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「ケア」という行為の奥深さを知った。
ケアのたましい、すなわち積極的にケアをしようという行為は、ケアされる側が実は、わたしをケアしてくれるという気付きによって、たましいのケア、すなわちわたしのケアに昇華する。
ケアという行為は、世界との一体化の過程であり、さらには自己の内なるものの現前性を導く行為なのだ。
人間の存在は、ケアすることから全ては始まる。
最初は他者と関わることから始まる。それは最終的には自分自身に関わることになっていく。つまりケアすることによって、ケアされる必要性を認識する。
こころの深奥に潜む欠乏すなわち存在の不確かさは、他者に関わることとは矛盾する。だがその脅威は、他者と関わることによって和らぎ、私たちは生きていきやすくなる。人としての目標を分かち合うものとして、ともに旅をするのである。おそらく最終的に、その旅は、ケアのたましいを、たましいのケアに変容させるものとなるのだ。
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翻訳は意味はとれるが,かなりおかしな日本文.妻と自己の業績の賛美が延々と続く内容を下手な翻訳で読み続けることは,無理だった.
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精神科医であり、医療人類学者である著者のケアについての論考というより、著者の自伝であり、著者が妻をケアし続けたことで、ケアの本質を考察した著である。著者の妻の病気はアルツハイマーの中でもまれなタイプで、症状の経緯は勉強にもなったが、その中でケアする著者の心の動きには共感した。「ケアをすることによって、ケアをされることの必要性を認識する」「ケアのたましいをたましいのケアに変容させる」という分に本書が濃縮されている。