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韓国人留学生が日本人と付き合った経験を描くコミックエッセイ
差別を無自覚にやってる人が、普段はいい人というか優しい面もあるっていうのが本当にリアル
人間は多面体だから付き合うまで見えない部分もあるし..
心えぐられる内容だけど絵がかわいくてスラスラ読めた
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『ダーリンはネトウヨ』は、異文化と異なる価値観の中で展開される感動的なロマンス物語です。物語の中心には、韓国からの留学生と日本人のカップルが登場し、愛と偏見に立ち向かい、和解の道を模索します。彼らの恋愛は、異なる文化、価値観、そして社会の対立に挑む壮絶な戦いの一部でもあります。
この物語は、読者に異文化交流の魅力と困難さを伝え、愛が差別や偏見を乗り越え、人々を結びつける力を示しています。留学生の視点から見る日本社会やネット右翼の問題にも触れつつ、恋人同士がどのようにお互いを理解し、共に成長していくのかを描いています。
『ダーリンはネトウヨ』は、異文化の壁を越えて広がる愛の物語であり、読者に感動と共感をもたらすでしょう。異なるバックグラウンドを持つ人々の恋愛が、和解と共感のメッセージを届けてくれます。
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うーん
読了感がモヤモヤするのは、自分が「ネトウヨ」自体が何を示すのかが分かりきっていないからなのか。
自分の中にある無自覚な差別感に気づける自分でいたいなあと思った。
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日本に留学する韓国人女子。部活動とカレシとの付き合いを通じて感じる文化の違い。存外に切ない展開。
悪意のない小さな偏見が相手を傷つける。Twitterなどで持ってしまうステレオタイプに苦しめられる。
ネトウヨという言葉の使い方もダーリンの性格も逆に考えると日本人のステレオタイプなのかもしれない。
異文化、隣国の理解の難しさ、考えさせられる。
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MOMENT JOONが解説を書いていると知ったこと、最近聞いている海外漫画のポッドキャストでプッシュされていたので読んだ。女性の韓国人留学生が日本の大学で過ごした様子を漫画にしたもので、タイトルのとおり当時の彼氏の言動の数々を中心にした悲喜交々な話だった。マイクロアグレッションのエピソードがたくさん入っていてマジョリティな日本人としては胸が痛かった。
こういった差別に言及する本の場合、ゴリゴリの排外主義者を主題にして彼らの異常な言動を取り上げたものはよく見かける。本著はそれと真逆で、著者と付き合っている彼氏が著者に対して差別的な言動を繰り返していたという話。つまり敵意丸出しというよりも愛情に包まれた哀情といえばいいのか、複雑な構造の感情が描かれている。正直、彼氏に対してはそこらの排外主義者よりもタチの悪さを感じた。(排外主義うんぬんよりも彼氏自身のクリーピーさもあると思うが)排外主義者は自身の攻撃性に自覚的だが、マイクロアグレッションしている側はこんなに無自覚なのかと。こうやって他人を責めるのは簡単なのだが、それは読者に対してブーメランのように迫ってくる。一番顕著な例は「日本語が上手ですね」というフレーズ。日本語を話せる海外からきた旅行者や留学生に言ったことがない日本人の方が少ないと思う。実際、MOMENTも同様の主張を随分昔からしていたけど当時は何が問題なのか理解できていなかった。本著ではそれについて明快に解説されている。このエピソードに象徴されるように、そして「外」国人という言葉が示すように日本人とその他というライン引きが色んな場面で行われていることに気づかされた。加えて留学生に限らない日本社会に蔓延る「普通」との戦いが大学、就活などのエピソードからビシバシ伝わってきた。社会制度や共通認識を今すぐ変えるのが難しいとしても個人の態度や考えは今すぐにでも改めることができる。それはMOMENTが解説しているとおりの「成長」なくしてあり得ない。自身の認識に対するリトマス紙のような働きをする漫画だと思うので、たくさん読まれてほしい。
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いっしーはくそだけど日本の学生なんてほとんどみんなこんなもんなんだよね、悲しいかな。社会人同士で出会わないとめちゃくちゃ傷つく国だと思う
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私には、韓国をはじめ
色々な国の友達がいる
何をもって差別なのか?
根本的にわからないような言葉を
普通に言ってたところが
私にもある
、、、この本を読んで、気付いた
私は
色々まだまだ知らなだ過ぎている
韓国人2世の友達は
普通に接する私を喜んでいる
けど、私は彼女に
本当に普通に接してるんだろうか?
