「以前」と「以後」とに明確に分けてしまう程のインパクトを持っていた。それ「以前」に拘泥している私は、これからどうすればいいのだろうかw
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進化論、遺伝の影響、行動経済学など新しい科学の知恵を取り込んでいない本は、世界の実情を移していないので読まなくて良い、と断言する。
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進路を考える前の若い世代の必読書。私自身、残念な法学部卒だ。この本を高一までに読んでいたら「理系」(この分類も時代に遅れているけれど。)を選択していたはず。
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読まなくていい本というよりは、オススメの本を噛み砕いて教えてくれる本。
全部面白そうに感じた。オススメされた本をこれから読んでいこうと思う。
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「読まなくてもいい本」の読書案内 2019
「読まなくてもいい本」の読書案内
知の最前線を5日間で探検する
古いパラダイムでできている知識をどれほど学んでも、何の意味もない。
橘玲氏による著作。
2019年5月24日初版発行
本書は、2015年11月筑摩書房より刊行された。
本書は橘玲氏の「言ってはいけない」や「もっと言ってはいけない」のオリジナルとも言える本だ。
「言ってはいけない」は本書からのスピンオフなのだという。
橘玲氏によると世の中で出版される本の数は凄まじく多い。
人生で読めるのはその内のごく一部に過ぎない。
それが多少多かろうが少なかろうが、そこまで意味は無いのだという。
まあ、当たり前と言えば当たり前だ。
立花隆氏レベルなら違ってくるのだろうが、あれを真似することは不可能だ。
全ての分野を深く知ることは出来ないのだから、信頼できる著者の主張に乗っかるしかない。
本書は橘玲氏による科学の最先端を紹介してくれる。
読むべき本も見つかるだろう。
印象に残った点
人生において無駄な苦労をあえてする必要などまったくない。だが、既にしてしまった苦労をどのように位置づけて無害化ないし再利用するかは、重要な課題のひとつである。
本書が扱う領域は広大だが、これら全てのベースとなるのが進化論である。
読書の対象である学問や文化には時代に固有のパターンやプロセス、すなわち歴史がある。だから歴史をよく知る先輩からアドヴァイスが役に立つことがある。求めるべきは「読まなくていい本」をさんざん読んできた先輩からのアドヴァイスである。
古いパラダイムでできている知識をどれほど学んでも、何の意味もない。
1980年代には、NEC(日本電気)が開発したPC-9800が日本ではパソコンの主流で、98(キュウハチ)のOSを専門にするプログラマがたくさんいたけれど、マイクロソフトのWindowsの登場で全て駆逐され、その知識は無価値になってしまった。哲学や(文系の】心理学は、いまやこれを同じような運命にある。「社会科学の女王」を自称する経済学だって「合理的経済人」の非現実的な前提にしがみついたり、複雑系を無視してマクロ経済学の無意味な方程式をいじったりしている学者はいずれ淘汰されていくだろう。
大学教員の仕事は教養という権威を金銭に換えることで、ほとんどの文系の大学は彼らの生活のために存在している。その現実が明らかになるにつれて、風当たりが強くなってきたのは当たり前なのだ。
国際競争に勝つために高度な教育はごく一部のトップ校(G大学)だけにして、それ以外の大学(L大学)は職業訓練に徹すればいい、という提言も話題を呼んだ。
