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彼らを責めるだけでは何も解決されない
2022/01/31 22:40
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:魚大好き - この投稿者のレビュー一覧を見る
精神科医の刑務所での経験を書いたエッセイ本。
犯罪は決して許される事ではないけれど、罪を犯した人たちの背景を知ることは大事だと感じた。
非行少年少女の逸脱行為が養育環境なのか、それとも発達障害や精神障害などが原因なのか、専門家でも判断が難しいことを私たちは知っておく必要がある。
いないほうがいいと思わされる養育者がいる一方で、面会に来てくれる人が誰もいないことも破壊的という事実が、心にずしんと残った。
日本は凶悪犯や粗暴犯を含め殺人事件は年々減少しているにもかかわらず、生きづらく感じるのは、他人に厳し過ぎるからだと思う。もっと寛容な人が増えれば、日本ってほんとに住みやすい国になるのに。ちなみにアメリカの殺人件数は増加傾向。
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超高齢社会、認知症患者が増加するにあたりどのように罰するのかが課題なのだと思う。
神経症などを発症して法で罰せないときに、被害者はやるせないのではないだろうか。加害者が刑務所から出てきたところで、同じことが繰り返される。
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少年院や刑務所で精神科医として被収容者の治療にあたってきた著者のエッセイ。発達障害、認知症、薬物依存、統合失調症、双極性障害などの精神疾患を抱えた被収容者は少なくない。医療と司法の間で、彼らをどのように治療して行ったらいいのか。現在問題視されている、児童虐待や薬物依存での犯罪、高齢犯罪者の増加などについても書かれている。いろいろなことが問題提起されていて、頭の中が飽和状態なので概略のみ。
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SL 2022.3.12-2022.3.14
落ち着いた筆致で、冷静な視点で描かれている。
加害者治療なので被害者支援に言及していないことにも自覚的な点が高評価。
少年少女たちの過酷な家庭環境には胸が痛む。自分には想像できないような現実がこんなにもあるということ。
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刑務所で臨床医として勤めた経験のある筆者が体感し、考えた罪と罰、そして精神医療の在り方について書かれた一冊。
この本には、正解も不正解もなく答えはなにもない。
結論もないし、筆者の一貫した意志や考えがあるわけでもない。
だけど、平坦や冷淡ではなく
自己の主観に縛られることなくフラットな視点で事実が綴られている感覚がある。
少年犯罪からの更生の余地
少年犯罪を取り巻く環境
高齢者、特に認知症を患う高齢受刑者の取り扱い
フィンランドの刑務所
「刑務所」というものへの根本的な価値観
決してどれも答えがない。
けれど、この答えのない問を考えることに価値がある。
そう感じさせてくれる一冊。
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精神障害を抱えた受刑者と向き合ってきた精神科医の記録。更生、保護、治療、刑罰、何が必要とされていて、刑務所で過ごす意義はあるのか。諸外国では全く異なる刑務所の在り方には驚いた。高い塀に囲まれて社会とは隔絶している、ということに安心してその後のこと、その中のことには目を背けて考えていないことを思い知らされた。
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“「家族はこうあるべきだ」という規範を考えようとすることは、どうしてもそれ以外の家族のあり方を批判する論調に傾きがちである。しかし、家族のあり方がますます多様化していくことはおそらく止められないだろうし、止めようとする必要もないことだろう。”(p.55)
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医療刑務所や拘置所などに勤務経験がある精神科医の本。知った話が多いかな…?と想像していたけど思った以上に面白かった。
