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とてもよかった。
時代物、歴史物の小説ってあまり読まないのですが、この方のは実際の人物を調べ尽くして、活き活き、豊かに描いてくれるので、史実にとても興味を持てます。
この方の文章はすごく長いので時間かかりますが、丁寧に読みたくなる、読みやすい文章です。
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序章 紅茶と酒とタマートゥ、これだけでもう「面白そうっ」と思ってしまう(タマートゥがなんだかわからなかったとしても)。
そしてワクワクとしてくる書き出し。情景が思い浮かび、自然の美しさと豊かさが荘厳に感じられる。きりっと真っ直ぐに気持ちが立ってくるのがわかる。つまらないことにグズグズと揺れる気持ちを払い退けてくれるような清々しさ。物語はそうやって助けて正してくれる、たった1ページでも。ありがたく読み進む。
胸に迫ったところは、りんがニコライ主教に許しを請うところ。主教の東北ブレンド訛りが微笑ましい。
朝井まかて作品の中ではグッとくるところが少なかった方だけど、絵師の物語ということで惹かれる。
それにしても実話なのがすごい。
ニコライ堂は松本竣介の絵で知ってたけど行ったことはない。訪ねてみようかな。
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日本人初の聖像画(イコン)画家・山下りん(聖名・イリナ)の半生。
明治・大正・昭和という時代の変遷の中でロシヤ正教会にて聖像画を描き続けた、宗教に身を捧げる健気ながらも芯の強い女性…というイメージは見事に覆された。
絵師になりたいという思いで突っ走るりんは明治の女性らしく意志が強いが自己主張と自信が過ぎる。
上京し次々と師を変えて四人目の中丸精十郎でやっと落ち着く…いや、落ち着かない。
その中丸からは『逃げの山下』『見切りのおりん』というあまり嬉しくない異名を付けられるが、皮肉にもその通りになっていく。
これは「ボタニカ」以来の好みに合わない作品か…と不安になった。
何しろ聖像画との出会いも何か天啓のようなものがあった訳ではなく、ロシヤ正教会信徒になったのも『格別の決心』をしたわけではない。
極めつけはロシヤの女子修道院での修業時代。
五年の予定を二年弱で体調不良により帰国するのだが、その間、ニコライ主教・女子修道院側の思惑とりんの希望とが全くかみ合わず思うような勉強は出来なかった。
修道院副院長や工房責任者とはしばしば衝突、時には罵り合いのようなことまで。よく修道院を追い出されなかったなと読みながらハラハラする。
帰国後はロシヤ正教会に戻り聖像画を描き始めるが、ここで再び『見切りのおりん』が発動する。それは正教会に対してではなく、自身に対してだった。
洗礼を受け聖名も授けられたのに自分には『神を想う心がない』と分かったのだった。
え、この期に及んで?と驚くが、りんは当初から絵で身を立てたいだけだった。西洋画が向いていると中丸に言われ美術学校に入学したものの諸事情により退学、ロシヤ正教会で西洋画に触れ、ニコライ主教からロシヤに行って絵の勉強をしておいでと言われれば西洋画の勉強が出来ると思うだろう。だがニコライ主教の考えはそうではなく、りんを日本人初の聖像画家にすることだった。
結果的に『逃げの山下』『見切りのおりん』は彼女の前半生だけで、その後はしっかりと腰を据えているのでホッとした。また『あやまちばかりの、吹雪のような』ロシヤ時代も後の彼女には必要なものだった。
彼女の信仰心がどこからどう芽生えたのかは分からないが、その原点がニコライ主教の人柄であるのは間違いないだろう。
この作品では聖像画は芸術であってはならないとされ、そのことがりんを苦しめるのだが、例えば仏教では仏像を金箔できらびやかにするし仏画も極彩色なものが多いのでその感覚がよく分からなかった。
聖像画は宗教画ではないので、より美しくより華やかにという画家の作意が入ってはいけないとあるのだが、信仰と芸術が両立する世界があっても良いじゃないかと思ってしまうのは私に信仰心がないからだろうか。
身内からは『不縹緻』で『不愛想者』、ロシヤでは『些細な才を鼻に掛け』『画業に身を入れない』と散々な言われようだ。怒りで感情を爆発させるときは能弁だが普段は無口で何を考えているか分からない。
だがそれだけなら小説にはならない。
りんはロシヤ人を『人見知りが強いが、ひとたび心を許せば親切で陽気』と評したが、この作品のりんはその通りの人物だった。
ニコライ堂の由来となるニコライ主教(最終的には大主教に昇格)やロシヤ正教会の歴史も辿ることが出来た。ニコライ主教は懐の深い人物だったが、他の司祭たちは必ずしもそうではないし平然と差別もする。日本に初めてチェーホフ作品を紹介したという瀬沼郁子もクセの強い人物として描かれている。
日本とロシヤとの関係が悪化する中でニコライ主教が亡くなるまで日本に滞在していたとは知らなかった。そちらの物語も知りたい気がする。
※作中でのロシア=ロシヤの表記に倣い、レビューでもロシヤ表記にしました。
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日本初の正教会聖像画師の山下りんの物語。
正教会も良く知らないし、山下りんも初耳ですがニコライ堂は知っていたのでその歴史として興味を引かれました。
まず主人公については、前半の自分の夢と周りからの期待とのギャップがわからず苦闘する様は息苦しかったものの、悟ってからの聖像画師としての潔さは心が洗われました。
ほとんど無名な登場人物の中では一番有名なニコライ大主教の半生と日本正教会の歩みも分かるのは勉強になりました。
そしてなにより巻末の資料の膨大な量が作品に対する著者の真摯な姿勢を示していて圧倒的に感動しました。
