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中学の時、教科書に載っていた啄木の歌に惹かれた。もっと読んでみたいと思いこの本を買った。はじめて自分で買った文庫本だったと思う。
高校の時、制服の胸ポケットにはいつもこの本が入っていた。載っている歌はほとんど覚えてしまっていたけれど、持ち歩くだけで気分が落ち着くような気がした。本である以上に、お守りみたいなものだった。
後に、少年時代の寺山修司も文庫本啄木歌集を持ち歩いていたと知った。そうさせる魅力がこの本にはあるのだ、と感じた。
そんな、文庫本啄木歌集。触るだけで懐かしい本。
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「さばかりの事に死ぬるや」 「さばかりの事に生くるや」 止せ止せ問答
ほんとにねぇ。
やはらかに積れる雪に 熱てる頬を埋むるごとき 恋してみたし
ほんとにねぇ。
打ち明けて語りて 何か損をせしごとく思ひて 友とわかれぬ
喋りすぎ~た~翌朝~ 落ち込むことの方がおおい~
ほんとにねぇ(´ム` )
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今から128年前、金田一京助は1882年5月5日に岩手県盛岡市で生まれて、39年前の1971年11月14日に79歳で亡くなった言語学者・民俗学者。
その子息の金田一春彦(2004年に91歳で没)とともに、言語学者として多くの編纂に携わった国語辞典を、私たちも重宝して使わせてもらい(そう思って使っていたのですが、実は京助センセの場合は、実際には一冊も関わっていなくて、全部ただ人がいいために名前を貸していただけだと後年に知って憤慨したものです)、今はテレビで孫の金田一秀穂に国語の蘊蓄を聞くといった具合に、三代にわたる日本語に取り憑かれた一族だというのは少し強引な括り方かしら。
それにしても、いみじくも本書の著者名に2名連記で金田一京助の名前もあるのは、もちろん編者という意味以外になにもありませんが、ところが、ご存知の方も多いと思いますが、ふたりの関係は本当はそれだけではない、深い深い肉親以上のつながりがあるのです。
といっても同性愛ではなく、石川啄木は同郷、盛岡中学の後輩で、東京に出てきてからもよく面倒を見ていた、という言葉では収まりきらない常道を逸する行為、つまり金田一京助は頻繁に石川啄木が無心するままにお金を貸して、さらに手元になくなったらなんと自分の家財を売ってまで貸していたというのです。
これは、ただ同郷のよしみとか、面倒見がいいという話ではけっしてなく、金田一京助が石川啄木の才能を見抜いて、このまま埋もれさせるのは惜しい、是が非でも自分のちからで世に出してあげたい、なんとか助けてやりたいという強い気持ちが、矢も盾もたまらずそうさせたのだと思います。
なのに、ああ、現実はいつも残酷です。頼むがままに気前よくお金を工面してくれる人の気持ちを踏みにじって、石川啄木は何をしていたかというと、せっせと18歳のときに結婚した妻の方の実家に預けた妻・節子と子供に仕送りした訳ではなく、ほとんどを浅草で娼妓を買ったりする遊興費に消えたというのですから、呆れて開いた口がふさがりません。
本当になんと卑劣な奴でしょうか。
この間のエピソードが鮮明に描かれていて衝撃的なのが、あの名作マンガ・関川夏央と谷口ジローの『「坊ちゃん」の時代 全5部作』のうちの『第三部 かの蒼空に 凛冽たり近代 なお生彩あり明治人』なのですが、多分きっと、金田一京助のこの渾身の経済的援助、のみならず精神的後押しがなければ、おそらく石川啄木は世に出ることもなく人知れず死んでいった、ただのだらしない男にすぎなかったかもしれません。
あと2つ、京助センセには他の学者先生にはない、とっておきのエピソードがあります。
これも、ご存知の方はご存知の有名な話ですね。
そう、アイヌと、それから横溝正史ですが、またいつか書きます。
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ヤバイ、まず冒頭の献辞がヤバイ。今まで読んだどの献辞よりも心打たれる。
『-また一本をとりて亡児真一に手向く。この集の稿本を書肆の手に渡したるは汝の生まれたる朝なりき。この集の稿料は汝の薬餌となりたり。而してこの集の見本刷を予の閲したるは汝の火葬の夜なりき。』
貧困と死別によって着想を得た短歌はどれも哀愁が溢れる。秋に読んで正解だった。
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NHKのテレビ番組のJブンガクを見ています。
2010年の8月に一握の砂を紹介していたので読み直しました。
石をもて追はるるごとく
ふるさとを出でしかなしみ
消えゆる時なし
という詩を
