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じっとりとした夏の暑さと女性という湿り気のある生き物を見事に表現。主人公の良き友である遊佐の男批判がなかなか痛快。「能書きはいいから、おまえが先月やった洗濯と買いだしと掃除と料理の回数出せっつうんだよ!」あっぱれです。もし登場人物に共感できなくとも、呼吸が出来なくなるような湿度むんむんの夏の感じを味わうにはまさにこの季節が適している。
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姉妹の会話が、大阪弁だからというのでなく小気味よくコミカルで面白かった1作目。2作目は最近読んだ女性作家らの作品にも通じるのだが、多様化とか言ってそれが認められつつある?現代でも尽きることのない、女として生きる上での迷いが盛り込まれている。うまく言えないが、「女として生まれたからには子どもを産むのが普通」の普通って何だ?と改めて考えさせられた。
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感受性が強く融通の利かない子供のころのままの夏子は卵をぶつけ合った夏から8年たった今、精子バンクで手に入れた精子でセックスなしで子供に出会いたいと願う。その強い思いで行動した先に逢沢さんがいた。子供と大人の関係性のいろいろな場合がそれこそ生まれてくることを考えるぐらい出てきて、それでも子供を産む意味を投げかけている。逢沢さんと夏子が海遊館の観覧車に乗る場面は圧巻で、ボイジャーに連なる父親との思い出に涙が止まらなかった。本当に素晴らしい物語だ。
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Story about issue giving birth without partner. Theme is serious and so many not optimistic episodes, however, the way of writing is not too pessimistic, including some humor: actually one of funny episode made me laughing out loud ! (マサト)
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川上未映子さんはなかなか一般ウケしないのではないかと思っていたが
これは共感できる人多いのではないか。
読みながら思ったことは、さまざまで、
男性である私にはなかなか理解が難しいのではないか、と思い
いや、今どき、そんな気持ちが既に時代錯誤なのでは?と思い
主人公以外の登場人物はよく喋り、主人公はほとんど喋らない
みんな言っていることは極端で、極端の中で、静かに自分の方向を見つけていく主人公
なんてことを思った。
答えなんて無いな。
関西人やのにオチ無いな。
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生々しい女たちの独白と叫びを綴った“乳と卵”という傑作を生み芥川賞を受賞した川上未映子が10年の時を経て綴る続編は前作“乳と卵”で綴った女性“性”への嫌悪感の次のなるステージへと移行し女性“性”への幸福論を探す物語であり向き合う物語であり女性として現代を生きることへの物語であり女性としての幸福を求めるには男性が不可欠なのか?に対する挑戦の物語であり選ぶ権利や自由を説く社会の矛盾や欺瞞を突く物語であり“男”である自分には身に詰まるものが多くあったがそれ以上に“女”として生きることはこんなにも自由で不自由なのかと思わされた。特に“子供を産む”という行為は社会の正しさからすれば男の協力が不可欠であり子供を産むという幸福を得るにはあまりに多くの手続きを介さねばならぬのが現実だ。しかし必ずしも男という存在が必要か?精子提供(AID)なるものなどがある現代に女が“幸福”を求めるのに本当に必要な行為とは何なのか?自身の“幸福”のためのエゴによって産まれた子供は“幸福”になれるのか?流麗な文体から紡がれる重き物語は平成を終え新しき時代へと向かう女性の強い後押しになるか?そして男性はどうこれを受け止めるべきか?終盤のストーリーは少しあまさを感じたが文章と構成のリズムは洗練されてきたなと!
