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強かったり弱かったり一定せず、負けた理由は「気持ちが足りない」。そんな、よくわからない野球をしていた過去の中日に対し、落合野球は明らかに異質だった。あの頃の中日は本当にプロの野球をしていたのだと思う。自分自身はあの強かった中日に、落合の野球に、惚れ込んでいた。その頃のことを思い出しながら読んだ。
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薦めてきた家族が「面白いからすぐ読んで」というので読み始めたら、言われた通りすごく面白いのであっという間に読んでしまった。
私が野球をちゃんと見られるようになったのが2007年頃で、ちょうど落合政権真っ只中だった。贔屓チームの攻撃では塁に出ることも難しいのに、裏になればアライバのしぶといバッテイングと進塁、それを和田や森野が返し、じりじり試合を見守るうちに浅尾・岩瀬が出てきて望みはぷっつり絶たれる。敵地であるナゴヤドームは乗り込んだチームの覇気や運のようなものをすべて暗闇に吸い込んでいくような、不気味なイメージだった。でもこの本を読んでみれば、その一種絶望的な空気は相手チームのみならず中日の選手たち、そして他ならぬ落合監督を絡めとっていたのだと分かる。落合監督は攻撃では確実性だけを追い求め、守備では常に100%の完璧を課した。他人に理解されることははなから諦めきっていて、心の揺れは身の内で焼き殺し、情を捨て……。読み始めればただならぬ緊張感がずっと漂い続けていて、目を離すことができなくなる。落合監督に関わっていく中で、選手たち、コーチ、記者……みんなどこかに孤独を抱え対峙するようになる、その様子がそれぞれの視点から克明に記録されていた。おそらくインタビューなどから構成したのだろうが、こんなに緊迫感と臨場感で張りつめた文章で読ませてもらえるなんてと感動してしまった。
落合監督は最後に野球は契約が全ての世界だとして、「自分で、ひとりで生きていかなくちゃならないんだ」と語っているけど、それは野球の話だけではなくて、生きていくうえで骨身に染み付いた哲学なのが伝わる。それは物悲しくも聞こえるけれど、その孤独は開放や救いをもたらすものでもあるのだ。だからこそ夫人のような、人に寄り添う明るさも沁みるのだろう。
本人の心境が直接的に語られることはないのだが、それがかえってその孤独な存在の苦悩や哲学を浮き彫りにしていて、本当に面白い本だった。
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プロ野球中日ドラゴンズの黄金期を築いた監督・落合博満氏に迫る話題のノンフィクション。描かれる落合氏の人物像は、戦い続けなければならない現代人に刺さるのではないか。
落合氏の言葉はどれも印象深いが、とくにこれだ。
「球団のため、監督のため、そんなことのために野球をやるな。自分のために野球をやれって、そう言ったんだ。勝敗の責任は俺が取る。お前らは自分の仕事の責任を取れってな」(p449)
個と集団をどう考えるか。落合氏には確固とした哲学がある。だから、ヘッドスライディングはするな、と。予想を超える力を突然出すよりも、むしろ予測可能なプレーを毎日やる方がいい、と。しかしだからこそ、監督最終年の2011年、ある選手の、選手生命を失いかねないホームへの走塁が胸を打つ。そのプレーを見て、落合氏は「何かを言う必要はないんだって、そう思ったんだ」と振り返る。
落合氏は、孤独に勝ってきた。そして、一人で来た記者には話すと言った。そういう人物を長年追い掛けたからこそ、筆者は「列に並ぶことをやめていた」。そう、周りの人間と同じことをやってちゃいけない。落合を見よ、である。
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口コミがとても良かったので、図書館で予約してやっと順番が回ってきた。野球の知識がほとんどない私も読めるかなと、分厚い本を前にして不安を感じたが、すぐに杞憂であったと思い知った。
特に、荒木の章は格別だった。落合監督が荒木選手に語った印象深い言葉を、備忘録として抜粋する。
⭐️心は技術で補える。心が弱いのは、技術が足りないからだ
⭐️監督から嫌われても、使わざるを得ないような選手になれよ
⭐️球団のため、監督のため、そんなことのために野球をやるな。自分のために野球をやれって、そう言ったんだ。勝敗の責任は俺が取る。お前らは自分の仕事の責任を取れってな
個を貫く生き方は時に厳しく孤独だが、その熱い生き方は人の心を動かすものであり、私も読後熱い想いが込み上げてきた。
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期待にたがわず素晴らしい内容でした。
落合さんは、真っ当な論理を持った人だと思います。真っ当な論理を当てはめなければならない場面では、そのように判断・行動されます。でも、選手への思いやりもしっかりと持っている監督だろうと感じます。選手が独り立ちしてものを考える人間になるようにと願って、でもあまり口に出さずに、監督をしていらしように、この本を読んで感じました。
以前読んだ本の中で、ワールドベースボールクラッシックに要請されたのに出なかった選手たちにとって、出なかったことの理由を説明する義務はないということの理由(落合監督の考え)が書いてありました。出ることが義務でない場合に、それに出ないという返事をするときに理由を添える必要はない、という趣旨でした。それを読んで、落合さんは、至極まっとうな人だと感心しました。
グラウンドで、落合監督が何を見ているのか、というのも書いてあります。すごいなぁと感じます。
値打ちのある本でした。
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落合さんが監督だった時の中日の強さは今でも覚えている。毎年大崩れすることなくコンスタントにAクラスに入っていた。荒木、井端、森野、谷繁、吉見、浅尾、岩瀬…当時の選手を並べるだけで気持ちが昂ります。みんなプロフェッショナルだった!
