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目次からもう面白い。儀式に出ない、無断欠勤、遅刻…などなど古代の官人たちはこんなに怠慢な態度であり、それを国家として許容していたことが現代とはあまりに違い、笑いながら読んだ。だが後半で不正を働く官人の様子が語られるようになると、この怠慢の陰で当時国民とも見なされていない市井の人々がいかに苦しんだのかに思いをよせてしまい、もう笑えなくなった。特権を許されると、職務を果たさずに特権だけを享受しようとする、現代にもいる人間や組織の姿と重なった
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先日読んだ『恋ふらむ鳥は』は壬申の乱で終わっていた。これは概ねアフター壬申の乱。
冠位を有り難がらない下級官僚、ユルユルな勤務態度の実態は中々見もの。宮中儀式の無断欠勤、着任後の職務放棄が多数…ってのも驚くけど、政府側の対応もユルい。称唯で格好つかないからって「代返」だって。代返!大学生か(笑)それに「120日以上の無断欠勤は制裁を科す」って、じゃあ120日未満はお咎めなし?1年の1/3ですけど…??
てな具合にユルユルな中で、天皇だけはそうも行かず。サボれないし臣下のサボりはグッと我慢するという、何とも気の毒なポジション…。
でも確か、もぐら著『おかしな猫がご案内 ニャンと室町時代に行ってみた』には、「(室町時代には)金で買ってでも冠位を欲しがる」って記述があったから、時代と共に変遷してきたのかもね。
ところで。
『恋ふらむ鳥は』で剣突づきだった讃良(持統)、こちらでは「夫帝(天武)ほどのカリスマ性はない」とか言われてます。人物評って揺れるわねえ。
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古代日本の官僚-天皇に仕えた怠惰な面々。虎尾 達哉先生の著書。古代日本の中下級官僚たちの「怠惰な」勤務実態を検証したとても個性的な一冊。怠惰な中下級官僚たちはいつの時代にもいるということ。怠惰な中下級官僚たちは古代でも現代でもきっと将来でも存在している。怠惰な中下級官僚を上から目線で批判したり非難したり罵ったりするのは簡単なこと。でも人間はもともと怠惰な生き物というあきらめも必要なのかも。自分は怠惰でないと思うこと自体が自信過剰の思い上がり。
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まず、帯のコピーにやられた。
「古代の役人たちの怠慢ぶり」
「天武天皇は目をつぶり、桓武天皇は顔をしかめた」
こんなコピー掲げられたら、読むしかない。
この本は、天武朝から平安初期までの官僚の勤務実態に迫る。
官僚制度の仕組みを説明する部分など、少し難しいところもある。
それに、やはり特有の用語もある。
だから、誰でもすいすい読めるとは言わない。
が、そういうところを読み流したとしても、なかなかのインパクトを感じられると思う。
さて、その天武朝あたりのころ。
律令制の移入期にあたる。
だから、天皇に対し忠勤するという観念がない。
が、律令により、官人の身分が家柄で縛られる。
六位以下の非貴族の下級官人たちは、どんなにがんばっても貴族に離れない。
さらに位階と職が一致しないこともあり、昇進がインセンティブにならない。
制度がダメすぎる。
なるほど、これでがんばれ、と言われてもな、と私でも思う。
そこは朝廷もわかっていたようで、罰則の規定が作られても、厳格に適用することはなかったそうだ。
もう少し上位の人々も、忠勤しないという意味では大差なかったようだ。
京の外へ狩りに出かけていて、朝議に無断欠席とか。
少納言が自分の遅参のせいで、政務時間中に詔勅に内印(御璽)をもらい損ね、常の御殿に引き上げた嵯峨天皇のもとに押しかけるなんてことも起きている。
下級官吏はというと。
朝服は自前なので、規定を守らない。
天皇隣席の儀式に出ない。
自分の叙任式さえ出ない。
儀式の所作を覚えない。
勅使として派遣されるのも断る。
他にもいろいろあったが、ここらにしておこう。
ここまでいくと、何か清々しささえ感じる。
最近、「平安貴族は(イメージほどまったりしておらず)過労死スレスレのハードワーカーだった」という話も聞く。
150年かそこらで、そんな風になるのか…。
少ない椅子を奪い合うからそういうことになるのだろうけれど。
結節点になるような出来事はあるのだろうか?
