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投稿者:くみみ - この投稿者のレビュー一覧を見る
第二次世界大戦下のアメリカで、婚約者の秘密の仕事の為、遠い地へ連れ立った日系3世のアデラ。何も話してくれない物理学者の彼と、何も知らないアデラの、不気味なまでに穏やかな日々を描いた、歴史の舞台裏。
犬と家族に囲まれたあまりに平和過ぎる日常と、原爆開発のアンバランスさに恐怖を覚えると同時に、そういう環境下であった理由をリアルに感じる事が出来た作品。
平和の裏に犠牲はなく、平和の裏も平和であれば良いのに。
思ったものとは違っていたが
2024/02/10 20:45
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投稿者:マー君 - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルから古事記の新解釈かなと思っていたら、原爆の開発に携わった科学者の恋人の物語。原爆開発にユダヤ人が多く関わっていたのか。へー。
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元ネタは、アメリカで原爆開発に携わった若い科学者の妻が書いた『ロスアラモスからヒロシマへ』という手記だそうです。その主人公を咸臨丸から抜け出した日本人の孫娘に置き換え、彼女が婚約者の理論物理学者と共に、ニューメキシコに向かう所から始まります。主人公の一人称小説。失礼ながら著者のお年を感じさせない、若い女性の弾みを感じられる文体です。
父母にさえ住所を教えることもできない秘密研究所。そのゲート外に作られた動物病院に勤める主人公の目に映るのは、研究者たちのペットの犬達のベビーラッシュ。次に原子核物理という新しい学術部門ゆえの若い研究者とその奥さんたちの妊娠・ベビーラッシュ。そして、手伝いに来るインディオたちの素朴な信仰と、研究所の奥さんたちのユダヤ教、キリスト教の信仰です。
原爆開発そのものの話は2-3%位しか出て来ません。ただ、戦争や原爆と言った大量虐殺をうっすらと陰のように置くことによって、過酷な環境下でも、地に根付いた様な女性たちの野太い生命感を描き出して行きます。そのあたりは、本作品とは正反対とも言えるような設定、五島の離島を舞台にした老女の物語である『飛族』との類似性を感じます。ただ、人によってはその真逆に、生命感の裏にある原爆開発の不気味さの方を強く感じる人もいるかもしれません。
自らが作り出した余りに強大な力に、むしろ絶望してしまう科学者たち。しかし、最後は微力でもそれを超えて行こうという思いで終わります。
さすが村田さん、お見事です。
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あるアメリカ人女性(フィリス・K・フィッシャー)の『ロスアラモスからヒロシマへ 米原爆開発科学者の妻の手記』を村田喜代子氏が小説にされた作品。
読み始めから「文明の行く末」に嫌な気持ちの不安を感じながら進みます。
語り手若い女性の語り口が明るい(作者の手腕)のがちょっと救いだが、日系であることを秘めていることにされたのが、またぞろ不安を増しながらの読書...。
場所はニューメキシコ、アルバカーキやサンタ・フェ近郊のロス・アラモス。ちゃんと地図にありました。それがまた恐ろしい。いえ、もう起こったことです。
科学者の若い妻も知らされていなかったでしょうが、わたしたち幼児だった日本人も知らなかった事実。
しかし、しかし、小学生のころ、日本人漁業者が被ばくしてしまう、ビキニ環礁での水爆実験はものすごく印象が強い。冷戦...その後も実験を続けていって...。
そしていまは核弾頭を多く持っている国が連なっている。
ロシア、アメリカ、フランス、イギリス、パキスタン、インド、イスラエル、北朝鮮......。
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村上喜代子小説の中でも、好きなタイプ!
読み始めてすぐに、そう感じる。
読み終えて今、この静かな何かが心の中に広がっている。
村上・新刊と言うことで何の情報も無いまま読んだので、
てっきり日本を舞台にした、ファンタジーめいた小説家と思っていた。
どっこい!
