紙の本
14歳ならではの全能感
2020/12/11 21:19
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投稿者:ロージャ - この投稿者のレビュー一覧を見る
人を選びそうな作品だが、私はかなり好きだった。
あの年齢ならではの全能感と、大人の傲慢、特に父親の傲慢に対する少年なりの反発が描かれていて、共感もできつつ、若さ故の苦さも感じる作品だと思った。
大人になるということは、何かしら諦めることであり、世界を知るということは、世界を狭めることかもしれない。そういう大人の世界と、子供の世界の対比がテーマのひとつなのかなと個人的には考える。
最後の一文があまりにも効果的でありまとまりが良く、文学作品のオチとして美しいとさえ思っている。
紙の本
三島の代表作
2021/08/05 12:52
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投稿者:E司書 - この投稿者のレビュー一覧を見る
少年と母親とその愛人を中心に展開する大人と子どものこころの葛藤を描く。第一のテーマでは母親と船乗りの竜二を中心に大衆小説的な恋愛と子どもの見る船、海への羨望、憧れが描かれ、第二のテーマでは母親と竜二の結婚による父親への子どもの憎悪感と子どもを取り巻く少年の一団が描かれる。栄光というものが最後に迎える結末に三島らしさを感じる。
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潮騒に続いて読んだけど、これこそ小説を読む前にもっていた三島由紀夫のイメージどおりの作品。
好みじゃない。これに尽きる。
自分が男性だったらもっと評価したかもしれない。
うろ覚えだけど印象に残ったのは、船乗りが自分には別誂えの人生なんて用意されていないって自覚したところ。何となくこの部分は刺さりました。
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今から三島の本を読むという人にお勧めするとしたらこの本だ。
月並みな作家(失礼だが)の本しか経験のない読者がこれを読めば、三島作品の重厚な世界観に舌を巻かれるものと思う。
と言っても、とっつきにくいわけではない。未亡人と船乗りの逢瀬を主軸とする物語は時代の流れを感じるものの、プロットとして古びていないし、むしろドラマとしてはお馴染みといえるだろう。
しかし、そこで凡庸という印象を与えないのがこの作品の面白いところだ。
逢瀬の裏で同時進行する「少年たち」の屈辱、思惑、、、
ぜひ自身の目で確かめてもらいたい。
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栄光の味は苦い。
初めてちゃんと三島由紀夫を読んだ。
ああ、こうやって終わるのかと。
やられたな、、、
そして解説が面白かった。
なるほど、戦後の生ぬるい幸せみたいなものに対する怒りと空虚さを表しているのか。
少年たちが謎哲学を展開してるのもよかったし、
観念が現実を超越しているという三島そのものがこの作品に表れていて、してやられたなという気持ち。
他の作品も読みたいな。
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前半は横浜に寄港した外航船の二等航海士と、ブティックを経営する当時にしてはハイカラで洋風な未亡人の女性の恋愛模様が、後半には女性の一人息子とその13歳にしては成熟しすぎた思考に行き着いた取り巻きの少年たちが、彼女と彼の結婚というイベントを通して大人(もしくは父親)というものに対する深い憎しみのようなものを抱き、復讐へと向かう様子が描かれる。
少年たちにとって、大人や社会は許さざるべきもので、海や船は許せるもの。彼女と彼、その息子の3人それぞれの心理描写が良く書かれている。
当時の横浜の港、船、海の描写がよかった。また、女性の肩のラインを海岸線に例えるなど、作者も海に憧憬を抱いていた背景がうかがえた。
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和歌山市の古本屋でたまたま見つけて購入。
