嘘を真実らしく見せるが肝心
2024/03/13 17:20
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
曲亭馬琴といえば、『南総里見八犬伝』。
歴史の教科であったか、古典の教科であったか、必ず出てくる名前。
最近でいえば、2023年上半期のNHK朝ドラ「らんまん」で、
牧野富太郎博士がモデルの槙野万太郎の奥さんとなる女性が夢中になっていた本として
ドラマにもたくさん登場する。
では、馬琴とはどんな人物であったのか。
この『秘密の花園』は朝井まかてさんが日本経済新聞夕刊に2020年一年かけて連載し、
曲亭馬琴の人間像に迫った、意欲的な長編小説である。
曲亭馬琴は滝沢馬琴と呼ばれることがあるが、
元は大名の家臣の家の出ながら、出来の悪い主君から逃げ出すようにして青春期を放浪。
しかし、馬琴の人生には常にこの武士の家柄が付きまとっていたようだ。
時の人気戯作者・山東京伝の門を叩き、その後は有名な書肆屋・蔦屋重三郎の知己も得、
次第に戯作者としての地位を確立していく。
しかし、その一方で家庭生活は破綻寸前。
妻の癇性に悩まされ、病弱の長男を心配し、心休まる時がない。
唯一、庭の草花の世話をしている時が平安といえる。
そして、彼は願うのだ。
自身の作品が100年後の読者まで魅了することを。
これは馬琴だけではないのかもしれない。
馬琴の生涯をなぞった、朝井まかてさんもそうやもしれない。
作中にこんな文章がある。
「物事をそのまま書けばよいというものではない。
嘘を真実らしく見せるが肝心、それが文の芸というものだ。(中略)
真実らしく語るには、虚実を織り交ざることだ。」
朝井まかてさんの「花園」にうまく連れ込まれたといえる。
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投稿者:nekodanshaku - この投稿者のレビュー一覧を見る
「南総里見八犬伝」の著者・曲亭馬琴の一代記である。武家奉公でのパワハラに嫌気がさし、町民への飛び出した主人公。戯作者を目指して山東京伝の弟子になろうとするも、そうはならず、居候へ。蔦谷重三郎の出版問屋に奉公に入り、同時に作家稼業にも道を進めた。八犬伝を完成させるまでの苦難な人生を、テンポよく勧められた物語だった。現代でいう時代小説の創始であろう馬琴の生き残がよく分かった。
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投稿者:nap - この投稿者のレビュー一覧を見る
嫁と息子のキャラクターが、ジメジメしてて受け入れがたい。
この二人の存在が、相当イメージを悪くしてる。
たまたまだけど、他の作家さんで似たような時代の大阪
(といっていいのかな)を舞台にした物語も
比較的最近出てるけど、そっちはカラッとしてた。
どっちも松平定信が関係してるんだね。
文化を押さえつけようとしたわけだ。
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まかてさんのお話を聞くチャンスがたまたまあり、その時に「馬琴は自身を放蕩者と書いているが、実はそんなこともなかったのでは?」と仰っていたが、この一冊を読み終えるとそんな気がしてくる。
読み終えた後は、自分の中で単なる歴史上の人物でしかなかった馬琴が、一人の人間として捉えられるようになっていた。
今作も知らない言葉や漢字がたくさん出てきて、読み進めるのに時間がかかった。
失われゆく日本語を敢えて使うという、まかてさんの心意気が伝わってきて、頑張って読みました。
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滝沢家の話
話し手は小説家である。
第1章にて現在の滝沢家が描かれるが、2章から先は過去に戻って話が進んでいく
昔の言葉に慣れてないので読みにくい部分もある
3章までいけばようやく面白くなってくるので我慢我慢
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江戸時代の戯作者、曲亭馬琴の波乱万丈な生涯を描く。
第一章 ある立春 第二章 神の旅 第三章 戯作者
第四章 八本の矢 第五章 筆一本 第六章 天衣無縫
第七章 百年の後
主要参考文献有り。
9輯98巻106冊の読本『里見八犬伝』を28年かけて
完結させた、曲亭馬琴の生涯は、茨の道の如く。
家督を継ぐが、仕えた若君の癇症に耐えかね出奔。
紆余曲折を経て、山東京伝との出会いがその後の運命に。
蔦屋重三郎の耕書堂の手代になり、出版業界の内情を学ぶ。
そして戯作者となり、潤筆料を得るまでになっていった。
だが武士の誇りと拘りは山東京伝や葛飾北斎、様々な板元など
対人関係に仇をなす。また、常に滝沢家の再興を考えるが、
家族や一族の不幸に見舞われてしまう。それでも筆は止まらない。
家族関係もかなり強烈。妻の百や息子の宗伯の癇症の激しさよ。
でも小さな秘密の花園で、病弱の息子の宗伯での庭仕事をする
ひとときは、何とも心温まるものであり、父と子のお互いの
告白で一人の秘密を二人の秘密にした、心の絆が感じられます。
見えぬ目でも心に浮かぶ秘密の花園の光景の幻。
思えば百もその子らを育て上げたから、そこに現れたのか?