太平洋戦争下のアメリカ。
それも舞台はロスアラモスだ。(当初は明かされない)
日系3世の主人公アデラは婚約者ベンジャミンと共に
極秘の旅に出る。
折しも日系人は収容所へ入ることになるかもしれないという。
そんな中、二人が着いたは秘密の研究所だったわけ。
オッペンハイマー、ファインマンらビッグネームが続々と現われるので
歴史を知る読者には、ベンジャミンが何の研究をしているのか、が
わかる。
秘密の土地はもともと先住民の世界。
基地のすぐ外の動物病院の受付係として雇われたアデラは
先住民の手伝いの女性とも親しくなる。
同僚はイタリア系、仲良くなった奥さんはユダヤ系・・・
アメリカはいろいろな祖先をもつ人の集まりなのだ。
村上氏は、淡々とした筆致でアデラの目線で
原子爆弾の研究に携わる国、男達について問いかける。
それは現代の私達が感じる疑問。
でも・・・
ヒトラーより早く原子爆弾を開発しなければ・・・と
言う気持ちは当時の本音だったのだろう。
そこはアデラも同じ。
彼女mアメリカ人なのだから。
それでも原子爆弾の実験に成功したそのときは?
研究者は、その余りの威力に驚き、使用に当たって申し入れをするも後の祭り。
このあたり、小説の元になったのはフィッシャーの妻による日記だという。
(この翻訳にまつわる巻末のエピソードも興味深い)
・・・「新古事記」の意味は、思った通り。
それを期待以上に、淡々と知的に描くのが、村田喜代子流。
何度も繰り返し読んでいきたい小説。
余談だが、今、サティの「ジムノペティ1」を弾き聴いている。
タイトルの意味は古代ギリシアで詩人が戦死者を悼む祭だそうだ。
なるほどよく聴くと恋の歌ではない。
たゆとうような調べは村田喜代子「姉の島」のイメージだなぁと感じる。
「新古事記」の荒涼たる景色も、どこか通じる気がした。
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いやいや、原爆開発現場のすぐ隣で続く出産と犬病院の日常。失礼ながら、喜寿を超えての旺盛な創作意欲にただただ脱帽。タイトルも意味深。「勇者って人殺しと泥棒に長けた男たちのこと」「多くの物を持つより何も持たない方が厄介事は起こらないものだ」神と悪魔が肩を並べて一人の人間の中で共存できてしまう⁈昨日から再びイスラエルが戦争状態に突入。人は何も学べないのか…
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予備知識なしで手に取り、読み始めて驚いた。
「古事記」の現代版だと思っていたからだ。
翻訳小説のような文体からか、少し引いた感覚で物語を捉えてしまった。
しかし、ひとりの女性の隔離された暮らしの記録、と読むとその淡々とした日常の裏に、恐ろしいことが計画実行されている現実があり、知らされない怖さを教えてくれる。
その、よくわからない、ぼんやりした違和感を覚えつつ、淡々と暮らしていくことは、現代の私たちにも繋がっているのかもしれない。
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知っている史実と全然知らなかった史実から出来た奥深い物語でした。歴史小説とは違う語り方で物理、哲学、宗教、国の成り立ち、人種…そしてあの原子力爆弾が描かれている。良い時間が過ごせたと思う。
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今年の目標は読んだ本はすぐに評価する!これをしないと読み終えた感動や憤りが忘れられて文章化できなくなるw
さて
古事記を読んだことがない。というか、昔の表記が苦手でこの本は現代語訳化されたほんとばかしに勘違いして読んだのである。で、なんだこれは?オッペンハイマーが出てきた瞬間から全然思っていたのと違うとばかりに頭が拒絶反応を起こし、冒頭はまったく内容が頭に入らず後悔しかなかったが、読み進めていくうちに(決して途中放棄しないのがモットー)、Y地で原子力爆弾の開発チームが活動しており、その研究者の恋人が診療所に預けられる犬の世話をする隠れみの日系三世の女性の物語という筋書きに納得し、もう”古事記”というつながりは捨てて、その女性の物語として読むとまぁ、悪くない(笑
シリアスなんだか日和見なんだかよくわからない雰囲気の中、研究者の恋人が開発が完成に向かうにつれて塞ぎ込み、Y地全体が異様なムードに圧され、そして実弾実験での脅威、日本への投下と戦争小説とはまた違った視点での物語はそれなりに読めた、が、現実味もなく切迫した感もなく、気の抜けたサイダーを飲み続けたような読書感で終わった
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淡々と進む不思議な魅力の小説。原爆開発の機密都市での研究者の妻たちのドラマを描く。
「ロスアラモスからヒロシマへ」という一科学者の妻の手記が原案の小説。ニューメキシコの荒涼とした土地に隔離された研究者とその家族だけが暮らす町での出来事が淡々と描かれる。
題名に古事記を入れたところは、天地創造と圧倒的に破壊力を手にした人類との対比か。
「われは死なり世界の破壊者となれり」オッペンハイマー博士が語ったヒンズー聖典の一行が印象に残る。
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特殊な空間の物語
戦争中でも一見平和な日常
時々不審な流れがあっても
過ぎれば忘却...
