投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
『友達同士など、いざこざや問題が起きない方がうまくいくに決まっている。喧嘩をして、心を割って話すほど関係が深まるなんてわたしは信じたいない。適度な距離を保ち、相手を尊重して傷つけないこと。そして一緒にいる時間は楽しく過ごすこと。… 長いつきあいになる友達で、過去に傷つけあってしまったことのある人はいる。でも傷つけずにいられるのならその方がよかったはずだ。そしてわたし自身は、ひどいことを言われたり、された人とは友達関係を続けたいとは思わない。喧嘩はしないが、そっと距離を取る。』
序章、導入部からの一文。既視感?というのだろうか。親友だと思っていた相手の何気ない一言で距離を取った。
『大人になってから気づいた。たぶん、わたしの人生にはもともと縁というものが欠けていたのだ。孤独になるべくして、孤独に生まれたのだと思った。』
そうなんだよね。結局は子供の頃から遊び相手ではあっても、友ですらなかったんだね。それに気づいたのは、大人になってからなんだ。そして今、孤独を楽しんでいると強がっている自分がここにいるんだ。
回想。団地で生まれ育ち、校内暴力が蔓延する年代というのもリアルタイムの経験。
よけいに憑依していく自分がいる。
ひとつ気になるのは【生徒諸君!】で初音ちゃんの事件はもう少し後じゃないかな。
実際に突然連絡がくることを妄想する。でも、嬉しさを想像することはなく、拒絶を選択しているんだ。やり直すことはない。
一度くらいは、寄り添う妄想をしてみようかな。一度くらいは。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
自分が育った環境に近い舞台設定で中学時代を思い出し苦しくなった。私もあまり中学時代はいい思い出はない。そのこともあってか、物語に感情移入してしまった。後半は寝る間も惜しんで読み切ってしまった。最後の結末に驚いたし、友情でも長く思い続けていた友情が事件につながっていく話に切ない思いが下した。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
読み終えて思わず ため息とともに すごいな 近藤史恵 と呟いてた。
読み応え十分 この途方もなく重い題材を 暗すぎず一気に読ませる。全く想像しなかった展開と結末。それにしても ほんとこの人は読ませるのが上手いな。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
『結局さ、一度レールから外れてしまうと、もう戻れないんだなと思ったよ』
“人生のレール”という言葉があります。普通に義務教育を終え、普通に進学し、普通に就職をして…と、この国ではあたかもそんな風に人が進んでいくための道が決まっているかのように語られることがよくあります。そんな中では親も、学校の先生も、そして友達までもが”レールから外れないように”、と、そのことをある時は口を酸っぱく、ある時は親身に語ってもくれます。レールの上を走る乗り物と言えば当然に電車が思い浮かびます。電車が”レールを外れる”ようなことがあったなら、それはその瞬間に全てがおしまいです。どんな馬力のある電車でも”レールから外れて”しまった以上、その先には一ミリ足りとも進むことはできません。しかし、私たちは人間です。目に見えない、そもそも本当にあるのかすらわからない、そんなイメージの上で”レールから外れる”ということを強く意識する私たち。しかし、一方でそんな風に単純に語れないのも現実です。例えば『十四歳でわたしは人を殺した』という言葉が現実になったとしたらどうでしょう。ないはずの”レールを外れて”しまう、そんな先に大きく揺らぎ出すその後の人生。”レールから外れる”という言葉が急に現実感のある存在として浮かび上がります。さらに『里子がなぜ、わたしの代わりに少年院に行ったのかわからない』という事態の当事者となったとしたらどうでしょう。やはりその先には”レールから外れた”先の人生、目に見えなかったはずの”レールからそれていく”その先の道が浮かび上がってくるのではないでしょうか。
『結局さ、一度レールから外れてしまうと、もう戻れないんだなと思ったよ』
そんな言葉が主人公・友梨の脳内をぐるぐると回り続ける鬱屈としたこの作品。まさかのどんでん返しのその先に、それまで見えていなかった真実が浮かび上がるのを見ることになるこの作品。近藤史恵さんのミステリーな物語です。