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小説というよりは伝記に近い読み心地だったな。キャラクターに共感しづらかったからだろうか。カタルシスが得られず、文章は読みやすいのに読み疲れてあまりページをめくる手が進まなかった。ようやく読み終えてほっとしている。
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江戸時代に生まれ、明治維新後、笠間県(茨城県)となった地で、武士の長女だったりん。縁談などもってのほか、ただ絵を描きたい。そのために生きると決めた。やがて日本で初めての聖像画家、西洋画家となった。
ニコライ教主との縁でロシアへ渡り、滞在した修道院では求めた西洋絵画の技術が得られないまま、失意のうちに帰国したりんは、やがて自分にはなくて、ロシアの修道女たちが持っていたものに気づき、一時はニコライのもとを離れるが、再び聖像画家となる。
りんは、激動の明治から大正をロシア正教とともに生き、多くの聖像画を残したが、関東大震災で失われたものも多かった。
実在の人物を描いたものなので、創作の範囲は限られるところもあろうが、想像力を駆使して描かれた描写には、事実とは別のリアルさが感じられる。りんの意志の強さ、気性の激しさ、一途さが、読むはしから伝わってくる。
ニコライ主教はじめ、西洋画を学び、のちに赤飯印刷を興す山室政子など、他の人物たちも魅力的だ。
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イコン画家とあったので、元々宗教的な方かと思ったが、そうではなかった。結婚せずに生きるのはとても難しい時代に、画師として身を立てようとするのはとても大変だっただろう。
ロシアに渡った際のイコンの描き方についての戸惑いの部分は、読んでいてもどかしく感じた。言葉が通じていれば、違った展開になったのかもしれない。
山下りんのイコン画を何処かで見てみたいと思った。
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絵を描いて生きていきたい、上手くなりたい、という盛んな闘志が、進めども進めども空回るさまは苦しい。特にロシア留学のくだり。そもそもりんの信仰心とは何に由来するのかは語られないほど、彼女の信仰心は神に捧げられたものではなく、絵を描くことに捧げられたもの。芸術としての絵画を学びたいりんと、信仰と結びつく聖像画を教えたい修道女たちとの齟齬は当然。「師が千言を費やそうと、己の道は己の足でしか歩けない」。気づきの道は遠くて苦しい。
りんの人生だけでなく、明治初期の美術教育界隈の情景や、なじみのないロシア正教会と日本の関係について読むことも興味深かった。いつか私たちの時代も、こうやって描かれることがあるのだろうか。
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読み応えのある作品
幕末から明治、大正に生きた、イコン画家山下りんの一代記。
女性の身で、あの時代に、画業を学ぶためにロシアへ留学までした。かなり波瀾万丈の人生。
ニコライ師がとても良い人に書かれていて、駿河台のニコライ堂に行きたくなった。
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日本人初のイコン(聖像画)画家・山下りん。
幕末から昭和初期にかけて激動の生涯を描いた物語です。
笠間(茨城県)の下級武士の娘・りんは絵師になりたい一心で、実家を飛び出し単身東京へ向かいます。
師を転々としながらも工部美術学校に入学し、西洋画を学ぶことになったりんは、ある時級友の政子に連れていかれたロシヤ正教会でニコライ主教と出会い、その縁でロシアに絵画留学することになりますが・・・。
我が強くて、しょっちゅう周りと衝突しがちなりん。
それは留学した先のロシアの修道院でも同じで、自分が求めた芸術性と異なる聖像画の模写をしたくない為、指導担当の修道女に食ってかかり、挙句思い通りにいかないストレスで身体を壊して志半ばで帰国という展開に、会社や学校といったガチガチの管理社会にいる現代人の我々の方が納得いかないことへの耐性はあるかも・・って思っちゃいました。(ま、こんな耐性無くてもいいのですけどね・・)
そもそも、一応洗礼は受けているとはいえ、ルネサンス的な“西洋美術”学びに来たというスタンスのりんと、まずは信仰があることが大前提で、“信徒”としての聖像画師を育成したい修道院側との、お互い「思っていたのと違う」という意思の祖語があったのが不幸の元だったようですね。
とはいえ、“だが、情熱はある”(ドラマ観ていませんが‥汗)という感じで、絵画に対する熱意は強く持っているりんですので、帰国後は聖像画を描く上での信仰心が足りなかった事をちゃんと反省して、一旦は聖像画から離れるも、再度心を入れ替えて聖像画家として、熱心に創作に励むようになり、時代的に色々大変な事があったものの、穏やかな晩年で何よりでした。
本書は勿論フィクションですが、時代背景や人物描写がリアルに書かれていて、この時代を共に生きたような読み応えがありました。
同じキリスト教でも、カトリックやプロテスタントに比べて馴染みの薄い東方正教会ですが、聖像画の捉え方・・所謂“世俗芸術”との違い等は興味深いものがありました。“ニコライ堂”にも行ってみたいですね。
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宗教に関わるから聖人なわけではない。
いろいろな人がいろいろな考え、思いを抱いている。
だから、この話に出てくる人たちも、
特別聖人ではない。
それでいいも思う。
でも、ちょっと身勝手過ぎる気が…
何で最後改心してるのかもよく分からん。
何でだろう、
この作者の女主人公は、素直に応援できない。
癖が強すぎる。