プロフェッショナルであれ!
落合さんが選手たちに伝えた。選手はそれに応えた。そして落合さんがまとめた。
当時の中日を思い出しながら楽しく読みました。
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プロ野球、中日、落合監督というフィルターをかけてはいるものの、これは、圧倒的に、プロフェッショナル論の書籍だと感じた。野球に関係なく、この世界でプロとして生きる、ということがどういうことなのか、落合監督の考え方から汲み取れるものは多い。常識や身の回りに流されるのではなく、徹底的にコトにあたること、シンプルになること、より多くのものを捨て去ること。常人にはなかなかできないが、悲しくもあり、だからこそ魅了するのがプロなのだと改めて感じた。
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p54 監督の仕事ってのは、選手のクビを切ることだ
p97 別に嫌われたっていいさ。俺のことを何か言う奴がいたとしても、俺はそいつのことを知らないんだ
p122 福留は直感的にわかっていた。落合は好きだとか嫌いだとか、そうした物差しの埒外で生きている人間だ。感情を持ち込んでも意味がないのだ。その割り切りが落合の言葉に耳を傾けさせ、技術追求への純度を高めた
p123 落合が影響を受けたバッター 土肥健ニ
p128 この世界、好きとか嫌いを持ち込んだら、損をするだけだよ
p139 福留は落合を鏡にしているのだ。日々、自分のバッティングに起こる変化を正確に映し出してくれる2つの眼 そこに情はない。あれば鏡は曇るだけだ
p151 スポーツは強いものが勝つんじゃない。勝った者が強いんだ
p167 お前がテストで答案用紙の答えを書くだろう?もし、それが間違っていたとしても、正解だと思うからかくんだろ?それと同じだ
p180 ただ球界には、伏兵の挙げた点では勝負は決まらないという言葉がある
p202 勝つために、その他一切を捨て去る。森は落合の下で、そういう野球をやってきた。だからここまで辿り着けた、とも言える
p228 でもな、負けてわかったよ。それまでどれだけ尽くしてきた選手でも、ある意味切り捨てる非常さが必要だったんんだ
p229 監督っていうのはな、選手もスタッフもその家族も、全員がのっている船を目指す港に到着させなきゃならないんだ。誰か一人のために、その船を鎮めるわけにはいかないんだ。そういえば、わかるだろ
p246 落合はいつも、正義と決めれたことと、悪とみなされていることの狭間に石を投げ込み、波紋を広げるからだ
p320 スクープをものにできるのは、疑り深い奴だけだ
p427 人は自分が理解できない物事を怖れ、遠ざけるものだ
p433 心配するな。俺はお前が好きだから試合に使っているわけじゃない。俺は好き嫌いで選手を見ていない
p438 落合はリスクや不確実性をゲームから取り除いた。それが勝つために最も合理的な方法だと考えたからだ
p441 監督はさ、心は技術で補えるっていうんだよ。不安になるっっていうことは技術が足りないんだって。それはつまり、俺にもとの一にもどれって言っているのかな
千利休の言葉 一より習い十を知り、十からかえるともとのその一っていうのがある
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<目次>
プロローグ
第1章川崎憲次郎
第2章森野将彦
第3章福留孝介
第4章宇野勝
第5章岡本真也
第6章中田宗男
第7章吉見一起
第8章和田一浩
第9章小林正人
第10章井出峻
第11章トニ・ブランコ
第12章荒木雅博
エピローグ清冽な青
あとがき
本屋で積んであったのを見つけて購入、即日読了。
今のドラゴンズは、なぜ弱いのか。
選手はラクだが、勝てない理由は、この本の中にある。
来年からは、黒い噂のあるT氏が監督になるが
どこまでやれるのだろうか。
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落合の活躍をLiveで観れていたし、監督になってからのエピソードも良く覚えている。本書のエピソードを読んでそうだったのかと納得。しかし落合って本当にすごい。いわゆるプロ野球選手になるための王道に全然沿っていないのに、プロになり、大活躍して、監督でも成功する。就任初日の紅白戦のエピソードにもあったが、プロである選手をある意味プロとして尊重し、考えさせるためにやったんだな。森野や荒木へのノックの話など、恐ろしいし、守り中心の野球など、本当に考えられているなと改めて感心。すごい男だ。何か落合監督のチームの雰囲気も分かって良かった。分厚い本だったがあっという間に読めた。