the grief of leaving hometown as if chased by men with stones never goes away
と訳していました。
へー,そう訳すんだと
一握の砂 の中身と英語の勉強になりました。
英語にしてみると一握の砂 の良さと日本語の良さを再認識できることが分かりました
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えもいわれぬ寂寥感。
あたかも溜め息の代わりに歌を詠んでいるかのよう。本書と万葉集をかじってからというものたまに拙い短歌を詠むようになってしまった。
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聞くところによると、2012年は石川啄木の没後100年ださうです。
死後100年経つても愛される啄木氏の短歌。只者ではないと申せませう。
『一握の砂』には、藪野椋十なる人物の序文が付されてゐます。ジャアナリスト渋川玄耳の筆名だとか。こんな筆名の人がゐるから、椋鳩十鳩椋十問題に拍車をかけるのではないか。関係ないですね。
「我を愛する歌」のトップには、有名な「東海の小島の磯の白砂に/われ泣きぬれて/蟹とたはむる」が配置されてゐます。
総題の元になつた「頬につたふ/なみだのごはず/一握の砂を示しし人を忘れず」を押し退けての抜擢。その理由は金田一氏の「解説」で詳らかになつてゐました。なある。
『悲しき玩具』になると、生活感が丸出しの歌が多くなります。病苦、生活苦が窺はれて切なくなるのであります。
登場人物については、金田一氏が親切に解説してゐます。痒いところに手が届く。土岐哀果氏のあとがきとともに、我我の鑑賞を助けてくれます。
うん、良いですねえ。啄木。贅沢な御馳走を味はふやうなものです。枕元に置き、折に触れて好きな部分を読み返すのも良い。
今後も新たな読者を増やしてゆくことでせう。
では御無礼します。
http://ameblo.jp/genjigawa/entry-11354151562.html
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(2013.09.19読了)(2003.10.05購入)
盛岡に行く用事があったので、盛岡で読むのにふさわしい本ということで、この本を持って出かけて読んできました。
盛岡市内に残っている「石川啄木新婚の家」を見たり、盛岡城址公園で啄木の歌碑を見たり、城址公園から岩手山を眺めたりしつつ、短歌を詠んだ場所の雰囲気を味わいながら過ごしてきました。
☆歌碑
不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸はれし
十五の心
心に響くわかりやすい歌を、日記を書くように割と気軽にかけた、というので、やはり天才かな、と感心します。ただ、短歌では、生活の足しにはならなかったというのは、不運な生涯だったというしかないのでしょう。
(詩や短歌、俳句では生活できないのは、いまも変わらないのでしょうけれど)
【目次】
一握の砂
【目次】
序 藪野椋十
我を愛する歌
煙
秋風のこころよさに
忘れがたき人人
手套を脱ぐ時
悲しき玩具
拾遺
解説 金田一京助
啄木と歌 山本健吉
年譜
●父と母(19頁)
燈影なき室に我あり
父と母
壁のなかより杖つきて出づ
●母の言葉(22頁)
呆れたる母の言葉に
気がつけば
茶碗を箸もて敲きてありき
●気の変る人(32頁)
気の変る人に仕えて
つくづくと
わが世がいやになりにけるかな
●雨垂れ(45頁)
たんたらたらたんたらたらと
雨滴が
痛むあたまにひびくかなしさ
●桜の葉(59頁)
西風に
内丸大路の桜の葉
かさこそ散るを踏みてあそびき
●秋の空(86頁)
秋の空廓寥として影もなし
あまりにさびし
烏など飛べ
●岩手山(89頁)
岩手山
秋はふもとの三方の
野に満つる虫を何と聞くらむ
●つめたきもの(108頁)
わかれ来てふと瞬けば
ゆくりなく
つめたきものの頬をつたへり
●汽車(112頁)
遠くより
笛ながながとひびかせて
汽車今とある森林に入る
●女の右手(115頁)
よりそひて
深夜の雪の中に立つ
女の右手のあたたさかな
●キスの痕(116頁)
かなしきは
かの白玉のごとくなる腕に残せし
キスの痕かな
●阿寒の山(119頁)
神のごと
遠く姿をあらはせる
阿寒の山の雪のあけぼの
●赤き花(128頁)
さびしきは
色にしたしまぬ目のゆゑと
赤き花など買わせけるかな
●海が見たくて(141頁)
ゆゑもなく海が見たくて
海に木ぬ
こころ痛みてたへがたき日に
●眠れぬ街(148頁)
皮膚がみな耳にてありき
しんとして眠れる街の
重き靴音
●底知れぬ謎(155頁)
底知れぬ謎に対ひてあるごとし
死児のひたひに
またも手をやる
●朝の食卓(159頁)
旅を思ふ夫の心!
叱り、泣く、妻子の心!
朝の食卓!