はじめてよむ三島由紀夫。
言葉選び、情景、文章の表情など、難しい言葉を並べてあるようで、一度世界観に入り込むと、ため息がでるような言葉の流れ。
凄い。
成熟しすぎた13歳の子供たちの大人や父親を恨む姿、海や船は許すという、まだ狭い世界しか知らないのにも関わらず、首領は本などを通して膨大な知識があり、、なんだろう、人と人との関わり合いによって学ぶ温かさ、おもいやり、愛、などが欠けている状態で知識だけが増えるとこうなるよな。
"他人の感情と他人の思い出の方が、自分の存在よりもずっと重要だと感じることの、この悩ましく甘い自己放棄"
"陸が嫌いな人間はもしかすると、永久に陸にとどまるべきなのだ。なぜなら陸への離反と長い航海は、否応なしに、ふたたび陸を夢見させることになり、彼は嫌いな対象を夢見るという背理を犯すことになるからだ"
"本当の危険とは、生きているというそのことのほかにありゃしない。生きているということは存在の単なる混乱なんだけど、存在を一瞬毎にものものと無秩序にまで解体し、その不安を餌にして、一瞬毎に存在を作り替えようという本当にイカれた仕事なんだからな。こんな危険な仕事はどこにもないよ。存在自体の不安というものはないのに、生きることがそれを作り出すんだ"
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鋭利なカミソリのような壮絶なる中二病小説。
主人公の登やその仲間たちはまさに14歳、観念的な正義と、そして妥協的な大人への侮蔑の念を共有することで結束している。
そして同時に、船乗りとして大海原で見た夕陽や南国のむせかえるような熱気の中で人生の至上のときをやはり観念的に味わい、同時に房子との恋愛を通じて分別ある大人への道を選ぼうとしている竜二。
美しき理想と、それを乗り越えるための成熟という名の妥協。これらの葛藤は三島のメインテーマかもしれず、また、「別のあり得たかもしれない生」への憧れと密かな後悔は、実は村上春樹がテーマとして継承している。
さて、この小説のこわいところは、たとえば中二病まっさかりの中二が読んだら、そしてその読者が賢ければ賢いほど、本気で登たちに共感するだろうということだ。欺瞞的な大人を罰し、あるべき世界の秩序を回復するためなら、平気でおそるべき計略を練る子どもたちに、、、
たとえば三島の遺作とも言える「奔馬」では、この辺についてちゃんと種明かし的な解説を入れてある。
「勲は『決して憎くて殺すのではない』と言っていた。それは純粋な観念の犯罪だった。しかし勲が憎しみを知らなかったということは、とりもなおさず、彼が誰をも愛したことがないということを意味していた」(P407)
というように。
ここでは三島は、平たくいってしまえば、「お前のその薄っぺらい正義感、童貞捨てればなくなるよ」と、ささやいている。しかし本書にはそれがない。
若い読者は、とくに登やその仲間のように親の愛を十分に受けられていない(そしてそのことに無自覚な)子どもたちは、自分の正義感を全肯定されたと感じるかもしれない。
さて一方で、竜二と房子の恋愛の描写はたとえようもなく官能的。それこそ中坊には早すぎる。この濃厚さが、たとえそこになんの解説もなくても、あるいは中二病的な自己絶対視にたいする絶妙な解毒剤になっているのかもしれない。
というわけで、名作はなんでもそうだが、読んだときの年代によってあまりにも感じ方が変わる傑作小説。
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読みやすくて面白かった。舶来の品を扱ういい家の未亡人と息子、孤独を愛する船乗りが主要な登場人物。冒頭は品の良くない世界が展開されるかと思いきや、通俗的な大筋に上品なハイカラをちりばめられた物語であった。
予想通りの話の運びだが、先に期待を持って楽しく読めた。三人の内面が均等に書かれているので視点をどこに置けばと戸惑った。自分たちの状況が通俗的なものになると自覚しているのが普通のメロドラマとちがうところ。
やはり主人公は少年で、それは三島の分身である。船乗りのほうも三島の成長したバージョンの分身なのだが。
読後感は少々私の嫌いな三島みにあふれすぎていて嫌だなと思った。ナルシストで若者にありがちな潔癖性の理想主義にこもっている。私はそれを美しいと思う時期ではなくなったので。