これに対して人文系の学者は(当然のことながら)「人間力を鍛えるためには教養が必要だ」と反論している。たしかにこの複雑で残酷な世界を生きていくためには知力だけでなく人間力も大事だろうが、彼らは根本的なところで間違っている(あるいは、知っているのに黙っている)それは、人文系の大学で教えてい��学問(哲学や心理学、社会学、法律学、経済学のことだ)のほとんどがもはや時代遅れになっていることだ。
「権力はきみの中にある。きみ自身がきみをしばりつけている権力なんだ」(フーコー)
その時以来僕は、「自分は善で(自分の外にある)悪=権力と闘っている」という物語をいっさい信用しないことにした。でもあれから40年近く経つのに、いまだ陳腐な善悪二元論を振りかざす人は減らないーというか、「韓国人を殺せ」と叫ぶ異様な集団を見ればわかるように、ますます目立つようになっている。
このことから僕は、もう一つの教訓を学んだ。
科学や技術は進歩するけれど、人は進歩しないのだ、ぜんぜん。
たとえばひとには「いったん手にしたものを失うことはものすごく抵抗するけど、最初から手に入らなかったものはすぐにあきらめる」という顕著な特徴がある。
(中略)
この性質をうまく利用したのが税金の源泉徴収制度
オプト・インとオプト・アウトで社会に対する影響に違いがないのであれば、どちらの政策が優れているかは明らかだろう。すべての社会問題を解決する魔法の鍵はないとしても、ヒトの進化論的なバイアスを利用して社会の厚生を大きく改善することは可能なのだ。
オプト・イン(ドナーに登録する方式)
オプト・アウト(臓器提供したくない人が登録名簿から名前を外す方式)
日本でもドナー登録をオプト・アウトにすれば、デフォルトを変えようとする人は殆どいなくなり、臓器提供の問題はたちまち解決するだろう。
オプト・インでもオプト・アウトでも本人の意志が尊重されることは同じだ。それにも関わらず結果に大きな違いが生じるのは、人が無意識のうちに「デフォルトを変えない」という選択をしているからだ。
市場のルールは株式取引などやったこともない法学者ではなく、経済学(ゲーム理論)を活用してつくった方がずっといいんじゃないだろうか。このように考える人が多くなるのは当然で、経済学的に合理的な法律をつくろうという「法と経済学」が今では世界の主流になっている。
日本の大学は法学部と経済学部が別々になっているが、これは完全な時代遅れだ。
法律(ルール)を功利主義的にデザインすることが当たり前になれば、経済学(ゲーム理論】の基礎づけのない市場の法は駆逐されていくだろう。
古い法律の世界に安住している人達は困るだろうけど。
マーケットデザインとは「市場の機能が使えない時に、ゲームを上手にデザインすることで市場と同じようなコアの分配を成立させる」技術のことなのだ。
囚人のジレンマから抜け出す→しっぺ返し戦略
1最初は協力する
2それ以降は、相手が前の回にとった行動を選択する
しっぺ返し戦略では、とりあえずどんな相手でも最初は信頼する。
それにこたえて相手が協力すれば、信頼関係を続ける。
相手が裏切れば、自分も裏切る。
だが一度裏切った相手が反省して協力を申し出れば即座に相手を信頼して協力する。
しっぺ返し戦略の強さの秘密は、その単純さにある。
複雑な戦略は、何をされるかわからないという恐怖を相手に与え、協���をためらわせる。
それに対してしっぺ返し戦略は、自分が協力すれば相手も協力し、裏切れば裏切り返される(搾取できない)ことが明らかなので、安心して付き合うことができるのだ。
人はなぜこれほど正義に夢中になるのか。
その秘密は、現代の脳科学によって解き明かされた。
脳の画像を解析すると、復讐や報復を考える時に活性化する部位は、快楽を感じる部位と極めて近いのだ。
復讐がなぜセックスと同じ快楽になるのか。
その理由は簡単で、せっかく手に入れた獲物を仲間に奪われて反撃しないようなお人好しは、とうの昔に淘汰され絶滅してしまったからだ。
