紙の本
差別の構造を学問の蓄積から明らかに
2024/04/04 12:26
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投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
憲法学者の木村草太さんが、「差別」について定義し、解説している。
差別は悪いことだと誰もが分かっていて、法律家の間でも差別は禁止すべき者とされているのに、実際にはその定義は難しく、差別と区別が同義に使われることもある。木村さんは、法理論を用いて、差別とは何かを説く。差別と憲法の歴史や、日本の夫婦同氏問題や同姓婚禁止解釈などについても論じていく。
ひときわ目を引いたのは、「なぜ差別者は『差別の意図はない』と言うのか?」と題した章で、最近よく言われるマイクロアグレッション論について論じている部分。
p109~
差別をする者に、「差別の意図」や「傷つけるつもり」がないとしても、あおれは当人の主観ではそうだというに過ぎない。
と指摘し、
偏見や差別的感情・評価に基づく行為は、客観的に見れば「差別の意図」によるものと評価せざるを得ない
という。その上で
マイクロアグレッション論は日常的な言動に潜む差別に目を向けるという功績がある一方で、それこそが差別の典型的な表現であることを見落としてるように思われる
と断じていて、さらに後半で社会心理学の論文などから、その本来の概念を詳しく紹介している。
全体的に学術的でやや難解ではあるが、一冊手元に置いて、折々に確認したくなる書である。
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差別とは何か
差別を捉える四つの規範
差別をする人はどんな行動をするのか?
差別と憲法の歴史1―アメリカの奴隷解放
差別と憲法の歴史2―分離すれど平等
差別と憲法の歴史3―差別的意図の禁止
差別と憲法の歴史4―日本法の場合
差別と憲法の歴史5―社会的差別による差別立法の正当化
なぜ差別者は「差別の意図はない」と言うのか?
憲法24条と家制度(その1)―家制度とは何だったのか?
憲法24条と家制度(その2)―憲法24条の成立
憲法24条と家制度(その3)―新民法による差別解消
憲法24条と家制度(その4)―新民法と家事審判
夫婦同氏問題と合理的配慮
憲法24条1項の同性婚禁止解釈と差別―制定趣旨・文言・理論から考える
合理的根拠のない区別―タックスマン&テンブルーク論文
集団不遇禁止原理―オーウェン・フィス論文
差別と区別の分類論―アレクサンダー論文
象徴的/現代的差別と緊密侵害
価値づけ説と加害説
平等権と差別されない権利の違い
秘密の差別の害悪
分けるには理由がいる―日本式分離すれど平等
理由の説明からの逃避―なぜ平等の議論をしないのか
情報処理技術の革新→統計的相関関係の立証→人種・性別などによる区別の合理性 差別とは:偏見 類型情報無断利用 主体性否定判断 価値観と感情 差別の共有・差別利得 差別・行動;アーヴィングvsリップシュタット 事実の虫・制度の乱用・差別利用/陳腐な言い訳・両論併記 差別の意図は:マイクロアグレッション 偏見・感情・評価型 差別と区別の分類論:人の区分 物→人の区分 物の区分 象徴的/現代的差別と緊密侵害:レイシズム 緊密攻撃・緊密侮辱・緊密無化 価値づけ説と加害説:限界事例 女性差別ー貶価vs給与格差
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「差別」をいかに定義するかというところから始め、アメリカの奴隷解放など差別と憲法の歴史、憲法24条と家制度、同性婚・夫婦別姓の問題とそれに関する訴訟、差別されない権利を基礎づける研究者による議論などを取り上げ、法的な観点から差別の構造を論じる。
自分も差別解消に関する条例制定の議論に関わったことがあり、差別の定義をはじめ差別に関する議論が非常に難しい(理論的にも政治的にも)ということは痛感しているが、本書は、錯綜する差別に関する議論を整理するきっかけとして非常に有益だと感じた。
ただ、著者の主張や紹介されている研究者の議論などには納得しがたいものも少なくなく、やはり差別の定義や差別の禁止を根拠づけるのはなかなか難しいなということを再認識もした。
例えば、著者は、差別においては同意なく被差別者の性別などの類型情報という個人情報を利用しているのでプライバシー侵害に当たると主張しているが、一見してわかるような類型情報を理由に差別することをプライバシー侵害として捉えるのは違和感があり、他にそのような説を聞いたこともなく、あまり腑に落ちなかった。また、本書の根幹である差別の定義についても、「人間の類型に向けられた否定的な価値観・感情とそれに基づく行為」という本書における定義は、具体的行為が「否定的な価値観・感情」に基づくとどう判断するのか、自然発生する「否定的な価値観・感情」自体はどうしようもないもので内心の自由の観点からも一概に否定できないのではないかなど疑問があり、十分に納得のいくものではなかった。個人的には、著者の指摘のとおり統計的差別への対応などに課題があることは承知しつつ、伝統的な理解である「合理的根拠のない(人間の類型に基づく)区別」という定義のほうがしっくりくる。
一方、差別をしたとされる人が往々にして「差別の意図はない」と言うことに対して、差別する人が主観的な「差別の意図」を持たないのは至極自然なことで、無自覚な差別こそが典型的な差別だと論じる部分や、同性婚訴訟等の判決が、国民の多数派が差別的価値観を持っているから、法制度が、それに迎合するための区別をしても正当だという趣旨の判決になっており、妥当ではないとする指摘など、本書の議論ははっと考えさせられる部分も多かった。
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「合理的配慮」を申し出る、受け入れる。「他の者との平等」「均衡を失した又は過度の負担を課さない」範囲で。理由なく拒否すること、見て見ぬふり、無視するだけでも、差別の目的が実現している。このことは差別する側に立っていないか確認する行動指針として当てはめしやすいです。
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ひとことで『差別』と表されることも分解して考えるとひとつのことではなくて、複雑なものであることがわかる
差別に限らず物事にアプローチする際に大事な観点に気付かされました