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電子書籍。『オレ流』と言われ、世間からは理解されなかった落合。最近、YouTubeで前田や和田が『落合さんのバッティングは天才』と言っているのを見て、やっぱりそうなんだな…と再度、落合という人物に興味を持ちました。で、この本。中日の番記者であった著者のフィルターがかかっているのを除いても落合という人がどんな考えであったか?が非常によくわかります。捉え方は人それぞれだと思うけど、自分には割とスッーと入ってきました。結局は、監督としてもプロを貫いた男。約束した目標に向かって最善策をとる…これがなかなか普通はできない。が、この男はやると決めたらやる。立浪への森野の挑戦、山井の交代劇、アライバのコンバート…普通であれば逡巡してしまうことをやる。その物差しで見ると、たしかにそうだ!と納得できる。たぶん本質的な人間性は極めてウェットな人のような気がするが、プロとしてそこは表に出さない。とにかく、野球好きなら読んで損は全くないと言えると思います。
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落合監督はシンプルだ。
合理的なものを詰め込んだ野球。
その場限りの感動ではなく日々積み上げてきた地道な期待値から生まれる勝利。
ただその勝利が世間や野球界から求められているものではなかったのかもしれない。
多くの人がお涙頂戴の感動野球を求める。
その中、プロとは何か突き詰めた野球が落合野球なのではないか。
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土肥はプロの世界で十五年を生き延びた。四百九十七本のヒットと四十四本のホームランを残してユニホームを脱いだ。落合という男の本質がわかってきたのは、その後だった。
例えば、落合を表す代名詞に「オレ流」がある。この表現について、後に落合本人がこう語っていたのを活字で目にしたことがあった。
「私はね、自分では一度もオレ流という言葉を使ったことがない。周りが言っているだけ。世の中の人たちがいうオレ流って、自分に言わせれば、堂々たる模倣なんだと思う」
土肥はその記事を見て、かつてチームメイトだった落合という男から感じた、あの日の不思議を思い出した。そして、もし自分の神主打法が落合に何らかの影響を与えたとしても、それはもう彼のものだと思った。数字が証明していた。落合はまさに完全なる模倣から、自分だけの技術を生み出したのだ。
日々、試合前のフリーバッティングを終えると、福留は落合の元へ向かった。落合も、福留が打つ時間になるとグラウンドに現れて、ケージ裏でそれを見守っていた。そして二人は、今しがたのバッティングについて、二言、三言、かわすのだ。
わずか数分だが、あの落合と毎日のように言葉のやり取りをする選手は、福留をおいて他には見当たらなかった。
一方で、両者の間には明確な一線がみてとれた。接するのはバットを介してのみで、それ以外に感情のつながりがみられないのだ。
ウォーミングアップの合間やベンチ内の何気ない時間に接している様子はなかった。グラウンド以外で福留について何かを語ることはなく、福留もまた落合の言動を気にするそぶりはなかった。誰もが落合の言葉や視線に感情を揺らし、あの立浪でさえ怒りをあらわにするなかで、福留からはまるでそれが感じられなかった。
交わることのない二つの個。落合と福留の関係はそのように見えた。
私が訊きたいのは、それについてだった。
「落合さんのことを、どう思ってる?」
新幹線が動き出し、しばらくしてから私は曖昧な問いをした。それで伝わると思った。
福留は手のひらに落としていた視線を上げて、私を見た。
すべてを察している表情だった。
「この世界、好きとか嫌いを持ち込んだら、損するだけだよ」
車窓から差し込んでくる光に目を細めながら、福留は続けた。
「前にも言ったことがあっただろ? 俺は野球と人間的なものを区別すると決めたんだよ」
以前に聞いたことがあった。落合が監督となってまもなく、福留がこの球団に入るきっかけとなったスタッフが解雇された。内心は揺れたという。ただ、そこで福留は落合という人間に対して、何かを割り切った。本来は感情をあらわにして、それを原動力にプレーしてきた男が、ドライな雰囲気をまとうようになったのは、それからだった。