・ずっと拘置所の保護室に隔離されている人。訴訟能力にさえ疑問を持たれるような状況のようだが、ずっと拘置所にいる。拘置所では強制治療を行う権限がないため、なすがままだという。裁判所の進行管理はちゃんとやらなればならない。
・精神鑑定の面接の数日前だけ錯乱する女性被告人。刑務官は、「鑑定に来ると大なり小なり演技していますよ」「鑑定なんてちょろいもんですよ」という。
他方、刑務所にいると「なぜこの人が精神鑑定を受ける機会がなかったのだろう」と心底疑問に思うことが少なくないという。なるべくその機会に気づいていかねばならないと思うけど、鑑定を行うとなると終局まで大幅に長期化することになりかねず、「もし結局結果が同じだったら?」と思うと本当に被告人のためになるのか、という疑問も生じるところである。当然少し会っただけの素人判断では分からず、鑑定をやってみないと分からないところもあって、難しい。
・軽犯罪の認知症の受刑者。食事直後に「飯を出せ」と騒いで大変。一般の病院なら散歩をしたりして気分を変えるところだけど、刑務所では人手を調整しなければならず簡単にはできない。向精神薬での鎮静や、一時的隔離をせざるをえない苦しい状況。現場の刑務官からすると刑の執行停止を検察官に申し出るのはとてもハードルが高いというのも想像できる。
・フィンランドの刑務所訪問記も面白かった。仕事をせずにおしゃべりしてる受刑者たちの様子を気にせず紹介する様子、刑務官が受刑者の自殺をためらいなく訪問者に回答する様子。職員が自由でなければ、受刑者に開放的な処遇ができるわけがない。刑務所内のチャペル、母子で生活できる居室など。日本の刑務所の厳しい処遇には、戦後のある時期に刑務所内へ暴力団抗争が持ち込まれて大変苦労したことが影響しているのではないかとのこと。
・非行や犯罪は社会的価値観を含んだ概念であるから、犯罪をしたことで「治療」を行う、というのは危うい。反社会的思想の持ち主が精神科の矯正治療を受けたのと同様の事態になりかねない。医者は病気を治すのが仕事だから、価値観からできるだけ自由でありたいと著者の医師は考えていたそうだ。
刑務所での精神科医からみた「裏側」、精神鑑定の「裏側」など、精神科医ならでは、著者ならではの視点でとても面白く勉強になった。
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2021年12月
現場の難しさについて冷静に淡々と書いている印象。知識のある人ほど自分が一部しか知らないことを前置きしながら語るみたいな感じ。よかった。
帯からは何かを糾弾するような内容の本であるかのような印象を受けたが、内容を読んでみると淡々とした語りぶりで、何かを責めるような部分は一切ない。それは現状が最良だと言っているわけではなくて、問題がそう単純でないということだ。
飯のために働く医者はいい医者だというような文章があったが、自分がすべてをわかっているとは思わない謙虚さが飯のために働くということになるのかもと思った。
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p24 幼い頃から重ねて虐待を受けてきた人を対象とする場合、そうした体系化された精神療法は無力であるか、効果はあっても限定的である。必要なのは安定した衣食住を提供すること、根気よく支えつづけることである
p26 ローラ、叫んでごらん
p34 不適切な養育を受けた人は不適切な養育を繰り返しがちだということである
p38 こうした経験から精神科医が学ぶことは、人には(とくに患者には)こちらが思いもよらぬ、語られていない外傷体験がありうるということである
p42 虐待が行われている家族に共通していると感じたことの一つは、地域を含めた人間関係からの孤立である
p54 矯正施設で出会う家族は、一般の医療施設で出会うより総じて「貧しく」「孤立しており」「葛藤に満ちて」いることは確かである
p55 一番必要とされているのは、洗練された心理学的手法でなく福祉的な配慮と根気強い支持的な対応なのである
p63 私が若い時代には、統合失調症の診断に必要なものとしてシュナイダーの一級症状を習った。思考化声(自分の考えていることが声になって聞こえる)、対話性幻聴(自分の頭の中で対話が行われる)などである。こうした特徴的な幻聴や異常体験を医療機関の外来で聞くことがめっきり減ったような気がする
p70 拘置所は未決の人を収容している施設であるが、刑が確定しているにも関わらず拘置所にいる人たちがいる。死刑囚である。死刑は死刑になることが刑の執行なので、刑務所では行われない。死刑は拘置所で執行される