『その手紙が出版社から転送されてきたのは、寒さが急に厳しくなった十二月の半ばだった』という手紙を受け取った小説家の『わたし』。『知らない人からの、ファンレターでもない一方的な手紙に返事を書く気にはなれない』と思い『一読して放置することに決めた』その手紙。しかし『年が明けてから』、『シュレッダーにかける前にもう一度読み返した』『わたし』は『なぜか心がざわざわとし』ます。『実は、お手紙を書いたのは、先生がわたしたちの話に興味を持つのではないかと思ったからです』と始まるその手紙は『わたしと友達ふたりの、三十年にわたる関係はぜったいあなたの興味を引くと思います』と続けます。そんな内容を読んで苦笑する『わたし』。『プロの小説家はしょっちゅうこんなことを言われている』と思う『わたし』。『わたしの人生って小説にすると絶対おもしろいと思うんですよ』と語られる『「おもしろい人生」が本当におもしろかった例しはない』、『波瀾万丈であることを、おもしろいと言っているだけだ』と考えます。そして『たとえおもしろい題材であろうとも、うまく小説にできるかどうかは作家の資質に大きく左右される』ので『���ういう話は聞くつもりはない』と思ったものの『わたしと友達ふたりの関係』という箇所に引っかかる『わたし』。『実はひとりに、膵臓癌が見つかりました。彼女が亡くなったあとには、もう話すことはできません』と続くその手紙に、結局メールで返事を出すことにした『わたし』。そして『待ち合わせをしたのは、ホテルのラウンジ』というその日。『本当に会ってくださるとは思いませんでした』という彼女に『でも、ご期待に添えるかどうかわからないですよ。小説の題材にできるかどうかも保証はできないです』と答える『わたし』。そんな彼女は『小学生くらいまで、わたし ー 戸塚友梨は一生をこの団地の中で過ごすのだと思っていた』と過去を語り始めました。そんな彼女は『最初の出会いがいつだったかは覚えていない』という『いちばん仲のいい友達』だった里子のことを話し始めます。里子が友梨の家に遊びに来たある日。ちょうど訪ねてきていた祖父と会話する里子。『友梨ちゃんも、おじいちゃんと一緒に寝るの?』と訊く里子に『おじいちゃんとは寝ないなあ』と返す祖父は『おじいちゃんと一緒に寝てるのか』と訊き返します。『女の子はおじいちゃんと寝るんだ』、『一緒のお布団だよ』と答える里子。その瞬間、祖父の顔色が変わりました。そして、その夜、祖父と両親の会話を盗み聞きした友梨は『あの子と友梨を遊ばせるのはやめなさい。友梨に悪い影響があったらどうする』と言う祖父の声を聞きます。『里子ちゃんと遊べなくなる』と息が詰まる友梨。そして『その日のことは確実に、わたしと里子との間に影を落とした。子供だからといって、なにもわかっていないわけではない』というそれからの日々を過ごす友梨。そして四年生になって久しぶりに里子と団地の屋上で会話をする機会が訪れます。『あのね。友梨ちゃん。わたしとおじいちゃんが一緒に寝てるってこと、誰かに言った?』と突然訊く里子に『言ってないよ…』と身体を強ばらせた友梨。『もし、誰かに言ったら、殺すから』と言い残して立ち去った里子。あの日偶然知った里子のおじいちゃんとの関係、その秘密を知ったことをきっかけに友梨の人生が大きく変化していくことになる物語。そんな物語を三十数年後に知ることになった小説家の『わたし』。そんな『わたし』は、手紙の主が語る物語の中に潜むまさかの真実に気づいていきます。
『出版社から転送されてきた』手紙をきっかけに、差出人にコンタクトをとり、まさかの物語を聞くことになる小説家の『わたし』の姿が描かれるこの作品。物語内で物語が語られるという二階層の構造をとるとても興味深い構成の作品です。物語の起点となるその手紙には『先生がわたしたちの話に興味を持つのではないかと思った』と、自分たちの話を題材に小説を書いてみてはと匂わせる表現がありました。その取り扱いに『「おもしろい人生」が本当におもしろかった例しはない』と考える小説家の『わたし』。小説家という職業の方にはこういった形で小説執筆を提案する話が舞い込むことがあるのか?ととても興味深い内容が語られるとともに、手紙の主にコンタクトを取った『わたし』が聞くことになった物語が描かれていきます。つまり、小説家の『わたし』が主人公となる”外側”の物語と、その”内側”で友梨が主人公となる物語の二つが一つの作品の中で描かれていくことになります。そんな”内側”で描かれる物語は、この起点から三十数年を遡ることになる、手紙の主がまだ小学生だった時代の物語です。『わたしが何度も思い出す風景は、夕陽の当たる団地だ。箱のような同じ建物が、十棟以上並んでいた』というその光景はまさしく単行本の表紙に描かれる『団地』のイメージです。『団地』が相次いで建てられ、この国が上へ上へと上り詰めていったあの時代の物語。『友達は団地の中だけで事足りた。わたしには、田舎もなかった』と感じていた小学生の友梨。