「でも、監督はキャンプから他の誰よりも俺のバッティングを見てきた人だから、どこが違うのか、何が狂っているのか一番わかるんだ。だから訊く。今日はどうですか? って。それだけだよ」
それが落合との距離感についての福留の答えだった。
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2007年日本シリーズ。
中日にとって、勝てば53年ぶりの日本一という試合。
日ハムの先発ダルビッシュから2回に犠牲フライで1点を取るが、その後は得点を奪えない。
対する日ハムは得点はおろか一人も出塁できず、8回終わってスコアは1-0と中日がリード。
誰もが、山井投手の完全試合と中日の日本一を目撃する瞬間に居合せていることに興奮していた。
9回表、観衆の山井コールが止まぬなか、落合が球審に向かい歩を進め耳元で囁く。
「山井のところに、岩瀬」
結果がどうであれ、ここで山井を交代させる理由はない。
日本中の野球ファン全員をガッカリさせる常識破りの采配。
今までメジャーリーグも含めて、完全試合を目の前にしたマウンドに、リリーフ投手が送られたことはない。
このシーンの真相がわかるかと期待したが、本書にも当時書きたてられた記事以上のものはなかった。
落合自身が本心を何も語らない以上、「リードしていれば、9回は岩瀬」に決めていたと想像するしかない。
この試合で負け投手になったダルビッシュの完全試合未遂を思い出した。
レンジャーズ時代の2013年アストロズ戦。
ダルビッシュは 9回も簡単に2人を打ち取りあと一人。
ダルビッシュの正面に打球が飛び、やった!と思った時、なんと股間を抜けてセンター前ヒットに。
この瞬間、完全試合は消滅しダルビッシュは交代した。
落合の基本姿勢は、「自分が他人の望むように振る舞ったとき、その先に自分の望むものはない。」ということだ。
不可解な采配に対しては「自分と他人とは見ているところが違う。だから、意図は分かりっこないよ。」と言って口を閉ざす。
監督就任直後の2004年、例年なら体の出来上がっていないキャンプ初日にいきなり紅白戦を行った。この狙いは本書で語られている。
二遊間コンビとしては最高との評価を得ていた、荒木と井端の守備位置を交換した。この理由も本書で語られている。
その他、一般のファンではなかなか知ることのできない監督時代の落合の行動や視点がいろいろと書かれていて面白かった。
熱血・気合でごまかす根性論を嫌う落合らしい助言の一つが、「心は技術で補える。心が弱いのは、技術が足りないからだ。」だ。
学生や社会人への助言なら、「自信が持てないのは、知識が足りないからだ。」とでもなるのだろう。
落合が最後に残した選手への言葉は、「おまえら自分のために野球をやれよ。」だった。
人は自分が理解できない物事(や人物)を恐れ遠ざけるものだから、理解できない落合を手本にしたいとは考えないだろう。
だが、選手としても監督としても成功している現実を突きつけられると、その理由を知り参考にしたいと思うだろう。
本書は、組織の枠からはみ出したリーダー像を描くというコンセプトのもと執筆されたらしい。
野球に詳しくない人達にも本書がよく読まれているのは、結果を出すために具体的に実践してきたことが語られているリーダー論だからなのでしょう。
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リーダー論はさてお��て、単純に野球大好き人間としては、
落合とは実績もキャラクターも全く違うが、「理解できない」「常識破り」なことを平気で行う新庄が監督としてどんなチーム作りをするのか楽しみです。
落合に求められたのは"優勝"でしたが、新庄には"興行収入"が求められているでしょう。まずは今年、そして3年くらいは我慢して見たいですね。
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「冷徹非情」。自分が知っている落合監督のイメージはそれだけだった。
勝つためなら非情な采配でも何でもやる。そうして常勝中日を作り上げた代償としてつまらないとメディアから揶揄されたり、ナゴヤドームにお客さんが入らなくなったりした。
でも、この本を読むとプロ野球の監督で最も合理的で論理的にチームを見つめていて、それを実行に移せる落合監督の凄さを感じた。
いつもうつむき加減でベンチから戦況を見つめる理由、それにも納得させられるものがあった。
自分の仕事では「心は技術で補える」この言葉を自分の仕事でも生かして、確固たる技術を身に着けていきたいなと思った。