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貧困のつらさや病弱な母のことを背負いながら、とても綺麗な言葉たちが居ました。さらさらと落ちていく砂の描写やの望郷の思いがとても屑々と伝わります。さすが国語でとりあげられるなぁって関心しました。
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啄木の処女歌集であり「我を愛する歌」で始まる『一握の砂』は、甘い抒情にのった自己哀惜の歌を多く含み、第二歌集の『悲しき玩具』は、切迫した生活感情を、虚無的な暗さを伴って吐露したものを多く含む。
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北海道の旅を通じて味わえた啄木。
26年という短い生涯で彼が残したもの。小さなものであっても、確かに残り続け、それを受け取る人間が、存在しているということ。
啄木の紡ぎ出す儚さや孤独に、どうしようもない切なさを覚える。
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前向きになれないときに
気分を落として落ち着かせるのにおススメの一品。
寝つつ読む 本の重さに つかれたる
手を休めては 物を思へり
そんな読み進め方もわりとよい。
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やや遠きものに思ひし
テロリストの悲しき心もー
近づく日のあり。
啄木の歌って、ほとんど暴力的でそれなのに繊細だ。
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はたらけど
はたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざり
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で有名な石川啄木。初めて歌集を手にしてみたけど、短歌の力はすごいな。
適当に開いたページを読んでるだけでもおもしろい。
P.47
あたらしき心もとめて
名も知らぬ
街など今日もさまよひて来(き)ぬ
これ誰のこと?笑
P.60
石ひとつ
坂をくだるがごとくにも
我けふの日に至り着きたる
うんそんなもんかも
P.159
遊びに出て子供かへらず、
取り出して
走らせて見る玩具(おもちゃ)の機関車。
どゆこと?笑
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哀しい時に読むと、
余計に哀しくなります。
けれど、鼻にツンとくるような
哀しさの気持ちよさに注意。
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書道用に買いましたが、よいです。
書道用にはそこまでよくなくても歌は良いからいいのです。
時々ぱぁっと明るい歌がある、その抜け方が抜群によいのです。
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不来方の
お城の草に寝転びて
空に吸われし
十五の心
何度読んでも
十五の夏を思い出す
ちょうど読んだのも
十五だった気が
平城宮跡(近所)に
寝転んだときの
草の匂いがするうた
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生活に関しては、女にも金にもだらしなく、借金まみれの可憐な駄目人間。
文学に関しては、苦界にあってますます鋭く尖る自負心をもつ気位の高い激情家。
蟹と戯れたり、母を背負って泣いたり、停車場で同郷人の声に耳を澄ませたり、
センチメンタルな石川啄木のイメージが吹ッ飛ばされた。
教科書に掲載されている紅顔の美少年のような本人の写真と相俟って、
石川啄木は感傷と叙情の歌人と決め込んでいたけれども
実は感傷など差し挟む余地もないほどの貧乏に生涯を追いまくられた人だったという。
生活苦によってへし折られようとする自負心を支えるために
周囲に向ける攻撃性は凄みがあり、痛ましさと同時に畏敬も感じる。
この攻撃性をもったまま、教科書掲載群の一連の歌も創作していたと思うと
この人の奥行きに改めて感嘆する。
自分の苦しみ、社会への怒りの両方を客観視していて
時にぎょっとするほど冷めている。
直情的に憤激を詠んだ直後に、苦悩している自分を題材に諧謔的な歌を詠む。
触れ幅の大きさに、啄木本人の苦しみの深さを感じる。
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一度でも我に頭を下げさせし
人みな死ねと
いのりてしこと
鏡とり
能ふかぎりのさまざまの顔をしてみぬ
泣き飽きし時
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死ね死ねと己を怒り
もだしたる
心の底の暗きむなしさ
死にたくてならぬ時あり
はばかりに人目を避けて
怖き顔する
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啄木の歌は、国語の教科書なんかで、みなさん一度は目にしたことがあると思います。
不来方(こずかた)の お城の草に
寝ころびて
空に吸はれし 十五の心
これは青春の爽やかさを歌った名首ですよね。心までもが空の青さのように染まっていくような、清涼感。ちなみに啄木は、この不来方のお城へ、ちょくちょく授業を抜け出しては寝転んでいたそうな。なんだか明治の尾崎豊みたいな感じですね。
★
たはむれに 母を背負ひて
そのあまり 軽きに泣きて
三歩あゆまず
これは切ない歌です。冗談半分で母親をおんぶしてみたら、その体重のあまりの軽さに、病の重さを悟り、涙が出て歩みを止めざるを得なかった…。啄木の人柄がうかがえる歌で
す。
★
はたらけど はたらけど猶
わが生活(くらし)
楽にならざり ぢつと手を見る
これも有名な作品ですね。啄木といえば、苦労人という印象がありますが、まさにそれを切実に歌ったものです。実際、貧困と闘いながら、肺結核により、26歳という若さで、啄木は世を去ります。26歳…。今の僕より若いのか。うーん。
ところで、啄木といえばここまで見てきたような、苦労人、貧困、悲哀、そんなイメージがありませんか。僕も今回、この文庫本を読むまでは、そう思っていたのですが、実際には相当、波瀾万丈な人生を歩んできたのが分かる作品が多々あります。
★
尋常の おどけならむや
ナイフ持ち
死ぬまねをする その顔その顔
★
どんよりと
くもれる空を 見ていしに
人を殺したく なりにけるかな
★
一度でも 我に頭を 下げさせし
人みな死ねと
いのりてしこと
★
誰そ我に
ピストルにても 撃てよかし
伊藤のごとく 死にて見せなむ
★
なんと言えばいいのか。まずは、確実に教科書には載せられない歌ばかりですよね。死ぬ真似をしたり、人を殺したくなったり、みんな死んでしまえと祈ったり、伊藤(博文)のようにピストルで殺されたいと言ったり…。
苦労や貧困を通り越して、もはや絶望、虚無感しか感じられない、そんな、生に対する投げやりな印象を受けます。デカダンといっても、何の障りもない…。
正直、(え?石川啄木って、こんな短歌も書いているの?)と驚かざるを得ませんでした。何が啄木をここまで追い詰めていたのか…。そう思うと、自分の心情をありのままに吐露している啄木に、自然と涙が出てきました。
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啄木の詩は美しい。そこには感じることしかない。
貧しいこと、哀愁を感じること。そういったものをいとおしいと思ってしまう。
運命への無抵抗な態度。そこにこそ啄木のうつくしさがあるのかもしれない。
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初期の啄木のよさは傲慢さ。
後期の啄木のよさは弱気。
それが『一握の砂』、『悲しき玩具』が両方入っていることによって感じられて素晴らしい。
2011年の今でも、共感できる詩が多いのも啄木らしさだと思います。
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啄木は5・8・5を好む、今でいう早口ラップ的な。もっと文字の多いやつも結構ある。しかし、書く内容は風景情緒やワビサビなどではなく、日記のようなリアルの日常。おそらくこの攻撃的なリズムで日常を打破したかったのであろう。現実への怒りが滲む、生の言葉たち。