紙の本
サブカルから神髄に
2020/04/27 20:17
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
サブカルチャーや流行から、その時代を担う人たちを鋭くとらえています。音楽と集団意識との密接な関係も興味深いです。
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「1984年生まれのテキストユニット(っていうのがまず面白い)TVOD(パンスとコメカ、二人とも男性)が、20世紀にギリギリ間に合ってしまった世代なりの視点で、70年代以降の日本のポップミュージックの軌跡を辿り、現代に至るまでのひとつの文化的精神史を描く試み」
コメカ氏による「はじめに」より。
これが、膨大な情報量と(巻末の年表の価値!)引用と、TVODの二人の知識プラス主観プラス客観に満ちた楽しくて少しセンチメンタルでけっこう希望もある本の大きな趣旨。
私自身は彼らより5歳上で女性だが、読んでいくとかなり似通ったサブカルチャーを消費してきているのがわかるのがまず単純に楽しい。入っているワードひとつひとつに胸がギュッとなる。(例えば鶴見済、大塚英志、グルグル映画館、THISって雑誌などなど色々)。
2人の知識量に圧倒されつつ読み進めていくと、その「見方」が特徴的で新鮮に映る。二人であることで、かろうじて保たれる客観性、居酒屋の域を出ない文化系男子のマウント気味語りにもならず、切実さや真剣さをシニカルでなく表出させてるところ。こういう話題はスノッブ、シニカル、冷笑的な態度と切り離せない気がしていたが、そこは過ぎてて、ゆえの「ポスト・サブカル」なんかな。
日本に於いて、政治や社会と分断されたサブカルチャー、また、そうなってしまったワケ。
今現在もまたものすごい速度で変わっていってると思うけど、1973年から現代ていうスパンで捉え直すことで得られる「俯瞰的視点」が、読者からしたらすごく気づきになる。例えば、自分にとっての90年代は、、とか、思いを巡らし、そこに巻末の年表を照らし合わせて考え直すことで、社会の流れが自分の気分と完全に分断される事はないのだと気づいたり。(ふみふみこの、愛と呪いの感覚に近い思春期の闇、ただの中二病って言えない事がたくさん起きていた)。
読了後、なんとなくリンクするな、と、2011年発行のKATHY ZINEを開く。このZINEは、主にアメリカ北西部ガールパンクを好むTEAM KATHYという3人組が発行している。(その中の一人、DIRTYこと西山敦子さんは、 C.I.P BOOKSを立ち上げ、HEROINESを発行したりしている)
そのZINEは、ヒップスターとは何だったのか、という問いに、90年代の多様性擁護に唾を吐く白人不良路線、ホワイトトラッシュ風美学を「VICE」誌に、片や、募金のために仕事をしているような善良すぎる白人路線を「ビリーヴァー」誌にみて、独自の考察を進めている。
(サブカル同様、ヒップスターも、これが書かれた2011年の時点ですでに皮肉を込めた言葉になっている)
「65%ぐらいは正しい」ムードで自説を展開していく感覚が、TVODのそれとどこか通じていて、二人以上で進めることで得られる「客観」と「主観」のミックス具合が面白い。また、つい最近読んだ、田中宗一郎と宇野維正共著の「2010s」も、そのディケイドを二人で考察するものだった。
「2010s」は、2010年代のポップカルチャーが素晴らしかったということ、相反して日本での受容が大きく遅れていることへの警鐘を主としている。
ヒップスター論は当たり前のように人種問題、ジェンダーについて���れているし、2010sは、二人とも意図しないところで(後半にいくにつれて)「社会の現状についてのコメンタリーが前景化」してしまう。
ここが、同じようにポップカルチャーを語りつつも、日本ではそこが分断してることを示している。それぞれを読んでいるときには意識していなかったことが、「ポスト・サブカル」を読んだことで浮かび上がって、そこに疑問がなかった自分も。
他の本やテキストへの理解がこの本で進むとは思ってなかった、嬉しいおまけだ。
「ポスト・サブカル」に話を戻すと、
66年間というスパンで、「今」に振り回されずにゆっくりと考えることの「楽しさ」と「有意義」を深く感じた。「楽しさ」はカルチャー消費の基本だが、それだけじゃヤバいんじゃないの?っていうのも今はわかっている。わかっている頭でもう一回考える、「65%くらいの正しさ」で。
最後、これは極私的な見解。
焼け跡化したその後に、まだ余地があるのってつまりは「テキスト」「文学」なんじゃないのかな。自粛生活で本を読む人が増えたと思うし、過去からの連続性もかなりあるし、同時に冒険的なことができる(TVやラジオと比較して)。
ゆっくり、俯瞰で。
コロナ時代を経て、また新しい考え方ややり方が出てくるのが楽しみになったきた。