紙の本
「つれづれ」の解釈の変遷を膨大な文献に基づいて追った労作
2020/07/03 10:56
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぴんさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「つれづれなるままに」の「つれづれ」だけでも、数種の約(解釈)がされてきたのには驚かされた。近世・近代で解釈が異なってくるのも、その時代の人の思想(仏教・儒教・国学など)に影響を受けている部分が大きくて、その流れも興味深い。「徒然草」の案内は勿論、一次史料を用いた著者の生涯、資料論、語釈、読書論(読み方としての講釈、講釈の場も含む)、近代研究史(言説史)をカバーしている。
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『徒然草』は、恋の指南書であり、落語の原型だった!? 教科書に載らない章段や、近世の人々の読みをヒントに、魅力を味わい尽くす
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〈孤独/寂寥/退屈〉という最初と最後の「つれづれ」の変遷に関する検討が興味深かった。
また、各時代で、「徒然草」のどこに焦点を当てて受容されてきたのかという解説も。
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歴史もそうだが古典も解釈は日々変わる。徒然草の「つれづれ」の語の解釈を中心に著名な古典の位置付けがどのように変遷したかを追った一冊。
古典として日本人なら誰もが一度は学んだことのあるだろう「徒然草」。意味の確立されたかのような古典であっても実は解釈は時代により異なる。
「つれづれ」の解釈も孤独、寂寥、退屈と意味が広がるし、教科書には掲載されない恋の指南書的な章もあるという。単なる無常観とは異なる兼好法師の一面。実は兼好は太平記にも登場する。
最近の日本史ブーム、過去の歴史であっても解釈は日々変わっていく。古典についても同様。たぶん、兼好はそこまで深い意味もなくそこはかとなく書き記しただけであろうが、後世の学者はそこに教訓めいた物を求める。深く考えずに接する態度が本来の古典の鑑賞方法と個人的には思うのだが。
歴史と同様に古典も生きていることを実感した一冊でした。レベルが高く難しかったですが。
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冒頭の「つれづれなるままに」をどう解釈するか。「退屈」と「寂寥」とで歴史的に揺れ動いていくのが面白い。
「つれづれ草」が「徒然草」と表記されるようになったのは、江戸時代になってからというのも初めて知った。
文章も分かりやすく、読みやすい。古典の滋味を味わえる一冊。
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日本の代表的古典である徒然草が歴史の中でどう読まれてきたのか、兼好法師はどのような人物と理解されてきたのかについて書かれた本。
そもそも吉田兼好なる人物はいないという。吉田流の卜部氏とは別で、吉田神道の兼倶が家格恢復のために兼好を一族にいたことにしたらしい。
つれづれという言葉が何を意味するかも解釈が分かれる。退屈と寂寥の狭間というふくらみのある言葉である。
ユーモアあり、恋の指南もあり、そんな徒然草を一度通して読んでみたくなった。
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序段の「つれづれなるままに」の「つれづれ」とは何か、というテーマを中心に据えて、徒然草の読まれ方が時代とともに変遷していく様を追いながら、現在主流となっている「つれづれ=退屈」という単一的な解釈に疑義を呈し、近い時期に作られた他の古典作品も紹介しつつ、優れた古典は多様な解釈が可能である点を明らかにしている。
正統派の解説書というよりは、教科書に載っているようなテーマからちょっと外れたようなもの、例えば恋の指南書の段とか、猫の化け物の段から読み取れる噺家との共通点などが紹介されていたりして、これはこれで結構面白かった。
「つれづれ」の言葉ひとつに対しても、大量の文献や解説書に誠実に当たっていることがよく分かり、まさに労作といえる一冊になっていると思う。
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第1章「「つれづれ」とは何か」とコラムがおもろい
7遁世者、10草、14ジャンル、44三つの意味、50つれづれ、54☆、73☆、9798、193パロディなど、236退屈、