投稿元:
レビューを見る
とにかく心の底からおすすめする。ドイツにおいてユダヤ人を救援した人びとの実態が手際よく整理されながら、壮大なヒストリーが織られている。共助の芽を今こそみんなで育てないとな。そう思わせてくれる一冊
投稿元:
レビューを見る
ユダヤ人を救おうと、様々な国の人たちが己を顧みず尽くした実録。
これまでに歴史書や映画や文献でナチスを読んできたが、このフォーカスはなかったように思う。
12年に及んだナチスの支配が終わり、平和とともに新しいダイバーシティが始まった。
後半になるにつれより深く深く展開されていく。
投稿元:
レビューを見る
ホロコーストの暴風荒れ狂う、ナチスドイツ下で、ユダヤ人を匿い続けたドイツ人がいた。
目鱗。
そりゃそうだよな。
ヒトラー、ナチスが非道であったって、ドイツ人全員が「非道」になりきれる筈もない。色んな思いから、潜伏したユダヤ人を庇った人たちがいたんだ。考えたこともなかった。
もちろん、全員が組織的に、というわけでもなく、強い使命感に突き動かされたわけでもなく、当たり前の素朴な人間の感情に従った人たちも多く、結果として「勇者」であった。
見つかって処罰を受けたものも沢山ある。
それにしても、あれだけ膨大なユダヤ人が抹殺されておきながら、潜伏したユダヤ人が1万人ちょっと、逃げ切ったのが五千人ほどって、確かにその状況下では驚くべき数字なんだろうが、素直に見れば恐ろしい。
投稿元:
レビューを見る
ナチス政権下で1941年10月にユダヤ人の強制連行が始まると、一部のユダヤ人は収容所移送を逃れるため地下に潜伏した。その数はドイツ全土で1万人から1万2千人といわれ、約半数に近い5千人が生きて終戦を迎えたという。ゲシュタボが監視の目を光らせる中で、それが可能だったのは、彼らのために隠れ場所や食物、衣類を提供し、身分証明書を偽造し、あらゆる非合法手段を講じて匿った救援者がいたからこそだった。
こうした行動に関与したドイツ市民は少なくとも2万人いたと考えられている。
本書では、この「沈黙の勇者たち」に焦点を当て、救援活動の実態、善意と身に迫る危険との葛藤を、多数の当事者の証言や手記、聞き取りから生々しく描く。ドキュメンタリーとして、また、スリリングな再現ドラマの形で、強く胸を打つ場面が満載されている。伝わってくるのは、相互不信が極限にまでおし進められる中、「他者を信じる」ということひとつを頼りに命をつなごうと人間同士が連帯する崇高な姿である。
本書には、数多くのユダヤ人潜伏者とドイツ人救護者が登場するが、特に印象に残った人物について記しておく。
〈ユダヤ人潜伏者〉
・クラカウアー夫妻
1943年1月から2年3か月にわたり、移動総距離2千キロ以上の潜伏生活を続けた。その間、60軒以上の家に匿われ、夫婦に手を貸した救援者は延べ200人を超えた。
〈ドイツ人救援者〉
・フランツ・カウフマン
貴族階級出身のドイツ人妻を持つユダヤ人弁護士。1942年夏から身分証明書の偽造を開始し大量の偽造身分証を流通させる。活動の協力者は総勢400名を数え、国内最大級のユダヤ人救援ネットワークを構成した。だが、信頼していた協力者の裏切りから1943年8月19日に逮捕され、1944年2月17日、強制収容所で射殺された。 全体を通して、最後に記しておきたいのは、「潜伏生活」がいかにエネルギーを要する行為であったかという点。幾つもの潜伏先をいかに確保するか、また、匿う側にとって周囲にいかに怪しまれず小さい子どもも含めた複数の人間を保護できるか
まさに命懸けでリスクに対処する日々の連続。それに耐えた双方の人々の精神力、信頼力、連帯力に感服するとともに、恵まれた暮らしをしている自分を戒め、人間としての高揚を目指す機会にしなければと痛感した。
投稿元:
レビューを見る
日本に杉原千畝がいたように、ドイツにシンドラーがいたように、有名ではないけど残虐行為から自分のできることを命をかけてナチスからユダヤ人を守った人たちの記録。
