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投稿者:a - この投稿者のレビュー一覧を見る
以前、東工大に池上彰氏が教授として着任したことに驚いた記憶があります。本書は、池上氏をはじめ、東工大リベラルアーツセンターの教授たちが登場し、それぞれの専門である宗教学、文化人類学、生物学の話を交えて、専門的にならず、広く学び教養人になるべきことを語っています。なるほどね。
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投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
大学講義の再編纂。知識ではなく心構えを説いたもの。内容自体は古くなるが生き方のヒントが其処にあり読み方次第では参考になる。
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専門的な言葉も多かったけど、対談形式でおもしろく読める1冊でした。
大学時代にかなり教養科目があって、当時はなんでこんなに専門と関係ない科目があるんだと思ってたけど、今考えたら私の出身大学はリベラルアーツにも力を入れてたんだなあと。。。
不真面目に受けてた科目もあって本当に今考えたら申し訳ないしもったいないのですが←
教養科目があったからこそ専門分野に生きてるなあとか、自分の人生に生きてるなあってことが結構最近になって実感することが多くて。
今の私だからこそ興味深くおもしろく読めたのかなーとおもう!
大学時代、文化人類学大好きだったんだよな〜
上田先生のダライ・ラマ先生との本、これ読んでたら読みたくなって買っちゃいました。笑
スリランカの悪魔祓いも読みたいけどプレミア本と化してて手に入らない!!!!!
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「実践!○○」「役立つ○○」を読んでも、今ある枠組みの中でしか使えない。
新しいものを作り出したり、根本的な解決に導くヒントは違う分野からやってくるのだというところが腑に落ちた。
教養は、物知りになることではない、人間の根っこをつくること。
すぐ実を結ばなかったり死ぬまで役に立たなかったりが前提だけど、インプットを続けたいと思った。特に今まで見向きもしなかった分野で。そんな積み重ねで、初対面の人ともバックグラウンドが違う人ともコミュニケーション取れるような教養のある人間になりたい。
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「教養力」不足が「考える力」「伝える力」等を若者の力を衰えさせていると言う、本書。因みに「スマホ・コンピュータ無しの生活」は無能者の如く何も出来ない人間なる可能性が高いとも言える。それは老人の痴呆症のような状態かも知れない。「教養」の重要なことは「知りたい・知る力」の養成になる。それからの行動は「考える力」「伝える力」「疑問力」「創造力」が重要だと言う事だ。
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すぐ役立つものは、すぐ役に立たなくなる。
教養とは、高度な社会性を身につけること。
正義とは何か、平等とは何か、人は何のために生きているのか。異なる背景を持った他者を理解するとは、どういうことなのか。
ハウツー本のような小手先だけの技術を身に付けるのではなく、自ら思考して、そこに至るまでの手法を身につけられるような教養土台を身につけなければいけないのだな、と感じた。
今後、AIが発展していくなかで、暗記だけの専門知識は意味がなくなってくると思う。
知識を応用できる力、新しいものを創造できる力、さまざまな生物と共存していくための倫理観がより求められる時代になる。
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最近「教養」についての本を読んでいるが、著者は違えど、定義的には同じようなことが書かれてあるかな。
ただ池上彰さんは、東工大出身かつ東工大で教えているようで、学生を対象に述べている内容が多いが、その文脈で、なぜ日本の企業が冴えないのか、なぜ政治が劣化しているのか を述べているのが、興味をひく。
また、宗教と科学の関係性についても、対談を通じて考察を述べているが、面白い切り口だなと感じた。
大学4年間で学ぶべきは、知識を暗記すること以上に、学ぶ姿勢であり、学び方である。
社会に出たら自ら学ばなければそこで成長は止まってしまう。社会に通用しないだけでなく、つまらない人間になってしまう。日本の大学教育には、そもそもこの「学ぶ姿勢」を教えるという側面が弱い。
これにも納得だ。
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教養・リベラルアーツとは,それを身につけた人自身の人生や,また社会と関わっていく上で,それらが"よりよい"ものへと歩みを遂げるために欠かすことのできない,土台や足腰として支えになるもののことであり,それそのものがすぐには役に立つことはないが,生涯に亘ってじわじわと力を発揮することになる。
反対に専門的分野の実学的志向が強い最新技術などはすぐに役には立つのだが,頻繁に刷新されていってしまうために,すぐに役にも立たなくなる。
だからこそグローバリゼーションや多様性が重視されていくことで,変化が激しくなるこれから先の世の中を生き抜いていくためには,下支えとなる教養・リベラルアーツを身につけておいた方が,様々なことへ柔軟に対応できるし,新しいアイディアや気付きを得られる可能性が高まる。
哲学による社会的合意形成のパートでは,よりよい人間関係を築くこと,そのために必要なコミュニケーションの在り方を知ることができた。
人が意見を持つにあたっては,必ず何らしかの理由があり,その理由も含めた背景にある様々な事情を知ろうとする姿勢を持つことの大切さの話が身に沁みた。
文化人類学・宗教のパートでは,オウム真理教事件などを通して,日本における古典的宗教の凋落,存在感の希薄化が,個人におけるアイデンティティ・クライシスを引き起こしていること,現代病ともいえる"生き辛さ"を抱える人の増加の一因となっていることを学んだ。
生物学のパートでは,人は「幻想」とでもいうべき目には見えない理想や理論にとらわれすぎてしまっていて,現実に実際に起きている現象を疎かにしがちであること。
もっと現実をしっかりと見据えていくことによって,新たな気づきや問題に対する打開策が見つかることもあるということが学べた。
修学旅行と題したアメリカのトップ大学における教養教育の見学では,実際に社会に出て有用な存在として力を発揮するために採られている施策の数々に圧倒された。
日本とは真逆ともいえる理念の掲揚を前に打ちのめされる思いだった。
そりゃ日本は失われた30年へと顛落したまま,なかなか抜け出しそうな希望を実感として抱けないわけだ。
とまあ,このように,全体的にはとても良い本なのだけれども,5限目に登場する生物学者の本川達雄氏の物言いが,だいぶ言葉強めで上から目線に感じてしまうところが鼻についてしまった。
特に自分自身が(西洋)哲学専攻者であるために,プラトンのイデア論や,デカルトの心身二元論による物理的な実体と心的実体を切り分けて,心的実体の方をより高位に配したことに対するこき下ろし具合は酷い言い様で,それこそ逆に自然科学的な物の見方しかできていないようで,教養が無い振る舞いのように感じられてしまった。
もちろん昔の哲学には誤りが多いことは事実ではあるけれども,そもそも哲学とはそのような誤りを検討し論じあうことによって,よりよい考えや観点を導き出して,歩みを進めていくその総体に意味がある学問なのだ。
それを一時点における考えを持ち出して,自説のための叩き台として批判して貶す本川氏の振る舞いが,教養を推奨する本の中で見られるものとして果たして本当に適切なものであったのかどうかは,もう少し考慮していただきたかったなと思う。