ある意味、似た者同士の夫婦だったのかもしれない。
八人と八本の矢など『里見八犬伝』へ至るキーが
潜んでいるのも良かったです。表紙にも八匹の犬がいるし~。
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馬琴についての小説を読むのは、確かこれが初めてではない。だが、これほどドキュメンタリーに近いものは読んだ事がなかった。
滝沢興邦という名をもつ、武士の次男であった馬琴は、幼い頃から、武士の立場ゆえの、苦しみが絶えない人生を送ってきた。書に親しみ、俳号をもち、読み本作家として押しも押されぬ立場となっても、武士の誇りを捨て切れなかった馬琴。滝沢家の武士の矜持を現代の自分が思い計ることはできないが、馬琴にしてみれば当然、子も孫も、男子は武士として育てねばならなかったし、子女は武士に相応しいところへ嫁さねばならなかった。そのために、筆耕で稼いだ金が費やされた。
その生き方は、師である東山京伝と対比させて描かれる。京伝は町人で、金勘定は得意ではないが、それでもいくばくかの財産を残していた。遊女を身受けして女房にしているが、馬琴にはそんなことはとてもできない。でも京山の菊も後添いの百合も、百よりよほど気がよく、出来がいい女房なのは皮肉だ。
朝井まかてさんの女性はどの物語でも巧みに描かれるが、ここでは、女房のお百が白眉。馬琴にとって良い女房とは言えなかったかもしれないが、その強烈な個性が爆発する様は読み応えがある。長男の嫁の路(みち)についてはあまり詳細には描かれないが、馬琴との、口述筆記における信頼関係を築きあげるまでの、ちょっとしたエピソードが微笑ましかった。
蛇足
馬琴は鳥好きとしても知られていたが、これほどの規模でたくさんの小鳥を飼っていたとは!野鳥の他、金糸雀(カナリア)を飼っていたと言われている。江戸時代にオランダから輸入された小鳥で、馬琴はその歌声を楽しんだのだろう。それにしても、これほどたくさんの小鳥の声は相当の騒音だったと思う。家庭のストレスをここで慰めていたのだろう。初めに飼っていたのは猫だった。
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バーネットではありません。なんか、ぽくないタイトルですが「南総里見八犬伝」で有名な曲亭馬琴の一生を描いた歴史小説です。
最近のまかてさんは、歴史上の人物を虚飾することなく史実に沿って描こうとしているようです。いわばリアリズム。この作品もそうで、武家の二男として生まれた馬琴は悪人では無いものの吝嗇で教条的、作品に対しては偏執的で版元や摺師を辟易させる。奥さんの百も強烈で、癇性で周りに毒のある言葉を吐き続ける一方で、幼児には我が子でなくても気を遣う。病弱な息子の宗伯は父に対しては従順だが、母や妻女には母譲りの癇性を発揮する。そんな崩壊寸前の家庭の中、馬琴は膨大な量の小説を描き続ける一方で、何度も滑り落ちる滝沢一門を武家に留めようと奮闘する。
子を亡くし、妻を亡くし、自らは失明しつつも嫁の手助けを受けながら「南総里見八犬伝」を完成させていく「百年の後」と題された最後の一章で印象が変わって行きます。亡くなった妻子を懐かしみながら先を見つめる老いた馬琴の姿がどこか清々しく。
まかてさん、植物好きなのでしょうね。植木職を主人公にした作品も多く、『類』でも森鴎外の庭いじりが描かれました。この作品でも最愛の息子との庭仕事のシーンが多く『秘密の花園』のタイトルの由来になっています。
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『…しばし感じ入って憂きを忘れられる。しゃあない、明日も生きてみたろかと思える』昔も今も物語にワクワクし、元気をもらう読者の気持ちは共通だ。蔦屋重三郎の心意気が立派。
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様々な歴史上の人物は、
どこか破綻していて、
だからこそ人には成し遂げられないことを