言葉、まちがっていて
傷つけてないだろうか、、、
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星2.5
彼氏に日本人のようになることを強制され、疲弊していく主人公。たぶん、私も彼氏とは違うが、無意識のうちに傷つく言葉を話していそう。
異文化がぶつかる時、少なからず同じようなことが起こるのかもしれないが、特に過去の歴史があり、日韓間にはよりデリケートな問題が山積してこじれるのだろうな。
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――わたしはあなたの望む「外国人」になろうとした――(本書帯より引用)
韓国人留学生であるウ・ユンスルさん(通称:うーちゃん)が日本で過ごした11年間に体験した様々な出来事を、ゆるふわタッチの可愛いイラストで描くコミックエッセイです。
特に何と言ってもカワイイ! と思ったのは、124ページの髪の毛を持ち上げるうーちゃん。内容が重いので、並んでいるイラストに癒しを貰って相殺している感じがします。
「ダーリンはネトウヨ」という衝撃的なタイトルで、読む前のイメージは「ゴリゴリのヤバイ思想の彼氏がいて、その彼氏に嫌なことを沢山言われる」みたいなものでした。
しかし、実際に読んでみると少し違っていて、恐らく「いっしー」(主人公の彼氏)というキャラクター性を持った人物は日本の少数派などではなく(いっしーが特別ヤバイやつなのではなく)、ごく普通に日本で生活をしている日本人の多くが多かれ少なかれ、いっしーと似たような思想をしていたり、同じような発言をしているのだろうな、と感じました。
「まだ訛りがあるけど、歌うときは完全に日本人だね」
「うーちゃんはもう日本人だね」
「海苔を消化できるのは日本人だけなんだって」
「日本語は世界一難しい言語。それを話せるうーちゃんはすごい」
などなど……悪意があるとは断定できないものから、いっしーの潜在意識のなかにある日本人(である自分)の優越感がみえみえの発言まで、バリエーション豊富な展開()に目を白黒させながら読みました。
いっしーがつき合ったのが日本人女性だったら、いっしーの差別の片鱗は片時も露見することがなかったのだろうか? と考えたりもしました。
(発言した本人からすれば)他愛のない言葉が、言われた人を傷つける(=差別発言)わけですが、残念ながら我々は日常的に、常にそのことに対して万全の注意を払っているわけではありません。
だからふとした瞬間、そうした無意識の差別発言が外へ飛び出し、相手を傷つけてしまう。
まさに「差別をしない人なんていない」のです。
「差別」と聞いて我々が思う、過激で、誰にでもそれとわかるもの(=故意的な差別)とは違って、「悪意のない差別」(=無意識的な差別)というようなものが存在していて、それらがうーちゃんを苦しめる様子が、本書ではリアルに描き出されています。
それから、この本を読んでひとつ思ったのは、この主人公が「うーちゃん」ではなく、エリザベスやカロリーナや、アンナだった場合はどうだろう? ということです。
いっしー(日本人男性)たちは彼女らに「訛りがある(から直した方がいい)」「もう日本人みたいだね」と言うのでしょうか?
そう考えた時に浮上してくるのは、うーちゃんが「日本人にとても似ている風貌の韓国人」だから受けている被害というものの存在です。
これが、個人的には日本では顕著な差別の正体ではないかと思っています。
こういう話をネット上に(特にSNS)書くと、「韓国が好きなのか?」と言われる現象も含めて、これらは「差別」ではないかと思います。
よく、韓国と絡めて政治的軋轢があるから……という人がいますが、両国間に政治的な問題があることと、その国籍の人を冷遇することは全くの別物でなければならないのです。冷静に考えれば、分からない人の方が少ないことです。
また、本書には「フェミ(ニスト)」について「いっしー」が拒否反応を示す場面も出てきます。
「韓国への拒否反応」「フェミへの拒否反応」両者に共通していることは「敵対意識(時にマウント行為)」と「無理解」です。
差別をすぐにゼロにすることは難しいですが、個々が意識することで、延々と繰り返される「〇〇人なんだね! 鼻が高い!(目が青い! 肌が黒い!)」といったような会話は終わらせることができます。
その為に必要なのは「知ること」「コミュニケーション」そして「互いの尊重」。
この本を読んだことで、私もひとつ、差別について認識を深めることができたと感じています。