紙の本
怖い内容あり
2020/05/14 00:16
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:広島の中日ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
虐待事件を犯す母親を、一概に責める風潮はいかがなものか。著者はそんな気持ちを持ち、当書を著しました。
様々なケースを取り上げています。中には、読んでいて思わず目をそらしたくなるようなひどい虐待(虐待する母親が、子どもの頃親に受けた壮絶な虐待)の表現が、かなり怖くて辛いです。過激な表現が苦手な方は、無理に読まないのが賢明です。
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:なつめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
虐待や育児困難について、いろいろな角度から解説されて、よかったです。母親の問題だけでなく、興味深く読むことができました。
電子書籍
隣人がもしこのような人なら、どう考え行動するか
2020/04/21 04:06
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:み - この投稿者のレビュー一覧を見る
石井光太さんの本で以前読んだ「鬼畜の家」「43回の殺意」などでは、虐待した側の背景や親の代まで辿り、どのように事件が起こりどう感じているのか細かく取材されている。今回の本では一人一人を事細かく調べて伝えるというよりも、児童虐待はどのような要因があるのかを様々なケースで紹介している。それ故に急足感はあるが内容は重い。妊娠依存症や虐待によって起こるセクシャルマイノリティーの変化など初めて知る事もあった。
あとがきにもあるけれど、善し悪しを端的に判断するのでなく様々な要素を想像し、困っている人や孤立した人に声をかける意識が大事だと思った。
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:タタ - この投稿者のレビュー一覧を見る
親子でも、なんでもかんでも愛情や絆などでは、解決することが出来ない、深い問題があるんだなと、痛感しました。
投稿元:
レビューを見る
育てられない母親がいても、育てられる父親がいれば、不幸にも命を落とす子供は少なくなるだろうなあ、と感じる。
「babyぽけっと」の活動は素晴らしいものだと思うし、特別養子縁組のシステムはもっともっと普及していって欲しいとは思う。
私にとって子育ては苦行の部分もあったし、そうでない部分もあった。
苦行でしかない時期もあったし、そうでない時期もあった。
なるようになる、どうにかなると、どうしてもっと早く対策しなかったの、どうして誰かに相談しなかったの、がない交ぜになるのが子育てのように思う。
どうやっても、この環境では健全な子育ては無理だ、という事態はあるのだということをこの本は教えてくれる。
親なら子供のためにどんなことでも我慢できるだろう?という常識が、どれほど人によって違うか、考えたことはあるだろうか。常日頃、考えてきたことがはっきりと、言語化されるように感じた。
投稿元:
レビューを見る
さまざまなケースが出てくる。でも、暴力や育児放棄をする母親側も問題を抱えていて、子どもへと連鎖していく。
本では、地域で子どもを育てる必要性を訴えていた。
でも、もう一つ思ったのが、ここに出てくる話では、男性がすぐ逃げるケースが多い。男性側が逃げてしまえないシステムが欲しい。
投稿元:
レビューを見る
「身体的虐待」「性的虐待」「心理的虐待」「育児放棄」。4種類あるという虐待の事例が22。「複雑な家庭環境に育つ」という聞きなれた将にその通りストーリーが並ぶ。本書は取材報告であり、どうすればよいかという提案は示してくれない。著者の予告通り「気持ち良い読後感」では終わらない。答えは読者がみつけなければいけない。「自分がその場にいたら何か助けてあげたい」と思っても解決にはならない。苦しむ子供たちはたくさんいる。社会の仕組みを改善することを考えなければいけない。最終的には行政の手に委ねなければならない。もっとケアを手厚く。それしか答えはない。お金がかかる。貧困者に負担が重い増税はダメだ。緊縮ではダメだ。お金はある。国はお金をいくらでも作れる。問題は、人手と知恵だ。1人の被害児童を救うために多くの人の労力と知恵が必要だ。それで、解決できるのか、やってみないとわからない。嫌、一刻も早く手掛けなければいけない。この世に生を受けた1人の人間の一生がかかっているかもしれない。邪魔するのは緊縮財政。今できることは?そう、緊縮財政が誤っているということに早く気付くことだ。
投稿元:
レビューを見る
一つ2つではなく多くの理由で子供を育てられなくなる人がいることがわかる。
親だから産んだから愛情が湧くものではない。
母性は作られるもので、備わってはいないことを理解しなければせっかく生まれる子供を守れない。
男女問わず目を通してほしい本といえよう。
問題はそこしれなく、ひろがりもみえない。
人間がこれからどうしなければならないのか、考える時期に来ているのかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
これの反対に「育てられない父親たち」が読みたくなっ た。育てられない母親よりも相当な数がいると思うので。
両親揃ってまともに子育てしてれば虐待なんてそもそも起こらないと思う。作者が取材した養護施設に預けられてる子供が全員片親なことが現実なように。
元々生来の気質から「死にたい」と精神的に弱っているケース以外は救いようがあるけど、これは救いようがないのかなと思ってしまった。実親がどんなに頑張ろうとその方の精神は一向に病み続けているらしいので。