深く考えるのを避けて...
なんとも不気味な感じ
心にざらりとした感触を残す
庭文庫にて購入
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ロス・アラモスはアメリカの原爆開発の舞台となった地である。マンハッタン計画に基づき、高台のこの地に研究所が築かれた。それだけでなく、ここには科学者らの家族も住むこととなり、街が作られた。
研究の性質からして、機密は守られなけらばならず、人の出入りも厳しく管理された。
一風変わった、閉ざされたこの街で、科学者たちは研究に励みつつ、一方で家庭生活も楽しんだ。若い研究者らが多かったから、彼らの多くは子供をもうけた。
夫たちが作ろうとしているものが何なのか、妻たちは詳しくは知らなかった。それよりも日々の生活を回すだけで精いっぱいだった。
子供が生まれ、犬が駆け回り、普通の営みが行われている中心で、行われているのは大規模殺戮兵器の開発だったのだが。
主人公のアデラは、恋人・ベンジャミンとともに、カリフォルニアからロス・アラモスの「Y地」へやってくる。アデラは見た目は白人だが日本人の血を引いており、真珠湾以後、日系人への風当たりの強さをひしひしと感じているところだった。ベンジャミンについていくことはよいアイディアに思われたのだ。
Y地は台地の上にあり、大きな町からは離れた、奇妙に閉じられた場所だった。
アデラはベンジャミンとまだ結婚していなかったため、Y地の中へは入れず、塀にへばりつくように建っている動物病院の看護助手として働くことになった。
アデラがお守りのように持っているのは、おばあさんからもらったノート。そこにはおじいさんの国の文字やお話が綴られていた。実のところ、アデラはおじいさんの顔も知らず、おじいさんが米国に帰化した経緯も真偽が判然としないものだった。だが、おばあさんが綴った日本の漢字や神話は不思議にアデラの心を捉えた。
Y地にはユダヤ系研究者家族も多く、信心深い妻たちの中にはシナゴーグが必要と考える者もいた。実際、それは作られたのだが、神職を引き受ける男性はおらず、妻たちの1人が仮のラビとなった。
Y地につく郵便物はすべて、「私書箱1663号」に集められる。麓の人々はY地で何が行われているのかも知らず、膨大な郵便物が届く私書箱を奇異に思っている。
犬も人も次々に妊娠し、新しい命が生まれた。恋人たちは一組、また一組と結婚し、ベンとアデラも結婚することになった。
ユダヤ教徒が読む旧約聖書では、神が最初に現れた。おばあさんが残したノートの中の日本の神様は天地とともに現れた。
できたての国は 土と思えないほど柔らかで
スープ皿に浮かんだ 鹿肉の脂身のように
海のクラゲのように ゆらゆら漂っていた
プエブロ族の娘がY地に働きに来ていた。彼らの部族には蓄財観念がなく、畑を耕して働いては、日々、自然にお祈りしていた。
アデラが曇りのない目で見つめるY地の日々。
一方で、研究は着々と進んでいた。
本書のインスピレーションの元になっているのは、「ロスアラモスからヒロシマへ」という1冊の本である。科学者の夫とともにロスアラモスで2年間暮らした女性の手記だ。女性は戦後、広島を訪れて、アメリカ人女性として、「人間の人間に対する非道」を忘れまいと誓ったという。
この女性はユダヤ系であったが、著者はここに日系三世の女性の視点を入れ込んだ。
原爆開発国であり、同時に移民の国でもあるアメリカ。
神にも匹敵しうるような技術を手に入れ、そしてそれを行使するとはどういうことだろうか。
物語の記述の大半は、穏やかな「日常」なのだが、その背後にある結果の大きさに言葉を失う。
物語の最終章は「新しい世界は神じゃなく、人の子がつくるのだ」と題される。
ニューメキシコの大地の草の海を、人の子と犬が駆け回る。大地を焼き尽すかもしれない業火を手に入れた今、「新しい世界は神じゃなくて人の子がつくる」。
神なき世界で行われる人間の人間に対する非道を、本当に人は背負いきれるのだろうか。
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翻訳本かと思った。
文体も、原爆に対する解釈も。
戦争を知らない若い人の作品かとも思った。
仕事柄、被爆したおばあさんからお話を聞かせてもらっているので、なんだかおとぎ話を読んでるような、やりきれない気持ちになりました。