ちょっと気になってくる。
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真面目な題材乃新書で、面白かった!笑った!という感想を持てるのは珍しいこと。
第一章で古代日本の官僚制度や位階の仕組みを説明し、二章以降は数多くの実例で官僚の怠業の実態を明らかにする。
天皇列席の儀式に出ない、なんなら3日続けて無断でサボる。それを咎める側も、決して厳罰を与えない(理由についての考察も本書内で展開される)。
その他、古臭い礼法が(禁止されてから)数世代にわたって受け継がれるなども。帯に「桓武天皇は顔をしかめた」とあるが、なぜ桓武の顔が歪んだのか、必読です。
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『天皇に仕えた怠惰な面々』というサブタイトルに惹かれました。
常々、日本の公務員の堅苦しいまでの生真面目さがどこから来るのだろうと思っていました。
他の国での、露骨な賄賂要求のようなことはもちろん、業務をサボタージュするのが当たり前になっていないという、生真面目さ。
いやいや、田舎での役場の職員に対する評価の厳しさは知っていますよ。
公務員ほど楽な商売はない、的な。
でも時間に厳しいところとか、書式にうるさいところとか、まあ生真面目でしょ?
いーよ、いーよ、適当で、なんて絶対言わない。
アジアって緩そうなイメージあるじゃないですか。
古代日本は全然緩かったですな。
古代日本の官僚というのは貴族のことです。
執務をするのは日の出からお昼まで。
だから朝廷。
ということは知っていたのですが、まさか仕事しに来ないなんて。
日常的に無断欠勤や詐病でのずる休みも当たり前、何なら天皇の面前で行われる式典にすら出てこない。
しかし式を執りおこなうためには許されないわけで、主催者側が「代返」をしてしまうので、ずる休みの事実は残らない。
これだけでもびっくりなのに、式典後の宴会にはしれっと参加して、天皇からの賜りものはもらって帰るという図々しさ。
上を上とは思わない強かさ。
いや~、やるなあ、古代日本。
多分江戸時代まではこんな感じだったんじゃないかなあ。
鎌倉時代や室町時代も、一部、貴族が執りおこなう業務はあったけれど、天皇の力に密接に関わる部分、例えば暦の作成とか、国家安寧や五穀豊穣祈願にかかる実務は貴族がやっていたと思う。
ただし、武士に対してマウントを取らねばならないから、きっちりやったと思うけど。
で、貴族に変わって官僚になったのが武士。
この本では平安までの官僚しか書いていないけれど、鎌倉初期の坂東武士にそれほど教育があったとは思えないし、官僚仕事が好きとも思えないので、京都から公家を連れてきたりしていたのだろう。
私が思うに、融通の利かない生真面目なお役人のもとになったのは、江戸時代の武士なのでは。
倫理観にかける人はもちろんいただろうけど、当時は儒教でガチガチに縛っていたし、一族郎党の連帯責任でお家お取り潰しになりかねないから、まじめに励んだんだと思うわ。
で、明治維新でも引き続き保たれてきた倫理の糸が、令和の今、そろそろ緩んできたということかな。
昔は政治も行政も官僚(貴族なり武士なり)が一手に行っていたのが、政治と行政を分けて、権力を握った方が先祖がえりをしているということか。なるほど。
そういえば、黒田清隆だったかな、「体調不良につき伊豆で30日ほど静養していたところですが、引き続きあと20日ほど那須で静養したい」なんて言う休暇願を国立公文書館で見たことがあります。
これ、絶対ずる休みだよねと思ったものです。
ちなみにこれ、珍しいことではなく、明治政府のえらいさんは意外とあちこちで静養していました。
さすがにここまで長いのは稀なようで「早���体を直して、職務に戻って来てね」的なことが決裁印の脇に書いてありました。
ああ、本の感想じゃなくなってる。
それでも、地方豪族が律令国家に簡単に取り込まれたわけではなく、自分優先でのびのびやっていたというのは、初めて知ったことなので、大変面白かったです。
役職はあるけれど人材がいないというのは、律令国家草創期の現実で、とりあえず名簿に名前が乗せられる程度に人材を集めることが喫緊の課題だったのでしょう。
で、長きにわたってずるを認めざるを得なかった、と。
ちなみに明治も、ポストはあるけど名簿は空欄というのが明治5年の官人録などに大量にみえました。
歴史は繰り返すんだね。しみじみ。
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文章が読みやすいです。
国家形成期やその直後というと専制君主と機械的な官僚たちというイメージがありましたが、必ずしもそうでないことを学びました。