生き残ったのは「復讐せざる者死すべし」という遺伝子なのだ。
共同体を維持する上でも、私的制裁(やられたらやり返す)は必要不可欠だ。
右の頬を殴られたら左の頬を差し出すのは立派だが、そんな聖人が増えれば好き勝手に相手を殴りつける無法者(フリーライダー)が跋扈するだけだろう。
こうして人やチンパンジーのような社会的な生き物は「正義」の行使(裏切り者を罰すること)を娯楽=快楽と感じるように進化してきた。ハリウッド映画から時代劇まで「悪が破壊した秩序を正義が回復する」という勧善懲悪の陳腐な物語がひたすら繰り返されるのも無理はない。
こうした説明を胡散臭いと感じる人は、インターネットの匿名投稿を見てみるといい。
ネットメディアの世界では、もっともアクセスを稼ぐ記事が有名人のゴシップ(噂話)と正義の話だというのはよく知られている。
人の一生は限られているから、人生で最も貴重な資源は時間だ。
「学問」の世界の既得権を守るために、使い物にならない古臭い理論を「アカデミズム」の名で(それも大学の高価な授業料まで取って)押し付けてくる人たちを相手にしている暇はない。パラダイム以前の学問を新しいパラダイムで読み返す、という学術研究はあり得るけど、それは専門家の仕事だろう。
生徒たちのつながり(社会的ネットワーク)はハブ&スポークに似たネットワーク構造になっている。
友達の法則
異なる友達グループ同士は交わらない
枝の末端にいる男子や女子が別の友達グループに恋人をつくることはない。
友達グループの中で、他の友達グループと交渉を持つのは一人だけ
幼少期に一緒に暮らした異性には性的感情を持たない
(フィンランドの人類学者エドワード・ウェスターマーク)
アベノミクスをめぐる論争を見ればわかるように、マクロ経済学の大きな特徴は専門家同士が罵詈雑言を浴びせ合うことだ(ちなみにミクロ経済学ではこんなことはない)
いうまでもなく科学に論争はつきもので、お互いに感情的になることもあるだろう。
だが科学論争は、最後は実験や観察によって理論を反証できるかどうかで決着がつく。
それではなぜ、アベノミクスをめぐって賢いはずの経済学者同士が口汚く罵り合っているのだろうか。この疑問に、マンデルブロならたった一言で答えるだろう。
それは、「マクロ経済学は科学ではない」からだ。
「動物行動学者」竹内久美子についても言及する必要があるだろう。
1980年代から1990年代にかけて、進化生物学や進化心理学を日本に広めたのが「浮気人類進化論 きびしい社会といいかげんな社会」(文春文庫)など竹内の一連の著作で、週刊誌の連載も人気を博した。だがこれらの著作は、現在では「進化論の乱用」として厳しい批判にさらされている。動物生態学・比較生態学の泰斗、伊藤嘉昭は「新版 動物の社会 社会動物学・行動生態学入門」(東海大学出版会)で、竹内の著作を「世界で一番大胆といえる社会生物学の悪用」として以下のように述べている。
「竹内はこれらの本(「浮気人類進化論」など)で自分を「動物行動学の一学徒」と称し、社会生物学の普及とある側面の発展で功績のあったR・ドーキンスの「利己的な遺伝子」の説を採用するならば、男の浮気は当たり前だから、「お偉方に複婚(特に一夫多妻)の合法化を提案してもらう」(「そんなバカな!」とか、福祉は「<子だくさんを望む><貧乏人の>遺伝子をふやす」だけだから悪である(同上)とか「特権階級は・・・最高で最善のシステム」だから「君主制が絶対正しいと私は思う」(男と女の進化論)などと書き散らしている。
竹内は、京大大学院にはいたものの、そこが中心だった日本動物行動学会で発表したことは一度もなく、研究論文も全く書いていないと思われるので、動物行動学者とは到底言えない。そして社会生物学の理論をねじまげ、全く反対のことまでいう」