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第1部と第2部に分かれているのだが、乳と卵を読んでいないからか、大阪弁が多用されているせいか、なかなか興味深いとは思えずページが進まなかった。
第2部は私自身が興味を持っていた分野だったのと、良いテンポで話が進み、続きが気になり一気に読んでしまった。
私自身、物心つく頃から「いつかは子供を産み、お母さんになる」ことへの憧れ、想いがあり、この気持ちはどこから湧いてくるものなのか、世間や親からの影響を受けて、悪い言い方をすると洗脳されてそうなったのか、考えていた所この小説に出会った。
善百合子と夏子が会う最後のシーンが良かった。
この話の続きも読んでみたいと思った。
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二部に分かれているのだけど、前半と後半にけっこう乖離があるような気がした。それは物語の中の時間の経過だけじゃなく作家自身にもこの一部と二部の間になんらかの心境の変化であったり空白の時間があったのかなと思わせる。
自分はこの主人公と世代が同じで心情も共感できる部分がすごく多かったので読んでて何度も心動かされた。けど収束の仕方はなんとなく納得いかないというか、不満足感が。
この作品は乳と卵の続編的な位置づけとのことで、私は乳と卵も読んだはずで良かったという印象は残っているものの話の内容をきれいに忘れていたので、もう一度読み返そうと思った。
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昔、国語の教科書で読んだ、ある詩を思い出した。
英語を学び始めた少年が、「I was born」という例文に出会って、それが受動態の構文であることに酷く衝撃をうけて、
父親だったか誰かに、「人は自分が望んだわけでもなく、受動的に生まれるものなんだ!」と興奮気味に話す、というような内容だったと思う。
正解な文章は少しも覚えていないのだけれど。
その少年はたしか、英語の文法的な学びを得たことに感動して、興奮していたように思う。
けれどその詩を読んで、僕自身は凄く悲しくなったのを覚えている。
そうか、人はみんな、好きで生まれてきたわけじゃないんだな。
そういえば日本語の「生まれる」も、「生む」+受け身の助動詞「れる」なんだな。
ってことは、これは英語の文法的にそうなったわけではなくて、
その感覚は人間の本能的なものであって、世界共通のものなのかな。と。
自分が生きていく中で、何度か全てを投げ出したい気持ちになったとき、いつもそれを思い出していた。
そのことを、思い出した。
生きることは苦しくて、悲しくて、辛くて、どうして生まれてしまったのだろう、と思う日が続くこともあって、
それなのに、「命を繋いでいきたい」と思うのは、何故なのだろう。
それは身勝手な賭けで、不幸の拡大再生産で、ただのエゴなのだろうか。
やっぱりまだその答えはわからないけれど、もしこれから自分が親になったとして、
自分の子供が生まれてきたことを後悔してしまうことがあったとしたら、
その時は、どうかこの本を手に取ってほしいと思った。
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著者の小説はいつも心して読まなければならない。
そして今回も心がひりひりしながら読む。
夏子と巻子の関係に(会話に)泣きそうになる。
夏子はそのまんま著者に重なるのは何故だろう。
同じ職業(作家)だからか…
”反出生主義”こんな考え方があるのも初めて知った。
相手もいなくて、その行為もできなくて、でも子どもがどうしても欲しければ精子バンクに登録して誰の子かわからない子を産むって、どうしてそこまでって思うけど、それは私がその悩みとは無縁でいるからだろう。
編集者の仙川、作家仲間の遊佐、精子提供者によって誕生した逢沢潤と善百合子、昔のバイト仲間の紺野さん(個人的に気になるわ、うつの旦那さんの実家にお世話になることになったて姑がめっちゃ意地悪で)そしてもちろん姉の巻子と姪の緑子、ほとんど登場人物は女性たちとの間で濃密な時間と関係を築いていく夏子。
そして、辿り着いた先は…納得のラストだった。
窓か扉に向かう話し。まさに。
そして、また何年かしたらその先の物語を、今度は子ども目線のを読みたい。
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私なんて生まれてこなければよかった、と心から思ったことは正直たぶんなくて、それはとてもラッキーなことなのかもしれないと思った。
季節が巡り、年月がじりじりと、けれどあっという間に流れていく中で、一年前の同じ季節とは確実に違うところへと夏子が(本人は実感していなくても)前進しているように感じられるのが励みになった。
川上さんの描く切ないような懐かしいような夕暮れが好き。
「読者ってもっと大事なんです。もっとしつこくて、もっと粘り強い読者に出会ってほしいと思うんです。本なんて読んだってしょうがないこんなご時世に、それでも本を読もうとする読者に。得体の知れないものに、未知のものにどうしようもなく興奮する読者に。」
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リズム感がよく、とても読みやすい文体。最後まで心地よく読めます。
そんなに派手な展開はありませんが、物語に惹き込まれてしまいました。面白かったです。
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もし自分が夏子のように
セックスは苦痛でしかない
38歳の女性で、でも子どもは欲しい。
そんな立場やったらどうするんやろ。
前作「乳と卵」の続編である今作は
子どもを産むということは
どういうことなのか?
を考えさせられる物語でした。
編集者の仙川、作家仲間の遊佐、
そして逢沢の彼女(であった)善。
それぞれの「生」「性」に対する思いに触れ.、
悩み苦しみながら、夏子がとった結論・・・
この世に生まれることの意味。
めちゃくちゃ重いテーマやったなあ。
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女性性についての複雑さを
かゆいところに手が届くって感じで
清々しいくらい
よくここまで書いてくれました。
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1部では、子供は産まれたくて産まれてきたのではないという事がテーマに対して、2部では、母性の子供に会いたいという本能が、AIDを使ってまで子供を産もうとしている事を描いている。
そこにはAIDによって産まれた人の苦しみや葛藤に翻弄されながら、最終的には最も望ましい形で子供を産む。
これだけの気持ちで産むんであれば、子育ても愛情深いのだと思う。
昨今の幼児虐待のニュースを聞くにつけ、どんな形であれ子を成し育てる事は大切なことである。
動物でも一所懸命に子育てをするのに、ネグレクトする親が多い事が非常に悲しいね。