電子書籍
パンとサーカス
2023/12/22 16:22
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投稿者:とめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
スポーツに政治を持ち込まないという大義名分やスポンサーの存在、政治的中立性とアスリート・アクティビズムなど、スポーツを使うことで人々の気をそらせて覆い隠す行為としてのスポーツウォッシングを非難しつつ、スポーツを愉しみたい。
紙の本
国家のためのオリンピック
2024/01/04 11:03
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
副題は「なぜ<勇気と感動>は利用されるのか」確かにそうだ、1980年には西側が1984年には東側がボイコットしたオリンピック、将来は国ではなく個人が技を競う大会になっていくだろうという願いは空しく、さらに国家のためのオリンピックという図式が強くなってきている気がする
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スポーツウォッシング、スポーツの感動を利用して政治とか不都合な事実をかき消すどころか、悪い部分をよい印象に書き換えてしまうこと。
利用されるのは悔しいが、スポーツをしない、感動を与えないという選択肢も違うと思う。
印象に残ったのは以下2点。
スポーツとは、国、育ちとか関係なく人に平等に与えられた権利、条件のスタートから競いあうもの、という大前提に立てば、アスリート達が政治に物言うことはできなくても人権について伝えたり差別、ダイバーシティとか訴えることはできること。
また、スポーツが政治利用される背景に、スポーツはやる側、見る側、運営する側とか、役割が固定しがちだが、流動的に変わることで、課題に気づきやすくなるとのこと。
今、自分はマラソンをやってるんで、その中で社会に何か伝えられるかとか、逆に大会を支える側とかになりながらいいスポーツウォッシングにしていきたい!
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最近は、スポーツによるまちづくりや地域活性化という点に興味があり、関連書籍を読んでいましたが、今回は、その負の面に着目した一冊。
スポーツウォッシングという言葉は今回初めて聞いたわけですが、過去のナチスのオリンピック開催の事例を始め、以前よりこういった問題は指摘されてきました。本書では、最近のオリンピックやサッカーワールドカップなどの事例を検証しながらその問題点を指摘しています。
読了後、その問題点は理解できますが、ではどうやって解決に導くかということになると難しい点が多く感じます。アスリートである以上、歴史があり規模の大きい大会に出場し、結果を残したいと考え、その場で自国選手の活躍を後押しするために、国や行政、民間も支援し、それを見て応援する人がいることでアスリートも支えられており、何かを変えれば一気に解決する問題でもありません。
オリンピックを国単位ではなく個人として出場するという提言もありますが、それも簡単に実現できるとは思いません。道のりは単純ではありませんが、すべての当事者が問題意識を持ち、少しずつでもいい方向に動くように改善をしていかなければならない問題だと感じます。
▼スポーツウォッシングという行為は一般に、「為政者などに都合の悪い社会の歪みや矛盾を、スポーツを使うことで人々の気をそらせて覆い隠す行動」と理解される
▼スポーツイベントを開催する運営組織やそこで競技をするアスリートたち、それを報道するメディア、そして競技会場や過程でスポーツを観戦する我々の、類型的で窮屈で旧態依然としてスポーツの捉え方こそがこのような選択行為を可能にしている
▼人々とスポーツの距離が縮まれば縮まるほど、勝敗やナショナリズムや感動、といった使い勝手のよい道具で<便利な洗濯>をしようとする作用は、その機能を弱めていくかもしれない
<目次>
第1部 スポーツウォッシングとは何か
第1章 身近に潜むスポーツウォッシング
第2章 スポーツウォッシングの歴史
第3章 主催者・競技者・メディア・ファン 四者の作用によるスポーツウォッシングのメカニズム
第2部 スポーツウォッシングについて考える
第4章 「社会にとってスポーツとは何か?」を問い直す必要がある―平尾剛氏に訊く
第5章 「国家によるスポーツの目的外使用」その最たるオリンピックのあり方を考える時期―二宮清純氏に訊く
第6章 サッカーワールドカップ・カタール大会とスポーツウォッシング
第7章 テレビがスポーツウォッシングを絶対に報道しない理由―本間龍氏に訊く
第8章 植民地主義的オリンピックはすでに“オワコン”である―山本敦久氏に訊く
第9章 スポーツをとりまく旧い考えを変えるべきときがきている―山口香氏との一問一答
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スポーツウォッシングという「感動の演出」と、その政治利用について、専門家5人の意見を聞きながら、まとめている本。スポーツウォッシングという観点そのものがない人にとっては、歴史的経緯に関する説明もあり、その存在に対して示唆的なものを与える本になっている。スポーツウォッシングについて興味がある人にとっては、類書もあまりないので読む価値がある本だろう。