p109 リタリンとコンサータ(ADHD メチルフェニデートの除法剤)は基本的に同じ成分の物質からできているのだが、代謝の速度がまったく違っている
p151 少年の受刑者 2010- 減少 定説はない 社会適応に悩む若者が、かつては暴走族に代表されるように行動化していたのが、近頃はそのエネルギーがなくなりひきこもってげーむをしているからだという意見もある
p163 日本とフィンランドの刑務所の違いは、根本的に刑務所に収容する目的を刑罰のためと考えるか社会復帰のため(よい市民を作るため)と考えるか、という点に起因している
p200 かつて少年鑑別所の日課に個室で何もしないでいる時間が多いことを知った人から、「なぜもっと矯正教育をやらないのか」とお叱りをうけたことがあったが、実はこういう時間ことが内省がうまれてくるために重要なのである。「時間の速度をゆっくりにする」ことが、何かを考えるためには重要なのである
p203 自分の内面にある闇を見つけることは難しい。「太陽と死は直視できない」(ラロシュフーコー)という言葉があるが、心の中の闇もまた直視するのは難しい
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矯正施設の受刑者や非行少年たちの中には、一般社会よりも高い割合で、精神障害の方や、学習面や身体面に困難さを抱えて社会に適応できずに道を踏み外してしまった方がいるとされる。
本書は、そうした矯正施設で精神科医師として20年以上勤務した著者のエッセイである。著者の野村先生は、哲学、臨床心理学を経て、30代後半で医学の道に進んだという。この“回り道”が、野村先生の医師としての懐を深いものにしていることが、本書を読むと伝わってくる。
野村先生は、このトレーニングをすればいい、この治療でどうにかなる、ということを軽々しく言わない。むしろ何度も医療の限界を述べ、それでも試行錯誤して、根気強く、支持的に対応をしようとする。落ち着いた口調で、殊更に煽ることなく、淡々と語られる塀の中の精神医療は、非常に心を揺さぶられる。
先日も刑務所の受刑者には再犯者が多く、高齢化も深刻な状況であると報道されていた。このため国は矯正施設にリハ職である作業療法士を配置したり、触法者の地域定着支援をしたりしているが、なかなか思うようにはいっていない。自助ができず、互助、共助の力も落ちている今、矯正施設が彼らのセーフティネットとなっている。
堀の中の人たちにも人生がある。本人、家族、被害者、それぞれの人生が入り乱れ、交わる。もしかしたら、この人生は自分の人生だったかもしれない。そう思い、読み通した。
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凶悪犯罪についてのドキュメンタリー動画をYouTubeでよく見たりするので、個人的にはおもしろかった。
治療と刑罰を同時に実行するのは難しい問題なんだなと思ったし、人間を育てるのも大変だなと思った。
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知人から紹介を受けて読んだ。抑揚が効いた文章であり、慎重に記述されたのだと思う。精神科医のエッセイは他にも読んだことがあるが、その方と比べると伸びやかさを感じない。著者は既に亡くなられたと聞いたが、いろいろなことを思い、それをカタルシスなく、逝かれたのではないだろうか。
書評サイトに熱いコメントを拝見した。このエッセイに書かれていないことも含めて、著者の仕事を知る方によるものだと思う。ご冥福をお祈りする。
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社会から隔離された場所で過ごした後、もう一度社会で暮らさなければならない。元々、居場所が無いような人達が、さらに追い詰められるようなら構造になってしまっているのだろうか。
また、精神病患者が現れたのはここ最近の出来事では無いというのは、興味深かった。確かに、知能などが劣っている人や、落ち着きがない人は昔からいたはずであり、彼らはどのようにして生きたのだろうか。気難しい人というイメージは持たれていただろうが、それでも、現代よりは気にかける人が多分、居たのだろうな。
精神病患者と名付ける事で、より患者は増えただろうが、一方で、彼らを気にかける人は減ったのだろう。このドアの向こうに住んでいる人は、どんな方だろうかと、私自身は考えることすらしない。こういう部分がある事を思うと、繋がりって何だろうと思ってしまう。