紙の本
ていねいな書き方
2023/12/14 09:02
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投稿者:とらとら - この投稿者のレビュー一覧を見る
なぜいままたマルクスを語るのか、マルクスの論を都合よく解釈しているのではないのか、というような、普通に疑問に思われるようなことに対して、ていねいに応えている印象で、誠実な書き方だと感じました。難しいところも多かったけど、全体、各章、それぞれの流れを最初に簡単に説明してあって、迷子にならずに読むことができました。
紙の本
内容は五つ星ですが
2023/11/15 10:58
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投稿者:いほ - この投稿者のレビュー一覧を見る
註がかなりおかしい、あきらかなペーストミスや誤変換がある。まともな校正をとっていないようです。編集が仕事をしていないなぁ、と感じました。
正誤表が入ってました。失礼しました。全部じゃないようですけど。
内容について追記
1番のポイントは第二部「生産力批判」です。ジェイソン・ムーア(生命の網の中の、、)やブリュノ・ラトゥール(ANT)、ラグジュアリーなひとたちへの批判ですが、ここで「脱成長」の必然性が示されています。キーワードは「協業/資本のもとへの労働の実質的包摂」です。ラグジュアリーなひとたちに対する斉藤さんの「きらいじゃないんだけど感」がちょっとおもしろかったです。
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10月末に購入している。サイン本だったのが大きい。そこから、2ヶ月ほど積読。その後2ヶ月くらいかけてやっと読み切った。「人新世の資本論」では具体的な政策の話が多かったが、こちらはほとんどが理論的な話で、感覚的には3割くらいしか理解できていないと思う。それでも、十分面白く、興奮しながら読んだ。最初に、批判的なことを書いておくと、著者自身も書かれているが「環境危機を有意義に語るにはある種の人間中心主義が不可欠なのだ」という点。いつも言っていることだが、環境問題なんて地球にとっては屁でもない。だから「地球を守る」なんて本当におこがましい。まあ、著者はそのこともふまえて議論しているということだろう。最初に気付かされたのは、グローバルノースで今まで通り、もしくは今まで以上に便利で裕福な生活をするために、グローバルサウスあるいは未来へいかに負担をかけているのかということ。分かってはいたことだが、きちんと言語化されていて再認識できた。それにしても人間の欲望は留まるところを知らない。それが資本主義なのだろうが、いくら便利で物質的に豊かになっても、いっこうに精神的な豊かさは得られていない。常に何かに急かされるように、まだまだ使えるものを廃棄し、新しい商品に手を出す。欲望を駆り立てるような広告が常時目の前に現れる。会社では常に右肩上がりを要求される。子どもの数が減る中で、何をそうあせるのか。持続可能な範囲でやっていけばいいではないか。競争をあおるのはよしたらどうか。同業他社とはうまく棲み分けすることを考えたらどうか。本書でも書かれているが、ブルシットジョブをなくし、教育や福祉など、よりエッセンシャルな仕事に関わる人が増えることで、労働時間を短縮することができるのではないか。こういう仕事は環境負荷が小さいわけで「脱成長コミュニズム」の世界では重要になっていくのだろう。明日から25年ぶりに管理職から外れて定年退職までの1年間を過ごすことになる。どんな働き方をすることになるのだろう。子どもたちに対してすることは何も変わらないのだけれど。さて、本書の中に、マッカラーズの小説の中で見つけたマルクスのことばに出会った。「各人はその能力におうじて、各人にはその必要におうじて」(コーダ綱領批判)これがおそらく直訳なのだろう。それを村上春樹が付け足しているのか、どうなのだろう。「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」こちらの方が分かりやすいし、その通りだと思う。必要最低限の収入があり、食うには困らず、医療や教育は無料で受けられる世の中が僕には望ましい。そうであれば、息子の心配もしなくてすむのだが。
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アクター・ネットワーク理論やマルチスピーシーズ人類学など最近よく聞くキーワードが「自然」と「社会」の一元論と捉えられ、それらに対して自然を「素材」と「形態」の2面から捉える方法論的二元論の立場から批判を行なっている箇所は、批判的な視野を持って近年の思想を読み解く視野が開ける面白い論説だった。
一方、脱成長コミュニズムやコモンズ的な潤沢さに関する議論については、あくまで余裕のある先進国の人が想起するビジョンでしかないという印象。
既にしてコモンズが失われ、環境危機がスタートしている社会において、莫大な人口を抱えた状況で途上国の人がこの理論を受け入れることは到底なさそうな気がする。
あくまでマルクスはこう読むことができるという点で批評的に面白かったという感覚。
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前著「大洪水の前に」と重複するところも多い気はするが、よりマルクスのテクストに深い入り込みつつ、晩年のマルクスの思想を再構築していく。
そのプロセスに知的好奇心が動きつつも、なんで今更マルクスが著作にできなかったことを今あれこれと推論しなければいけないんだろうという気持ちがしばしば起きてしまう。
マルクスが本当に考えていたことはこうなんですと言って、20世紀に破綻したと思われるマルクス主義を環境、持続可能性という観点から再構築しなければいけないんだろう?(そういう意味では、タイトルの解体というより再構築という方が相応しいと思う)
それって、マルクスの神格化ではないか?
という批判は、当然、著者はわかっていて、そういう趣旨ではないのだというわけだけど、それでもそういう思いを禁じ得ないわけだ。
マルクスの資本主義理解は、今をもっても正しいところはたくさんあると思う。また、時代の変化を踏まえながら、理論的に発展したところも多い。
一方、環境問題や持続可能性を踏まえた理論もたくさんあるのだから、「現在」の資本主義理解と環境問題理解を組みああせて、新たな理論構築した方がいいんじゃない、と思ってしまう。
しかしながら、マルクス主義系の研究者にとって、まだまだマルクスの威光は効果的なようで、彼らにとってこうした「マルクスは実はこう思っていた」というのが意味があるわけかな?
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『資本にとっては『どんな限界も、克服されるべき制限として現れる』(資本論草稿集)
今の時代のベースになっている価値観はこれだと思った。
環境問題に勝つ、競合に勝つ、就活に勝つ、自分に勝つ、、、
環境問題のような大きなスケールだけでなく、個人が抱えるキャリアやワークライフバランス、育児や介護といった問題に至るまで、「克服こそが正義」というマジョリティの価値観が、今の時代になって違和感として現れてきてるんだろうなと思った。克服できるものが少なくなってきて、克服する難易度も上がった結果、あらゆる生きづらさを生み出してる説。
そこから逃れるためには?