これは学者としては極めて異例の、罵詈雑言に近い批判だ。伊藤がここまで書いたのは、竹内が日本の動物行動学の草分けで、瑞宝重光章を授与された京都大学の日高敏隆の門下生で、多くの共著を出していることから、専門家・研究者が日高に遠慮して「進化論の乱用」を指摘できないことに危機感を抱いたからだろう。
竹内は進化論を「悪用」して、一夫多妻制や福祉制度廃止、君主制待望など独自の政治イデオロギーを展開した。これは、現代の進化論が「右派」の主張と重なる部分を持つことを示している。その一方で、伊藤の批判の背景には明らかに「一夫一婦制」や「民主政」が正しいというリベラルなイデオロギーがある。竹内が反論すれば極めて興味深い論争になったかもしれないが、沈黙を守ったことで、現在はアカデミズムの世界では彼女の著作は存在しないものとして扱われている。
よく知られているように、ゲイとレズビアンの愛情やセックスのあり方は大きく異なっている。ゲイはバーなどのハッテン場でパートナーを探し、サウナでの乱交を好む。
エイズが流行する前にサンフランシスコで行われた調査では、100人以上のセックスパートナーを経験したと答えたゲイは全体の75%で、そのうち1000人以上との回答が4割近くあった。彼らは特定の相手と長期の関係を維持せず、子供を育てることにも殆ど関心を持たない。
それに対してレズビアンのカップルはパートナーとの関係を大切にし、養子や人工授精で子供を得て家庭を営むことも多い。レズビアンの家庭は、両親がともに女性だということを除けば(異性愛者の)一般家庭と変わらず、子どもたちはごく普通に育っていく。
(母子家庭の子供よりも社会的に成功する比率が高い)
一方、高齢のゲイ同士のカップルというのは殆どなく、養子をとることもないので、
人生の最後は孤独にさいなまれるのだという。
異なる生殖戦略を持つ男女は、利害関係が一致しないのだ
ローコストの男がより多くの子孫を残そうとすれば、できるだけ多くの女性とセックスすればいい。すなわち、乱交が進化の最適戦略だ。それに対してハイコストの女性は、セックスの相手を慎重に選び、子育て期間も含めて男性と長期的な関係をつくるのが進化の最適戦略になる。セックスだけして捨てられたのでは、子供と一緒に野垂れ死にしてしまうのだ。
男性は、セックスすればするほど子孫を残す可能性が大きくなるのだから、その欲望に限界はない。一方、女性は生涯に限られた数の子供しか産めないのだから、セックスを「貴重品」としてできるだけ有効に使おうとする。
「進化論的に優れた生き物」を議論するよりも、全ての生き物がそれぞれの進化の頂点にいると考えたほうがすっきりする。進化論は、生き物には優劣も貴賤もないというリベラルな科学なのだ。
知の最先端に効率的に到達する戦略は簡単だ。
書物を『ビッグバン以前」と「ビッグバン以後」に分類し、ビッグバン以前の本は読書リストから(とりあえず)除外する これを「知のパラダイム転換」と呼ぶならば、古いパラダイムで書かれた本を頑張って読んでも費用対効果に見合わないのだ。そして最新の「知の見取図」を手に入れたら、古典も含め、自分の興味のある分野を読み進めていけばいい。
人生は有限なのだから、この世で最も貴重なのは時間だ。たとえ巨万の富を手にしたとしても、殆どの大富豪は仕事が忙しすぎて、それを殆ど使うことなく死んでいく。
同様に、難しくて分厚い名著で時間を浪費していては、その分だけ他の有益な本と出会う機会を失ってしまう。
人類が生み出した知の圧倒的な堆積を知ると、どの本を読んだとか、何冊読んだとかの比較に何の意味もないことがわかる。15歳から85歳まで毎日1冊読んだとしても、死ぬまでに書物の総数のせいぜい0.02%(2万6000冊)にしかならない。それを0.03%に増やしたとして、いったいどれほどの違いがあるのだろう。
本の世界もこれと同じで、読者の興味の多様化、学問分野の細分化、新刊点数の増加によって、ハリーポッターや村上春樹といった例外を除けば、みんなが共通の話題にできる作品は無くなってしまった。