ユダヤ人音楽家のコンラート•ラッテの「たいていの人は、なされるがまま、運命に身をゆだねてしまっているが、僕には理解できない。何とか脱出の道を探すべきだ。」と自ら生きる道を模索した人がいたこと、ルート一家のように少ない食料と恐怖に怯える中、家族と一緒にいられる幸せを感じる人たち。また、当時のドイツ人の中に、ユダヤ人の苦難を見過ごすことができず、何か行動しなければと動いた人たちがいたこと。(その数、およそ二万人ほど)
そして、いまと共通するであろうと思ったのが戦争で友情を割かれ、傷みを追った人。昨日まで仲良く学び、、ともに働いてた人を国家が割くという非道さ。従軍での残虐行為がトラウマになりユダヤ人を守ることを決意した農場主。大勢の普通の人たちの勇気がひとをひとでいさせたことに感動。また、元女子ギムナジウム教師のエリザベート•アベックが匿ったユダヤ人のため、「小さな学校」を作ったのも心打たれた。彼女に教わったラルフが「あのころの自分が無知な愚か者にならずに済んだのは、ひとえにアベック先生のおかげだった」と振り返っている。
「戦争が終わっだら」という言葉が、潜伏ユダヤ人たちにとって希望を、生きるよすがになっていたこと(終わっだら学びたいなど)。また、仕事や役割を持つことが、金銭的理由のみならず「社会からの孤立)を防いだことも大きかった。(例えばジテンシャでの使い走りとか)
アベック先生の教え子たちに戦争反対、ユダヤ人救援の思想が根づいていたのもよかった。(内なる輪の結成)
また、ユダヤ人のため、偽造身分証を作り、捕まったカウフマン(本人はユダヤ人なるもドイツ人貴族の娘と結婚)が逮捕後に「わたしのこころに根差していたのは、キリスト教徒としての意識でした。年とともにその意識が成熟してゆくにつれ、私は自らの過失に寄るのではないこの苦しみと向き合い、耐えるべきだと思いいたったのです。やがて、その認識は自然に、迫害を受けるユダヤ人たちへと向けられていきました。彼らは私が自分たちを助けてくれると信じ、信頼を寄せていました。そうした人びとを失望差せることはできなかったのです。私が彼らを扶けたのは彼等がユダヤ人たったからではありません。助けを必要とし、おびえている人間だったからなのです。」にも人間の持つ、内なる、最大の善意という意味で心に残った。
ルートが戦後、かくまってくれたマリアと再会するときに子どもや孫に「この人がマリア。私たち皆の天使よ。もしもこの人がいなかったら、今ここにいる私たちの唯一人、この世にいないのよ」は他にもいた無数のマリアたちへの感謝してのコトバだったと思う。
終わりに著者指摘している「多様性ということばの根幹には、少数者の意見や価値観を尊重すべきとの価値観が存在する。だが歴史を振り返ってみれば、少数者がいかに尊重差れるかは、その社会や銃弾がもつ「余裕」に依存するというのが現実というのはまさに嚆矢を得ている。
投稿元:
レビューを見る
ものすごい作品だった.
こんな側面から歴史を考えた事がなかった!
そして,ナチス政権がどんな強権を振り翳しても壊せなかったのが「人間の,人間としての良心や共感力」だったと言うことの,強烈な肯定感はどんどん閉塞感の増す今の世の中でも一筋の希望として輝いて見えた.
ただ,筆者も記す通りここに書かれた人々はまさに「不幸中の幸い」の集合体で,助けようにも助けられなかった数多の犠牲者など,その何倍もの悲惨な末路は本書の裏に無数に存在していると言う事実は,「人の罪」としてそれぞれの心に永久に刻まなければならない.
投稿元:
レビューを見る
これは歴史の本として語り継がれる
べき本
ナチス政権下12年
粛清されたユダヤ人
困ったユダヤ人を危険をおかして
援助したドイツの市井の人々の記録
人間とは何かを考えさせられる
自分の命を賭けても
こんな行動ができるだろうか?
無理だな
やはり自分が大事
人として他者への思いやりを
こんな極限状態で発揮できるの
なんて 崇高すぎる
人間は素晴らしい
恩を忘れない人も素晴らしい