成し遂げられたのかと胸が熱くなった。
だけど、馬琴はしんどいー。
本人もしんどいけど、周りもしんどい。
何か胸が熱くならん。
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戯作者曲亭馬琴の一代記。
馬琴と先駆者山東京伝までは執筆料のみで生活する戯作者がいなかったとは知らなかった。
武家である滝沢家の三男として生まれた馬琴は、一度は家督を継ぎ仕官するが長続きせず、放浪生活を送ったのち、京伝、蔦屋重三郎と出会い戯作の生業を開始する。
次兄や実子に先立たれるなど家族運に恵まれなかった馬琴は、家族を守り滝沢家の家名を守るために全力を尽くし、家相が悪いと言われれば引越し、孫に御家人株が買えるとなれば家財をも処分する。
父や兄が出仕先から冷遇されたことや、士分や古典へのこだわりは八犬伝などの創作の原点となっているようにみえる。
癇気の女房、病弱な長男を抱え、版元などとの付き合いにも苦労する馬琴の心の慰みは猫や鳥や花木だった。
八犬伝の出版も版元とのトラブルにより一筋縄ではいかないが、八犬伝の創作開始以降、本書の熱量もひと際上がるように感じるのは、本書でも引用される八犬伝の持つ力によるものか。
失明しても息子の嫁、路に助けられ八犬伝の口述を続ける馬琴の創作に対する執念は、同時代を生きた北斎のそれとも通じるものがあり、二人が一時期一緒に仕事をしていたのは決して偶然ではないだろう。
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昔NHKの人形劇がただただ恐ろしかった里見八犬伝、これほど版元に恵まれなかったとは知らなかった
武士のプライド、貧しさ、病弱すぎる家族…様々抱えつつ
馬琴が血の滲む思いで書き上げた作品
北斎が庭の柘榴を欲しがった際の
「欲しいならやるが、もいだ数は報告しろ」
「なんで報告がいる」
「帳面につけておる」
「あんた、暇なのか」
「忙しい」
のやり取りがおかしくて少し切ない
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功なり名遂げても、家族は思うようにいかず。「眩」ほどの感動はなかったが、まるで、その時代に傍に寄り添って暮らしていたかのよう。「史実を考証する。その空隙を縫うようにして虚の想いが閃いて羽ばたく」「史実の種を見出し文章を耕して種を蒔き大いなる虚を育てる。それが稗史小説たるものの執筆作法であり、読む面白さであり、作そのものの真だ」「民の心に根付き、揺さぶり、時にその樹影でやすらがせ、時にその梢にまで登って遥けき世界を見せる」朝井さんの心意気、受けとりました。「読書をせねば、心がひもじい」画狂老人に文狂老人。次は?期待。
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うーん、長く読み応えのある滝沢馬琴の一代記。戯作者として名を成しながらも武士の家名に拘り続ける妄執には呆れ果てながら、戯作者としても命を削るような態度には書かずにいられない業を感じた。
ただ「南総里見八犬伝」は面白いが、馬琴にはどうも心惹かれなかった。残念。
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滝沢馬琴の一代記。
忠義を尽くした父親への権力者・藩からの不義理、主君に虐げられる日々への憤りを年少時代に経験し、自身で生きていく道や家名復興を目指す姿に江戸時代らしさを感じる。
強くあろうと生きてきた中で、老齢になってから、病弱な実子に告げる悔恨や弱さを吐露する場面が生々しい。
八犬伝を描き終えた後の、話の中では南総に理想の国を作りたかったんだという言葉が、馬琴の紆余曲折の人生と作家感を締めくくる言葉にふさわしい。
稗史小説の執筆法と楽しみ方を
「史実の種を見出し、文章を耕して種を蒔き、大いなる虚を育てる。」
(稗史を通じて人々に遥けき世界を見せる。)
と表しているが、著者(朝井まかてさん)の想いも載せているのか。