『一生をこの団地の中で過ごすのだと思っていた』友梨はある衝撃的な事実を知ることになります。大切な友人だった里子がおじいちゃんと同じ布団で寝ているというその事実。『性教育のスライドは、なにもかも曖昧』というそんな時代にあっても『性は子供を作るのに必要なことで、人と人とが愛し合うことで、そしてときどき暴力的なこともある』と理解した友梨は『突然、なにもかもがつながった』という瞬間を迎えます。『「殺すから」と言われたときよりも、「祖父と同じ布団で寝ている」ことが、なにを意味するか気づいたときの方が、怖かった』と感じる友梨。そして『悲鳴を上げたかった。知らなかったからと言って許せるようなことではない』と思う友梨。どこかノスタルジックにのんびりとした空気感の中に描かれていた物語に一気に緊張が走るのを感じました。そして、物語は1980年代という時代背景の元、読めば読むほどに重苦しい、悲鳴をあげたくなるほどの重苦しい空気にさらに包まれていきます。
そんな重苦しい空気の一つが『少しずつ、学校に暴力と狂気が忍び込みはじめていた』という校内暴力に荒れ狂う中学校の描写でした。『教室のガラスが割られた』、『廊下の壁に蹴りを入れて穴を開けた』、そして『煙草の匂いが充満した教室に入ってきたのに、表情も変えずに窓を開けて換気し、授業をはじめる』という無力な教師の姿が描かれるその場面。今や当時の記録映像とも言える”腐ったミカンの方程式”で有名な”金八先生”のあの時代を語るかのようなその物語。『この学校は、凪いだ海を走る船ではない。荒れ狂う海の上を必死で進んでいる』というその時代。そんな荒れ狂った中学生活の中で『その日から学校は一変した』という、友梨のそれからの人生を決定づける出来事が起こります。友人の真帆を守るために『十四歳でわたしは人を殺した』という友梨。『わたしはずっと、刃の上を歩いていた。これまで落ちなかったのはただの幸運で、足の裏は傷だらけだった』と学校に行けなくなる友梨。しかし、何故か警察に連れて行かれ少年院に入ることになったのは大切な友人の里子だった、とねじれていくその展開が、その後の三人の人生を複雑に絡み合わせていきます。そして、さらに『まるで物みたいに、蹴飛ばしたり、殴ったりして』という末の『どうやっても納得できない』クラスメイトの死に接することになる友梨。物語はもう際限なく陰惨さを極めていきますが、一方でそんな結果として、荒れ狂っていた中学校に変化が訪れます。『急速に、秩序を取り戻したのは事実だ』という学校の様子。『煙草を吸う生徒も、授業をさぼって廊下に出て行く生徒もいない。だが、そうしないのは、竹刀で殴られるからだ』と一変した学校の様子が描かれていくそのシーン。このあたりの意味合い、その雰囲気感は、この時代をリアルに体験した人と歴史の一つとして知識で知る人の間には、そこに浮かぶイメージに大きな違いがあるのではないか、そんな風にも感じました。
そして、高校へ、大学へ、そして就職へと見かけ上”レール”の上を順調に進んでいくかに見えた友梨の人生が描かれていく物語後半。一旦は友梨の人生から離れていった里子、そして真帆。しかし、三人の人生は『十四歳でわたしは人を殺した』という過去の一点から伸びた紐に絡まれて離れることができないかのように、再び繋がって複雑に絡み合っていきます。それが友梨が三十四歳になった時に起こるある展開。『あそこからやり直せば、もう少しいろんなことがうまくやれるだろうか』というその後の友梨の人生を決定づけることになる出来事へと突き進む友梨。『わたしがこの先、レールの上を歩けなくなったとしても、それは別に不幸なことでもなんでもない。長い猶予が与えられていただけのことだ』とどこか吹っ切れたかのような、もしくは覚悟を決めたかのような思いへと続くその”内側”の物語の結末には、なんとも言えない思いが残るのを感じざるをえませんでした。
そして、二階層から構成されるこの作品は、最後の最後に至って”外側”の物語と”内側”の物語が融合する瞬間が訪れます。ある真実を手にした小説家の『わたし』は『いったいどういうことなのだろう』と、”外側”の物語に潜んでいたミステリーを”内側”の物語を元に解き明かします。複層の物語を綴り上げた近藤さんの力量が如何なく発揮されるその瞬間。完結したと思われた”内側”の物語の余韻がまた違う色を帯びる瞬間を見るその結末。決して晴れない重苦しい空気に揺らぎを感じるその結末は、しかし、どこまでいってもう〜ん、なんだろう…という思いがやはり残るものでした。