投稿元:
レビューを見る
仕事柄様々な保護者と会う機会があり、家庭環境など気になる子供の存在から、何かヒントとなることはないかと考えて通読。
虐待と一口に言っても、その背景にはかなり複雑に絡み合う要因があり、解決にはかなり困難を伴うことがよく理解できた。
本書に出てくる親子までいかないまでも、ネグレクト、毒親、過干渉、など多かれ少なかれ問題を抱える親子はかなりいるのではないかと思う。
自分が自分の立場でそういった親子に対し何ができるか、考えるきっかけになった。
投稿元:
レビューを見る
子どもを虐待した母親たちの24のエピソード。始めのミュンヒハウゼン症候群以外の人は、母親以前に人としてダメな人ばかり。でもその人たちもこの社会の中での被害者であることが多い。負の連鎖。
他の本(確か熊本のコウノトリ揺かごに関する本)で、日本では児童養護施設に預けても、親と連絡が取れていたり、いつか迎えに来るという意思があれば、特養にはできないとあった。実際に迎えに来ることは少なく、子どもは愛情不十分のまま施設で過ごし、社会に出て行く。本書ではある施設では卒業していった子たちでしっかり仕事をして連絡が取れている人はほんの数人と書いてある。要は、施設を出たほとんどの子は裏社会、夜の世界へと行っている、と。
世の中には説得しても響かない人、そもそも何らかの障害を抱えていて人を育て上げることができない人がいる。そういう人たちでも人間の3大欲求である性欲は普通にあり、また避妊に対する知識が無かったり、性暴力によって子どもができてしまったりする。産まれた子どもたちが少しでも幸せになれる社会を大人は考えなければならない。
投稿元:
レビューを見る
世の中にはまだまだ親の愛情をたくさん受けることができていない子どもが沢山いるということがわかった。発見されている分でもすごい件数なのに、発見されていない家庭もあると思うと、目も開けられないほど、悲しくなってしまう。
もっと沢山の世の中の人たちが日本にこんな現状があるということをしっかり理解して日本全体で支えていけるようになっていけばいいと思う。
投稿元:
レビューを見る
題名そのままの内容の本です。石井光太さんの本はどれもこれも人間を掘っていくような本が殆どですが、これは負の連鎖をとても感じる一冊でした。
虐待や育児放置によって心や体に傷を負い、その先の人生も上手く行かず虐待の連鎖を発生させてしまう女性たち。どうしても当事者だけを責めたくなってしまいますが、石井氏の冷静な筆致で描かれると、社会全体としてどうするべきなのかと考えざるを得ません。
何も罪のない子供たちが被害に遭う事は、孫の姿を見ていると悲しくて涙が出てきます。守られるべき存在が、虐待、放置、搾取の対象になるという事が本当に辛いです。
いつの時代も変わらず一定数いるし、完全に防ぐ事は難しいかもしれませんが、子供たちを保護している機関の人々には頭が下がります。
保護の遅れなどで亡くなった時に批判にさらされますが、部外者の我々には分からない苦労が山のようにあるはずです。言うだけなら誰でも出来ます。
世の中の子供たちが心安らかに眠れますように。
投稿元:
レビューを見る
虐待や育児放棄に至る原因はひとつではない。
収入の不安定・病気・障害・親も被虐待児だったために問題に対処する能力の欠落など。ゆえに支援しきれない。
また、施設に入った子の年齢により親に対する思いが違ってくるというのもあるらしい。
外国籍の親と言葉が通じない、というのもショッキングだった。
それほどコミュニケーションを取っていないということだ。
また性行為により誰かに求められる喜びを初めて知りのめりこんでしまい、結果望まぬ妊娠につながることもある。
避妊手術を受けられる、というのも支援の中にあっていいて思う。
投稿元:
レビューを見る
本書は児童虐待の当事者である母親に主に焦点を当て、虐待が起きた背景を探る。
複雑化した問題を単純化することなく、地域支援の輪を作り出すことの重要性を主張する。
本書において、一つだけ注文をつけるなら、父親の存在あるいは父親の責任といったものがあまり見えてこないということ。
決して育てられない「母」を責めているわけではないし、取材対象が母親であるからだと推測はされる。
産まざるを得なかった母の苦悩に比べ、「俺は知らない」と逃げる父親や恋人、あるいは、客の無責任たるや。
代理ミュンヒハウゼン症候群の母親については、
最近発覚した虐待死事件でも同様の精神疾患によるものと考えられるものがあった。
その後の報道では母親の生育歴が明らかにされていた。
子供を手にかけたこと、傷つけたことは許されることではないが、彼女自身も救われるべき「子供」だった。
生育歴に問題があったことと虐待をすることは決してイコールではない。
また、知的障害や発達障害等があるから虐待をするわけではない。
だが、筆者が指摘するように、周囲の無理解や、援助のなさが孤立を招き、一番弱いところに行く。
決して人ごとではなく、誰しもが当事者たりうる。
性に対する理解が少ないのなら、学校、家庭、社会で教育・啓発を進めていく必要がある。
「寝た子を起こすな」の教育方針がどれだけ子供を傷つけるか。
子供たちに与えるべきは自分を守る術だ。
子供を守る人が足りないのなら、デジタル技術を最大限取り入れてほしい。
人が足りないのなら、人がやらなくてもいい作業はやらなくてもいい。
支援教育の場に向かうのならば、副業も認めてほしい。
さまざまな理由で子供を助けられる仕事を本業としていない有資格者は多いはずだ。
私も、自治体の支援センターに助けられた。
だから今度はその手を別の人につなげたい。
小さな意見かもしれないが、社会が変わることを、心から望んでいる。