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面白かった。たまたま手にとった三島だった。自分の中ではまったく未知に近い文学。しかしながら最初から最後まであきるところもなく、すきがない。
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再婚する母と息子、父とのぎこちない関係を描いた強烈な小説であった。本質的なところを突く、心理的描写をうまいところはさすがだと思う。女との別れ、いきなりのプロポーズ、許すべきでないものを許している、世界は単純な記号、決定で出来ている等鋭いことを言っていると思う。
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物語の最終局面、その後竜二はきっと殺されてしまうのだろうと思いつつ、もうどうしようもないなとやるせない気持ちになった。が、締めの言葉「誰も知るように、栄光の味は苦い。」はズルすぎるってば三島先生ー。いつも思うけど、本当に言葉の使い方が美しくて尊敬。
主人公の登は度々覗き穴を通して隣室の母の裸姿やまぐわう様子を盗み見るのだが、「豊饒の海」の第三、四巻において本多が覗き見をするのとは違って、全然犯罪臭のようなものはせず、寧ろ神秘的なものに思えた。
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かつて読んだのは『金閣寺』『潮騒』『仮面の告白』『豊饒の海』。随分長いこと読んでこなかった三島由紀夫。それでも印象は以前と変わらない。鋭利に突き刺したまま折れてしまう刃のような文。地の文にも登場人物の会話文にもひと続きの熱さを感じた。
英雄となるのを夢見るのは子ども、英雄になれないことに気づくのが大人。また、勝手な記号化によって自分本位の秩序に押し込めて、世界を了解した気になるのは子ども、その秩序からの脱却をはかるのが大人、ともいえる。三島はどちらでもあって、その狭間で焦燥していたように思う。
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読み終わった後にしんとした震えを引き起こす作品がまた一作増えてしまった…。
13歳の登の気持ちも、房子と竜二の気持ちも痛いほどわかる、読みながら自分が始終引き裂かれそうに、また自分自身を見つめ続ける作品に出合えたことは、今のところ幸福なのだけど、これは本当に幸福なのだろうか?と、やはり一抹の不安が付きまとう読了感。窒息感というか体をさかさまにされて振られたような気持ち悪さから、なかなか抜けきれないのだ。
まずは登に代表される子供たち側から。
13歳という何も知らない子どもでもなく、大人でもない不思議な年齢の人間が、あまりにも純粋に美しいものを求め、そして美の対極に位置するものを蛇蝎のごとく嫌い、滅ぼしてしまいたいと願い、自分の手で壊したときに一瞬の陶酔を得るということは、理解できるし、自分もそんなときがあったかもしれないし、何なら今もその一面は誰しもがきっと持っているのだろう。
かくて汽笛のひびきが、突然、すべてを完璧な姿に変える決め手の一筆を揮ったのだ!…登は、息苦しさと、汗と、恍惚のために、気を失わんばかりだった。自分は今、たしかに眼の前に、一連の糸が結ぼおれて、神聖なかたちを描くところを見たと思った。それを壊してはならない。…『これを壊しちゃいけないぞ。これが壊されるようなら、世界はもうおしまいだ。そうならないために、僕はどんなひどいこでもするだろう』(p.16-17)
彼らは危険の定義がわかっていないんだ。危険とは、実体的な世界がちょっと傷つき、ちょっと血が流れ、新聞が大さわぎで書き立てることだと思っている。それが何だというんだ。本当の危険とは、生きているというそのことの他にはありゃしない。生きているということは存在の単なる混乱なんだけど、存在を一瞬毎にもともとの無秩序にまで解体し、その不安を餌にして、一瞬毎に存在を造り変えようという本当にイカれた仕事なんだからな。こんな危険な仕事はどこにもないよ。存在自体の不安というものはないのに、生きることがそれを作り出すんだ。…… (p.56)