三十数年に渡ってこの国が歩んだ時代を、古びた団地の姿に見るその物語は、『結局さ、一度レールから外れてしまうと、もう戻れないんだなと思ったよ』と語った里子の言葉に深い闇を見るものでした。そんな闇がどこまでも晴れずにじめっとした重苦しいばかりの空気が支配するこの作品。今まで数多くの小説を読んできましたが、ここまで重苦しい空気に包まれた作品はあまり記憶がありません。欺瞞、嫉妬、執着という言葉から感じるじめっとした嫌な空気が支配する闇の暗さに鬱屈となるこの作品。一気に読ませるその物語ですが、これからこの作品を読まれる方には、気持ちに余裕が十分ある時に読まれることをお勧めしたいと思います。
解説の内澤旬子さんが、『影に響く』と訳される「インフルエンス」という書名のこの作品。近藤さんの絶品の人物描写の中に人が人をそれぞれに思いやる様を見る物語は、その先に、生きることのある意味での怖さと人生の孤独を感じる、そんな作品でした。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
近藤史恵の長編サスペンス
大阪郊外の団地に生まれ育った少女の視点から、2人の親友と成長する過程での友情と葛藤を描いています。
ストーリーのキーワードは「殺人事件」「スクールカースト」「子育て」「孤独と希望」「繋がり」・・・
イヤミス感満載の展開に一気読みでしたが・・・
え?ここで終わっちゃうの??続編は・・無いよね???
ちょっと・・いや、大分消化不良です。もう少しキチンと落して欲しいと感じました。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
大きな団地に住む少女たち、性的虐待や学校での友達グループのもめごと、いじめなど暗い空気感のまま話が進み、殺人まで起きる。
話は重苦しいのに、何故かどんどん読んでしまう。
性と死が入り混じり、中学高校、そして大人になっていく3人の女たち。
暗い過去を振り切って大人になった筈のある日、またあの頃の影が追いかけてくる。
とても、苦手なテーマの話なのだが、読ませる力を感じる作品でした。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
刺さりすぎて、フレーズいっぱい登録しちゃいました。ヒロインの境遇が自分のそれと重なって、もうなんか、他人事と思えない。中学が校内暴力で荒れていたこと、高校で疎外感を味わったこと、親や教師を信用も信頼もできなかったこと。でも、ヒロイン友梨には、真帆と里子という存在があった。人殺しという強い絆で結ばれた2人が。
単なる仲良し3人組とは断じて違う。友人とも呼べないような疎遠な関係なのに、人を殺すことまでしてしまう、なんだろう忠誠心?義務感?贖罪?ものすごい閉塞感。
最後、友梨は自首することで、この閉じた世界から脱するのです。絆って尊いものだと思うけど、時に重くて厄介だよね。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
再読。p.75「わたしたちが自由に旅に出ようとしたら、殺されるかーーそれとも、殺すか。そのどちらかだ。」再読でもやはりこの一文の衝撃は大きかった。少女のときも女性になっても、その性別ゆえにありとあらゆる暴力にさらされながら、何とか生き延びようと殺人を犯す。しかも友人のために。緻密な構成と謎解きで小説としては面白いのに、何ともやりきれない気持ちにさせられてしまった。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
作中にタルトタタンが美味しい店、なんていうのが出てきて、著者にハマったきっかけとなった『タルト・タタンの夢』の舞台、「ビストロ パ・マル」を思い出す(祝ドラマ化)。
が、実は日常系、ほんわか系の柔らかな春の日差しのような物語は著者の一面で、結構ダークな物語も多く書いている。
本作の始まりは、とある作家が、ある人からこんな話を聞いた、というもの。
多くの作家が描く手法だけにどんな物語が来るのか期待が高まる。
戸塚友梨という女性は、団地で生まれ育った。
同じ建物が十棟以上立ち並び、人間関係はそこから始まり、そこで終わる、
そんな思いまで抱かせる。幼なじみの里子は親友だったが、どうも何かがおかしい。
そして、その違和感は小学校、中学校と成長するに従い、嵐を呼び起こしていく。
そして新たな友人、真帆が登場し彼女たちの人生は複雑に絡み合い、一心同体となり…息が詰まるような、そんな時代の空気がまとわりつく。
逃れられない運命というものがあるとしたらこれなのか。
絶望が不幸を連れてくる。
誰も助けられないまま、物語は悲しみを膨らませる。
だが…作家は灯台に灯を灯す。
人生を暗くは終わらせない、それが真実か嘘か、それとも偽善か、それはわからない。
わからないけれど、そこで私は息を継ぐ。
