紙の本
そんなこと言ってないよと言う視点
2021/11/17 16:34
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投稿者:見張りを見張るのが私の仕事 - この投稿者のレビュー一覧を見る
デカルトの入門書は既にいろいろ存在しているのだが、本書が普通の入門書と違うのは、デカルトの主張は~である、という記述ではなく、デカルトは~と言ってないという形式を取ることである。誤解、誤読、単純化、不正確な解釈によって歪められたデカルト像をただすために、本書では21の「言ってないこと」をあげて、それらがデカルト本来の思索とかけ離れているかを明らかにしようとするのである。
巻頭に挙げられている「言ってないこと」は「学校で教わることはどれも役に立たない」というものである。デカルトの通った学校とはイエズス会によって設立された伝統的なキリスト教の学校で、デカルトの試みた新しい哲学にとって、そこで教わることは確かに役に立たなそうではある。この言説を著者が如何に否定するのか詳しくは本書をお読みいただきたいが、私はこの章を読んだ際に、芸事における「型破り」や「守破離」のことを考えた。
本書を読み終えて、著者のデカルトの読みは文献学者のそれであり、一語一語を大切にする読みである。なんらかの哲学書を読んだ際、この哲学者の主張は○○であると合点しようとするとき、哲学者の著作に本来含まれていた豊かなニュアンスを平板なものにしてはいないかとの自戒の念を持ちたくなった。
紙の本
デカルトを 読もうと思うが 重い本
2023/08/01 22:50
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投稿者:清高 - この投稿者のレビュー一覧を見る
内容・評価
タイトル通りの本で、巷に流通していると思われるデカルトの文章とされる21文について、実際は違うという本である。
筆者はデカルト『方法序説』を読んだ記憶はあるが、内容は忘れている。本書を読んで確かめてみようと思った。このように、デカルトの本を読むきっかけになる本ではある。
しかし、ドゥニ・カンブジュネルの研究にはついていけなかった。書簡まで出されては、デカルトを専門にしていない大多数の人々にとっては黙ってうなずくしかない内容でもある。
以上、デカルトを読むきっかけになるという点で5点、著者の主張の妥当性を評価するにはおそらく全集を読まなければならないのが重いという点で1点減らして4点とする。
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「言った言わない」のやりとりがちょっとだけおもしろい。
そのかわりにけっこう難しいところがあるので読み切るのは大変でした。
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2021年8月に初めて「方法序説」を読み、「ひょっとしたら、近年最もネガティブな評価の与えられている哲学者の一人ではないかと思っている」などとここで書いたら、偶然にも次月にこのような訳書が出版されていた。「物事が真たりえる基準」それ自体を深く検討したほとんど唯一の哲学者デカルトは、明晰さと判明さを重んじ自らの原理を絞り込んだために、後世の読者の間にその思想はシンプルな言説で要約可能だという誤解をもたらした。現代におけるデカルト研究の第一人者である著者は、本書で21の典型的なデカルト解釈を例示し、直接の一次資料を引用しながら、その要約的な言い換えやクリシェに含まれるノイズを取り除いてゆく。
この21の解題の構成については訳者あとがきに詳しい。著者の薫陶を受けた経験のある訳者によれば、その構成はデカルトが学問のあり方を喩えた「一本の樹木」に倣っているという。形而上学を根とし、幹に自然学、そして機械学・医学・道徳が枝というわけだ。21の章立ても基本的にこの順に構成されているが、やはり最も読み応えがあるのは機械論と心身二元論(の解釈の誤り)を論じた14〜17章あたりだろう。そこでは、後世の読者によって極度に定式化された虚像が小気味よく剥ぎ取られ、デカルトの実像が照出されてゆく。例えば、
- デカルトの自然学は合理的精神が演繹的に作り上げたものではなく、その実、端から端まで経験的=実験的である(13章。イギリス経験論に対する大陸合理論の嚆矢としてのデカルト像の批判的再検討)。
- デカルトの人間機械論は魂を欠いた純然たる身体機能を対象にしたものではなく、魂によって利用される道具としての身体についての言及である(14章。デカルトが心身峻別的な二元論を提唱したという言説への反論)
- 魂は、身体一般に作用してこれを動作させるのではなく、習慣や想像力によりもたらされる特定の「脳状態」においてのみ働く(15章。ダニエル・デネット「デカルト劇場」等への反論)
- デカルトの主張は、情念は身体と独立して作動する、というものではなく、むしろ、情念の役割は、身体と魂を同調させ、生命を状況に対し適切な状態に準備させることであるというもの(17章。デカルト=心身二元論、という典型的図式への反論)。
僕にとって何より驚きであり嬉しさであったのは、ここでアントニオ・ダマシオの「デカルトの誤り」が短絡的解釈の最たるものとして紹介されていたこと。彼の恣意的かつ短絡的な引用の仕方こそ、英米圏に蔓延る画一的なデカルト解釈の再生産の主因だと強く批判している。僕自身ダマシオの主張には納得できるところが多いが、やはり贔屓目に見ても彼のデカルトの扱いはフェアではないし、あの書題「デカルトの誤り」は罪作りだったと言わざるを得ない。本書17章とそこで引用されるデカルトの説に触れれば、ダマシオの主張に劣らず、デカルトの説にも科学的で実証的な側面があることを確認できるのではないかと思う。
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1.学校で教わることはどれも役に立たない
2.感覚は私たちを欺く
3.明晰判明でなければ決して真ではない
4.方法の規則は少ししかない
5.神はやろうとすれば3+2=4にできる
6.「私は考える、だから私は在る」というのは大発見である
7.人間の魂は、自分に対して透き通るように立ち現れてくる純粋な思考のことだ
8.人間の精神は、思考するのに身体を必要としない
9.人間の精神は、独り観念を介さなければ何も認識しない
10.人間の意志は無限である
11.人間は、自然の主人にして所有者になるべきだ
12.物質は延長に他ならない、すなわち空間である
13.自然学に経験や実験は不要である
14.人体は、純然たる機械である
15.私たちの魂は、身体を動かすための力を持っている
16.私たちは動物に何をしたって構わない
17.理性は、情動なしで済ませられる
18.私たちの実践上の判断はどれも不確実だ
19.完璧な道徳は手に入らない
20.高邁とは、自由の情念のことだ
21.政治は君主に任せておくべきだ
弁明――簡潔に、対話篇のスタイルで
デカルト主要年譜
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デカルト研究者の大家(翻訳者の師匠)における、デカルト「入門書」。
入門書とは紹介されているけれども、デカルト一般として流布している「心身二元論」や「コギト・エルゴ・スム」などの前提知識がないと厳しい内容かな。その常識を矯正するという試みが本書の論旨となっているので、中級者向けといった印象。
デカルトの理性至上主義で冷徹な印象がなんとなくあったけど、本書を通して「情念」や「身体」といった面にも重点を置いていたのではという主張には目を見張るものがある。上澄みだけをくみ取って知った気でいることの浅はかさと危うさを学問によって突き付けてくれる心地よさを感じる。
とはいってもデカルトの一般的な概念を復習して上で、本書の主張を復習すると理解の拡充が見込まれるのだと思う。一般的な入門書とは一線を画す味わいのある一冊です。
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表紙はかわいらしいし、タイトルもとっつきやすそうだが、内容はむずかしめ。
デカルトのイメージ的解釈からデカルトの書いてあることの著者なりの解釈をする、という順序であるので、余計にややこしいのかもしれない。哲学書の翻訳はむずかしいが、それもあるかも。