自己が拡大し、その境界もわからなくて、透明で純粋な熱がそのものとして存在できる13歳…わかる…でも憎むべき大人たちにもその欠片が残っていることを彼ら彼女らはわからないし、欠片を抱えながら生きる大人が憎いのだろう。この純粋性は壊されるしかない、蜉蝣のようなものだ。しかも地味に頭が働くので、どうしようもない…それももう少し生きると、幼年期だなと思うのだけど。。
登は鍵のかからない部屋にいる不安のために、パジャマの衿元を合わせて慄えていた。あいつらが教育をはじめたのだ。怖ろしい破壊的な教育。すなわち彼に、このやがて十四歳になろうとする少年に、「成長」を迫ること。首領の言葉を借りれば、とりも直さず、「腐敗」を迫ること。登は熱ばんだ頭で、一つの不可能な考えを追っていた。何とか僕が室内にいたままで、その同じ僕がドアの外側から、鍵をかけることはできないだろうか?(p.152)
登のいいたいこともわかるし、本当にタイミングが悪いというかなんというか…13歳だからこそ刑罰に処せられないことを理解し殺人する子どもたちはいるだろうし、なんというか7歳くらいに設定しないといけないんではないかと思います笑
一方で大人たちのことも、ものすごく共感する対象でした。登も竜二も三島由紀夫の分身だろうということで、竜二の言うこともわかる…となっていた。
又、彼は、人生でただ一度だけ会う無上の女との間には必ず死が介在して、二人ともそれと知らずに、それによって宿命的に惹きつけられる、という彼の甘美な観念、彼の脳裡にわけもなく育まれてきた理想的な愛の形式についても語らなかった(p.43)
われわれにとって、まわりの海は女に似すぎている。その凪、その嵐、その気まぐれ、夕日を映した海の胸の美しさは勿論のこと。しかし船はそれに乗って進みながら、不断にそれに拒まれており、無量の水でありながら、渇きを癒やすには役立たない。こうまで女を思わせる自然の諸要素にとりかこまれながら、しかも女の実体からはいつも遠ざけられている。…それが原因なんです。(p.46)
竜二がこの観念に至ったのは海だけど、私にとってはなんだろうな…絶対的に私を拒み、それが故に至上なのはなにが原因なのだろう?
第一部の別れは完璧に見えた。第二部も、登がいうほど醜悪ではないように見えた。(この時点で子供たちに罪科認定されそうだけど笑)
一方、竜二は今度の後悔の帰路、つくづく自分が船乗りの生活のみじめさと退屈に飽きはてていることを発見していた。彼はそれを味わいつくし、もう知らない味は何一つ残されていないと言う確信を持った。それ見ろ!栄光はどこにも存在しなかった。世界中のどこにも。北半球にも南半球にも。あの船乗りたちの憧れの星、南十字星の空の下にも。(p.120)
これは何も自分に言い聞かせる詭弁なのではなく、本当にそう思うこともあるだろうと思ってしまう。地に足をつけて生活することは尊いではないかと。
彼はもはや自分にとって永久に機会の失われた、荘厳な、万人の目の前の、壮烈無比な死を恍惚として夢みた。世界がそもそも、このような光輝にあふれた死のために準備されていたものならば、世界は同時に、そのために滅んでもふしぎはない (p.195)
ちょくちょく三島の他作品、穴から除く本多など、を連想させられていたが、ここは金閣寺ですねえ。
この本は三島による三島殺しだし、認識と行動の話もあるしで、三島文学の傑作の一と言われる理由がわかる。
そして最後の、
竜二はなお、夢想に浸りながら、熱からぬ紅茶を、ぞんざいに一息に飲んだ。飲んでから、ひどく苦かったような気がした。誰もが知るように、栄光の味は苦い(p.195)
というところは、ここで終わることで、エーッもう少しサービスしてくれたっていいじゃないかァと思うのもそうだけど、栄光=曳航だし、ここでこうやって終わらせるのか~~~ぐぐぐと思う終わり方でした。
田中美代子の解説は面白かった。澁澤龍彦の解説もあるんですね。
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少年期に特有の思い込みと自分勝手な憧れ(憧れと理解は違う的な)、残虐性と
竜二、房子、登それぞれ思惑があって良い意味に利己的で欲に忠実である様が比較的客観的に描かれている。