苦しみばかりの、悲しみばかり、後悔ばかりの人生がたとえ真実出会っても、それは一側面にしか過ぎない、そう思わせる著者の力量に、私は惚れ込んでいる。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
まず、語り口が先日読んだ同じ作者の「私の本の空白は」によく似ていると思いました。
女性の一人称で語られるせいだと思います。
語っているのは戸塚友梨。40代女性ということになっています。
それを聴いているのは同年代の小説家。
話は友梨が小学生の時からです。
友梨の最初の友だちは日野里子。
里子は祖父から性的虐待を受けています。
そして次の友だち坂崎真帆のために中学生の時、友梨は真帆を襲った変質者を誤って殺してしまいます。
しかし友梨の罪は里子が被り、里子は少年院へ入ります。
少年院から出てきた里子に友梨は「うちのジジイを殺して欲しい」と言われますが…。
読んでいて、頭がおかしくなりそうな展開の話でした。
子どもの性的虐待や夫のDVなどの言葉は出てきますが、特にそれを社会的に糾弾するための書かれているとは思えないストーリーティングでした。
もちろんただの布石ではないかとは思いますが(「性犯罪は魂の殺人だ」という言葉も出てきます)。
社会性よりも、ミステリーとしての面白さ、奇妙さを追求するストーリーではないかと思いました。
三人の少女だった女性たちのの奇妙な繫がりを描いた、暗黒童話のような作品だと思いました。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
一気読み。
色々と人間模様が交差し、更に交差し、更に?!というのがストーリーとして面白いのはもちろん
所謂、ミステリー以外の部分も個人的に刺さる部分があった。
また、作中に出てくる作家さんが、近藤さん?という感じなのでリアリティが増すのが
どのようにドラマ化されてのか気になる…
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
一晩で読んでしまいました。
ドロドロした人間関係のもと、学生時代のいじめや性虐待、暴力が次々と出てきて振り返ると重いストーリーでしたが、それ以上に続きが気になってぐいぐい読んでしまいました。作者の近藤史恵さん、初めてでしたが他の作品も読んでみたいです。ドラマ版は後味が悪そうなので活字だけにしておこうかと思っていますが、ちょっと気になります…どうしようかな…
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
偶然とは言え、人を殺してしまう主人公。そこから、弱味を握られ、歯車が狂って行く。僕は同情的に読みましたが、受け入れれない人もいるかも。でも、話しとしては面白いです。偏見かも知れませんが、女子特有の人間関係ではないかと思います。
普通、友達を守るために人を殺したなら、正当防衛を主張するような気がします。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
読む本が無いなあ。。。
と、昨日は読み終わった大量の本をブックオフに売ると共に、また数冊仕入れてきた。
近藤史恵先生のお名前は存じていて、多分何冊か読んでいたと思う。
先生のお名前で目が止まり、そこからブクログを検索して評価の高いものを手に取った。
この本は、フィクションなのか?
ノンフィクションなのか?
物語は小学校二年生にまで遡る。
当時の友達、里子が虐待されていることを知るも、何も出来なかった友梨。
中学で新たに親友となる真帆を救う為、男を刺してしまう。
その後大人になった3人にある事件が起きる。
肌にザワザワと恐怖の予感を感じるような書き方で、物語の期待感が一気に煽られる。
女であるからか?主人公の心の機微も、何となく理解できる気がする。
昨日の夜から読み始めたが、どんどん面白くなり、朝の時間で一気に読み終わってしまった。
面白かった。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
ミステリーだけど、いちいち心に残る言葉がある。
ぼんやりと思っていたことを、誰かがちゃんと文字にしてくれているのは、とてもありがたい。
「小さい頃、いちばん仲のいい友達は宝物だった。どこか恋人めいた親密さと、独占欲。友達を失うことほど悲しいことは、他にはあまりなかった。
その感覚はいつまで続いただろう。中学生くらいまでは確実に存在していて、そのあとは冷静さで抑え込みながら、いつか忘れてしまっていた。」
「幸せか、価値があるかということを、誰かの基準にゆだねたりはしない。」
「少しは悔やんだり、反省したりはするかもしれないが、すぐに忘れてしまえばいい。
傷つこうが、しくじろうが、失おうが、年を取ろうが、未来はいつだってわたしたちの手の中にあるのだ。」