●働く(171頁)
家にかへる時間となるを、
ただ一つの待つことにして、
今日も働けり。
●梅の花(174頁)
ひと晩に咲かせてみむと、
梅の鉢を火���焙りしが、
咲かざりしかな。
●医者(186頁)
ぢつとして寝ていらつしやいと
子供にでもいふがごとくに
医者のいふ日かな。
●運命(189頁)
運命の来て乗れるかと
うたがひぬ―
蒲団の重き寝覚めに。
☆石川啄木さんの本(既読)
「あこがれ 石川啄木詩集」石川啄木著、角川文庫、1999.01.25
「石川啄木集(上)」石川啄木著・古谷綱武編、新潮文庫、1950.05.10
「石川啄木集(下)」石川啄木著・古谷綱武編、新潮文庫、1950.07.15
「ROMAZI NIKKI」石川啄木著、岩波文庫、1977.09.16
「新訂版 石川啄木」金田一京助著、角川文庫、1970.11.20
「拝啓 啄木さま」山本玲子著、熊谷印刷出版部、2007.11.13
(2013年10月10日・記)
(「MARC」データベースより)amazon
都会生活の哀歓、故郷への思い、流浪をかさねた北海道時代を歌いつづった「一握の砂」。26年の短い生涯の晩年の歌を集めた「悲しき玩具」。「一生に二度とかえってこないいのちの一秒」を愛した石川啄木の2歌集を収録。
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□内容
啄木の処女歌集であり「我を愛する歌」で始まる『一握の砂』は、甘い抒情にのった自己哀惜の歌を多く含み、第二歌集の『悲しき玩具』は、切迫した生活感情を、虚無的な暗さを伴って吐露したものを多く含む。貧困と孤独にあえぎながらも、文学への情熱を失わず、歌壇に新風を吹きこんだ啄木の代表作を、彼の最もよき理解者であり、同郷の友でもある金田一氏の編集によって収める。 (amazonより)
□感想
私は収録されている歌を全て覚えているわけではありませんが、一番好きな歌人といえば?と問われれば、彼の名を挙げるでしょう。
「人間の屑」などと揶揄されることもある啄木ですが、その人間くささや、日常の苦しみやささやかな喜び、虚無を綴った歌には共感を感じずにはいられない。
お金がなければ青空文庫でも読めますが…車に積んで、ちょっとした時に読みたい本。
(たけい)
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啄木の感性の鋭さや視点の細やかさなどを知ることができます。
また、自己の心情をそのまま言い表したような短歌も何首もあり、見ていて飽きません。
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【本の内容】
啄木の処女歌集であり「我を愛する歌」で始まる『一握の砂』は、甘い抒情にのった自己哀惜の歌を多く含み、第二歌集の『悲しき玩具』は、切迫した生活感情を、虚無的な暗さを伴って吐露したものを多く含む。
貧困と孤独にあえぎながらも、文学への情熱を失わず、歌壇に新風を吹きこんだ啄木の代表作を、彼の最もよき理解者であり、同郷の友でもある金田一氏の編集によって収める。
[ 目次 ]
[ POP ]
「真白なる大根の根の肥ゆる頃 うまれて やがて死にし児のあり」。
死にし子を歌う一連の絶唱は、『一握の砂』の末尾に付加されたものだ。
啄木を教科書でしか知らない人は、ぜひ全体を味わってほしい。
日本語の至宝である。
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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こんな乾いたかなしいひとはランボーの他知らない。
ランボーは宇宙に突きぬけることで、戻らずに行ってしまったが、この石川啄木は違う。どこまで行ってもおんなじところに帰って来てしまうのだ。だから、どうしても乾いてしまう。彼の心を癒やすものはなにもない。書くことさえも、ときには重たく彼を掴まえる。ここではないどこかへ。彼はそんな場所を探し求めて歩いていたのかもしれない。
彼の生涯には、貧困という大きな問題が何よりもつきまとっていたのかもしれない。しかし、彼はそれさえも、突き抜けて歌い続ける。彼にとって歌うことはそのくらい、自分自身であったからだ。ならば、どうして、自分は歌わずにいられないのか。彼はその驚きを乗り越えるため、どんなに苦しくとも歌う。苦しさまでもが彼という歌の前では、ことばに変わってしまうのだ。歌人というより、歌そのものだといってもいい。
だから、彼にはランボーのように筆を折ることができなかった。命続く限り彼は書き続けることで、書くことに反抗し、跳び出そうともがく。彼の歌に流れる息詰まるような感覚は、どこにも行くことのできぬそんな自分へのいら立ち、諦め、そういうものでできあがっている。
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なかなかできていないのですが、図書館に行ったら、普段手に取る本とは出来るだけ違ったジャンルのものにも関心を向けようと思っています。
とはいえ本書はあまりにも有名な石川啄木の歌集ですから、“何を今さら”という感は拭えず、かなりの気恥ずかしさがあります。
「はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る」「たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず」等の誰でもが諳んじられる歌が採録されている歌集ですが、この歳になるまで全編を読み通したことはありませんでした・・・。
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まるで日々の出来事を綴る日記のような短歌集。そのせいか比較的読み易い。
巻末の年表に目を通し、啄木の境遇に思いをはせながら読むことを薦める。生活苦、望郷の念、思い人、そして病気、様々な作者の思いが身にしみる。
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書店でふと気になって購入。最初に読んだのはたしか小学校5年生のときだから、29年ぶりくらいか。まあ、小学生では、この作品はちょっと味わうのは難しかったな、、(笑)
神童といわれた田舎の青年が家庭を持ち、故郷を離れ、仕事を転々とし、困窮し、病に倒れる。本当は小説家になりたかったという啄木が、気休めに書いていた短歌を集めたのがこの名作です。故郷を思う気持ち、両親、友人らとの懐かしい日々を懐かしむ気持ち。いや、今の年齢になって読むと、共感できる歌も多く、沁みますね。