ランスへの帰郷 みんなのレビュー
- ディディエ・エリボン(著), 塚原史(訳), 三島憲一(解説)
- 税込価格:4,180円(38pt)
- 出版社:みすず書房
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日本でも広く読まれるべき
2021/07/29 22:44
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
フーコーの伝記などでも有名なディディエ・エリボンの自伝であり、祖母をめぐるエピソードなど壮絶で興味深い。また労働者階級出身で左翼でありゲイでもあるエリボンが、フランスがなぜこのような政治状況になってしまったのかを悔恨を込めて振り返るものともなっている。
社会的暴力の告発と、内省と。
2020/07/31 10:59
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:執事のひつじ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書の主眼は格差、ことにブルデューの指摘したハビトゥスや文化資本の格差の、体験に基づく指摘であり、その格差により、職業や社会的地位が決定されてしまう現実の告発である。(ブルデューや著者の活躍をその反証としてはならないだろう。「結局出世できたんだからいいじゃないか。」という見方こそ、彼らが戦ってきた選別システムを肯定し、固定化してきたのだから。)日本でも、バブル崩壊後「一億総中流」の幻想は崩れ、格差の固定化が問題視されるようになっているが、たとえば教育問題を考えるうえでも、階級という観点はもっと考慮されるべきなのかもしれない。
労働者階級の「右傾化」の分析も興味深い。労働者の支持を得ていた左翼の党が、ソ連の崩壊、左翼政権の成立とともに「新自由主義」に接近し存在意義を見失う一方、学生運動に熱中した学生も就職とともに秩序の維持を望むようになったという。(案外、日本の左翼の歩みに似通っている。)そのため、代弁者をなくした労働者階級はまとまりを失い、移民への反感が顕在化し、自分たちの尊厳を守るための最後の手段として右翼に投票するようになったとする。注意すべきは著者が「認識の諸相や政治的主体としての自覚をもたらす方法を創出して、人々に固有の「利害関心」とそこから生じる選挙での選択についての概念を規定するのは、組織された言説にほかならないからだ。」として、理論の重要性を指摘していることである。
教訓を引き出そうとするなら以上のようになるが、抑制のきいた文体で語られる、苦渋に満ちた内省こそ読み取るべきだろう。粗暴な父を「愛したことがな」く、父母の絶えざる暴力的な諍いのため、長い間、「家庭」や「夫婦」はもとより「持続的人間関係、共同生活などの観念自体が私をぞっとさせた」という著者にとって、故郷ランスへのretourは「目的地にたどりつけない心理的で社会的な旅でさえあるかもしれない」のであった。母の回想と自身の記憶でたどられる、祖父母と両親、彼自身の歩みは、自らの中に内化された、労働者階級のエートスと、それと相いれない知的、性的志向との相克を絶えず思い起こさせるものだった。したがって、著者は親族の中で例外的に知識人として自己を形成するが、単純な成功譚にはなりえない。本書は母にアミアン大学教授就任を報告する場面で終わっているが、これは両者の文化的な隔たりをあらためて意識させる場でもあったのである。
本書の解説がドイツ思想研究者の三島憲一氏によって書かれていることが意外だったが、ドイツ語訳を読んだ三島氏が日本語版の出版を働きかけたとのことで、日本語で読めるのは三島氏のお陰であり、感謝しなければならないが、長文の「解説」の半分以上は本文の冗長な要約にすぎず、ちょっとがっかりした。ブルデューの『自己分析』への「批判」についても、本文を読めばエリボンの真意がよく分かることである。
なお、24ページ1行目の「名誉」は「不名誉」の誤植ではないだろうか。
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